Track18.ハートに火をつけて





     〝──ロックは死んだのだ〟

〝──ステージに立ってるのは俺じゃない〟

   〝──じゃあ、ミスター・ノーバディーだ〟

〝──貴様が貴様であるためにのみ立ち上がれ〟

      〝──男には時々そういう日がある〟

〝──もっとラフな生き方でもいいだろ〟

      〝──皆殺しにするまで歌え〟

 〝──ロックは死んだのだ〟

      〝──主役を食う脇役がいてもいい〟

 〝──おっさんがやったってしょうがねえんだ〟

〝──芯なんて人間の中には存在しない〟

       〝──僕にギターを教えてくれた〟

 〝──無性にステージに立ちたくなる〟

      〝──哀れなのは小僧じゃない〟

   〝──俺の中のジャズがそう言っている〟

 〝──スクラップに出る幕はないってことさ〟

     〝──ロックは死んだのだ〟

〝──いつまでもだらしなく過去にすがりやがって〟

   〝──あんたの音楽はどうだ?〟

        〝──クレイジー・ジョーだな〟

 〝──なんで知ってんの〟

 



  〝────ロックは嫌いなんでしょ?〟




   ◆




 クラック・クラック・クラック・クラック……。

 無数の歯車が噛み合い、錆びた鋼鉄は軋み、そして彼の心臓は回り出した。

 いつもとは逆さまに。轍の上に捨ててきたものを、もう一度拾い集めていくようにだ。

 夜明けに差し掛かる砂漠の街、ウォンデン・ハブの屋上。二年か、もっと……時の縛りなどものともせず物思いに耽った。けれど、この問題を解決するのは時間じゃない。

【聞かせろ】と、シド。【シュティード……アーノンクール。貴様の答えを】

 シドの心は決まっていた。続けると言ったって、やめると言ったって、それがすべてだ。

 二人の鋼鉄は青サビにまみれ、擦り切れ、ひしゃげ、この一回しの砂漠の化身であるかのように生きてきた。もう傷を数えたって意味はない。ともに対等なはずだ。痛みも裏切りも。

「行くって言や、お前は来るのか」

【一発殴ってから考えてやる】

「愛のねえやつ」

【愛じゃ地球は救えなかっただろ】シドは笑う。【なら今度は何を犠牲に?】

「負けたよ、ジョー」

 瞼を開ける。指先には煙草。炎はフィルターまで昇り切っていた。もはや煙も火種も消え、ただ味気なく形を保っているだけの燃えカス……。シュティードは土色の巻紙へと人差し指を宛がい、一思いに灰色の名残を叩き落とし、答えを──

「なぁ、シド。俺たちが音楽をやめちまったのは、きっと……」

 ──いや、まったく。人生はどうしてこう、美しく進まないものか。


「来るな」


 一言。シュティードは階段を上ってくるナオンへと声をかけた。

 待ってくれ、と……ナオンにはそう聞こえた。だから、メリーから拝借してきたヴォックス社製のコンボ・アンプ──キャスター付きの鋼鉄の箱を、大人しくその場に置く。

「空気が読めねえのは母親譲りか?」

「そうかもね。でも僕、譜面は読めるよ」

「セッションでもしようってんだろ。見え透いてるぜ」

「……」図星だ。ナオンは押し黙った。でも後ろめたくはない。「やろうよ」

「あきれたぜ。テメェのお陰で立ち直りゃ、俺たちの出会いは運命的で、美しいか」

 ふざけるんじゃねえ、と吐き捨てて、シュティードはその場に立ち上がる。

「そういう奴を何度も見てきた。わかるんだ。お前の目は……」

「あんたはきっと」コンボ・アンプを蹴り渡すナオン。「ライバルを失くしたんだ」

 いまさら、語るに落ちるか……シュティードは表情を変えたりしなかった。ナオンもそれを承知の上で言っただろう。言わなきゃならなかったことだけど、目の前のろくでなしの反応にちょっと苛立ったりもする。

「母さんが言ってた。男の子には必要なものだって。だから……」

「俺はお前とは行かない」

 弾丸のように吐き捨てるシュティード。二人は対等だ。自分がそう定めた。だからナオンは耐えた。ブチキレかけた血管を鎮め、眉一つ動かすまいと顎に力を込める。

「まだ何も言ってないじゃん」

「言わなくてもわかる。何度だって言うぜ。俺は、お前とは行かない」

「……」

「映画じゃねえんだ。お前は俺のギアを都合よく回すためのライバルなんかじゃない。意味がねえんだよ、自分で答えを出さねえと。でなきゃ俺は、また誰か死なせちまう」

「シオンみたいに?」

「テメェの人生双六すごろくがどうだか知らねえが、俺はマス目でもサイコロでもねえ」

「双六やってんのはアンタのほうだ」

 背負っていた〝棺桶〟をコンクリへ下ろし、ナオンはその上に腰掛ける。

「初めて会った時、あんた、僕に謝ったよね。母さんをなじったこと。人に謝るようなタイプじゃないのに。ご飯も奢ってくれた。話にも付き合ってくれた」

「男には時々そういう日がある。こいつぁオーガストって奴が俺に……」

「でもそれは僕だからじゃない。シドの話を聞いてはっきりわかったよ。あんたが見てるのは僕の向こうにいる……シオンってやつだ。だからあんたは僕の額ばっかり見てる」

 ナオンは顔を上げる。真っ直ぐに、シュティードの瞳を刺す。

「重ねないで。僕は僕だ。シオンじゃない。あんたが勝手に怯えてるだけだ。人を一回休みのマスと勘違いしてるのはあんたの方だよ」

「……」

「別にいいじゃんか、都合よくたって。自分一人じゃ解決できないことだってあるよ。一人でなんでもかんでも何とかしようとしてきたからアンタは今こうなってるんじゃん」

【ウップス】シドが漏らした。【それはそうだ】

「俺がどうしようがお前に関係ねえだろ。俺の人生を踏み荒らすな」

「ダメだ。僕の人生を滅茶苦茶にしたように、アンタの人生も滅茶苦茶にしてやる」

「テメーのトレーラーに風穴が空いたのはな、あんなところに停めとくから……」

「あんたの音楽に救われてきたんだ」

 少年の目が尖る。なんだ、その色は。失望か。諦め。ここに怒りはない。そんなにも澄んだ瞳の色で、どうしてこうも鋼鉄の脳味噌を軋ませる。

「あんたに憧れて、ギターを持って、そうやって砂漠を渡ってきたんだ。それがなにさ、いざ会ってみたら酒びたりでろくでなし。そのうえやさぐれた腰抜けだなんて。夢は叶うもんじゃないなんて、平気な顔して大人が言ってんじゃねーよ」

 シュティードがナオンの胸倉を掴む。ああ、クソ。その目だ。恐れ知らずで、傲慢で、人の日陰を土足で踏み荒らすような狂気の押し売り──真っ直ぐという暴力。いつぞやの歌うたいたちが瞳に宿していた、若さなき若さとなった自分へのあてつけ。

 その目がいつも俺を狂わせる。かなわねえと思っちまうから。

「いい加減にしろ……! テメーは俺のなんなんだ。フリークにしちゃあ病的だぜ。はっきり言って目ざわりだ。なんだってピーチクパーチクいちいち俺に……」

「大人はどうでもいいことばっかり知りたがる……!」

 地に足も着かぬ宙ぶらりんのまま、ナオンは負けじとシュティードの剣幕に食って掛かり、黒シャツの襟をつかみ返す。

「あんたは僕の故郷を焼いた。母さんはいなくなった! おかげで僕の人生はメチャメチャだ。だから僕は今ここにいるんだ」

「…………」

 シュティードの手が緩む。ナオンのブーツの底がそっとアスファルトを踏んだ。シドは……身を裂かれる思いで、ただ目を伏せる……。

「住んでたのか、あの町に」

 ナオンは答えない。潤んだ瞳でシュティードを睨みあげる。何も言わなかった。どんな罵倒だろうと受け入れるであろう、今この時に限って、なにも。

「あのギターは」シュティードは問うた。「トレーラーにあったアコギは、お前のか」

「拾ったってのは嘘。ブラストゲートにあったのは本当」

「お前のかと聞いた」

「……」ナオンは答える。「……母さんが持ってた」

 まさかあの日、あの場所に──いや。こんな調子の狂うガキが二人もいれば絶対に気付く。こいつはあの場にはいなかった。それだけは確かだ。

 だが、こいつの家族は。有り得ない、とはシュティードたちには言い切れなかった。

 ああ、そうか。

 出会っちまったんだ、俺たちは。誰も幸せにならなくたって。

「……どんな」シュティードはぼやいた。「どんな気持ちで、俺といたんだ」

 いやに聡いガキだと思った。青さを鋼鉄で上塗りして、ところどころ塗装が剥げている……出来の悪いレリック加工を施したギターに似た、ヴィンテージもどきの感性。

 こいつは何もかもを見てきたフリをしているわけじゃない。

 実際に見てきたんだ────地獄も、天国も。大人びた皮を被らなければ、この掃き溜めで生きてこられはしなかった……哀れな、子どものなりそこない。

「あんたが憎いからついてきたわけじゃない」

 視線の先、ナオンは一面の砂模様を見渡す。

「母さんがどこへ行ったかは知らない。生きてるのか、死んでるのかも。でも、見つかってはない。わからないんだ。だから信じてる。どこかで生きてるって」

「……」

「砂場でダイヤの粒を探してる。それでも歩くんだ。歩いてきたんだ、僕は! あんたがそう歌ったんだ。〝砂漠の星〟で、あんた自身がそう歌ったんじゃないか」

 だから、と……ナオンはシュティードの顔を見上げた。赤毛の後ろ、輝く砂漠の星。

「僕は歩く。あんたにも一緒に来てもらう。あんたは自分で選んだんじゃないか」

 選んだ、か。鋼鉄のふたりには堪える事実だ。町が潰れたって、人が死んだって、すべては自分たちが選んだ結果だ。その通りだ。だから問い続けてきたのだ。

「僕は続ける。ロックンロールを。この掃き溜めいち有名になって、母さんを見つけてやる。あんたの音楽を……母さんが信じてきたものを、あんたが夢見てきたものを、ただの夢なんかじゃ終わらせない」

 夢、か。あやふやな言い草だ。木材と鋼鉄で出来たガラクタをギターと呼ぶのと何が違う。ナオンとシュティードの違いはたった一つだ。夢という言葉ただひとつ、その在り方だけ。

「クレイジー・ジョーは死んだ」と、シュティード。「ロックンローラーは、もういない」

「じゃあ、なればいいじゃん」

「……」

ジョーじゃない、あんた自身に。僕はそうするよ、ミスター・ノーバディー。昔の話とか、誰が死んだとか、そんなことどうだっていい。そんなのなくたって……僕はそうする」

 どうだっていい、か。いつだって俺たちは、どうだっていいことばかり考えがちだ。

 因縁ごときで未来が決まってたまるか。シュティードだってそう思ってる。誰が死んだって誰を殺したって誰に恨まれたって、時間は誰かが誰かを許すのを待ってくれたりしない。

 誰しも囚われるだろう。だから彼らも立ち止まった。そして多分、この少年も一度はどこかで立ち止まって──その先へ行きたがっている。

 問われている。彼は、他ならぬ彼として。だから彼も彼自身の言葉で答えるだろう。

 誰のために、誰にとって、誰であればいいかを──

「お前は一つ間違えてる。俺たちは夢なんか見ない」

 ナオンを見下ろし、シュティードは言い放つ。その手に一枚のピックを握って。

「夢は見ない。夢を見せる。それが俺たちだ」

「……」

 そうとも、とシド。

【スターが派手なのは見せかけだけで──俺様たちが見るのは現実だ】

 そうか。この男は悲観的なわけじゃない。ただ、どこまでも。

「……リアリストなんだね」

「そうさ。そいつを突き詰めた先にしか俺たちは輝けないし、そこにしか夢はない」

 シュティードは捩れた赤毛を掻き毟り、革靴も果敢にシドを手に取る。

「だからあがくんだ」

 蹴りだされるシュティードの足。地を滑るキャスター付きのヴォックス・アンプがナオンの足元へ。電源は──入っていやがる──だ!!

「〝ルーム・サービス〟!」

「ちょっと待……」

「ワン・ツー!」

 


  ◆



『ぎゃーーーーーーーー!』

 突如として響き渡った爆音に、頭だけのバッカスが叫び声を上げた。メリーとアイヴィーがたまらず耳を塞ぐ。部屋全体が一瞬跳ねて、カウンターのナッツが宙を舞い……ここはまるで宇宙空間か。

「うるせえー!」アイヴィーが椅子を蹴っ飛ばす。「フルテンで鳴らす奴があるかあ!」

『ボリュームメーターが壊れるでありマス!』

「その前に店が壊れるっての!」

 しかめっ面で耳を塞ぐアイヴィー。グラスの中のジンライムも震えている。ギター二本から出ているとは思えない重低音……そしてシングルコイル特有の劈くような高域……。

「おいメリー! ここの扉ってグラスウール……」

 振り返ったアイヴィーが言葉を失う。グラス片手に踊るメリーがいた。

 バッカスはその様に見覚えがあった。たしか、そう──ツイストってやつだ。

「メリー!」

「ブギウギー! フッフゥ!」

「おい! なんか防音ないのかって!」

「エクセレントな出音だわ……」

 恍惚とした表情でスカートを揺らすメリー。彼女の心はお空の彼方か。カウンターの食器が片端から落ちて割れていく。飛散した破片すら小刻みに踊っていた。

「一九六三年製ヴォックス・コンボアンプ……六弦のハイ・ポジションで鳴らすブリっとした巻き弦のローが絶品ね……ああ、なんて素敵。やっぱりチューブはこうでなくちゃ……」

「もしもし聞こえてますかぁ! 店が壊れますけど!!」

「そうよ、よく気付いたわね! 出力を500Wワットに改造したの!」

「電子レンジか!!」

 低音が鳩尾に突き刺さる。アイヴィーは階段を見やった。柱にミュートボタンがある。

「くそ、爆音ってか地震だぜ! こんなもんで防音できるわけ……」

 ボタンを押すアイヴィー。階段へ続く防音扉が一枚、二枚、三枚と左右から滑り出る。次に床下から巨大な防音パネルが壁に沿って現れ、部屋が一回り小さくなった。最後に天井の側面から歯車の回る音がして、ご丁寧に吸音材つきのパネルが頭上一面をシャットアウトする。

 まだ低域が少し防ぎ切れていないが、店内はほとんど無音になった。この部屋は外部の音と完全に断絶された防音室というわけだ。

「すげえ」すげえけど、とアイヴィー。『何故こんな……』今度はバッカスだ。

「昔の名残よ」メリーがターンを決める。「ここは昔、シリアルキラーが拷問部屋として使用していた場所なの。絶対に声が漏れないように防音設備が……」

「なんでもいいけどお前絶対呪われるからな……」

 なんだか鼓膜がひりひりする。ぐったりした様子でカウンターへと戻り、アイヴィーは机に突っ伏した。ジーナはまだ戻らない。もう死んでるかも、なんて思ったりもする。うっすらと漏れてくるギター・セッションはまだ終わりそうにない。

「ヴィンテージなんだろ」頬杖をつくアイヴィー。「楽器の価値なんか私は知らねえけど……なんであんなガキに貸したんだよ」

「男ってウジウジするでしょ」と、メリー。「長ったらしい。めんどくさいもの」

 〝請負人様〟宛にツケられた大量の領収書……ゴム紐でくくられたその束を転がしながら、メリーはため息も深めに言う。

「羨ましいわね、ミュージシャンって。酒飲んで楽器弾くだけでいいんだから」

「うえぇ、冗談じゃねえ」メガネを外すアイヴィー。「逆立ちしたって私はゴメンだね」

「向いてそうだけど」

「馬鹿よせ、一緒にすんなよ。酒飲んで楽器弾くだけの毎日だぞ。精神ブッ壊れるわ。奴らはとっくに頭がイカれちまってんだよ」

「まともなミュージシャンもいるんじゃない?」

「やめちまえ、そんなやつ」

 アイヴィーは鼻で笑ったという。



   ◆



 星をさえ揺るがす轟音の中で、二人のセッションは目まぐるしく形を変えた。

 対話か。それとも喧嘩。時には余裕を見せ、一難去ってまた一難。ナオンはシュティードの挑戦に食らいつき、シュティードも彼の戦意に応えるよう決して手抜きはしない。

 思い立ったナオンが、ふざけて猫の鳴き声みたいな音を入れてみる。これにはシュティードも笑った。ならばと精肉店〝ウェールズ・アンド・ベイシー〟のテーマソングを入れてみて、目には目を、遊びには遊びを……。

 眺めるシドは保護者ではない。一人のオーディエンスだ。同時に、このちっぽけで偉大なる伝説の生き証人である──いや、彼は死人だから──まあ、細かいことはいい。

 理解、されはしないだろう。

 この砂漠の一夜におけるたった三分間の単調なセッションは、言葉では届かなくなるほどに擦り切れ衝突した男たちが、それでも何かを求めようと交わした会話だ。豆か茶葉かは関係がないし、時代も関係ない。

 そこにはコミニュケーションが確かに存在した。たとえシュティードがナオンの表情を見ていなくたって、ナオンがシュティードをろくでなしのグズだと思っていたって(たとえ話だ)些細な問題ではなかった。

 禊、のようだ。自分の中の要らないものが、どんどん篩にかけられ、そして、最後には笑うしかなくなって──笑うことしか残らなかったなら、その忘我が全てを解決する。

 シュティードにはわかる。今、この瞬間。これまでの惨憺と逡巡の全て……張り裂けそうな現実感を突き詰めた果てに存在する今──ここからしか、産まれないものがある。

 そうだ。

 俺たちは無数に転び、無数に起き上がり、そのたび生まれ変わったように生きていくのだ。

 何度折れようと俺たちを揺り戻す、傷だらけで、されど鋼鉄の、こころとともに。

 それこそが。たった二十一グラムの、俺たちを俺たちとなす、たった一つの────




 やがて静かにセッションが終わった頃、火を噴きそうなほど熱されたヴォックス・アンプの電源を落とし、二人と一本は言葉なく笑っていた。

 ミスを茶化す意味でか、それとも年季を感じさせる垂涎もののクォーター・チョーキングに舌を巻いたか……笑ったタイミングはもう忘れた。だが、とにかく笑っていた。

 もはや一切はどうでもよかった。苦悩や葛藤、痛みや苦しみ、あるいは不安と孤独か。錯覚した使命の重みや、人生を困難にする完璧主義……ともかく自己の迷宮を成すそれら全てが、言葉なき三分間の彼方へと消えていった。怒りも恨みも、この瞬間、この轟音と旋律の前には意味をもたない。

 Eメジャー・コードのサスティーンののち、ナオンの派手なストロークでジャムは締めくくられた。イェア、と小さく笑ったシュティードが、シドを宙へと戻してやる。

 別に、割れんばかりの拍手が起きたわけではない。けれどもナオンは妙に気恥ずかしくて、はにかんだままギターのチューニング・ペグを回し始めた。シュティードも顔を合わせようとはせず、黙って煙草に火をつける。

 この砂漠で一体何度味わっただろう──煙と、沈黙。いつもと少しだけが違う。

 ここに、理由や必要性などは存在しなかった。何の為にとか、どうするべきだとか、何かを問う必要も、誰かを疑う意味も……不確かなものに名をつける呪いは、何一つとして。

「簡単だな、俺たちは」

 シュティードはぼやいた。

 なぜ今、俺は音楽で笑えたのだろう。どうして今まで笑えなかったのだろう。楽器を鳴らして音が出て、ただそれだけの簡単なことを、どうしてあんなにも難しく考えていたのだろう。

 饒舌に語るのは失ったものを埋め合わせようとするからだ。彼らは話しすぎた。それゆえ、もう多くは語らない。

 それでも多くを思い出す。砂の下に埋めてきた鋼鉄の日々とその全てを。

 理由はわかっている。この少年が言おうとしていることも。どんな悲劇や過ちも関係ない。だが、シュティードはその答えに頭を垂れるわけにはいかなかった。

 きっと、一人きりでいることが彼を彼たらしめている。

「どうしてロックンロールをやめたの」

 ナオンが静かに問うた。コンボ・アンプの上に座って答えを待つ。

 なぜ、か。確かめるためか? 漠然とただ旅の終わりへ向かっている? この一輪の砂漠の果て、タンブルウィードの種より小さいだろうルルドの泉を見つけるために?

 違う。違うんだ。俺たちに地図なんてものはない。持ってるのは白い五線譜だけで、あとは自分の血で記すしかなかった。きっとこれからもそうしてゆく。

 欲しいのは目的や理由じゃない。旅、それそのものだ。

 そうだ。やっぱり、俺たちにとって音楽は……。

「楽しくなくなったからさ」

 シュティードは答えた。素朴な一言だった。だがそれで思うところの全部だった。誰よりもその言葉に安堵したのはシドだ。独りじゃなかったし、間違ってはなかったのだから。

「俺にとって音楽は……道楽だ。だから本気でやるし、楽しくなきゃやらない」

「……」

「それだけだ。ガキがどうとか、町がどうとか……後は全部おまけだよ。笑ったっていい」

「笑わないよ。あんたは僕の夢を笑わなかった」

 小さく笑みをこぼし、それからシュティードは口を開いた。

「お前のことはちゃんと見てた。だから言う。俺は、お前とは行かない」

 答えは変わらない。ナオンだってわかっている。それが知りたかった。

「お前は、俺とは真逆だ。人を愛することが信念なんだろ」

「……そう信じてる」肩膝を立て、頬杖を突くナオン。「僕は、人に救われてきたから」

「なら、それを歌うといい。俺は笑わない。だが、お前と同じ歌は歌わないし、お前と同じようには笑わない」

 バントライン・スペシャルに弾丸を込めながら、シュティードは続ける。 

「孤独と怒りと反抗に取りつかれた人間に、博愛精神で書かれた歌が届くと思うか」

「そう信じてる」

「お前がそう思うのは間違いじゃない。一人の歌うたいとして正しいことだ。綺麗事ってのはよく出来た処方箋だが、俺には効かなかった。用法や用量の話じゃねえ。頭のネジ穴がバカになった連中に残されるのは死ぬか殺すかだけだ」

「……」

「わからねえだろう。自分はこの世で一人きりだと思っちまってるし、実際にそいつらは一人きりなんだ。誰といても、どこにいてもな。そいつらに必要なのは銃じゃない」

 装填を追え、再びホルスターへ。そうとも。ロジャーにだって、本当は必要なかった。

「弾を込める。撃鉄を起こす。引き金に指を添える。そして、明日に向かって撃たせてやる。誰に何を言ってるかもよくわからねえ……救いとは、また違う。それ自体は救わない。音楽を聴いたそいつらが、そいつら自身でそいつらを救う」

「撃たせる……」

「そいつらの肩が外れようが、あとは知ったこっちゃねえ。俺ぁシッターじゃねえんだ。

 昔の俺を救ってやれるのは俺だけだろう。そんでもって、逃げ切ったなら俺の勝ちよ」

「あんたは」と、ナオン。「怒りを歌うんだね」

「いいや」シュティードは答える。「自由を」

 街を囲むシャッター、それを囲む砂漠──そして、その先に果てなく広がる海。砂漠の風にネクタイを遊ばれながら、シュティードは誰にともなく言った。

「自由を歌う。自由になるために」

「……」

「この世で唯一それだけは、俺の代わりは利かねえんだ」

 シュティードはそう答えた。そしてそう答えるよりずっと前から、限りある旅だとは知っている。きっと、どこででも終わり得る旅だ。シドは、ただ黙って目を瞑った。

 ナオンはそれ以上追及しなかった。踏み込んではいけない領域はもう散々荒らした。自覚はある。もはや説得は無意味だ。

 ある種、確認だった。この男は人の話を聞いていないわけじゃない。ただ、誰の話も選ぶ気がないだけだ。自分であることに囚われ続ける──きっと、さだめ。

「ねぇ、シュティード」おずおずと、ナオンは左手を。「僕は……」

 人生は美しくない。美しくあるのは人間だけだ。ナオンは先刻シュティードの言葉を足音で遮り、自分の行いでそれを証明したところだった。

 だから文句は言えない。差し出した左手が、東の方から響くエンジン音と、夜を照らす車のヘッドライトに邪魔されても。

「ジーナじゃない」と、身を乗り出すシュティード。【ガソリン車だ。ZACTけいさつでもないぞ】

 時間は彼らの対話が終わるのを待っていたのかもしれない。スクラップ寸前の中古車数台が煙を巻き上げながら、ウォンデン・ハブを迷いなく目がけ砂上を蛇行してくる。

 ウィンチか、それとも……誰であったって、シュティードのやることは一つだ。いつだって彼のやることは一つだ。彼は彼らしく、彼のやり方で生きるだけだ。

「セッションはお開きだ」

 シュティードは小瓶に残ったバーボンのあまりを飲み干し、こぼれたターキーもまだ乾かぬ右手の五指で前髪をかき上げる。彼の眼光が歌うたいではなく、請負人のそれへと戻ったのがナオンにはわかった。

「行けよ、野良猫。奴らはお前のことは知らねえ」

「行けよって……」はて、何から聞けばいいやらだ。「皆はどうすんのさ」

「さぁな、俺たちは運が悪けりゃ」

【トゥエンティー・セブン・クラブの仲間入りだ】と、シド。

「そういうこった。ロバート・ジョンソンにあの世で長生きの秘訣を聞く」

 言って、シュティードがさっさと階段を下ろうとするものだから、ナオンは思わず彼の手を引っ掴む。綺麗じゃないことは承知の上だった。

「待ってよ! 散々巻き込んでおいて今更さよならなんて、そんなのってないよ!」

「探すんだろ、母親を」シュティードは砂漠を指す。「死んじまったら終わりだぜ」

「言ってることが違うじゃんか! シドも! さっきは僕のこと……」

【一つ賢くなったな】シドは笑う。【ころころ変わるだろう。これが俺たちのブルースだ】

 やって来るならず者たちの方をギターのヘッドで指し示し、シドはナオンに向き直る。

【残ったってあの世行きの列が縮まるだけだ。それに……この砂漠は思ってるより広くない。またどこかで会う。それとも足手まといになってオレ様たちを殺したいのか】

「……」

【どこへでも行けるし、何にだってなれる。貴様は自由だ。行けよ、少年】

 ナオンは立ち尽くす。まただ。急になんでもしていいと言われたような気がして、かえってどうしていいからわからなくなる、この感覚……。

 大人はいつもそうだ。みんな自分を置いていって、後には砂漠だけが広がる。

「銃は持つな」

 諭すように言うシュティード。額ではなく瞳を見た。夜明けに風が吹く。

「……なんで、そんなこと言うの」

「音楽をやる奴が銃なんて持つもんじゃあない。こいつは引き算や割り算の為にある道具だ。お前には向かない」

「あんたは持ってるじゃんか!」

「俺たちは、あまりを数えるのが仕事なのさ」

 そう言い、実際に殺し損ねたあまりをざっと数え──彼らがロケット砲を構えたのをしかと見て──シュティードは地上から立てかけられているハシゴを一瞥した。

「よう」膝を曲げ、ナオンに目線を合わせるシュティード。「ドアーズって知ってるか」

「……」眉をひそめる。なんだっけ、たしか……。「〝ライト・マイ・ファイアー〟?」

 ずど、と衝撃。ナオンの鳩尾にシュティードの拳がめり込んだ。鋼鉄で殴られたみたいだ。シュティードは胃液をぶちまける少年を引っ掴んで、無理矢理にハシゴを掴ませる。


 酸いし、苦いな。クソ。おまけに荒っぽい。最後まで子ども扱いか。なんて勝手な野郎。

 この掃き溜めのあるべき姿だ。だけど、突き放されたように感じる。野良猫だけが友達で、自分の居場所を自分で見つけなきゃならないし──それは、とても苦しくて辛いことだ。

 自由はタダじゃない。そういう代償も……ある。

 あんたもそうなのかな、歌うたい。僕にはまだ、孤独は苦すぎるみたいだ。

「楽しかったぜ。ファッキンセンキューアディオスクソガキ」

 飛来するロケット弾頭。パーティーはじきに始まる。シュティードはハシゴを蹴った。

「お人よしの母親にどうぞよろしく」






 マキネシアの夜明けは早い。ニワトリより先にロケットランチャーが鳴く。

 いよいよ迎えた国民の休日だが、上半分が吹き飛んだウォンデン・ハブを見る限り、砂漠の住人たちに休みはない。荒くれ者たちでさえこんなにも早起きだ。

 幾台かの改造乗用車と重量級のトラックを盾に、死にぞこないバグジー率いるブランドン・ファミリーはずらりと銃を構えていた。二〇名に満たないほどの頭数で、きっちりとスーツで身を固めているあたり、まるで弔い合戦のようである。

 銃座には巨体のバグジーと、腹心の優男……キャクストンの姿が見える。今しがたメリーの酒場を吹き飛ばしたロケット砲を下げ、彼は請負人らの生死を確認すべく目を細めた。

「……」キャクストンは首をかしげる。「やけに丈夫なボロ屋だな……」

「やったか?」

 アイヴィーに撃ち抜かれた太もも──まだ熱が引いていない──を包帯の上から押さえて、バグジーは前のめりに首を出す。

「ボス、そういう時は大体……」

「黙ってろキャクストン!」

「はいはい……」

「もう一発だ!」

 朝焼けを背に、ウォンデン・ハブの残骸は土煙も昇り止まぬ無残な佇まいだ。すらりと長いアイヴィーの足が瓦礫を蹴り上げた。 

「話が違うじゃない!」メリーが石綿を蹴っ飛ばす。「取引だけだって!」

「私もそう聞いてたよ!」アイヴィーが這い出た。「こうなる気はしてたけど!」

「エクセレントね、また改装だわ! ああもう首がチクチクするっ」

 勇敢なのか、頭のネジが外れているか……ともかく猟銃を勇み足で構え、メリーが銃撃戦の火蓋を切って落とした。廃材に埋もれたまんまのシュティードが、お空を見上げながら土まみれでぼやく。

「雑だぜ、バグジー。相変わらずってもんを知らねえ」

【あのハッカー崩れの糖尿病か】土を払うシド。【よく嗅ぎつけたな】

「まぐれじゃねえ。汚職警官なんか腐るほどいるってことだろ」

【いや、汚職アンドロイドは初めてだね】

「どっちだってかまわねえよ。バグジーをシメる」

「バグジー!?」煙の奥からアイヴィーが吼える。「始末しただろ!」

「だからオメーが殺しそこねたんだろがクソアマ!」

「なんだとテメー!」銃声のせいで声が遠い。「連帯責任って知ってるか!」

「一蓮托生ってヤツだ」

「そりゃ意味がちげぇよバカ!」

 再び飛来するロケット弾頭。噴水のように砂煙が舞い上がり、炸裂の余波が一行を方々へと吹き飛ばす。そして心許ない遮蔽物に転がり込み、また銃弾の嵐……。

【ふん】おが屑を浴びながらシドがぼやく。【結局いつも通りか】

「続けるぜ、俺は」

 シュティードは言った。銃声を雨音に見立てたかのように、あの日あの場所から戻ってきたばかりの、やつれた泥臭い顔つきで。

 大儀や信念なんて大それたものはない──そんなものばかりが魂を動かすわけじゃない──あるがままの、乾いた瞳だ。

「ロジャーは死んだ。オーガストも、シオンも」

【ああ】

「それは忘れてない」

【わかっている】

「だが、でもない」

【何がそうさせる】

「意地だ」、とシュティード。「死なせるばかりじゃないと……教えてやる」

【意地か。くだらんな】シドは失笑した。【だが嫌いじゃない】

 がん、と重い一撃。シドがシュティードの顔面を鋼鉄のボディでどついた。渾身のヤツだ。世に聞く八億の賞金首も、これには溜まらず頬を抑えてうずくまる。

「……本気でやったな」

【本当なら崖から放り投げてやりたいが】

 傷だらけのシドはそう言って、真っ直ぐシュティードを見る。

【これでチャラだ】

「……」

【謝らんぞ。貴様も謝るな。許すとか、許さないとか、邪魔なだけだ】

「話が早くて助か……」口の中を探るシュティード。「おい、歯ァ抜けてねえか?」

【人間には三二本も……親知らずは?】

「抜いたかも」

【じゃ二八本だ。二八本も歯があるんだぞ。一本ぐらいなんだ】

 べ、と血反吐交じりに歯を吐き捨てるシュティード。

「キリのいい数字になったぜ、ありがとよクソったれ」

【偶数が良けりゃいつでも言ってくれ】

「見てろ。テメーの死体掘り起こした日にゃ前歯をポップコーンにしてやる」

【なんだ、帰ったらパーティーか?】

「バレルに、ターキーもだ。帰るぞ。馬鹿騒ぎラズル・ダズルをおしまいにする」

 銃弾が頭上をかすめた。まだバグジーが吼えている。頭上では鋼鉄のカモメ達が騒がしい。


 シュティードは銃を握った。人を殺すため? それとも生かすため? 自分がこの世で唯一代わりの利かない自分であると証明するため? ロックンロールの未来のため? はたまた、砂漠の星になった少年の無念を晴らすため?

 どれも違うし、どれだっていい。

 とりあえずは掘り起こしたシドの歯で、ポップコーンパーティーをするために、だ。







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ラズル・ダズル 亞野日奈乃 @anohina_no39

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