Track05.キルレシオドライヴ


 機械大陸マキネシアの名付け親はイザクト事変ではない。都市粒子化現象が鋼鉄の砂漠一輪を生む遥か以前から、この島はそう呼ばれていたのだ。

 機械に溢れる島だからというわけではない。理由はもっとシンプルなところにある。単にこの島が歯車状だからだ。ちょうど、アンティキティラの名を関するオーパーツのように。

 歯車を想像しよう。歪な形のドーナツだ。外側には凹凸おうとつが窺えると思う。マキネシアにはこの凸の部分が十二か所……つまり区画の数だけ存在する。

 スクラップフィールドは、差し詰め鍵盤上の一オクターブなのだ。ここにはドイツ語の音階で言うところのCツェーにあたるブロックを起点として、反時計回りにDデーEエーFエフGゲーAアーBハーまでのアルファベットが割り振られており、そこにそれぞれ対応した黒鍵区画──フラットブロックやシャープブロックと呼ばれる──を足すと全部で十二の区画に分けられる。

 そしてドーナツの穴……つまり円状の鍵盤の中心にあたる市街を足せば、はれてマキネシアは十三という割り切りの悪い数字で区分けされるわけだ。

 市街を囲む巨大なガンドレオン合金の隔壁シャッターが十二角形である理由はここにある。掃き溜めとの交流そのものを拒絶しているのだ。浄化槽は常にクリーンな環境を保たれねばならないし、白いスーツにはシミひとつ許されない。シャッター前ではZACTの警備用アンドロイドが二十四時間フル稼働という働き蟻も真っ青の労働体制で待ち構えており、市民権を持たぬ者の侵入をがんとして許さない。

 しかしその逆は許されるのだ。すなわち、掃き溜めの人間が市街に入ることは原則として許されないが、市街の人間が掃き溜めに入ることは、以下の三つのケースのみ例外的に許可される。

 一つ。社会の癌である罰点保持者マイナスホルダー、または市街での生活に反感を抱いた者達が、罰点清算や更生を果たすこともなく自主的に市街を去る場合。俗に〝掃き溜め落ち〟と呼ばれるケースだ。

 ただしこの場合は市民権を失うことと同義であり、市街から出たが最後二度と元に戻ってはこられない。もちろん警備用アンドロイドは市民の脱走を許さないし、防衛プログラムの可動範囲外まで逃げ出せるかどうかは運任せだ。つまり例外も原則もへったくれもない。自由は常に片道切符なのだ。

 二つ。市街のロボット産業で廃棄されたジャンク……つまり鉄クズを掃き溜めに輸送する廃品輸送車両ジャンカーゴの通過。ちょうどザイールが武装機関車サイダロドロモの骨組みを引き渡す予定だった〝特急便〟がこれにあたる。

 この〝特急便〟通行の際に使われる輸送用ハイウェイだけが、掃き溜めとシャッターとの間にある唯一の橋渡しだ。掃き溜めから市街に侵入するにはこの他に道はないが、輸送自体が不定期で行われるもので、シャッターが開くのはせいぜいその瞬間、加えてZACTが市街に出陣する時ぐらいだ。成功の確率は限りなく低い。成功したところでアンドロイドに警備網を敷かれるのがオチだろうし、そもそもこんな形だけの橋渡しであるハイウェイの存在など、各ブロックのジャンクヤードを統括する人間──それこそザイールのような──か、輸送車両の運転手ぐらいしか気に留めてはいまい。

 三つ。これで最後だ。何の話だったかもう覚えてもいないだろう。そう、市街の人間の掃き溜めへの侵入が許される特例……その三つ目だ。

 あたりはつくだろう。馬鹿でもわかる。ZACTが掃き溜めに踏み出す場合だ。

 正確には特例とも言えない。例外でもない。そもそもこの法律を定めたのはZACTであり、ZACTこそが秩序そのものなのだ。彼らが法を執行するのに例外というていをとる必要はどこにもない。

 そうとも。だからこそウィンチ=ディーゼルというアンドロイドは、何の遠慮もなく掃き溜めへと我が物顔を向けたのだ。愛国者パトリオットの名を持つ純白の車両を、己の騎馬がごとく駆りながら。

「ハロー、クソったれバカヤロー。ディーゼル隊各位、本腰入れろよぉ」ウィンチは前方を走るトレーラーを睨みつけて言った。「おっんだらスクラップじゃすまねえぜぇ」

 走る走る。魔騎馬まきばは走る。狩れよ奴をといななきながら。

 にゃごにゃご。迫り来る車両の駆動音にあてられ、スクラップの野良猫達が群れをなして大合唱を始める。トレーラーの行く先にそのフィルハーモニーじみた異様な光景を捉えるなり、ナオンはクラクションを鳴らして叫びたてた。

「どいてー!」

 走る走る。こちらも走る。吹き出る蒸気とラッパの音。野良猫達がぴょんと飛び跳ねて道を開け、遠ざかるサーカス一座に歓声と文句を送った。

 曲がり角だ。ハンドルを切るナオン。乱暴な運転の余波を受けてタンブルウィードが転がる。助手席には浅黒い肌を持つ赤毛の中年。運転手は年端もいかぬ青い瞳の少年。ろくでもない絵面だ。誘拐にしても立場が逆だろう。

「熱心なファンだ」シュティードは言った。「人気者も考えモンだな」

 ははあ、この土壇場にミュージシャン気取りとはふざけたクソ野郎だ。サインは一列に並んでお待ち下さいとでも言うつもりか。ナオンは失笑する。

「同じ人気者でもクレイジー・ジョーとは大違いだけど。あっちの方が有名だし」

「分かりきったことぬかすな。死人はだいたい人気者だ。ジミヘンも言ってたろ、死んだら一生安泰だってよ」

 吸殻を投げ捨てるシュティード。アーク・ロイヤルの上品なブラウンを踏み潰し、トレーラーの後ろをパトリオット・ベイビーズが追った。誘拐犯を検挙するにしては行き過ぎたスピードだ。速度オーバーを示すアラートがその車内に絶えず鳴り響いている。

『アラート、シグナルレッド。法廷速度を四〇キロオーバーしています。ただちに速度を落としてください。また、運転中はシートベルトの着用が義務付けられています。ご自身の安全のため、速やかにベルトを着用してください。従わない場合、ZACTによる罰点の執行があなたの免許を』

「うるせえ機械だ」人工知能グレート・マザーへと吐き捨てるウィンチ。「俺がそのZACTザクトよ」

 熱病のように追いかける。トレーラーは大仰に轍を描いて左折。いいルートだ。この先他に道はない。砂煙の中、フィーバー・タイムの舵を取ったのはウィンチだった。

「袋小路だ、ハイウェイに追い詰めろ!」

 車両間通話システムがその音声を伝播させる。スピーカーから流れたウィンチの号令に従い、職員達は往々にして走行速度を上げた。

 手駒は全部で八人。騎馬は四匹。例に漏れずみな愛国者ときた。素晴らしいことだ。白と水色という鮮やかなカラーリングにそぐわぬ豪胆なエンジン音が砂漠に轟く。

「ミスター・ウィンチ」運転席のウィンチへ向け、同伴の職員が問う。「なぜ奴を?」

「アホなこと聞くな。粒子管を奴に回収させる、でもって奴の身柄もパクる。こいつは最初から一石二鳥の作戦だろうが。まだ鳥は一羽しか落ちてねえんだよ」

「粒子管絡みの交戦を避けたいから請負人に回収を頼んだんでしょう? それで請負人とやり合ってちゃまるで意味がない。キーラに顔向けするだけなら別に……」

 ウィンチが職員の頭を小突いた。

「お前がキーラの何を知ってる?」

「同僚でしたよ」

「そういう話をしてんじゃねえ」

「んじゃ何の話なんです!」

 語るに落ちる。アンドロイドにすら分かる話だというのに。ウィンチは溜息をついた。

「これじゃどっちが機械だかなぁ」

「……はぁ」

「物があるかないかの話じゃねえんだよ。それに、もう一つ必要なんだ。いや、必要になっちまった」

「なんで? キーラの罰点は十万ポイントですよ、酒場の摘発と粒子管回収で充分に清算できる。それに奴は粒子管を一つしか持ってない。もうるものなんて首しか」

「だからその首をとるんだろうが!」

「だから何のためにです!」

「ごちゃごちゃうるせえな、てめえの好物は〝質問〟か!」

 ウィンチは扉に格納されていた銃を取り出す。カラーリングこそ粒子銃と同じだがやけに大振りだ。ちょうどウィンチの腕と同じぐらいの長さで、角ばった装甲の中に鋼鉄のパーツが覗いている。助手席の職員が目を見開いた。

「イっ……粒子兵装イザクトガジェット!? 何やってんですか、認証しないと使えませんよ!」

「オーソライズ済みだ。研究室のヤローのをちょいと借りた」

 メモリごとな、とウィンチは口元を歪めた。

「はぁ!? アンタ馬鹿ですか!? 一万ポイント級の罰点マイナスですよ!」

「八億で黙らせる」ハンドルを切るウィンチ。「撃てよ。スクラップにしてやれ」

「馬鹿言わないで下さい! セーフティ解除の許可とってないでしょう! こんなの上司にバレたら明日には掃き溜め暮らしですよ!」

「あぁーもういいだったら俺がやる! ハンドル代われ!」

「駄目ですって! 連帯責任で僕まで罰点食らって……」

「この腰抜けが!」

 開く助手席のドア。呆気に取られた職員がアホ面のままウィンチに蹴りだされた。

「うぉああああああ」

 サイドミラーに目をやるウィンチ。職員は相変わらずアホ面のままドラム缶に直撃し、そのまま後続のパトリオットに轢かれた。お役御免だ。遺影には使えない表情だった。思わぬ罰点を食らった運転手の心持ちたるや計り知れない。

『繰り返します。ご自身の安全のため、速やかにベルトを着用してください』

「おせえって」ウィンチは失笑した。「!」

 掛け声と共に粒子管の中のイザクト粒子が回転し始める。その眩い水色の輝きに応え、粒子兵装から女性の声が響いた。


『"I.Z.A." authrized. Three,two,one...complete.』


 粒子兵装が辿るプロセスは三つだ。

 一つ、使用者の登録。これはIDメモリを用いて初回起動時に行われる。

 二つ、シリアルナンバーの認証によるオーソライズ。これが今しがた〝イザクトレーション〟の掛け声とともに行われた部分だ。どちらも第三者による不正使用を防ぐために設定されているセキュリティで、ZACT管轄下で設計されたものはいずれも市民権IDメモリによってそれが設定される。

 そして三つ目は使用の解禁──粒子によるガンドレオン合金の分解と再構成。

 まばらに舞う粒子。輝く装甲。粒子兵装が姿を変える。内臓された文字列に従って機械を組み替えているのだ。一際大きな水色の輝きののち長銃身となったそれをウィンドウの外へ突き出し、ウィンチは鬼の首を取ったように言った。

 そして彼は実際に、鬼の首を取るつもりだった。

「チェック────仲裁者アービトレイター

『"Arbitrator" check,ready.』

 異音と共に輝きを帯びる電飾。充填されてゆく粒子。ウィンチはトレーラーの後部へ狙いを定める。もっとも、どこに当たろうが結末は同じだが。

 シュティードがサイドミラーを一瞥し、水色の輝きを見るなり血相を変えた。

「まずいッ!」

 ナオンの運転に割って入り、思い切りハンドルを切るシュティード。トレーラーが大きく左に逸れ、水色の弾丸が正面のマーケットへと飛び込んでゆく。着弾、そして炸裂。ウィンチが口笛を吹く。水風船が弾けたように粒子が飛散した。

 そこにマーケットはなかった。木っ端微塵にされたのだ。それはちょうどザイールの仕事が白紙に戻ったように。どうやらツケが回ってきたらしい。残骸と思しきスクラップは転がっているが、ここではありふれた光景なものだから痕跡としての意味はなさない。

「なにあれぇ!」汗ばんだ手でハンドルを切るナオン。「蒸気スチームじゃない!」

「馬鹿、粒子兵装だ! 技術屋ならそのぐらい勉強しとけ!」

「知ってるし! 馬鹿にすんな!」

「いいから黙って運転しろ! 絶対当たるな!」

 注文の多い男だ。馬鹿でも分かることを馬鹿に諭すようにこの馬鹿は言う。ナオンはたまらず舌打ちをかました。

「当たったらどうなるの!」

 馬鹿でも分かることをナオンは問うてやった。

「ザイールに聞いてみな……!」

 馬鹿な男らしい答えが返ってきた。

「左だ!」「分かってるってば!」

 雨嵐のごとく襲い来る青白い粒子の弾丸。小口径だ。速射に切り替えたのだろう。粒子銃から放たれたそれをドリフトで巧みにかわし、ナオンは再び大きくハンドルを切る。

「ああ、ああもう! 最悪だよほんと最悪! 泣きそう!」

「落ち着けクソガキ、泣きてえのはこっちだ。俺はいつだって泣きてえよ」

「今の僕の気持ち分かってる!? 空からクズは降ってくるし、天井は壊されるし、タクシー扱いされるし! おまけに賞金首! 勘弁してよ! 指名手配されてんなら家で大人しくしててよね!」

 選挙戦に出馬した能無しばりに吼えるナオン。シュティードは鼻で笑った。

「仕方ねーだろ、人気者なんだから」

「ファックオフ!」

「殺すぞクソガキ!」

 トレーラーの後部──ナオンの〝持ち家〟へと移り、シュティードはガラス窓から目を凝らした。ウィンチの粒子兵装がいやに輝いている。小口径の弾丸を吐き出す一方で、銃身に見えたゲージが徐々に引き金の方へと遡ってゆく。

『Conversion ready. Now loading...』

 抑揚なく響く音声。次の形態への換装準備だ。奴は充填じゅうてんしている。オンボロトレーラーを跡形もなくマキネシアから消し去れるほどのエネルギーを。

「……まぁずい」

 シュティードは呟いた。その他なかった。直撃すればトレーラーごと大破は免れない。天井に穴を開けるのとはワケが違う。四十五口径ぽっちのバントライン・スペシャルなど砂粒同然だ。ウィンチのにやついた表情がシュティードを苛立たせた。

「フルドライブだぜぇ木っ端微塵だぜぇ、さァあどうすんだ請負人ンンン」

 したり顔のウィンチ。緩まらぬ追手の勢い。心許こころもとなき腰元の銃。

 ああ、これはまさに、絶体絶命というやつだ。

「……は」

 ぷつりとシュティードのぜんまいが切れる。やってられるかもう知らねえ、どうにでもなれ……そういう投げやりな様子でシュティードはソファに寝転がった。

「ちょっと何してんのぉ!」ナオンが思わず声を荒げる。「寝てる場合!?」

「もう疲れた」いつにもまして気だるげにシュティードは言った。その力ないたった一言に今までの全てを詰め込んで。「逃げるのに疲れちまったんだよ」

「疲れたって、運転してるの僕でしょ! アンタもちょっとは頭回してよ!」

「んだってもうどうしようもねえだろ。小口径の速射ならともかくあっちは避けられねえ。おしまいだ。あーあ俺の人生こんなモンか。随分あっさり幕引いたモンだな……」

「ふざけんな! 死ぬなら一人で死んでよね!」

 死なねえよ、とシュティード。

「俺は罰点保持者マイナスホルダーだ、八億抱えてんだぜ。どうせ更生プログラムで生き返るだろーよ。死体が残ってればな。来世に期待って奴だ。代わり映えはしねえだろうが……」

 最期の一服とばかりに煙草に火をつけるシュティード。胃もたれしそうなほど甘いバニラの香りが薄暗いトレーラーに立ち込める。

 退廃的だ。この男の雰囲気がそうさせる。皮肉屋を気取った雰囲気が。

 そいつだ。そいつがどうにも、気に入らない。

「はぁ」ナオンは吐き捨てた。今まで一番冷ややかな声で。「だっさ」

 ナオンは苛立ち気味にハンドルを切り、助手席のハードケースを一瞥する。

「……あんた、これギターでしょ」

「……違う」

「違わない」ナオンは言い切った。「クレイジー・ジョーのシグネイチャー・モデルだ」

 図星だった。署名品シグネイチャー──著名人の特別仕様モデルを再現したものだ。魅せられた者達が使う憧れの象徴。シュティードが言葉に詰まる。

「心底良かったよ。あんたみたいなのがロックンローラーにならなくて」

 弾丸が心臓を抉る。その名は糾弾。シュティードの歯がきしんだ。

「クレイジー・ジョーなら絶対諦めない」

「うぜぇなクソガキ、クレイジー・ジョークレイジー・ジョーって。死んじまった人間の言うこといつまでも間に受けてんじゃねえよ」

 馬鹿馬鹿しい、青い、若い、世の中のことをなんにも知らない……嘲笑に類される言葉を全て詰め込んだような言い草だ。コリブリで火を点ければさぞ不愉快な香りの煙を昇らせるだろう。まだ飽き足らずにシュティードは続ける。

「なんとなく分かるぜ、てめえの旅の目的。ロックンロールにでもハマっちまったか? それでギター抱えてマキネシア中をドサ回り。夢を追ってる。図星だろ?」

「だったらなんなの?」

「くだらねえんだよ」

 唾棄するシュティード。今度はナオンが歯を食いしばる番だった。

「何がロックンローラーだ。厳格化の引き金を引いたのはクレイジー・ジョーだぞ。奴さえいなけりゃロックが狩られるなんてことにはならなかったんだ。しかも当の本人はイザクト事変で消息不明ときた。無責任なヤローだ」

「生きてるかもしれないじゃん」

「ありえないね。死人は死人だ。死んじまった人間の影にいつまでも縛られるなんて馬鹿のやることだ。時間と情熱の無駄なんだよ。追いかけたところでそいつになれるわけでもねえ。魂の形が違うんだ。ロックは、死んだんだよ」

「誰が決めたの?」ナオンは力強く言った。「勝手に殺すなよ」

 大きく蛇行する車体。エンジンの音だけが空間に満ちる。ぴりぴり、ぴりぴりと、微弱な電流に似た緊張が彼らの肌を這い回った。

 ナオンは首から提げたゴーグルに目を落とし、埋め込まれたプルガトリウム鉱石の空色を見つめ、そしてもう一度前を向く。

「アンタはいいよね。はいそうですかで人生終わらせられるんだから」

 シュティードの眉が揺れた。今までで一番大きく。

「なに?」

「やりたいことも、夢も希望も、俺には何にもないって顔してる」

「……」

「そんな風に人生諦めてるから、そんな顔になるんじゃないの」

「知った風な口利いてんじゃねえ。てめえが俺の生き方の何を知ってるってんだ?」

「なんで僕があんたの生き方知らなきゃなんないの? ふざけんなよ」

 シュティードは言い返さなかった。他ならぬ自分自身がまさしく吐かれた言葉通りに生きてきたからだ。どこまでも最低の一日らしい。請負人宛てに溜まり溜まったツケが全て一度に返ってくる。

「やりたいことがないのは勝手だよ。夢がないのも勝手だ。だからって開き直るなんて最低だ。クソの中のクソだ。ましてや人の夢を笑うなんてクズ以外の何物でもない」

「……言うじゃねえか」

「クソガキだからね」

「都合のいい時だけ若さを逃げ道にすんな」

「こっちの台詞だ。都合のいい時だけ大人ぶるな」

 苛立ちがシュティードの胸をつく。けれどつかえて出てこない。

「諦めるなんて僕は絶対にごめんだ。駄目だと分かってても嫌だ」

「……」

「大体なにさ。来世に期待? 馬鹿なの? 人生は一度しかないんだ。生き返るって言ったってIDメモリの同期から復元されるだけでしょ。あんた自分でそう言ったじゃん。生き返ったところでそれはあんたじゃないじゃん。待ってるのは罰点を清算するだけの人生だよ。それこそ夢も希望もないじゃん」

 認めるものか。ナオンは吼えた。静かにだが確かに勇んで吼えた。二十一グラムの粒子を少しずつ削り出し、言葉の波に乗せて、気だるげなムカつく男にぶつけてやった。

「僕は嫌だよそんなの。転んだまんま起き上がりもせずに、中途半端なまま投げ出すなんて絶対に嫌だ」ナオンは言い切ってやった。「あらがって死んだ方がマシだ」

 シュティードは黙したまま左胸に手を当てる。それは自身に課したシンキング・タイムだった。

 どうだ、お前の心臓は動いているか。そこに粒子は何グラムある。BPMビート・パー・ミニットはいくつだ。何かが胸の奥でくすぶっている。名はなんという。お前は知っているかと問う。いいや知らないと心臓は答える。馬鹿げた話だ。お前が知らなければ誰が知っているというのか。

 心臓の奥に揺らぎがある。少年に気圧されたわけではない。論破されたとは思っていない。罪悪感や後ろめたさなど万に一つも有り得ない。そもそもそんなものは生き方の違いだ。たかだか齢十二の少年にき動かされるほどこの魂は安くはない。

 ないはずなのだ。少なくとも彼が知る限りでは。

 ならばなんだ。そいつの名はなんだ。なにがこうも俺を苛立たせる?

 シュティードは自問する。だが自答には至らない。八億の脳味噌は答えを出せない。〇の数では弾けぬ算盤そろばんが左胸にあるのだ。

 くゆる煙草。小さな炎がフィルターの方へと上る。ゆっくりと、しかし確実に。

 反抗心の色だ。少年の目にもそう書かれている。それは掃き溜めの黄金律。いつぞやの歌うたいが瞳に宿していた、若さなき若さとなった自分へのあてつけ。

 ああ、クソ。分かった。そいつなんだ。

 そいつがどうにも、気に入らない。

「……上等だクソったれ」

 シュティードは鋼鉄のように重い腰を上げた。見た目はともかく彼の中にはまだ鋼鉄があったらしい。錆びた常盤色の残光の彼方、置き去りにしたはずの二十一グラムが。

「俺をナメるんじゃねーぞクソガキ。上等だよ。こんなところで死んでたまるか」

 だがな、とシュティード。

「誰がなんと言おうが俺はロックンロールなんてモンはクソだと思ってる。差し詰めロックンローラーはただのフンコロガシだ。俺は音楽の力なんてクソみてえなモンは最初から信じちゃいねえんだよ。それだけは覚えとけ」

 シュティードは目を凝らす。部屋中の物に可能性を巡らせる。タイヤ。駄目だ。ソファ。心もとない。ハンガー。話にならない。無理だ。どう考えてもおしまいだ。投げつけて狙いを逸らすことは出来るかもしれない。問題はその次だ。

 粒子管が切れない以上、粒子兵装に弾切れはない。それが一つの利点でもある。その場しのぎで逃げ続けたところで怪物はいつまでも追い続けてくるのだ。それはシュティード自身よく知っていた。

 逃亡は解決にはならない。ならば次だ。次はどうする。次は──

「……あん」

 シュティードの目が一点で止まった。

 箱だ。部屋の隅に物静かに鎮座している、重厚なナリをした鋼鉄の棺桶。開けるべからずと鎖で雁字搦めにされた無骨な入れ物。妙だ。そう言えば左右に揺れる車体の中、この箱だけが微動だにしていない。色にも見覚えがあった。

 思い出した。それはそう、ちょうどシュティードの持つハードケースと同じ金属の光沢こうたくだ。灰に埋もれた時代を思わせる、鈍い鉛色の輝き。

 ガンドレオン合金の、光沢だ。

「おい待てクソガキ、まさかこいつぁ」シュティードが呟いた。「粒子兵装か?」

 ふてくされ気味にナオンは答える。

「……武器にはなんないよ。機械を直すのに使ってるの」

 シュティードが気色ばんで歩を進める。続いてその頑強な右拳をナオンの頭に振り下ろした。「いだい!」鋼鉄のハンマーで殴られたような衝撃が小ぶりな脳味噌を揺らす。

「アホかぁてめえは! こんな大事なモンがあんならさっさと言え! ガラにもなくテンション下げた俺が馬鹿みてえじゃねえかぁ!」

「なんで叩くの! そんな物あったってどうしようもないでしょ!」

「馬鹿野郎、ガンドレオン合金は粒子を吸収するんだぞ! だから粒子兵装に使われてんだよ、てめえ技術屋の癖にそんなことも知らねえのか!」

「しょうがないでしょ、あんなヴィンテージ滅多に見つからないんだから!」

「はぁああこのクソガキてめえほんとふざけんなよチクショーバカヤロー!」

「チクショーでもバカヤローでもクソガキでもないしお前がふざけんな!」

 揺れる車体。地をえぐる光弾。過ぎ去ったハイウェイの看板に目をやるシュティード。

 何度転んだ? 七度目か? 八度目はあるか? いや、何度でも同じだ。シンプルにいこう。畢竟ひっきょうするに、最後に立っていればそれでいいのだ。この掃き溜めではなおのこと。

 ギア・レコードが噛み合うようにしてシュティードは活路を見出す。ウィンチの粒子兵装の充填は残りゲージ二つ分。時間にすれば一分もない。シュティードは〝棺桶〟に両手を宛がい、思い切り力をこめて引きずった。

「く……んぬぅうううおおおおああああああ」

 ぎしぎしと床が軋む。異様な重さだ。ゆうに二〇〇キロはあるだろうか。人間離れしたシュティードの体──トレーラーの天井に大穴を開けてなお骨折一つない、それこそ鋼鉄じみた肉体でもっても引きずるのが精いっぱいだった。

 当然と言えば当然だ。クズとクソガキしめて二人分の命は、この鉄塊てっかいに預けられているのだから。

「何してんの!?」

「て、てめぇ馬鹿野郎、なんだこの重さは……こんなモン載せてっからスピード出ねえんじゃねえか……!」

「やめて、捨てないで!」

 剃刀かみそりに似たナオンの叫び。先刻と違い声に芯がない。お気に入りの玩具を破壊された子供が、母親に訴えるときの声色だった。

「黙れクソガキ! 冷蔵庫と同じだ、また買い換えろ!」

「それは母さんのなんだ!」

 上ずるナオンの声。意志とは関係なく喉元がひっくり返る。心臓の奥から搾り出したような、緊張で切れてしまいそうな糸に似た声だった。

「母さんの手がかりなんだ、やめてよ……それだけは捨てないで……!」

 青年は振り向く。少年も振り向く。二人の視線が交わった。互いが互いに瞳を覗き、そしてその奥に問いかける。

 悲痛な声だ。それに手がかりと言ったか。シュティードは全てを悟った。この年端もいかぬ少年が何故トレーラーを駆ってまで砂漠を渡るのかを理解した。

「……それがてめえの旅か?」

 シュティードは問う。ナオンは口を開かぬまま無言で頷き、沈黙で答えを返した。

 生き別れというところか。望み薄な話だ。犯罪者だらけのスクラップフィールドで、このお人よしの少年をこの世にひり出したお人よしの母親が生き残っている可能性はほとんどゼロに等しい。それこそ死人の影をいつまでも追い続けるようなものだ。

 終わらない旅を、続けるようなものなのだ。

「……わかってるよ、言わないで。分かってる……けど……」

 ナオンは続けた。

「……それでも諦めたくない……」

 シュティードはまた黙り込む。皮肉屋でお喋りの自信家には辛い一日だ。

 まただ。知らぬ間に俺は──他人の夢を踏みにじってしまったらしい。シュティードは毒づく。声には出さずに後味の悪さを噛み締めた。

 同じだ。こいつもまた追いかけている。叶わないと知りながらも諦めきれずにくすぶっている。皮肉なものだ。どこまでも残酷で偶然なる、青き空前のボーイ・ミーツ・ユース。

「安心しろ。悪いようにはしねえ」

 とっつきにくい微笑みを向けるシュティード。

「俺が一度でも悪いようにしたか?」

 今まさにだよ、馬鹿野郎。ナオンは瞳だけでそう返した。




 ゲージが溜まり切る。再び粒子管が唸りを上げ、その装甲が大仰に展開された。

『Charge complete. Conversion mode:Full blast loading...On your mark.』

 粒子兵装が姿を変える。ライフルの様相からバズーカさながらの巨大な口径の銃へと。これで撃たれればどんな怪物だろうと生きてはいまい。この距離なら尚更だ。ウィンチは余波を避けるべく少し速度を下げて距離を開け、トレーラーに狙いを定める。

『Get set.』

「あぁ?」そこで彼の眉は揺れた。「……あの野郎」

 トレーラーの扉が開く。シュティードが腕組みして仁王立ちをかましていた。不遜な面構えだ。撃ってみろとでも言わんばかりに脂下がっている。

 馬鹿な奴だとせせら笑い、ウィンチは彼奴の死因を定めた。皮肉屋とお喋りと自信家の三重苦だ。その全てがお前を殺すのだ。

「アホが。お望み通り木っ端微塵にしてやる」

『Get ready.』

 しくじれば次はない。いつだって次はないのだ。輝く粒子兵装。シュティードは目を見開く。ウィンチが躊躇いなく引き金を引いた。

「あばよ」

『Fire.』

 閃光、そして着弾。波状の粒子が空間を裂く。トレーラーの扉が弾け飛び、黒煙を纏ってマキネシアの空に軌跡を描いた。爆風の余波がウィンチの髪を揺らし、フロントガラスに亀裂を生む。

「ハッハァーやっちまったぜぇ! 髪の毛の一本でも残ってりゃいいがなぁ!」

 直撃だ。どう考えても生きてはいない。ウィンチはダミ声で高笑う。

『Reload.』

 だが彼は知らなかった。過ちはその一つに尽きた。掃き溜めの野良猫の底意地を、この男は計り間違えていたのだ。伸ばした白玉しらたまのコードが減衰していくように、徐々にウィンチの声が弱まっていった。

「……あん?」

 走り続けるトレーラー。粉砕されたのは扉のみだ。煙の奥には四角い影。

 なんだあれは。箱? ロッカー? 棺桶? ウィンチは目を凝らす。そうして再び粒子兵装を構えた矢先、煙を突き破ってシュティードが飛び出してきた。

「んなぁ!?」

「ハロー、兄弟!」

 振りかぶるは八億の右拳。着地と共に飛散するフロントガラス。動揺の間にシュティードが仲裁者アービトレイターを引ったくり、ウィンチへと銃口を突きつけた。

「おいおい、強化ガラスだぜぇ!」ウィンチは苦笑した。「怪物かてめえは!」

「粒子管を返して失せろ! でねえと脳味噌ぶちまける事になるぜ! 八億には届かねえだろうがな!」

「撃てるモンなら撃ってみやがれ、ミンチになってウェールズ・アンド・ベイシーの精肉コーナーに並ぶのはてめえの方だ!」

「働き蟻の食料事情なんざ知るかクソったれが!」

 シュティードは激昂する。だがトリガーは引かない。ウィンチの言うとおりだ。ここでこいつを殺せば車両は失速し、コントロールを失い衝突──もろともに死ぬのが目に見えている。なによりこの距離でぶっ放して無事で済むとは思えない。

 シュティードは目を凝らす。八億の脳味噌を再び回す。

 視界に捉えた〝AUTO DRIVE〟の文字。市街車特有の自動運転モードだ。道理でやけに腕がいい。追跡対象さえ指定すれば後はアクセルを踏むだけというわけである。

 レバーが〝ON〟に引き下げられているのを見て、シュティードは頬を吊り上げた。

「いいぜ、そっちがその気なら!」

 レバーを引き上げるシュティード。同時、車載スピーカーから合成音声が流れる。ウィンチは慌ててハンドルに右手を戻した。

『マニュアルモードです。引き続き安全運転をこころがけて下さい』

 抑揚のない機械特有の声だ。魂が欠片も感じられない。死を思わせる。

「地獄のハイウェイだ」シュティードは言った。「ドライブは嫌いか?」

「ふっ、ざけろこのイカレポンチが!」

 ウィンチはレバーを下げようとする。シュティードはレバーを上げようとする。旧友の再会でもここまで固く手を握りはしない。こうなれば意地の張り合いだ。レバーの方からもうやめてと折れそうだったし、実際にレバーは折れそうだった。

「ぬあああああ」「くおおおおお」

 蛇行するウィンチの車。後続の車両は戸惑いがちに少し距離を取る。ドミノ倒しのようにはいかないらしい。込み上げてくる苛立ちにウィンチはますます腹を立てた。

 くそったれが。なにがアンドロイドだ。変に人間に近づけやがって。こんな人間の余裕なき部分までプログラムして、一体何になるというんだ。

 どうせ機械に産まれたなら、とことん機械であるべきだったんだ。

「いつまで張り付いてんだストーカーかてめぇはぁ!」

「今離したら死んじまうだろーがアホかお前!」

「知るかぁてめえ一人で死んでろ!」

「死ぬのはてめえらだド阿呆!」

「だっかっらっレバーを離しやがれぇ!」

「るっせえ誰が離すかァ!」

 シュティードはウィンチの手元に目をやった。ゴールデン・アップル社のジー・ウォッチだ。黄金色の林檎が日差しを浴びて輝いている。

 時計集めが趣味というわけでもない。シュティードが目をやったのは液晶の方だ。この修羅場の趨勢すうせいを決するのは、味気ない水色の数字で示されたカウントダウンなのだ。

 馬鹿げた話だ。掃き溜めにおいてなお馬鹿げている。彼は今正に命そのものを賭け金に、命そのものを掴もうとしている。

「てめえちょっと諦めわりぃんじゃねえか?」ウィンチは苦笑する。「このまま行けば市街だ。シャッター前でてめえはお陀仏よ。どうだ、掃き溜めで死にてえだろ?」

「ぬかせクソ野郎、八億の骨を野良猫の餌にしろってのか!」

「てめえなんぞはせいぜい馬の骨だ!」

「だったら前世はダークホースだな、大穴当てたに違いない!」

「だからレバーを離せッつってんだろうがぁああああ」

「離して下さいだろうがクソったれがぁああああああ」

 あ、と二人の雄叫びが止む。ついにレバーが根元から折れた。ご臨終だ。

「てめぇアホかチクショーバカヤロー!」ウィンチが叫んだ。「だから離せって!」

「たかだかレバーが折れただけだ、もっとポジティブにいけ!」

「ンンの野郎ふざけやがってクソファッキン陰毛クソ野郎、気に入らねえぜ! どうにもてめえは気に入らねえ! 絶対殺してやる!」

 蛇行する車両、ボンネットに張り付くシュティード。正気じゃないとナオンは思う。人の棺桶を盾にしただけのことはあるらしい。

 服を着た意地だ。底意地と諦めの悪さの塊だ。よもやあの男を計り間違えていたか──うっすらとそう猜疑した瞬間、ナオンの目に一つのシルエットが飛び込んだ。

「えっ……ちょっと待って……えっ……?」

 頬を引きつらせながらナオンは言う。頭上を通り抜けていく弾丸より遥かにまずい、視界の前方に入ったを見る。

 八億の脳味噌が弾き出した答えをナオンはようやく理解した。これでさえ早すぎるほどだった。遅すぎるよりはいいことだ。そうとも、後続の二の舞になるよりは。

「……嘘でしょ」

 少年は脳味噌を回す。値札はまだない。これから決まる。

 この地獄の門を──トレーラー一台分ほどの隙間を潜り抜けた後にこそ、この脳味噌と心臓の値段が決まるのだ。ナオンは、そう、強く言い聞かせた。

「まさか!」トレーラーのメガホンからナオンの声が響く。「本気なの!?」

 本気もクソもあるか。シュティードは皮肉げに口角を釣り上げた。

「ビビってんじゃねえ、娼館にぶち込むぞ! 俺をナメたことを後悔させてやる!」

イカれてる!Are you crazy!?

イカしてんだよYes, I'm fuckin' crazy.

 左車線、背後に控えた三台のパトリオット。鼓動が早まる。賽は投げられた。いつだって投げられっぱなしなのだ。誰が投げたかは問題じゃない。

 ナオンがトレーラーの速度を僅かに落とす。ウィンチはここを逃さじと目一杯アクセルを踏み込み、躊躇なくトレーラーの右側に出る。遮られた視界の先にある物も知らずに。

 失敗はない。許されない。しくじれば終わりだ。少年は高揚した。賭場にいるわけでも酒に酔ったわけでもないのに、ひどく心がたかぶっていた。新・禁酒法でも愚かさまでは摘発できない。できるものならやってみるがいい。

「頭おかしい! ここまでやれなんて言ってないし! こんなの! こんなのってッッ」

 ハンドルを右に切るナオン。トレーラーの車体を思い切りぶつけてやる。重さなら負けはしない。ウィンチの車が大きく右に躍り出た。

 勝算はいかほどだ。かまうものか。いくつでもいい。生きるか死ぬかだ。掃き溜めにはいつだってその二択しかないのだ。

 いま必要なのは百パーセントの一ではない。一パーセントの百なのだ。

 今まさに閉じかかる死の門を、魂が擦り切れるほどのギリギリで潜り抜ける為の。

『警告します。前方に大型車両あり。落ち着いて速度を落とし、ハンドルを左に切って下さい。繰り返します』

『Reloaded. On your mark.』

 ウィンチの車に鳴り響くアラームと合成音声。そして彼らは警笛けいてきを聞く。クラクションと呼ぶにはあまりに厳かな──マーシャル・アンプの轟音が空間をつんざくのに似た、爆発的なその音を。

「あぁ?」ウィンチが眉を潜めた。「この音……」

 鉄の巨獣が叫ぶ。耳障りな轟音だ。後続のパトリオットが速度を緩める。だがウィンチは速度を緩めなかった。目先の獲物に囚われすぎたのだ。それが敗因だった。

 あるいは────死因となるのか。

『左に切って下さい。繰り返します』

『Get set.』

 ウィンチ自身が口にした通りここはハイウェイだ。輸送用のハイウェイなのだ。彼ら自身が八億の脳味噌をこの一方通行の死路に招き入れた。通るものと言えば点検用の市街の車両か、それともどこかの荒くれか、でなければ──でなければ。

『落ち着いて速度を落とし、ハンドルを左に』

『Get ready.』

 潮時だ。名残惜しいが致し方あるまい。時間にしておよそ三秒あるかないか。命を賭けるにはあまりに短い一瞬に八億の脳味噌がチップを張った。

 迫るクラクション。荒ぶるラジエーター。ぶつかればタダではすまない鋼の怪物。

「殉職祝いだ、捜査官」

 嫌味にも捨て台詞。シュティードは引き金を引いた。

『Fire.』

 爆発音と衝撃波。怪物の咆哮に似た巨大な金属が軋む音。

 ウィンチは困惑した。撃たれたのは自分でもパトリオットでもない。粒子兵装の銃口は奴の背後へと向けられている。

 ちょっと待て、この野郎。一体何を目がけて撃ちやがった?

「……あっ」

 ウィンチは気付く。警笛の正体に。八億の向こうにを見る。パトリオットの五倍はあるだろう、高速道路を通るにはあまりに大きなその体躯を。

 ちょっと待て。どうしてだ。どうしてお前がここにいる? ウィンチは問うた。値札のない脳味噌を必死に回した。ところが答えはつっかえたまま出てこない。

 なにせ市街の働き蟻には、国民の休日などまるで縁がないお話だったから。

「こっ……」

「シャンパンでもけな」

『前方に、大型車両あり』

 遅すぎた、何もかもが遅すぎた。ブレーキを踏むのも、悟るのも。

 ああ、そういう事か。こいつが、この男が、このイカれた野郎が待っていたのは!

「このクソ野郎がぁあああああああああああ」

「──────アクセルだぁクソガキィ!!」




 武装機関車サイダロドロモの引き渡しを控えた、十四時着の便────!




「うおおぁあ あ  あ   あ     ッ」

 粉砕されるパトリオット。弾け飛ぶ硝子。ひしゃげるボンネット。ぶっ飛ぶサイドミラー。飛び散る血液。無力なエアバッグ。洗濯機のスイッチが入ったみたいだ。破壊。破壊。ただ破壊。絶叫しながら突っ込んでくる巨大な廃品輸送車両、そいつはまるで鋼の巨獣。

 斜め倒しで燃える巨体へとシュティードが跳躍する。彼は伸びたパイプを引っ掴み、そして意地とばかりに這い上がり、バランスを崩して右に傾いた特急便の屋根を駆けた。

「ハッハァークソったれ! 死ねッ、死んじまえクソったれ! ざまあみやがれ馬鹿野郎、馬の骨はてめえだ! 能無しのポンコツのスクラップが! ざまあみやがれッッ」

 音を立てて潰れる後続の三台。最新式の国の車体が文字通りのスクラップへと変貌していく。いい気味だ。ざまあみろ。シュティードは思い切り前方へ飛んだ。

 ナオンは叫ぶ。アクセルを踏む。ギア・レコードが散り散りに宙を舞う。廃品輸送車両の装甲が〝持ち家〟の壁を突き破り、そして紙のように引き裂いていく。

 家など知るか。命が先だ。スピードが足りない。お釈迦になるぞ。

 早く! 早く! もっと早くだ!

「わぁああああああああああ!」

 ナオンは叫んだ。恐怖か。それとも興奮か。もうどちらでもいい。どちらでも同じだ。

 尚も止まらない火花と軌跡。左車線へと横転しつつ迫る特急便の車体。死線とガードレールの間、メガホンを犠牲にしてトレーラーがギリギリで擦り抜ける。

 パトリオットの残骸が廃品輸送車両ジャンカーゴの粒子タンクを貫く。そして炸裂。炎と煙と蒸気が手を取り汚濁した宇宙を作り上げ、無数の廃品が散りばめられる。まるで砂漠の星だった。

「寄せろぉクソガキ!」

「クソガキじゃないッ!」

 軌跡を描くトレーラー。出会い頭に自分が開けた天井の穴めがけて飛び込むシュティード。間髪空けず押し寄せた爆風がトレーラーを包んだ。ガラクタの神が采配を振ったのだ。

「信じらんない! イカれてる!」

 ナオンがはしゃぎ気味に言う。興奮がそうさせた。バックミラーに映るのは轟々と燃えるスクラップの山。ああなってしまえば掃溜めではありふれた光景だった。最新だろうがなんだろうが壊れてしまえばクズはクズだ。二度と起き上がれはしない。だからジャンクと呼ばれるのだ。

「見たかクソガキ! 今日の俺はツイてんだよ! いつだってツイてんのさ!」

 シュティードは言った。爛々らんらんとした少年のような瞳で、えらく誇らしげに言ったのだ。

 それはナオンが初めて見る表情だったし、きっとこの表情を見たのは彼が最初だった。

に一つ貸しだぜ!」

 明日は堂々国民の休日。備えあれば憂いなし。市街ではそうと決まっている。

 しかし生憎掃き溜め育ちの野良猫達には、備えなどなくとも憂いはなかった。





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