Track16.LOVE&W-PIECE



 死に損ないという生き物に学名はない。主な生息地はマキネシア。とにかくこいつらはしぶとく、諦めが悪く、執念深く、それでいて底意地も性格も悪い。

 生まれつきそうだったわけではない。ただ、環境の激変によって、そういう個体のみが生き残ったのだ。

 左のてのひら太股ふとももに風穴を開けられ、物はついでと右手の指を二本へし折られた、よわいも六〇に差し掛かろうかという肥えた男……バグジー=ブランドンもその一人だった。

「ちくしょう」

 死に損ないは鳴いた。

「お出迎えが来ちまいそうだ。いてえ。いてえぞ。べらぼうにいてえっ。なにもかもあのクソタレ陰毛頭のせいだ。俺の脚が穴開きになったのも、恐竜が滅んじまったのも。この世の悪いことは大体あいつのせいだ、クソったれ」

 二年も前に潰れた娼館しょうかん〝オレンジ〟の跡地……その、だだっ広いロビーの隅。バグジーは血のにじんだ包帯を睨みつけながら、ボーリングのピンよろしく並んだゴロツキ一同に悪態をついた。

 この肉塊ひきいる名もなき密造組織──名付けるなら〝ブランドン・ブランド〟──は、Dブロックで上から数えて四番目の大御所になる。頭の割にはよく育ったトカゲだとめっぽう噂であった。

 構成員達はみな一丁前に、旧ジョルジオ・アルマーニ製のスーツで固めているようである。であるが、全国アル中コンテスト一等賞と言わんばかりのくたびれた顔つきを見れば、ディーラーやソムリエでないことは一目瞭然だ。

 言わずもがな、みなその懐には自動拳銃を忍ばせている。目はぎらぎらと輝いていて、彼らが頭領のツケを返すべく──かは定かではないが──とにかく、請負人一味に牙を剥かんとしていることは想像に難くない。

 もっとも、バグジーに二つの銃創と骨折、それから檸檬型粒子爆弾レモネードによる死地を使わせた大いなる嵐の御使みつかい……即ちラズル・ダズルご一行様方は、彼のことなど覚えてはいまい。昨晩空けたグラスの数だってろくに覚えていないのだ。

 その事実がまた、バグジーの胸糞悪さに拍車をかけている。

「ボス。あぁ、その」と、茶髪の構成員が声をかける。「痛そうスね」

「痛そうじゃなくて、いてえんだよ」

「すみません……」

「俺ぁハッカーだ。その上ピアノを弾くんだぞ。調律師も舌巻くほどの腕前だったんだ。指が命だったんだよ! 見ろ! この指を! 見ろっ」

 馬鈴薯ばれいしょの芽みたいな人差し指を突きつけるバグジー。包帯が赤く染まっている。

「これが痛くないように見えるか! ええ! 気が触れて叫んでるわけじゃねえんだぞ! 人差し指と薬指! 一張羅スーツもボロボロだ! 太股と左手にも風穴が開いてやがる! ええおい傑作だなこいつは! レンズでもはめ込んでみるか! 老眼鏡要らずか!」

 がん、とテーブルを蹴っ飛ばすバグジー。鎮痛の為のテキーラが勢いよくこぼれる。もちろんバスタブ製の密造品だ。

 バグジーは呼吸を整える。続けて瓶からラッパ飲みだ。喉を焼く四〇度のアルコールと、遅れてじわりと鈍くなる神経。ほんの少し、それも一瞬だけ痛みを和らげる程度だ。

 医者にかかってなんとかなるか? 奴を殺してはじめて医者いらずだ。あのアホたれの墓に小便を引っ掛けたら、地獄から取り寄せたペンキでR.I.Pと書き殴ってやる。ちくしょうめ。筆記体でだ。筆記体でだぞ。

「それで、バカンス気分のアホどもは、一体全体どこに行きやがったんだ」

 空になった瓶を放っぽり出して、バグジーは手下どもを怒鳴りつける。一応、みなかしこまってはみた。みただけだ。そんなこと言われても……顔にそう書いてある。

「二〇人だ! たった二〇人だぞ! 残りの六〇人はどうした!」

「二人は死にましたぜ。こないだ葬式を」

端数はすうだバカ! ンなら残りの五十八人だろうが!」

「いやぁ……」また茶髪の男が答える。「求心力の問題っつーか……」

「求心力! 俺に帝王学の本でも読ませるつもりか!」

「みんな、別ンところに寝返っちまいましたぜ。ラズル・ダズルに睨まれたんなら、ブランドンはもうおしまいだってんで……」

「腰抜けの二枚舌どもがぁ!」

 机を蹴りつけるバグジー。一同の表情が引きつる。バグジーの目元も。二重だか三重だか曖昧な顎肉に、脂汗が滴った。

「睨まれただと? ンなこた百も承知だあほたれめ! 誰が好き好んであんな無茶苦茶な奴らに手を出すか! 天にましますマキネシアの女神様から頂いた金を、力を! 根こそぎドブに捨てるようなもんだぞ!」

「怒鳴りなさんなって……傷に触りますぜぇ……」

「触ってみるか! ええおいキャクストン! 聞け、キャクストン!」

 凄まれた茶髪の男──キャクストンが、困った様子で肩を寄せる。

安酒場バレルハウスの帰り道だ、人影一つねえんだぞ! 千鳥足の若造がマーライオンの物真似を披露してやがる! ケツのポケットからソケットが転がり落ちた! 濃度六〇パーセント級だ! 誰も見てねえ! 野郎の頭は二日酔いの対策で一杯だ! お前ならどうする! どうするキャクストン! ズボンにポケットがないとは言わせねえ!」

「……そりゃあ、っちまうけど……」

「当たり前だ! ここは掃き溜めだぞ! 酔っ払った奴が泣きを見るんだ! 俺は身ぐるみ剥がれた野郎に同情はしねえ! 常に剥いでやる方だったからだ!」

 口角泡を散らしながら言い切って、バグジーは肩で息をする。

「……誰が思う? 予測できたか? そいつがあの縮れ毛ヤロー絡みのブツだったなんて、女神様も知らなかっただろうぜ! あの酔っ払いも酔っ払いだ! そんな大事なモンを抱えて、あろうことかケツのポケットにしまってだ、辺鄙へんぴな酒場で祝い酒だと! ノータリンにもほどがあるだろ! ティー・ピー・オーってモンを知らねえのか!」

「だから言ったんスよ、ウィンチに渡したほうがいいって」

「くそったれ。拾ったのがそもそもの間違いだ。タダより高いもんはねえ」

「えぇ……」キャクストンがぎこちない笑顔を見せる。「つまり……」

「後の祭りだ、なにもかも。俺だってな、こんなドでかい面倒ごとになるとは、後にも先にも思ってなかったんだよ」

「けど、なっちまったモンはしょうがないぜ、ボス……」

 項垂うなだれて、バグジーは膝に両肘をつく。スーツがはち切れそうだ。完全に服に着られていた。まさかアルマーニの方だって、人だか豚だか分からないような奴に着られるとは思ってなかっただろう。裾上げするだけ生地の無駄だ。

「話のわかるやつだな、キャクストン。そうだ。なっちまったモンはしょうがねえ。問題は今までじゃねえ、これからだ。これからのために今までを清算するんだ! だから容赦しねえ。俺はそこらのチンピラとは違う。バグジー=ブランドンだ。誰を相手に回したか、あの陰毛ヤローの指をへし折ってきっちり教えてやれ」

「……なんなら」と、キャクストン。「自分で行きます?」

「医者の孫でもドクターストップかけるよ、バカ」

 立ち上がるバグジー。真鍮しんちゅう松葉杖クラッチが僅かにたゆむ。弛む? キャクストンは目を疑った。真鍮だぞ。金属だぞ。弛むとは一体どういうわけだ。この男一人で地球の重力市場シェアを二割は占めているらしい。

「わかってるな。請負人の首を博物館に飾ったら、八億は俺たちで山分けだ」

「女はどうするんです。その風穴を開けやがった女は」

「俺が何も言わねえってことは殺せってことだ! 猫から鼠からシラミまで、俺がいま口に出さなかった奴は皆殺しにしろ!」

 はぁ、とぼやいて、キャクストンは卓上の写真を眺めた。少しピントがブレているが、アイヴィーの姿を捉えたものだ。ゴブリン製のジェットエンジンらしきスクラップの上に腰掛けて、ぼんやりと煙草をふかしている。

「ボス、こいつ殺すのは勿体ないスよ。生け捕りにしましょう」

「てめぇ正気か」脚を押さえるバグジー。「魚じゃねえんだぞ」

「稼ぎ頭になる。なになに。アイヴィー。はぁん、いい名前だ。メリー・ウィドウ級とまではいかねえが、これなら指名料はらうぐらいのこたぁ……」

「やめろ、やめろキャクストン。名前が出るだけで傷が広がる」

「あぁなんだ、アイヴィーってのはあだ名か。本名、ハ……」

「やめろキャクストン!」

 キャクストンは肩をすくめた。やめないとバグジーの方が死んでしまいそうだったから。

 ひら、とバグジーが手を振る。手下の一人がジュラルミンケースを引っ提げて、キャクストンの前に放り出した。

「金で解決」ケースを開けるキャクストン。「ってこたぁ、ねえか……」

「きっかり二分二〇秒だ。ドジるなよ。べらぼうに高えんだぞ」

 バグジーが杖で指した先、暗がりの中に浮かぶ、馬鹿に大きなシルエット。重機かなにかだろうか。巨人の腰巻みたいな布が被せられていて、その全貌は窺えない。

 デカけりゃ強い……なんともまあ、わかりやすい思想だ。キャクストンもそういうのは嫌いではない。結局のところブランドン一味というのは、頭も尻尾も内臓も、難しいのが苦手なのだ。

「ウォンデンへ向かえ。休日で、命日で、そしてその日は来ちまった。まとめて始末しろ、キャクストン。いいな、まとめてだ」

「まとめて……」

「そう。みんなまとめてだ。面倒ごとは一度に片付ける」

 バグジーはそう念を押し、襤褸ぼろ切れからはみ出た鋼鉄を見上げて、にたりと笑った。

「しくじったら、明日のお前に撃ち殺されるぞ」



   ◆



 ぶにゃあ。にゃごにゃご。がにゃらごろ。グレースケールの猫なで声が午前三時をお知らせします。本日は晴れ時々銃声。湿度は適正。ところにより悲劇あり。

 星のように点在していた酒場の明かりも、夜が深くなるにつれてぽつぽつと消えていった。細長い路地の中に光るのは、闇を恐れぬスクラップの野良猫達の、青い瞳と心臓だけだ。

 噛み付いてくる野良猫を跳ねのけながら、ウィンチはジーナの後ろをゆく。彼女は彼女で、水風船みたいな尻をチャップス越しにさすりつつ、時折愚痴をこぼしてみせた。

「痛いナ。本当に尻が痛い。さっきぶつけたんだ。女性の扱いがなってないぞ。シュティードだってもうちょっとまともに……」

「んなら割れ物注意の札でも貼っとけ。いいから歩くんだよ」

「はぁーん?」と、雑巾を絞るように上体をひねるジーナ。「いいんですかぁー、そんなこと言っちゃてぇー。あんまし私をバカにしてるとなぁ……」

 ホルスターに手を伸ばしたところで、赤ら顔のジーナが真顔になる。

 ない。ない! 銃がない! 愛と平和がどこにもない! あるのは頭痛だけだ。どこを叩いてもビスケットは見当たらなかった。

「……あり? あり? ありありあり?」

「宝物は」ジーナの愛銃をひけらかすウィンチ。「こいつか?」

 ムンクも顔負けの様子で、ジーナが両頬に手を当てる。

「マイ・スウィート・スミスアンドウェッソーーーーーン!」

「とっとと歩け」と、起こされる撃鉄。「次おかしな真似したらマジに撃ち殺すぞ」

「うぅ……あたしのラブアンドピースが……」

「どっちがラブでどっちがピースだよ」

 面構えを見る限り、ラブもピースもジーナの独り占めだ。ウィンチはどっちもガラじゃない。愛など知らないし、煙草は吸わない。ましてや平和などクソ食らえだ。

「うぅん……フラフラするよぉ……フラフラ……フラ……フラミンゴ……」

 あっちへふらふら、こっちへよろよろ。のらりくらり、ぶらりしゃらり。酩酊から繰り出されるジーナの千鳥足を見ていると、ウィンチの方まで社交界で踊っているような気分になってくる。プロムの夜なら殺してるところだ。

「……おい、本当にこっちで合ってんだろうな。さっきも通らなかったか」

「ないない。そんなことない。そんなことナイアルラトホテップ」

 銀髪の束を両手に持ち、ぐるぐると振り回すジーナ。

「けせらんぱさらん。ぱさらんさららん。さらんらっぷー! あるみほいーるー! 月面からの電波を防ぐにはー? アルミホイルを頭に巻けばいいんだヨー! 信じられないって? あるある! そんなことアルミホイールー!」

「地雷だ」いや、とウィンチは訂正する。「魚雷か……」

 あっちへ行ったと思えばこっちへ、こっちへ行ったと思えばあっちへ……行けども行けどもクローズ済みの酒場と賭場、それと客引きの娘──そのままの意味ではない──が見え隠れするだけで、ウォンデンのウの字も見当たらなかった。

「ここだゾ」

 唐突に歩みを止めるジーナ。半円形の看板に〝ウォンデン〟の文字を目にしたが早いか、ウィンチはどばんと扉を蹴破った。ジーナの愛銃──ラブとピースの二挺にちょうをしっかりと構えながら。

 ウォンデンの店内は素朴だった。小じんまりとした箱の中に、椅子と机を並べただけ……そういう印象だ。カウンターがコンクリートで出来ているのは、そういう趣旨の店だからなのか、それとも予算がないからか……いずれにせよ、客がいないのも納得だ。後ろの木棚に並んでいる酒瓶にも、名の知れたブランドは見当たらない──というか、そもそもラベルが貼られていない。ほとんどが密造酒だろう。

 目つきの悪い大柄な男が、頬杖を突いたまま、ぶすっとした顔でウィンチを見返す。店主にしては愛想がない。廃れるわけだ。

「お客さん、扉はもうちょっと丁寧に開けてくれよ」

「ドアの一つや二つでガタガタぬかすな。なんだこの内装は」

「ウチは」と、剥き出しの白熱電球を指す男。「安いのがウリなんだよ」

「帳簿の話をしにきたんじゃねえ。税務署勤めに見えるか?」

「警察だろ。見ればわかるって、そんなの……」

 もう飽き飽きといった表情だ。開業しては摘発されを繰り返し、この掃き溜めに流れ着き、安酒ばかりのB級ハブに身を固めた……そんなところだろうか。どっちにしろ、今のウィンチにとって摘発などは二の次だ。放っておいたって達成される。

「奴らはどこだ」

「簡潔にどうぞ」

「請負人ご一行サマだよ!」

 歩をつめ、ウィンチは男の額に銃口を当てる。

「シラぁ切るんじゃねえぜ。今の俺のボルテージは史上最高だ。一言でも関係ねえ単語を口にしてみろ、その瞬間に風穴が──」

「ご注文は?」

「人の話を……」

「おっちゃん!」いつの間にやらテーブル席に着くジーナ。「モヒート二つだ」

 ウィンチが呆れ返る。まだ飲むつもりか。違う、そうじゃない。今度はジーナに詰め寄る番だった。

「てめぇ海賊、ふざけてんのか。ラブとピースじゃどっちで死にてえ?」

「なんだと。バカルディを馬鹿にしたら私の早撃ちが火を噴くぜ」

馬鹿バカルディはてめえだよ。奴らはどうした。ここに呼びつけたはずだぞ」

「まだ来てないんだからしょうがないじゃないかジャマイカ」

 海賊帽トライコーンを机に置いて、ジーナは三つ編みのメッシュをいじった。

「私たちに出来るのは、ここのテーブルで酒を飲みながらみんなを待つことだけだ」

「……」

「それとも踊るか?」

「踊らねえ」つうか、とウィンチ。「もう踊らされてんだよ」







「そんでナー、地底人どもの世界には水晶の塔があってー……」

「……」

「そんならお前、マキネシア来てささみの蒸したの食ってみろってー……」

「……おい」

「犬だか猫だか人だかわかんない奴もいてナー……」

「いい加減にしろ」

 四〇分あまりが経つ。ついにウィンチは口を開いた。

 店主は寝ぼけ眼。グラスの中身が減るにつれ、ジーナの口数だけが増えていく。ディキシーランド・ジャズも今の店内には似合わない。よれた海賊のマシンガン・トークだけが、静寂を取り戻そうとするウォンデンの雰囲気に風穴を開け続けていた。

「どうしたおっさん」しゃっくり交じりで言うジーナ。「トイレか?」

「アンドロイドがトイレに行くか」

 手つかずのグラスに目を落とし、ウィンチは算盤そろばんを弾き出した。エンジンの残量と、機体のパフォーマンス、損傷具合、類推される兵装の使用率……請負人の雁首がんくびをこの手で叩き落す為には、蒸気兵装スチームガジェットのウォーター・カートリッジへも補給が必要だ。

「なんだよおっさん。もっと面白い話してやろうか。聞きたいんだナ? よし、いいだろう。なら次は、私がどうして内部地球アルザルを冒険するに至ったかを……」

「くどいぜ。ウィンチだ。ミスター・ウィンチと呼べ」

 び、と両の手でピースを作って、人差し指同士を合わせるジーナ。〝W〟の文字だ。

「じゃあウィンちゃんな」

「殺すぞ。てめえ状況分かってんのか? つうか」

 ウィンチは机を叩いた。まどろみの淵にいた店主が、びく、と肩を揺らす。

「なんなんだ? てめえの仲間は頭がおかしいのか? 毛細血管をドライアイスが流れてる冷血漢か? 一時間だぞ。もう明け方の四時だ。なんで誰も来ねえんだ? 定時上がりか? 公務員じゃねえんだぞ」

 うーん、と首をふらふら左右に揺らしながら、酔いどれジーナは顎に指を当てる。

「ひょっとしてみんな気付いちゃったんじゃないか? 私とウィンちゃんが実は楽しくお酒を飲んでるだけだってことに……」

「てめえが勝手に一人で飲んでんだろが!」

「怒んなよウィンちゃん」

「誰がウィンちゃんだ。そもそも本当にここで合ってんだろうな」

 壁に刻まれた〝WONDEN〟のカリグラフィを指し、ジーナは小振りな胸を張る。

「まかせろ。ウォンデン・パブだろ」

「そうそう。ウォンデン・ハブ……」


 びびび、とウィンチの脳味噌が巻き戻しを始めた。


「パブ?」パブだと。Pから始まる? Hじゃなくて?「パブだと?」

「パブだよ」

「いや、ハブだ」

「なに言ってんだおっさん。ここはパブだぞ」

 壁に目をやるウィンチ。再び壁に目をやるウィンチ。三度壁に目をやるウィンチ。何度見ても結果は同じだ。WONDENの後ろはPから始まっている。パブのPだがそうではない。この場合、ウィンチにとってはPanicとPinchのPだった。

「こんなバカな話があるか!!!」ウィンチの声が裏返る。「てめぇクソアマぁ!」

「なに怒ってんだよぉ!」

「俺をどれだけ寄り道させたら気が済むんだ!」

「パブに連れてけって行ったのはおっさんだろ!」

「ハブ! HUB! ハブに連れてけっつったんだ! てめえが聞き間違えたんだよ!」

「悪いのは私じゃなくておっさんの滑舌ですぅ」

 屹立きつりつのウィンチ。怒りと共に起こされる撃鉄。ラブもピースも火だるまだ。

「冗談はおしまいだ……! 次はねえ、もう今度こそ本当に次はねえ! ウォンデン・ハブに連れて行け! ハブだ! HUBだぞ! エイチ・ユー・ビーだ! でなきゃてめえは猫の餌だ!」

「ウォンデンハブは四時までだぞ。ていうか大体どこも四時までだぞ。そんなお前、二十四時間営業なんて、今日び流行るわけねーだろっつー……」

「なら根城だ! 根城に案内しろ! 隠れ家に帰るはずだろ!」

 ずだん。椅子を蹴っ飛ばし、ジーナも負けじと立ち上がった。こうなっては黙っていられない。

「その隠れ家をおまえらが吹っ飛ばしたんだよ! 帰る場所なんかないよ!」

「じゃあ奴らはどこに帰るんだ! 他に隠れ家があるだろ!」

「知らないよ知らない! 本当に知らないもん! 私はいっつもあちこち飲み歩いて朝帰りだもん! だいたい隠れ家が潰れたのなんて初めてだもん!」

「畜生、どこでもいい! どこか奴らが行きそうなところを思い出せ!」

「そんなの私が知りたいよ! 知ってたら今すぐそこに帰ってるよ! 私だって本当ならなぁ!」

「本当なら? 本当ならなんだ! 言え! 言ってみろ!」

「おっさんみたいな浮かれた垂れ目のアホ面じゃなくて、ダンディなイケメンとジャズが流れる酒場で飲み明かしたいよ! それがなんだ、この有様は! 男として恥ずかしくないのか! 恥を知りたまえ!」

「アンドロイドだっつってんだろが! てめえもう許さねえ、垂れ目のことを言いやがったな! 気にしてんだぞ!」

「アンドロの分際で繊細なやつだナ! 言えって言うから言ったんだろ!」

「ええい、しらみ潰しに探す! 朝まで開いてる酒場を挙げろ! 一つ残らずだ!」

「モンスター・ビアガーデンだろ。バンシー・チャーチだろ。それから……それからそれから、えーっとそれからー……ちょっタイム、ここまできてる」

 なんだか聞き覚えのある名前だ。またもやウィンチの頭に警報が鳴った。

「……ロズウェルとか言わねえだろうな?」

「おお」ぴこぴこ、と両手の人差し指を曲げるジーナ。「それだナ」

「ファーッッック!」ウィンチが頭を抱えた。「全部しょっ引いた店じゃねーか!」

 裏目に出るとはこのことだ。暇はないぞ。次だ。次。次! 次って──次って、いつまでこんなのが続くんだ!

 粒子通信を立ち上げる。バッカスのナンバーへコール。二度、三度、四度……応答はない。畜生。ICM粒子妨害装置の有効圏内にいやがる。

 巻きで行く──確かにそう言った。キーラに誓ったとも。一度や二度じゃないし、今日に限った話じゃない。誓いっぱなしなんだ。俺こそは、俺こそはと……その場しのぎの大言壮語を、うわごとみたいに繰り返し続けてきた。

 そうしてきたんだ。そうしてこられたんだ。きっと、遠すぎたがゆえに。

「ちくしょう」

 ジー・ウォッチとの格闘を諦め、ウィンチはすとんと腰を落とす。コンクリの机に肘をついたかと思うと、額に手を当てて項垂れた。

 こんなチープな仕草一つとったって、大昔のフッテージで学んだ仕草か、それとも自分の意志による挙動なのか分かったもんじゃない。そういう生き物だ。右も左もわからず、人に近づきすぎたあまりにその姿を見失った──おれは、そういう生き物なのだ。

「いつも……」

 ウィンチの口からこぼれた一声は、巻いたばかりのオルゴールから漏れたようだった。

「いつも、こうだ。肝心なところでしまらねえ。ビッグ・マウスの次にやって来るのは、いつだって猫の一声なんだ」

 うまくいかない……そう言いたいだけだ。いちいち脚色しなきゃ気がすまないのは、誰でもない自分を欲しているからだった。

 ジーナはコリンズ・グラスに溶けゆく氷を……そこに映ったウィンチを眺める。焦燥に駆られ、しゃにむに走り、遂に心に折れ目を作った、どこにでもいるただの男だ。

 滑稽に映る。哀れなまでに。断じてそれは、人か機械かでは変わらない。

「わかんないナ」と、ジーナ。「なんでそうまでしてソケットごときを」

 じゃない。ウィンチの顔にそう書いてある。あるが、そんなのはジーナの知ったことではない。救われるというなら聞いてやる。聞くだけならタダだ。

「あの世に送るのさ」

 ウィンチは言った。

「……ある女にとって、そいつは……粒子管は、一つの浪漫ろまんだったんだ。信条、美学、こだわり……呼び名はなんでもいい。とにかく、ゆずれないものの一つだった。

 俺がそいつをご破算にしちまった。だから手に入れる。なにがなんでも……なにが、どうなっちまっても」

 こいつは──この機械は、ずっとそういう言葉コードで自分を縛ってきたのだろうか。ジーナは首を傾けて、コンクリ机のヒビに目を落とす。

つぐない?」

「けじめだ」

「ダサいな」

「笑うなら笑え」

「笑わないよ。笑えないぐらい、ダサいってこと。シリコン相手に腰を振ってる……そんな男を見てる気分」

 揚げたパスタをひとつまみ。口に咥え、徐々に力をかけて折るジーナ。ぽき、と軽快な音がする。

「その理屈で言えば、おっさんは心底ロックンロールなんだな。シュティードと同じだ」

「てめえ、俺をコケにしてんのか」

「わかっちゃねえナ、おっさん。笑えないぐらいまで突き抜けちまったら、そいつはもうただダサいだけじゃないんだぜ。サムいかアツいか、それだけだ」

 ふらりと立ち上がり、ジーナはカウンターの内側へ。初老の店主は寝ぼけ眼だ。あるいは見て見ぬフリなのか……いずれにせよ、うんともすんとも言わない。

 グラスを二つ持ってきたかと思うと、ジーナは片方をウィンチの前に、もう片方を自分の手元に置く。どちらも透き通った無色の液体だ。

「まあ飲みなよ。私の信条はラブアンドピースだぜ。愛と平和だぜ。争いごとはもうたくさんだぜ。明日になったらシュティードの金でターキー買ってやるからさ、それでなんとかしなよ」

「おしゃぶり小僧じゃねえんだぞ、バカヤロウ」

「だって、要はフリップブラックがあればそれでいいんでしょ。シュティードにこだわってるのはあんたのワガママじゃん。どっちが大事なんだね。その浪漫とやらか、あんたの個人的な執着か」

 鼻で笑って、ウィンチはふんぞり返った。

「両方だ」

「こいつは困ったワガママ坊主だぜ……」

「欲しいモンは全部取る。どっちか片方なんてシケた生き方だ」

「ふふん。シュティードにそっくりだ」

 ウィンチはまた顔をしかめた。請負人の名前が出るたびに気分が悪くなる。具体的にはESS感情演算機構の使用率が10.25%上昇して、全体のパフォーマンスが1.3%低下する。

「いいさ」と、帽子を被りなおすジーナ。「そこまで言うなら付き合うよ」

 はて、この女、立ち上がったはいいがではないか。どう見ても酔いが冷め切っていない。呆れた様子で出てきたしゃっくりに、ウィンチの方も呆れ顔で返す。

「……」

「どうした。行くんじゃないのかね、シュティードのところに」

「……やけに建設的だな」

「まあね。Dブロックなんてそう広くないし。手当たり次第でなんとかなるっしょ。このままここで管巻いてたら、そのうち私が殺される」

「よくわかってるじゃねえか。てめえの所為でこうなったんだがな」

「必ず勝つってわかってるギャンブルもたまには悪くない」

 スイッチを押されたウィンチが立ち上がり、ジーナの三つ編みを引っ掴んで凄む。

「そりゃあどういう意味だ?」

「髪に触んな、ネジ巻き野郎。残念だけど私は何にも恐れちゃいないぜ。結果は見えてる。シュティードとあんたじゃシステマチックさが違うんだ」

「……」

 その一杯は、とウィンチの前のグラスを指すジーナ。

「慰めだよ。どうせおっさんはシュティードに負ける。ああ、お代はいいよ。私の店じゃないけどナ」

 洗礼ここにあり。不敵に笑い、ジーナはグラスの中身を一思いに飲み干す。

末期まつごの水さ。勝てるといいね。野良猫の悪あがきに乾杯」

「ぬかしやがれ」

 売られた喧嘩は着払いで送り返す。それがウィンチだ。ウィンチという男だ。

 アンドロイドは負けじとグラスの中身を飲み干し、小娘の挑発を叩き返す。海賊が帆を揚げた大船に、まんまと乗っちまったのだ。ウィンチという男だったばっかりに。

「景気づけだ、こんなもん……」


 ぐらり。


「お……?」

 ぐらり。ぐらり。ウィンチはすぐに異変に気が付いた。姿勢制御装置スタビライザの挙動がおかしい。直立が困難だ。心臓が溶鉱炉にでも突っ込まれたように熱い。そのうちメイン・マイクにホワイトノイズが走り出して、カメラの視点まで定まらなくなる。

「なんだ……なにが……」

 ばびびび。アラート。アラート? なぜ? なぜここでアラート? たかだか一杯の酒だ。ボトル一本分もない。いくら旧型だからって、何故こうも急に……。

『アラート・シグナルレッド。アルコールエンジンにキャパシティ・クリップを確認。セクション・チェックを行います。マニュアル753に従い、ESSの演算率を……』

 ジーナは笑っている。ほくそ笑んでいる。酔いどれの表情は記憶の彼方に置き去りだ。意味がわからねえ。なんでこいつは笑っていやがる。なんで笑っていられる?

『警告。ベンゼンの含有がんゆうを確認。粒子回路を一時切断します。エンジンのクリンナップを要するため、スタンバイ・フェイズへ……』

 ベンゼン? しまった───────

「か……」ぎぎぎ、と首を上げるウィンチ。「かいぞく、てめえ……」

「ノン。保安官だ」

 〝ピース〟の銃口をジーナの額へ向ける。避ける気配はない。野郎、シラフだ。ふざけやがって、あと一歩だぞ。たかだか引き金を引くぐらいのこと……。

 かちん、と気の抜けた音がした。

「く……」

 弾切れだ。ちくしょう。俺としたことが。この女、うまく煽りやがった。

 シュティード、シュティードとしきりに。ああクソ。こいつ、酔ってねえ。いつからだ。いつから。いや──最初からか。なんてことだ。出会っちまったばっかりに。

「食えねえ女……」

「みんなそうさ」

 ウィンチの瞳の奥、粒子管がその輝きを失い、ちかちかと一定間隔で点滅を始める。スタンバイ・モードへの移行が完了したようだ。制御を失った鋼鉄の体が前のめりに倒れ、ごとんと重い音を立てた。

 店主がうっすらと半目を開けて、腸の奥深くからしなびた息を吐き出す。

「勘弁しろ、ジーナ。肝を冷やした」

「目指せグラミー賞だ」

「えらく扱いが簡単な奴だな」

「機械の癖に?」

「男の癖にさ」

「そういういきものだ」

 肩なしだ。店主はウィンチの顔を覗きこむ。完全にオシャカらしい。

「さっきの酒だな。ペンキでも入れたか」

「ノン」キッチン下のポリバケツを指すジーナ。「工業用アルコールだ。純度99.5%の無水エタノール。ショウ・マン・シリーズは旧型じゃないと一度には分解できない」

「アル中の入れ知恵だな?」

「餅は餅屋なのだ」

 ジーナは自分のグラスを掲げ、垂れてきた水滴を舌先で受ける。もちろんただの水だ。

「愛と平和の使者ってのは」店主が問う。「いつもこういうやり方なのか」

「使者? 冗談じゃないぜ。私はただ、そういう音楽のファンなだけで……時と場合によるナ。チュニックで商談に行くやつはいないってこと。囚われすぎないことこそが、ラブアンドピースの秘訣なのだ」

 がん、と背広越しにウィンチを踏みつけるジーナ。

「おっちゃん。電話とロープを」

「ロープ? 担ぐつもりか?」

「バイクある?」

「台車なら」

「冗談きついぜ……」

 肩をすくめ、店主は受話器に手をかける。

「なら奴らをこっちへ」

「ノン。おっちゃんの為に言ってるんだぞ。メリーにはファンがいるから店が潰れてもなんとかなるけど、おっちゃんにはファンがいない」

「お前は?」

「イナゴさ」

「ラッパだけは鳴らすなよ」

 にひ、と笑って、飲んだくれバー・ホッパーは銃を収めた。

「鳴りっぱなしさ、ずっと」 

 メイン・コンピュータはスタンバイ・フェイズへ。再起動を待つウィンチの脳味噌が、記憶の欠片ピースを作成日時順に整理し始めた。

 メンテのたびに思い知る。幸福ほど過去にある。それが幸福だと理解できるほどには、架け橋の途中にいるらしい。良いことなのか、悪いことなのかは、これから決まるけれど。




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