Introduction#2 -国民の休日に備えて-




 機械大陸マキネシアは全部で十三の領域に分けられる。更に細かく分ければその倍以上。ゴミの分別に頓着がないのならたったの二つだ。すなわちそれは未来と過去、あるいは光と影、はたまた善悪官賊清濁……どれでもいいしなんでもいいが、相反する二つの要素であることだけは確かだ。

 片方は置いておく。興味もあるまい。とにかく少年ナオンが住んでいるのは、スクラップフィールドと呼ばれるドーナツ状の鉄の砂漠──野良猫達の掃溜めだった。

 住んでいると言っても住民票を登録したわけではない。その必要はないからだ。ドーナツの穴からあぶれた蟻共が、甘い蜜を求めて外側へやって来ただけの話だった。勿論蟻はそこで子供を産む。彼はそうしてここに生まれた。逃げてきたわけでもなく、追い出されたわけでもなく、産まれるべくして掃き溜めに産まれたのだ。

 すなわち少年ナオンは掃き溜めの流儀に従って生きてきた。両親が少々お人よしだった所為か、幾分か心に甘さや隙が伺えるが……それでも掃き溜めなりの黄金律というものはしかと手に掴んでいた。

 黄金律の名は知らない。彼自身も知らない。そもそも彼は持っていることに気がついていない。しかしながらなんともちっぽけなその二十一グラムを、少年は自分の心臓のド真ん中に宿していたのだ。

 でなければ、こうも噛み付くわけがない。

「んなぁー、返せぇー!」

 この野郎、顎の骨をへし折って猫の餌にしてやる──少年ナオンはそういう気概で声を荒げる。そののち相対していたすすけ顔の男の胸倉へと掴みかかった。身長差を勢いで埋めるように地を蹴り、猫のように噛み付いたのだ。

 パーマがかった金の毛髪。頭上におわす澄んだ空を模写したような水色の瞳。膝下までのカーゴパンツ。襤褸切れだかスカーフだか知らないが、首元には緑色の布が巻かれている。これで腰元にホルスターが下げてあれば西部劇の主役も張れただろう。

「ほれ。ほれほれ。どうしたクソガキ、取り返してみろよ」

「このっ、くそっ」

「ハッハァー! まるでフィッシングだぜ!」

 へらへらと笑う、作業着を着た煤け顔の男。掲げられた右手にはズタ袋が握られている。ナオンがそれにぴょんぴょんと手を伸ばすたび、彼の首元に引っ提げられているサイズの合わないゴーグルが揺れた。

「返してよ! 返せ! 聞いてんのか!」

「〝僕〟だってよー! 聞いたかオイ、女みたいな顔して口の悪いガキだぜ! ママのお顔が見てみたいでちゅねー!」

 掃き溜めのクズはどいつもこいつも。ナオンは心中で毒づく。形容しがたい不快感は顔にも出ていた。

「女じゃない! ナオンだ!」

 女みたいだとナオンはよく言われる。当人も自覚してはいた。なるほど十二歳らしくない華奢な体と中性的な顔立ちは、彼ではなく女優志望の女にでも与えられるべきものだ。されど怒りで尖った両目だけは、まごうことなき少年の輝きを放っている。

「ホラホラホラぁ、どうしましたかナオンちゃぁん。いらないんスか? これ捨てちゃってもいいんスか?」

「ちゃん付けすんな! いらないわけないでしょ! 返してよ!」

「よぉーし、だったら交換だ。そのゴーグル渡したら返してやるよ。ママからもらった大事なゴーグルを、俺達にプレズェントしてくれたら返してあげまちゅよー!」

「……最っ悪」

 男はにやつく。後ろの三人も同じような顔だ。暴力と略奪の世界で生きてきた、優しさのやの字も知らぬ面構え。

 うんざりだ。ナオンは足元の廃材を引っ掴む。「あ」と男が声を上げたところでそいつを振りかざしてやった。後先など構うものか。どうせ掃き溜めだ。法律もない。いやこれこそが法律なのだ。

「っとぉ」男は廃材を難なく受け止める。「おいおいおい、おい。見たかぁ今の。人の優しさに漬け込もうなんてとんでもねえガキだ」

「どっちが!」

「知ってるかぁナオンちゃん。悪さしたガキはお仕置きを受けるんだ。昔っからそう決まってる。こいつは市街でも掃き溜めでも同じだぜ。ちょうどこういう風に──」

 廃品の山に放り出されるナオン。非力さがまた彼をしおらしくさせる。少年の部分がそうして削がれていく。今度は男が廃材を振りかぶる番だった。

「──ブッ叩くのさぁ!」

「誰をぶっ叩くんだ?」

 野太く低い声が割って入る。男は思わず腕を止めた。声の主が誰だか知っていたから。

「ニコラス。俺はさっきなんて言った?」

 声の主である大男は呟き、その右腕で廃材をへし折る。右腕と言っても生身ではない。チューブと歯車が野晒しになっている随分古いタイプの義手だ。

 その大男、ザイール=バルトヘッドに牙をむく人間は少ない。少なくともここ、ノーザネッテル工房居住区には一人もいなかった。

 難しい理屈はない。彼がここの重鎮だからだ。機械整備で鍛え上げられた屈強な筋肉、なんとも見事な逆三角形の体格もその理由の一つだろう。剃り込みの入った頭髪もいい具合に威圧感を醸し出していた。

 ニコラスと呼ばれた男はその体格差と眼光に萎縮し、苦々しい顔で一歩後ずさる。

「……へへ、久しぶりですね親方……」

「七分ぶりだな。三度は聞かねえぞニコラス。俺はさっきなんて言った?」

「〝刺しが甘かった杭があるから叩いて来い〟と」

「そうだ。だからハンマーを持たせた。それでお前はなんで廃材を握ってる? サボりをかました挙句にガキの頭をかち割るつもりか? それともお前の目には〝刺しが甘かった杭〟に見えたか? 出る杭を打つのが市街のやり方ってわけか、そうかい」

「ご、誤解ですよ親方、へへへ……」ニコラスは冷や汗を浮かべた。「俺が見つけたお宝を取りやがったんでさぁ、このガキが。それで俺もついカッと……」

「そうか。退職おめでとう。帰ってトレジャーハンターの求人を見つけろ」

「お、親方ぁ!」

「今度知り合いの海賊を紹介してやる」

 ニコラスからズタ袋をひったくり、ナオンの方へと放るザイール。続いて彼は近くの鉄鈴を三度打ち鳴らし、メガホンでも通したような大声で叫んだ。

「気合い入れねぇかクソども! この調子じゃ明日に間に合わねえぞ!」

 ヤー、とツナギ姿の作業員達が一斉に声を上げる。手には金槌と溶接用のバーナー。壁の向こうに佇む街、国家電脳戦略特区都市こっかでんのうせんりゃくとっくとしアガルタ──通称〝市街〟の博物館に展示される、武装機関車サイダロドロモのレプリカを建設しているのだ。

 進捗しんちょくはあまりよくない。組み上がった骨組みはまだ全体の三分の一ほどだ。足りないのは人手かそれとも時間か、あるいはその両方か。ザイールは遅れ気味の建設に溜息をつき、葉巻に火をつけながらナオンへと歩み寄った。

「よく絡まれる奴だなお前も」

「ありがと艦長さん」

「艦長と呼ぶな。船の仕事は随分前にやめた」

 ザイールは気だるげに首を鳴らし、金属を運び回る作業員達の方を親指で指した。

武装機関車サイダロドロモのレプリカだ。市街の依頼でな。ヴィンテージ感が欲しいから、スクラップフィールドのパーツで仕上げろと」

「いつまでなの?」

「明日だ。国民の休日で納期が前倒しになった」

「絶対無理だよ」

「俺もそう思う。猫の手も借りたい気分だ。奴らを雇ったのが間違いだった」

 〝疲労困憊ひろうこんぱい〟と顔にかかれた作業員の一団を指してザイールは言った。

「市街上がりだ。どいつも三〇目前。あの歳まで一度も働いたことがないらしい」

「嘘だ。そんな奴いるわけないじゃん」

「あれが働いたことある奴のツラに見えるか?」

 言われてナオンは一団へ目を凝らす。人のことを言えた義理ではないが、歳の割には頼りない体格の者ばかりだ。肌は陽を知らぬほど白く、どこか不気味なほど柔和な顔つき。なるほどあれが噂に聞く〝働かざる者〟なる新人類であるらしい。自らの力で生きるしかない掃き溜めではそう見かけないが。

 地底人のようだ。優しく言えば若々しいが、厳しく言えば幼く未熟だった。

適職診断シャングリラで肉体労働を割り振られたモンだから、怖気づいて逃げてきたんだとよ。アホな奴らだ。今日び市街の建設作業なんてのはほとんどロボットが働くだけだってのに。それでこっちでトンカチ握ってちゃ世話ねえぜ」

「ふぅん。ロボットもたまったもんじゃないね。人の代わりに働かされるなんて」

「知ったこっちゃねえな。どうせ機械に魂はねえんだ」

「そうかなあ」

「そうとも。こいつは、喋ったりしないからな」

 自身の右腕を叩いて言うザイール。ナオンはなんだかよくわからないという風に首をかしげ、思い出したようにズボンのポケットを探った。

「そうだ、これ渡しに来たんだった。はい、頼まれてたやつ」

 ザイールは差し出されたパーツを日差しにかざす。真空管によく似た見た目だ。ほとんど生き写しだと言っていい。違うのは中身だけだった。

 誰も思うまい。わずか五センチほどのちっぽけなガラスの中に閉じ込められている粒子が、万能のエネルギー、時には記録媒体ストレージ、はたまた人となりの全てと呼ばれるものであるなどとは。イザクト粒子という未知の物質が、自身の内にも眠っているとは。

「たまげた」ザイールは口笛を吹いた。「さすがは凄腕」

「その呼び方やめて。規格は守んなきゃ駄目だよ。濃度は一〇パーセント未満にしとかないと。違法粒子管は没収されちゃうから」

「百も承知だ。俺が強盗するとでも思ってんのか? レプリカの電飾だよ。八パーセントぐらいなら問題ないだろ。せいぜい音楽がクリアに聴けるぐらいだ」

「そうなんだ。僕の車のポンコ、コンポツだからわかんないけど」

「ポンコ?」

「あっ間違えた。コンポ。コンポがポンコツなの」

「直してねえのか」

「直したよ。でも歯車はめても音楽が止まったりするの。叩いたら鳴り出すしいいかなって。きっと機械も働きたくないんだよ」

「はっ。そいつはいいことだ。壊れた機械は叩くに限る」

 こんな風に、とザイールは再び鉄鈴を打ち鳴らした。

「サボってんじゃねえ、お前だお前! 動きで分かるぞ! 次チンタラ鉄骨運んでみやがれ、鉄骨の代わりにお前を使うからな!」

「ヤー!」

 指差された作業員が足を速めた。返事だけは立派だとナオンは思う。ここの連中はいつもそうだ。口でこそ威勢はいいが手が追いついていない。仕事に関してだけは。

「報酬は後日渡す」ナオンの肩を叩くザイール。「一〇〇万ネーヴルでいいか?」

「そんな大金もらえないよ! 大したことしてないし」

「そうはいかん。対価を払わなきゃ仕事ってのは無責任なものになる。俺はお前に仕事を依頼した。お前はそれをこなした。これはその報酬だ。受け取ってもらわなきゃ困る」

「んんん。でも本当に大したことしてないんだよ」

「よせよ。謙遜なんてスクラップフィールドじゃクソの役にも立たねえぞ。この辺で粒子管直せんのはお前しかいねえんだ。もっと取ってもいいぐらいだぜ」

 なにも謙遜で断ったわけではない。本当に大したことをしてないものだから、後ろめたさが付きまとうのだ。ナオンは口を尖らせ、思いついたように問うた。

「じゃあさ艦長さん、お金いらないから拾ったもの持って帰ってもいい?」

「拾ったものって……」ザイールは廃品の山を見渡した。「ガラクタばっかりだぞ。先週の廃品輸送車両ジャンカーゴで廃棄された重機のパーツだ。粒子管だってもう空っぽだし……アートぐらいにしか使えねえぜ」

「いいの。ただの趣味だから。にひひ」

 言って、ナオンは傍らにあった鋼鉄の箱を背負う。ちょうどナオンの身の丈ほどだ。鎖で雁字搦めにされており、中心には歯車が刻印されている。彼の体躯で背負える物だとは思いがたい。

 浮き足立った様子でスキップをかまし、スクラップの山へと歩み寄るナオン。その一歩ごとに背負った鉄塊の重量が圧し掛かっている筈なのに、顔を歪める様子はない。

「らん。たらったんたんたん。たんたらららららたららん」

 無茶苦茶な鼻歌を奏でながら、ナオンはあれでもないこれでもないとスクラップを放り投げてゆく。種類もサイズも分けられていない鉄くずの中からお目当ての品物を探そうというのだ。それは掃き溜めで善人を探す行為に等しかった。

 にゃあにゃあと大合唱が聞こえる。スクラップの野良猫達だ。どいつもこいつもその錆びたボディをがしゃがしゃ鳴らしながら、ジャンクリーチャー特有の食欲に従って廃品を齧っていた。ぷいと顔を背ける奴もいる。グルメなのだ。アンドロイドのボディに使われるような上物をご所望らしい。

「……」

 機械猫に紛れて廃品を漁るナオンを、ザイールは何を言うでもなくただ眺めた。進度の危うい仕事を控えていながらも。

 諦めない類の人間はどこにでも少なからずいるものだ。負けず嫌いとは少し違う、自分の中に何かひとつ、いや、一つと言わず二つでも三つでも──何にせよゆずれないものを持っている者達。

 あの少年もそうなのだろうとザイールは思う。オイルと錆びに塗れ、鉄クズの先端で身を切り、熱砂の日差しに肌を焼かれながら、時には能無しのゴロツキどもに絡まれながらも、なにかひとつ探している物があるのだ。

 スクラップフィールドを生き抜いてきた事実こそが、少年の魂を裏付けている。

「……若さか」

 ザイールはそう口にした。口にするのは簡単だった。何の責任も伴わないからだ。ひたむきな反抗心も、七転び八起きの精神も、自分がとうに捨てたものだ。自ら望んで捨てたのだ。だからこそ、そう呟くことに抵抗はない。

 ないのだけれども。

「……」

「親方ぁ」

 作業着の男が寄ってきた。感傷が台無しだ。いや、引き戻されるにはいい頃合だったかもしれない。いつまでもありふれた葛藤をさかなにしているわけにはいかないのだ。切り時を一度間違えてしまえば、捨てきれぬ夢と歪な若さを抱えたまま、割り切るか割り切らぬかの狭間で魂を揺らされることになる。

 それはちょうど──どこかの馬鹿な男のように。

「あのぉ親方、表にトレーラーが止まってんスけど。あれ解体していいんスか?」

「あいつのだ」ナオンを指して言うザイール。「大目にみてやれ。それより進度は」

「先端終わりましたよ。次は胴体ッス」

「おう」ザイールは親指を立てる。「確実に間に合わんな」

「はっは。まあそん時はそん時でしょう」

 男が半ば開き直りのように笑い、ナオンの方を指差して続けた。

「あのガキ、誰なんスか。よく来てますけど」

技術屋メカニックだ」

技術屋メカニック?」

「凄腕だぜ。どんだけボロボロになった機械でも直せる。レプリカに使う粒子管を直してもらったんだ」

「粒子管を?」男は眉を吊り上げた。「そりゃたまげた。どんな手使ってんだか」

「さぁな。皆目見当がつかねえ。時間でも巻き戻してんじゃねえのか」

「あぁ、例の都市伝説。なんでしたっけ? スリップノット? でしたっけ?」

「フリップブラックだ。お前の趣味を仕事に持ち込むな」

「久々に聴きてえなあ。どっかにギアレコードでも落ちてりゃいいんスけど」

 ナオンがガラクタの山から一枚の歯車を引きずり出し、ザイールに手を振るようにして高らかに掲げる。ギア・レコードと呼ばれる歯車状の音楽機器の一部だ。探していたものだろう。応じてザイールも手を振った。

「……あのガキ、どこに? 一人ッスか? 親は?」

「レストレンジアだとよ。親は両方いない。探してるんだと」

「ヤバくねッスか。レストレンジアってなんとかってギャングのシマだって聞いてるッスよ。ドグラ・マグラ……なんだったかな、そんな感じの……」

「ラズル・ダズルだ。シュティードが頭をやってる」

「あぁ、あの馬鹿野郎……」

「艦長さーん!」ナオンが声を上げた。「これ持って帰るねー!」

「好きにしなー! あばよ!」

「ばいばーい!」

 ガラクタの山を下っていくナオン。掃き溜めで生きるにはあまりに小さい体だ。背負った鉄の箱で体が隠れてしまっている。男が怪訝そうに首を傾げた。

「あの歳でよくもまぁ旅なんぞ」

「別に珍しい話でもねえだろ。見た目は女みたいだが、あれで中々肝は据わってる」

「……まぁ、あんな重そうな棺桶背負ってるぐらいスからそうなんでしょうけど……」

「はん。棺桶。棺桶ね。棺桶の少年だな」

 遠ざかる少年の後姿を見て、ザイールは感慨深げに呟いた。

「ここだって、棺桶みてえなもんだがよ」




   ◆




 白か黒かで言えばスクラップフィールドは黒だ。そしてそれはどんな黒よりも黒い。

 新・禁酒法厳格化以降、指定対象となった全ての嗜好品はこの掃き溜めを中心に流通するようになった。無法の街だからだ。ならず者達の縄張りとなったこの砂漠では、国家警察ZACTザクトによって定められた法律がマキネシアで唯一機能しない。

 煙草、賭博、売春にポルノ、暴力シーンを含んだゲームや映画、はてはロックンロールに至るまで、反社会的だと看做みなされた物の全てはこの掃き溜めで手に入れることが出来る。

 酒はその中でも最たるものだ。値は相応に張るが、スクラップフィールドならおおよそどこでも手に入れることが出来る。装置から脳内を刺激する電子アルコールでは飽き足らぬ者達が、生特有の感触を求めて掃き溜めに落ちることは珍しくない。

 今しがた砂漠に似つかわしくない純白の車両から降りた、この男がどうかはさておき。

「相変わらずあちいなぁ。一体どうなってやがんだ」

 男は手元の時計を見やる。ゴールデン・アップル社製の汎用デバイス、ジー・ウォッチだ。液晶画面に表示された時刻は午前十時。ぴぴ、と小さくアラートが鳴り、人工知能〝グレート・マザー〟からのメールが届く。画面をタッチして開封すると同時、文面と共に女性の声が響いた。

『おはようございます。明日は国民の休日ですね。IDアイディーメモリの更新はお済みですか? 各地の更新機が運転を休止しますので、ご入用の際は最寄のZACT分社へ──』

「うるせーよクソったれ。こちとら公務員様だぞ。国民の休日なんか関係ねえっつうの」

 そう言って後部座席にジャケットを放り、白いワイシャツの袖を捲くる男。垂れた目元と口調に軽薄さが現れている。

 だが、足取りは敵陣に向かう警察そのものだ。

 にゃあ。眼下で鳴き声がした。野良猫だ。それもジャンクリーチャー。なんだここは。ジャングルか。男は狼狽したのち、足元に寄り付いてきた野良猫をうざくらしそうに蹴っ飛ばした。

 彼は首輪のごとく締められていた水色のネクタイを緩める。続いてDブロックジャンクヤード近郊に佇む酒屋〝マーベル〟の扉を押し開け、鼻歌まじりに店内を物色しはじめた。

「ほうほうほう、ほう。こいつはすげえ品揃えだ」

 棚一面に酒瓶が並んでいる。レジスター前には廃盤の煙草からシガリロまで多種多様な嗜好品が見受けられた。今となってはライターや灰皿さえ旧時代の遺物だ。市街でお目にかかることのない壮観に舌を巻き、男は瓶の一つを手に取る。

 ワイルドターキー八年。バーボンだ。アルコール度数は実に五〇度近く。市街に持ち込めば問答無用で罰点を施される。厳格化前なら課税率九〇パーセントといったところか。

 男は神妙な面持ちで瓶を見つめ、再び棚に戻した。展覧会の額縁でも眺めるように目線を行き来させ、両手を後ろで組んだままゆっくりと店内を闊歩する。

 その様を見ていた大柄な店主が彼に歩み寄った。男の整然とした格好から、掃き溜め落ちした一見の客だと思ったに違いない。

「Dブロックへようこそ」店主は問うた。「何をお探しで?」

「過去だ」

 男は答える。軽薄な顔つきだが声色は真剣そのものだ。また頭のイカれたごろつきかと店主は眉をひそめた。

「いや、もっと正確に言えば……時を巻き戻す方法を探してる」

「……ウチはタイムマシンじゃないぜ」

 ジョークを解さない店主なりの精一杯の答えだった。男は失笑する。

「らしいな。残念だよ。俺にとっても、アンタにとってもだ。なんせタイムマシンの営業は禁止されてねえからな」

「はぁ?」

「この店のサービスに期待してるんだが……取り寄せは可能か?」男は頬を歪める。「市街に密輸したい。極力安全なルートでだ」

「……あぁ、可能だぜ」

 大口の商談だ。店主の頬も釣りあがった。

「国民の休日に備えてか。いい考えだ。出世するぜ、あんた」

「休日じゃねえ。命日さ」

「あん?」

「出世すんのは確かだろうがな」

 墓に供えたところで没収されるのがオチだろうに。解せないという表情の店主に苦笑し、男は続ける。

「そんで? いくらなんだ?」

「物によるが」と、店主。「手数料に三万ネーヴル。コネのある製造所の物なら四日ほどで手に入る。レア物やヴィンテージは応相談だ。その場合、手数料は三倍もらう」

「随分なぼったくりだな」

「当たり前だろ。今は新・禁酒法時代だぜ。ここでしか手に入らねえんだからぼったくるのは当然だ。あんた、市街の人間だろ。それが分かっててここに来たんじゃねえのか」

「真面目かよ。気の利いたジョークの一つでも返せって」

 おどけた調子で言った後、男は神妙な面持ちになる。

「時を巻き戻す酒……〝フリップブラック〟を探してる。あるか?」

 やはり頭がイカれてやがる。店主が溜息を吐いた。

「期待した俺がアホだった。冷やかしなら帰れ。でねえと肝を冷やすことになるぞ」

「生憎だが随分前に肝臓やっちまったモンでな。冷やす肝もねえのさぁ」

 男はカウンターに肘をついて続けた。

「いいか。そのスポンジみてえな脳味噌をよく回せ。俺は〝あるのか〟と聞いた。答えは二つに一つだ。どうなんだ。あるのか? ねえのか?」

「まあ待て。その前に聞かせろ。てめえ、日に何時間働いてんだ?」

 目線を天井へ上げてみせる男。思い出していますと言わんばかりだ。

「十五時間ってとこだな。今朝は四時に出社した」

「あぁ、納得だ。頭がイカれるのも当然だぜ」

 吐き捨て、店主が酒瓶を手に取る。

「よく聞けクソったれ。酒は酒だ。時間を巻き戻すなんて話があるわけねえだろ。あるのは二日酔いとセットのタイムトラベルだけだ。前には進んでも後ろには戻らねえ」

「……んあぁ、そいつはよく知ってるが」

「二度は言わねえぞ、とっとと失せろ。でねえとこいつでてめえの頭をカチ割る」

 凄む店主。手元の瓶には八〇〇〇ネーヴルのラベルが貼られている。安酒で死ぬのはゴメンだな──そんな心持ちで男は肩をすくめた。

「つまり、取り寄せはできねえんだな?」

「存在しねえモンをどうやって取り寄せろってんだ。あの世から持って来いってのか? 悪魔とコネでもありゃ話は別だがな」

「品揃えのわりぃ店だ。オーケー。もう用はねえよ」

 男が指を弾く。それを合図に入り口から白スーツを纏った男達が現れた。全部で四人。みな例外なくイエローのサングラスをはめている。腰元には粒子銃と思しき兵装。

 掃き溜めを歩く格好ではない。市街の警察そのものだ。男はいぶかしむ店主にカフスボタンらしき金属を見せつけ、軽薄な表情のまま口を開いた。

「国家電脳戦略特区都市所属、ZACT第三分社嗜好品取締執行官しこうひんとりしまりしっこうかん……ウィンチ。ウィンチ=ディーゼルだ。ミスター・ウィンチと呼べ」

「なに?」たじろぐ店主。「市街の警察が何の用だ?」

「新・禁酒法違反の現行犯で逮捕する。抵抗すんなよ」

「ふざけたことぬかすな」店主は語気を強めた。「ここは掃き溜めだぞ。てめえらの法律は指定領域外だ」

「ほう。んじゃこいつはどう言い訳すんだ?」

 ウィンチの時計から音声が流れ出した。『市街に密輸したい。極力安全なルートでだ』『……あぁ、可能だぜ』先刻の会話だ。ハメられたらしい。店主は舌打ちをかます。

「言い逃れはできねえぞ。口ぶりから察するに常習犯だな? 市街への嗜好品の密輸は市街の法律で裁かれる。知らなかったじゃ通らねえ」

「……」

「それにな?」

 苦々しげな店主に嘲笑の表情を向け、ウィンチは再び店内を闊歩する。反時計回りに、一歩ずつ、ゆっくりと。

「掃き溜めに市街の法律は関係ないって言ったか? そうとも。昨日まではそうだった。だが今日からは違う。新・禁酒法の指定領域は拡大されるのさ」

「そんな話は聞いてねえぞ」

「そうとも。聞かせてねえ。ただ俺が決めただけだ」

「誰の許可得てそんな真似……!」

 今度はウィンチが酒瓶を突きつけた。

「勘違いすんなぁ。俺は誰にも許しを乞わねえ。このミスター・ウィンチ様が、他ならぬミスター・ウィンチ様に、許したんだ」

 音を立てて抜けるコルク。ウィンチは床へとバーボンを注いだ。ライ麦の芳醇な香りが立ち込め、床板の隙間に沿ってじわじわと波が広がる。

「よく聞け。俺は酒が嫌いだ。酒飲みってのは酔っ払って人を殺しちまうようなグズばっかりなのさ。わかるか? こんなモンにすがってちゃ──まともに生きられるモンも生きられねえ。そうだろ? こんなモンはこの世に存在しねえ方がいいのさ」

 連行しろ、とウィンチ。ちょうど酒瓶の中身が尽きる。応じて屈強な体格の四人組が店主の腕を掴み、引きずるようにして入り口へと連れ去った。

「待て! クソったれ、離しやがれ! 誰のせいでこうなったと思ってやがる! てめえらが新・禁酒法を厳格化したから掃き溜めで営業するしかなくなったんだぞ! 俺達の人生を滅茶苦茶にしたのはてめえらじゃねえか! こんな横暴があってたまるか!」

「俺に言われたって知るか。お前が言ったとおり時間は前にしか進まねえんだ。いまさら法整備前に時代を戻せなんて……無理な話だろ? 過ぎちまったことはどうしようもねえ。恨むなら厳格化の引き金を引いたクレイジー・ジョーを恨みなぁ」

「くたばれクソ野郎! てめえらの所為だ! てめえらの所為で俺達はなぁッ!」

「オーライオーライ。続きは弁護士に言え」

 レジスター前のオイルライターを手に取るウィンチ。弾ける火花。もう後戻りはできない。いつだってそうだ。理解しているからこそ縋りたくなる。その鉛色によく似た眼で揺らめきを覗き、ウィンチは苦笑してライターを放った。

「────見てろよ、キーラぁ」

 炎が鎌首をもたげる。砂漠の片隅、始まりの煙はもくもくと立ち上った。




 ハロー、マキネシアDブロック。時は新・禁酒法時代。ロックンローラーはもういない。酒に煙草に賭博にポルノ、秩序を乱すとされる全ての嗜好品は国家警察ZACTによって厳罰対象に指定された。

 ただの一輪、砂漠の掃き溜め一回しを除いて。

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