Rewind the time #5 -C.A.G.E.D-




 年寄りの朝は早い。これはマキネシアに限ったことではないが、マキネシアの年寄りは特に朝が早い。だから大体早死にする。アジアンかぶれのがめつい老婆が店を開けるなり、シュティードはシオン由来の廃品を片手に路地を駆けた。

 昨夕の収穫物はヴァルチャー・キャプチャーCP3000……空撮用無人機の残骸である。シュティードの審美眼が正しければ、こいつは五万ネーヴル相当の値打ちものだ。シオンにサービスの一つもしてやれよう。そのはずだった。

「どうだ!」紫がかったお香の煙の中、シュティードはそいつを老婆の鼻先に突き出してやる。「今度ばかりは足元見ようたってそうはいかねぇぜ、クソババァ。なんならテメェの棺桶よりか高くつくってモンよ」

 シリコンみたいな顔つきで老婆はぼうっと煙を吐き出す。

「四〇〇〇」

「殺すぞ!」

「そうするかい?」

 いや待て、こいつは足元を見ているのではない。もしや物の価値を理解していないのではないか。そうに決まっている!

 シュティードは脱兎のごとくまた駆け出した。五軒隣の廃品屋のシャッターを蹴り破り、寝ぼけ眼の中年を叩き起こして鑑定をせびる。もはや今のシュティードはスクラップのニワトリに代わる朝の時告げ役だ。

「四〇〇〇だぁな」中年は欠伸と共に答える。「ゴミみたいなもんだ」

「てめえ腎臓にバリウム詰められてぇのか!」

「よく見ろそこんとこ。羽が欠けてるだろ。これじゃ飛ばねぇよ」

 大体、と中年がパーツを指す。

「よく見ろよ。セラミックだぜ、こいつは。無人機ってなぁ軽量化してなんぼのモンだぞ。ロボットじゃあるまいし。金属なのはモーターの部分だけ」

 シュティードの目だって節穴ではない。そんなことは織り込み済みで廃品屋の老眼に賭けたのだ。けれども彼らだってそれが生業なものだから、機械に関しては譲っちゃくれないようである。

「潰れちまえ、こんな店!」

「またどうぞ」

 舌打ちを三発ほど連続でかまし、シュティードはシャッターを踏みつけた。余計な出費がかさむのはゴメンなので、無理やり枠にはめ込んで店を後にする。

 それならばと砂漠に出向いてみるが、顔を出すのはどれもこれも三〇ネーヴルぽっちのガラクタ──ようは混ぜ物ばかりだ。金属だったらなんでもいいというわけでもない。

 酒瓶片手に砂を掘ってはぬかよろこび……かつてのロックンローラーの姿はどこへやら、そうして無為無策のままに日が暮れようとしていた。今日も、だ。

 夕方になればシオンが来る。今日はCAGEDケイジドの概念を叩き込むところからだ。コードの頭文字を取ったメソッドの造語で、別にかごだの鳥だのとはなんの関係もない言葉だが、なんとも今のシュティードは籠に囚われた鳥のようではないか。

「……笑えねえ。笑えねえぜ、シド。ここは監獄か?」

【はん。監獄だって働けば金はもらえるぞ】

「なら地獄だ。どっちにしろ笑えねえ」

【笑えたことなんて一度でもあったか?】

「ぼったくりの露天商がくたばった時だよ」

【それは未来の話だろ。しかも仮定だ】

「未来は変えられるんだろ」

【なら殺してみるか?】

「タダ働きはしねえ」

【じゃやっぱりここは地獄のまんまだな……】




 二日過ぎ、三日過ぎ、されど元種が増える気配はなし。鋼鉄の海鳥が空をゆく夕暮れ時、なすすべなく地面に転がるシュティードを見るなり、シオンは引き気味に苦笑した。

「……何してるの、おじさん。鳥葬ちょうそう待ち?」

「廃品は!」シュティードは地を這って詰め寄る。「今日の廃品はなんだ!」

「今日はねえ、これ」

 シオンがズタ袋を差し出した。有無を言わせぬ速さでシュティードがそいつをひったくる。

 袋の中身はネジの詰め合わせである。大小さまざま、規格もよりどりみどりだが、いかんせんどれもネジ穴がばかになっていて、産まれもった役割を果たせそうにはない。

「宝クジを買ってる気分だ……」

【クジには当たりがある】

 どんよりとした表情で肩を落とし、とぼとぼと出戻るシュティード。ぎょいん、とグリッサンドをかましたシオンが首を傾げた。

「どうしたの? 今日はなんだか口と頭だけじゃなくて顔色まで悪いね」

「いつもは良かったような言い草だな……」

「そんなこと一度もなかったけど」

 いつもの路地、いつもの壁に背を預けるシュティード。寄ってきた野良猫が噛み付いてくるので、切れた用済みの弦を囮にくれてやる。

「金がねぇんだよ、金が」相変わらず理由もなく煙草を咥えるシュティード。「借金ってヤツ。それを返さねえことにはにっちもさっちも動けねえってわけ」

 ふうん、といい加減な相槌を打つシオン。目線は指板からぴくりとも動かない。足元にはいつもと同じ、妙に青い瞳を持つスクラップの野良猫。ペットのつもりだろうか。

「変なの。それならレッスン代、お金で払ってあげようか?」

「なに!」勢いよく起き上がるシュティード。「お前、金持ってんのか!」

「電子マネーだけど」

「あぁクソ。だろうな。デジタル世代サマサマだ」

 がじがじ。がじがじ。スクラップの野良猫は弦をかじる。いっそこいつを解体して売り飛ばしたら……なんて考えが頭を過ぎるが、捕まえるのも大変なのでよしておく。

 はて、そういえばこの野良猫も、元が動物とはいえ身体は金属だ。いくら魂が宿っているとは言っても、結局そんなものは入れ物が変わっただけで、所詮はこやつも電気信号の化身に過ぎない。

 こいつを殺したら動物愛護団体に目玉をくりぬかれるだろうか? どこからどう見たって機械なのに? 命が宿っているからやっぱりこいつは動物か? 命? 命とはなんだ? 魂がそれを決めるのか? それじゃあ魂を持たない機械は壊してしまってもいいのだろうか? 自律し、思考し、その脳味噌が発する命令を電気信号で伝えるのが機械だというのなら、人間だって大差はないじゃあないか。

 機械に魂がないと誰もが言うが、ならば魂が宿った機械をなんと名付けよう?

 魂さえあれば、機械は機械じゃなくなるのだろうか? この真鍮製の野良猫も、魂があるから機械と呼んではいけないのだろうか?

「……ええい、ちくしょうめ」

 吸殻を放り出し、シュティードは頭を切り替えた。こういう宗教じみた考え事は、だいたい煙草と共にやって来るもので、一本吸い終わったらそれでおしまいと決めている。

 どっちだっていいのだ。野良猫だってそんなことを一々気にしてはいまい。こいつにとって大事なのは解体されて本物のスクラップになりたいかどうかだし、シュティードにとって大事なのは借りを返すための金だ。

 この街を見てみるがいい。こうして路地で男と少年がギターを鳴らしたところで、誰も関心なんて向けないではないか。結局みんな自分の世界の中心は自分だし、今日を生き延びることで精一杯なのだ。

 他人のことを気にしているほど暇じゃない。それが掃き溜めともなれば、なおのこと。明日死んだらおしまいだ。だから目の前のことだけ考えていればいい。

 今日生きるか、明日死ぬか、野良猫は野良猫で決めなければならないし、シュティードはシュティードで決めなければならない。まごついていれば時が勝手に決める。それが流された結果でも、つっかえた結果でも。

「今日はCAGEDケイジドをやる」

「ケイジ? 四分三十三秒の?」

「そりゃケージ違いだ」

 シュティードは紙切れを手渡す。ギターの指板を図に書いたものだ。押弦するポジションに黒丸が打たれていて、一目でコードの形が見て取れる。

「いいか、代わりはない。これ一枚だ。大事に扱え」

「おじさんさあ……」ぺし、と紙切れを叩くシオン。「パソコンとか持ってないの?」

「ダブリュー・ダブリュー・ダブリュー・ドットって面に見えるか?」

「だろうね。だと思ったけどさ」

 言うだけ言ってみて、シオンは紙面に倣ってフレットを押さえる。渋々だ。

「さすがに紙の書類は時代遅れだよ。画像データとかさ、そういうのにまとめてくれてた方が僕も楽なんだけど……」

【嘆かわしいな】シドが溜息をつく。【メリー・ウィドウもデータの時代か】

「ポルノの話じゃなくて。紙は劣化しちゃうじゃん。雨に濡れたら字が滲むし、折りたたんだらボロくなるし……」

「バカ、大事な書類は紙にして残すって昔から相場が決まってんだよ」

 膨れっ面のシオンが曖昧に首をかしげる。彼の歳ではピンとこないようだった。

「データにしたって同じことだ。雨に濡れたら機械はパァになる。雷に打たれりゃ一発だ。ましてや機械は紙よりデリケートなんだぜ。一周回ってアナログが最強になるってのは世のさだめよ。だから昔の人間は石に文字を刻んだんだ」

「でも、データは替えが利くじゃない。手軽にコピーペーストできるし。クラウドとかに上げておけば、パソコンが壊れたって……」

「それだそれ。そういうのが気に入らねえんだよ、俺は」

 いつもの言い草だ。シュティードの言い分はだいたいこれに集約される。ようは自分が気に入るか気に入らないかの話なのだ。

「代わりが利くとか複製コピーだとか、予備があるから大丈夫とか……」

「……?」

「砂を噛むような生き方だな」

「砂? おじさん、砂食べるの? 猫みたいだね」

「間違っちゃいない」

 砕けた調子で言ってみて、シュティードはシドのネックを深く握りこむ。レッスンのはじまりだ。

「コードを押さえてみろ。最初はオープン・ポジションのC。五弦の三フレットが基準だ。そこから紙面通りにポジションを上げていけ」

「全部同じコードだよ。意味あるの?」

「だから重要なんだ。演奏中にポジションを移動しても、そいつが頭に入ってれば音を見失うことはない。インプロヴァイズの基本になるメソッドだ」

 言われるがままに指板を押さえるシオン。五弦の三フレットが基準だ。次も同じ。今度は六弦の八フレット。次も同じ。そして四弦の十フレット。構成音はどれもCとGとEの三種類のみだ。

 CAGEDメソッドに従えば、おなじCメジャー・コードを異なる五つのフォームで鳴らすことが出来る。コードが変わっても理屈は同じだ。インプロヴァイズの選択肢が増え、指板に対する視野が格段に広がる。今となってはギター同様に失われた知識だった。

 Cフォーム、Aフォーム、G、E、D……シオンに促すように一通りの形を鳴らしてみて、シュティードは指板から手を離す。

「いいか、クレイジー・ジョーの曲に決まったソロはない。ギア・レコードに収録されてる音源も、いくつかのアドリブ・テイクからたまたま選ばれただけだ」

「……」

「一〇〇人のギタリストが同じ楽曲をコピーすれば、そこには一〇〇通りのソロが生まれる。分かるか、そこが聴かせどころなのさ。最も個性が出る場所だと言っていい」

 一丁前なことを言うものだ──そういう調子でシドがお空を見上げた。

「僕、音源通りのソロが弾きたいんだけど」

「最初はそれでもいい。お前の耳なら採譜出来る。だが模倣に囚われすぎるな」

「どうしてさ」

「さぁな」シュティードは鼻で笑った。「そのうちわかる」

 なんだそれはと弦を弾くシオン。いっつもこうだ。シュティードは肝心要のところをまるで説明しようとしない。

「インプロヴァイズは自由であるべきだ。好きに弾け。最初は三連符でスケールをなぞるだけのゴミみたいなソロでもいい」

「ゴミ……」

「決まったやり方はない。チョーキングで始めるか、ハーモニクスを入れるか、次はスライドか、それとも弦飛び……こればっかりは慣れだ。アドリブをこなした数、それとコードの構成音に関する知識がものを言う。片方じゃ駄目だ。両方やれ」

 シオンはたどたどしく弦を辿る。なんだかいまいち雰囲気が掴めなくて、そのうち指がこんがらがってしまう。

 コードを鳴らして響きを掴み、そののち適した音を弾く……ソロを弾きながらも、頭の中ではずっとコードが鳴っている状態が理想だ。機械みたいに小難しい真似を要求されるものだから、初めのうちはそう上手くはいかない。

「……音を外しちゃったらどうするの?」

「外してもいいのさ」いい加減に答えるシュティード。「テキトーに誤魔化せ」

「だから、そのやり方を聞いてるんだけど……」

「そもそも入れちゃいけない音なんてない。バッハなんぞクソ食らえだ」

「でも、コードから外れたら不協和音になっちゃうよ」

「そういう時は経過音ってことにして誤魔化すんだよ。上手く使えばスリリングなソロになる」

 シュティードはそう言って、実際に弾いてみせてやる。最初はペンタトニック・スケールでの単純な上昇と下降……そこにいくつかスライドを交える。次はクォーター・チョーキングだ。少し調子が外れた。味ということでよしとしておく。弦飛びを誤ってスケール外の音を弾いてしまったら、クロマチック・スケールを用いて危うい雰囲気を演出しつつ、予定調和のように適切なポジションへ……そういう具合だ。

 シオンには何がなにやら分からない。こういう音を使っているのだ、と理解は出来るが、どういう理屈で次の音へと繋げているのかが浮かんでこないのだ。あんまり違和感がないものだから、インプロヴァイズではなく最初から用意されていたフレーズではないのか、などと疑ってしまう。

 つまるところ少年は、そういう次元に辿り着かねばならないのだ。

【今のは悪い例だ】

 弾き終わるなりシドは吐き捨てる。だな、とシュティードも同調した。

「どうしてさ。別におかしくなかったよ」

「音を詰め込みすぎだ。緩急がない」

【押してばかりじゃ駄目なのさ。女を口説くのと同じ】

 苦笑するだけしてやって、シオンもシュティードに倣ってみる。ペンタトニック・スケールの上昇、下降、スライド……そこからが上手くいかない。抜け出せないのだ。スライドしてみたり、妙な音を入れたりもしてみるが、そのうち自分がどういう音を弾いているのか分からなくなって、適切なポジションを見失ってしまう。

 自分がどういうコードにのっとって音を鳴らしているのかわからなくて、鳴らせば鳴らすほどにこんがらがってしまうのだ。

「んんん……」下唇を噛むシオン。「なんでうまくいかないの!」

「焦るな。無理に凝ったことをしなくたっていいんだ。いまの自分が持ってるものだけで上手く戦え。それもコツの一つだ」

 シュティードはもっともらしく言ってみせる。教える側だから口ではなんとでも言えた。自分がそれを上手くやれているかと言われれば怪しいところだ。くしゃりと歪んだシドの目がそれを物語っている。

「大事なのは演奏を止めないことだ。ミスしようが、走ろうが、もたつこうが……何がなんでも曲にはついていかなきゃならない」

 またアメリカン・スピリットを咥えて破顔するシュティード。

「心臓と一緒だ。止まれば死んじまう」

「だっさ……」

「ジョークじゃねえよ」

「余計ださいし……」

「グルーヴを作れ。お前だけのグルーヴを」

 揺れる弦。残像の輪郭を眺め、シュティードは他人事のように呟く。

「魂って奴は、多分……その振れ幅の中にあるんだ」

「魂ね……」

 C、A、Gとまたコードをなぞって、シオンはなんとなしに問うてみる。

「おじさんも、止まれば死んじゃうの?」

「さぁな。その理屈で言えば俺はとっくに死んでる」

「大丈夫だよ。死んでも生き返るよ。人生が一度きりだなんて時代、とっくに終わっちゃったんだし」

「そういう話じゃねえし人生は一度きりだ。だから戦う価値がある」

 それにはシオンも異を唱えない。けれど、二周目があるという事実が人生から緊張感を殺いでいるのは確かだ。一度限りの人生が成功するかどうかわからない不安よりも、そっちの方がよほど恐ろしい。

「あーあ。僕も早くギグがしてみたいなぁ。このままじゃ来世になっちゃうよ」

「ギグ? 市街でか?」

「まさか。今はそんなの無理だよ。やるなら掃き溜めいち有名になって、市街に嫌でも名前が届くようにしてからじゃないと」

 考えることはみんな同じだ。シュティードはまた笑った。今日は笑い通しだ。それも、今までみたいに乾いた笑いばかりじゃない。

「でも……」シオンはためらいがちに続けた。「いつか必ずやってみせるよ」

「言ったな? たしかに聞いたぞ。善は急げってやつだ」

「やるよ。男に二言はないんだもん」

「根性だけは一丁前だな」

「それでいいんでしょ?」

「そうさ」

 スキットルの中身を飲み干して、シュティードはこつんと胸を叩く。

「俺の肝臓がぶっ壊れちまう前に頼むぜ」

「お酒をやめればいいんじゃない?」

「俺に死ねってのか?」

「そんなこと言ってないじゃん……」

 にゃあ。機械仕掛けの野良猫が鳴いた。短く、一度だけ。




   ◇




 教える! 手に入れる! 売りさばく! ダ・カーポ! コーダ! すなわち繰り返しである! シュティードの毎日はどこまで行っても同じサイクルだ!

「らちがあかねえ」

 そして、行き着くところまで行き着いてしまった。滑車を回すげっ歯類のごとく我武者羅な日々を巡るうち、換金が三〇回目を超えたあたりでシュティードはそう悟る。

 なけなしの五〇〇〇ネーヴル紙幣をぴらぴらと振ってみる。こんなもので手に入るのは粗悪品の密造酒だけだ。どうせアナログ時代に巻き戻るなら、いっそ物々交換の時代まで戻ってしまえばよかったのに。

 路地裏。酒。煙草。ギター。それだけだ。他にはなにもない。金もない。

 レッスン会場の壁際では野良猫が集会をやらかす始末で、いよいよもってシュティードは自分の居場所がなくなってきたように感じる。いらなくなった弦で餌付けしたのがいけなかったのだろうか。なんだか自分まで野良猫の仲間入りを果たしたみたいだ。

【思ったんだが】

 ケースの上に野良猫を乗せたままシドが言う。

「なんだ。俺はいま機嫌が悪い。手短に話せ」

【機嫌がいい時が一度でもあったか?】

「ぼったくりの露天商が死んだ時だ」

【だからそれは……もういい】

 アメリカン・スピリットに火をつけるシュティード。最後の一本だ。これでまた出費がかさむ羽目になる。だからといってやめられるものでもない。

【そこらの店で働いた方が早いんじゃないか?】

「趣味じゃねえ」

【大体の奴はそうだ】

「ばっくれよう。それしかない」

 シュティードは悪びれもしない。流石に警察を抜け出した男は言うことが違った。

【いや待て。オレ様達は渡り鳥だぞ。またあのモーテルに寄らないとも限らないし、トンズラこいたらZACTに通報されかねん。払ったほうが懸命だ】

「戻ってくる頃には潰れてるね、あんな馬小屋みてえな宿」

【馬の骨を泊めるんだからそれで合ってるじゃないか。貴様には人の心がないのか】

「今は」シュティードは二重の意味で答えた。「持ち合わせがねえ」

 溜息ひとつ、野良猫を乗せたまま浮き上がるシド。まるで空飛ぶ絨毯だ。

【奇跡を待つだけの人生というのは……つまらないものだな。こんなことなら自分が歌っていた方がよっぽどマシだったよ】

「……そりゃ金の話か?」

【好きにとらえろ】一拍おいて続けるシド。【退屈じゃないのか】

「なにが?」

【教えるだけの人生がだ】

 難しい質問だ。野良猫のオーケストラの中、シュティードは目を細めた。教えるだけの人生なら、こんな気分にはなっちゃいない。

「時折、無性にステージに立ちたくなる」

【そらみろ。やっぱり退屈なんじゃないか】

「退屈ってわけじゃない。教えることが山積みだ。おちおち酒も飲んでられねえよ」

 言って、シュティードは安酒を口にする。どうにも言動が一致しない。

「ただジリジリするね」

【目覚まし時計か?】

「トースターだよ。焦がされてる気分だ」

 ネクタイを握って呟くシュティード。

「心臓が焼け付く。あてられたんだ。どうしようもなく眩いなにかに」

【恋だな。でなきゃ不整脈だ】

「違う。もっとエッジの利いた奴だ。クランチに似てる」

【ドアーズか? どっちにしろそいつは──】

 頭上に晴天。雲を睨んでシドは言った。

【朝が来たってことだ】

「だといいな」

 ばっこん。マンホールの蓋が宙に浮かんで、穴ぐらからシオンが這い出てくる。これが待ち続ける奇跡の正体だというのだから、世の中なんともバカらしい。

「あれっ。おはよう、おじさん」

「失せろクソガキ。まだ昼だぞ。それに今日はレッスンじゃない。学校はどうした」

「知らないの? 今日は国民の休日だよ」

 そういえばそんなものもあったか……公務員、それもZACTというブラック中のブラックだったシュティードには縁遠い話だ。

「家にいても退屈なんだ。市街じゃギターは鳴らせないし、友達はみんな、いい子ちゃんっていうのかな、なんていうか、そう……猫かぶってるって感じだし」

 にゃご、と返す野良猫を顔面に引っ提げたままシオンは言った。どうにもこいつはちぐはぐで、よれたメトロノームみたいに奇特なテンポで生きている。だからこそ、メカニカルなBPMの中で生きるシュティードの頭に引っかかるのだ。

「何しにきたんだ」口角を下げるシュティード。「俺は暇つぶしの道具じゃないぜ」

 にへ、と意地悪く笑うシオン。口元をいじって、髭を整える真似をしてみたりもする。

「今日の僕はサンタクロースなんだよ」

「頭の病気か。お大事に。マキネシアに冬はねえよ」

「違うよ。プレゼントを配りに来たの」

「プレゼンット! は!」大げさに両手を広げるシュティード。「こいつは困ったな! 靴下を置いとくのを忘れちまったぜ。ふざけろクソガキ。俺は二十七だぞ。いい歳こいてなにがプレゼントだ。ついでに宗教家でもねえしマンホールから来るサンタがあるか」

 ずい、と背伸びするシオン。やっぱりソリもトナカイも見当たらない。

「お金ないんでしょ? 欲しくないの? プレゼント。少しは節約できると思うけど」

「……酒か?」

 惜しい、と首を捻ってみて、シオンはシュティードの顔を覗き込む。

「おじさん、煙草好きでしょ?」

「はぁ? 誰があんな体に悪いモン好き好んで吸うか」

 シュティードは真顔でそう言う。ジョークかどうかシオンには判断がつかなかった。

「でもそんなに吸ってるじゃん。見てるこっちが肺がんになっちゃうくらい」

「うるせーなほっとけ。吸わなきゃやってられねえんだよ」

「ふうん。ガソリンって感じ?」

「それは酒だ。特にバーボン。出来れば四〇度より上のヤツ」

 言ってることが滅茶苦茶だ。いよいよシオンは眉間に皺を寄せる。

「お酒だって体に悪いじゃん?」

「黙れ。健康なんかクソ食らえだ。飲まなきゃ生きていけねえんだよ。一番体に悪いのは酒でも煙草でもねえ。ストレスだ。そいつをチャラにするために酒と煙草が必要なんだよ。わかったかクソガキ、わかったらボケたことほざいてないでとっとと失せろ」

「じゃあ、今度からは僕のプレゼントがないと、おじさんは生きていけなくなっちゃうわけだね。そっか。それっていいかも」

 兎のようにとびのくシオン。そののち彼はマンホールの蓋を開けたかと思うと、さっさと穴ぐらに潜ってシュティードを手招きする。地底旅行の始まりというわけだ。

「ようシド。あいつは何を言ってんだ。全然さっぱりまったくちっともわからねえ」

【オレ様にもわからん。市街の土産でもくれるんじゃないか】

「算数ドリルか? それとも防犯ブザー? あいつ心の病気だったのか?」

【ギターの弾きすぎで脳味噌が馬鹿になったのかも】

「ギターごときで脳味噌が馬鹿になってたまるか」

【なら貴様の脳味噌はどう説明するんだ】

「決めたぜシド。てめえいつか本当に売りさばいてやる」

【真に受けるな。貴様は元から馬鹿だった】

「おじさーん!」シオンの声がマンホールの底から飛んでくる。「はやくしてよ!」

 腕組みしたままシュティードは二の足を踏んだ。じめじめした場所が嫌いなのだ。彼はからりと晴れた晴天を好むし──それに、地下通路なんていかにも達が使いそうな場所ではないか。

【なんだ。貴様まさか】シドは嘲笑気味に問う。【暗所恐怖症かぁ?】

「湿気だよ、バカ。下水道なんざ野良猫も棲みつかねえ」

【でも雨には打たれてたじゃないか】

「雨と湿気じゃ話が違う。お先真っ暗なのは人生だけで充分だ。陰気なのが嫌なんだよ、俺は。ついでに言えば、そういう生き方も」

 またシオンの声が聞こえる。痺れを切らしたシドがぐるぐると旋廻しはじめた。

【ほら早く行ってやれ。いたいけな少年が貴様を呼んでいるぞ。地下だぞ。暗がりだぞ。密室だぞ! 十二の少年とハネムーンだ! 二人掃き溜めの穴ぐらを抜けて、砂漠の果てへとどこまでも! いざランデヴー! ビバ・マキネシア!】

「……お前は心の病気で間違いないな」

 シュティードは頭を抱えた。なんだってこう掃き溜めにはまともなヤツがいないのか。ギターでさえこの始末だ。少年趣味だか少年趣味だか、生憎とシュティードの辞書にはない奇特な性癖だが、どっちにしたってシドの定規は大きく捻じ曲がっている。

【なんだ。行かないのか。ならオレ様一人で……】

「……いや、行く。お前とガキを二人にすると何があるかわからねえ」

【なにか問題が?】

「問題外だ」

 やむなく彼もシドを片手に続いた。

 錆びた鉄の梯子はしごを下ると、足元には薄汚れたコンクリート。半円状の空洞がずうっと奥まで続いている。絵に描いたような下水道だ。水のせせらぎは聞こえこそ美しいが、立ち込める臭気は酒場の便所の三倍増しで生臭い。

「ジュール・ヴェルヌ読んだことあるか?」

【ポルノ雑誌か?】

「だろうな。聞いた俺がバカだった」

 呆れかえるシュティードの顔は、この地下道に負けず劣らず陰鬱な様であった。一分一秒でもここから早く逃げ出したい……そういう潰れた顔だ。よどんだ空気がそうさせる。

 どうやら地下は粒子化を免れたようである。旧時代の残骸と思しき鋭利な鉄片、それから拉げた鉄筋が天井に散見されるが、地上の金属に比べるとくすみも少なく真新しい。錆と腐食は水気によるものだろう。

 途切れ途切れに続く小さなニキシー管の照明……そのか細い橙色だけを頼りに、シオンは闇の奥へ霞んでゆく。懐中電灯もなしに軽い足取りで進んでいくその様を見ていると、なんだか彼が異世界への誘い人のように思えてきた。

「ひでぇ道だな」シュティードは小声で呟く。「地獄に向かってるみたいだ」

【あの世はこんなに暗くない。眩しすぎるぐらいだった】

 前を行くシオン。それを追う鋼鉄のふたり。スクラップのネズミたちが小気味良い音を立てて足場の淵を走る。シオンは時折立ち止まり、二人がちゃんとついて来ているかをうかがってみせた。まさしく妖精のように。

 とたとたとついて来た野良猫が、途端に立ち止まって威嚇の姿勢をとる。尖った尻尾が天井へと逆立ち、がじゃらがじゃらと鋼鉄の喉が鳴った。

「そこ、気をつけて」

 右から影。シオンの言葉より早くシュティードは反応した。咄嗟に右手を突き出して、伸びてきた歪な鉄塊を引っ掴む。

「……なんだ?」

 人の腕に似た形だ。にしてはやけにざらついている。どうやら金属らしい。それもがたがたと自動するではないか。鋼鉄のふたりは暗闇に眼を凝らした。

【……なんてことだ】

 ぎらりと鈍く光る二つの眼。ジャンクリーチャー、なのだろうか。廃品で作られたブリキの人間もどきが、風呂にでも浸かったみたいに肋骨から上を曝け出している。せいぜい出てくるところが壁か地面かという違いぐらいなもので、うぞうぞと蠢くその姿は、墓場から這い出るレトロなゾンビによく似ていた。

「……」

 上体がワイヤーとパイプを要に象られている。頭部と心臓回りは極めて精緻な作りで、機械仕掛けの中枢には粒子管の輝き。あまりに薄く淡い青色──濃度はせいぜい五パーセント級で、既に管内の粒子は切れかけていた。

 シュティードは右手を緩めてみる。抵抗はあまり感じられなかった。もはやこいつは死に体だ。こんな姿になってしまえば生死もなにもあったものではない。なり損なった者の末路など、せいぜいこの程度のものなのだ。

「……生きてるのか?」

「わかんない。でも、僕らのことは認識出来るみたいだよ」

 ぴょ、と反対側の岸へ飛び、シオンは振り返る。

「おじさん、もしかしてそのギター、粒子管積んでる? 危ないよ。そいつ、粒子管に反応するから」シオンは続けた。「きっと、仲間を探してるんだ」

 違う。探しているのは仲間なんかじゃない。こいつが探しているのは旅路の道連れだ。独りで終わるのが怖いから、墓場の同居人を探しているのだ。

 シドは苦々しげに眼を細め、なり損なった怪物を見つめた。ボルトの歯が僅かに動く。なにかを訴えようとしている。

 ずるいぞ、とか、なぜ俺が、とか、そんなとこだろうか。なんだっていい。どうせ聞くには値しない言葉だ。だが聞き流すには耳障りだった。

 哀れなものだ。こんな姿になってなお、こいつは未だ、自分が人間だと信じている。

【……〝剥離と憑着〟に失敗したんだ。魂が機械に張り付きそこねたんだろう。半分か、三分の一か……もっと少ないかもしれん。いずれにせよ、ジャンク人間以下の存在だ】

 一際太い首元のパイプに両手を添え、シュティードは一思いにそれを捻じ切ってやる。吹き出る蒸気と痙攣、それから粒子の乱回転が放つ一際強い輝きののち、ジャンクのゾンビはぜんまいが切れたように動かなくなった。

 見た目はまるきり機械仕掛けなのに、死に至る理屈は人間と同じ。そのうえいくらかしぶといものだから、とどめを刺すのもあまりいい気分ではない。

【オレ様も、一歩間違えればこうなっていたのかもな】

「……運命ってやつかい」

【いや。それこそ……ただの結果さ】

 シドがあんまり感慨深げに言うので、シュティードは黙って歩を進めた。

 ほどなくして分岐路に出たが、シオンは右へも左へも曲がろうとしない。どころかYワイ字の股ぐらに突き当たり、廃品の山へと手を突っ込みだす始末だ。

「……?」

 シュティードは目を凝らす。シオンに──ではなく左右の水路、その淵に。

 一直線に何かが煌いている。レール。金属製のレールだ。奥の方にはトロッコのような入れ物が立て掛けてある。

 石炭でも運んできたのだろうか。馬鹿を言え。ここは炭鉱じゃない。

【……密輸トンネルだ】押し殺したように言うシド。【引き返せ。きな臭い】

「……もう遅い」

 地下の地の利はシュティードにはない。帰って酒を煽りたい気持ちをぐっと堪え、少年の奇行を眺める。ようやく引き抜かれたシオンの右手にはギア・レコードの一部と思しき歯車が握られていた。ギタートラックだかボーカルトラックだか知らないが、盤面の劣化が激しくて再生は見込めそうにない。

「知ってるか、サンタってのは子供が喜ぶものをプレゼントするもんだぜ」

「いちいち一言多いなぁ。まあ見ててよ」

 シオンが壁のくぼみにギア・レコードを押し込むと、がらごろ、がらごろとふるい機械仕掛けの音が水路に響いて、分岐路の真ん中が観音開きに裂けてゆく。壁だと思っていた鋼鉄の流線型は、左右の通路を塞ぐ形で──下品な話、それは開脚の様に似ている──端までぱっくりと口を開け、隠されていた空洞を惜しげもなく露にした。

【……何の冗談だ、これは】

「……天国の扉」シュティードは脊髄でそう呟いた。「地獄の門か」

 サプライズには違いなかった。七〇センチ四方の木箱が階段状に積み上げられており、襤褸ぼろ同然のビニールシートがそれらを隠すように覆いかぶさっている。

 銃器の類があることは明白だ。鉄の臭いが漏れ出しているものだから蓋を開けるまでもない。麻薬もいくらか潜んでいよう。それより驚くべきは手前の木箱、三角形に開いた隙間から覗いている嗜好品の姿とその数だった。

 酒だ。しかも密造酒なんてハンパものではない。どれも綺麗にラベリングされていて、瓶には傷一つ見られなかった。ウォトカからスコッチまでなんでもござれだ。ワインもビールも言うことなし。異国のものらしいコメからなる醸造酒も確認できる。

 傍らの地面には煙草のピラミッドだ。木箱に入りきらなかったのだろう、見かけぬ装丁のカートン・ボックスが雑に積まれていた。

 たまらずシュティードが生唾を飲んだ。人の一生分を七つ補ってまだ余りある量だ。これらを飲み干す為だけに更生プログラムの奴隷になってやろうか、なんて考えてみたりもする。これだけあれば死ぬまで酒には困らないし、死ぬ時は間違いなく酒で死ぬ。

 いや、酒の行く末などどこでもいい。重要なのは出所だ。

 新・禁酒法厳格化の時分において、これだけの量の取締指定嗜好品の密輸──定規で測るまでもなく死罪だ。天に唾するに他ならない。

密輸品コントラバンド」素知らぬ顔で言うシオン。「掃き溜めに仕入れるの」

「厳格化の真っ最中だぞ。どこからこんなモン」

「わかんないかなぁ、おじさん。どうして地下なんか掘ったと思う?」

 シオンはあっけらかんと言ってのけて、鼻歌交じりに木箱の中身を漁り始める。お気に入りのシャツは一番手前、今日は気分じゃないからこっちのズボンは奥の方……そんな印象だ。罪だと知らずに触れているのとは勢いが違った。

 そいつはまるで、日めくりカレンダーをめくるときの手つきじゃあないか。

「おい、妖精野郎」

「シオンだよ。ただのシオン」

「お前、何者だ?」

 振り向いたシオンの半身が闇に融和して見える。妖精はあどけなく笑って答えた。

何者でもないミスター・ノーバディー

「茶化すんじゃねえ。なんだ? マフィアの息子か? 面倒はゴメンだぜ」

「あはは。どうかな。本当に妖精だったりして」

「……」

「どう思う?」

 強張るシュティードの表情。シドがケースに冷や汗を垂らす。たっぷりと間を空けてから、シオンは冗談っぽく笑ってみせた。

「言ったでしょ、父さんはただの研究職だよ。闇商人ボルサネリスタは兄さんのほう」

 してやったりという表情だ。シュティードは眉間を押さえた。乗っかっていようがぶら下がっていようが闇は闇なのだ。

「勘弁してくれ。海底掘って島外から密輸なんて正気じゃねえ」

「わお。やるね、おじさん。それ正解だよ」

「どこのどいつだか知らねえが、そんなでかいパイプ持ってる奴らに知られたら……」

「ビビってんの?」

「わかってねえなクソガキ。ヤバいのは俺じゃなくてお前だぞ。市街にバレたら一発で罰点清算組の仲間入りだ。ZACTはガキだろうと容赦しない。知ってんだろ」

 子供が嫌いなシュティードなりの親切心だ。そのつもりだった。だが子供は往々にして大人の思いには答えてくれない。

「大丈夫だよ。兄さんは僕のこと溺愛してるし、きっと賄賂でなんとかしてくれる」

 それに、とシオンは胸を張る。

「僕が自分で決めたことなんだ。尻拭いは自分で出来るようにならなくちゃ」

 シオンはそう言ってまた木箱を漁る。一度言い出したら意地でも聞かない、クソガキの中でも特に最悪なタイプだ。

 酒とドラッグはロックンロールと切り離せないものだ。だが何事にも限度はある。こんな大事とあってはシュティードは口を出せないし、手も出せない。そんな義理はないし、余地もないのだ。

「勝手にしろ。てめえの人生だ。後で痛い目見ても知らねえぞ」

「痛いうちはきっと大丈夫さ。本当にやばいのは、痛くなくなってからだと思う」

「だったらその時後悔しな」

 自己責任がシュティードのモットーだ──それは何事においても。加担もしないし、助けたりもしない。犯罪となればなおのこと。だから彼は踵を返した。

「犯罪ごっこなんかに付き合ってられるか。俺は帰るぜ。あばよクソガキ」

「なにさおじさん。いいものあげるよ。いらないの?」

「いい加減にしろ。俺はクスリはやらねえ。ドラッグまみれで空から降ってきた曲に価値があってたまるか」

「わお。ロックンロールにも喧嘩売るんだね」

 シオンが煙草のカートンを差し出す。砂漠を渡って随分経つが、鋼鉄のふたりには見覚えのないパッケージだった。白いパッケージにいかりのシンボルが記されている。

「……アーク・ロイヤル?」

「そう。パイプ・フレーバーの煙草。そのうち掃き溜めでも出回ると思うよ。値段は多分とびっきりだけど。あ、お酒は駄目だよ。それはもうおろし先が決まっちゃってるんだ」

 シュティードの手に無理やりカートンを押し付け、シオンはにっと笑った。

「あげる。電子マネーは投げ銭できないし、おじさん、口座とか持ってなさそうだし」

「俺は同情が嫌いだ。施しみたいな真似はよせ」

「はぁー。言うと思った。強情だなあ」

 憮然とした表情のシュティードがカートンを突き返す。そのたびシオンが一歩下がる。シュティードはまたまた歩を詰める。クソガキは両の手をしっかりと後ろで組んで一向に返品を受け付けようとしない。ちょこまかと身を翻しては、中年の足元を潜り抜ける。

「じゃあ、これはおじさんが僕から買ったってことにしといてよ。そんで、お金が入ったら返してくれればいいから。それなら文句ないでしょ?」

 シオンの方が先に折れた。これでも折れたつもりのようだった。妙に不満げなその表情に、シドが乾いた笑いを漏らす。

【もらっておけ。ガキは一度言い出したら聞かない。貴様もそうだろ】

「いちいち一言多いんだよてめえは」

【金が浮くのは事実だ。一箱七〇〇〇ネーヴルのご時勢だぞ。ワンカートンでしめて八万と四千ネーヴルの節約だ】

「…………」

【ガラクタ漁りもそろそろ頭打ちだろう】

 シュティードはついに根負けした。考えうる限り最大限の大人の対応だ。このボンクラのろくでなしの行動だと考えると、もはやイザクト事変に匹敵する一大珍事といえた。

 満足げに顔を綻ばせ、シオンは木箱から紙切れを取り出す。一面真っ白でインクがよくなじむ質感だ。それはそれは見事な契約書だった。裏面にメリー・ウィドウのヘアヌードさえプリントされていなければ。

「それでは領収書をば」

「一丁前にビジネスマン気取りか。いよいよどうしようもねえ」

「形から入るタイプだから」

「俺もそうさ」

 シオンは顎先にペンのキャップを押し当て、時折その赤らんだ頬にも突っ込んでみて、右へ左へ頭を傾けながらうんうんと唸る。野良猫も意味なくそれを真似した。

「なんて書こう? 〝おじさん〟は流石に駄目だよね。ねえ、名前教えてよ」

「ミスター・ノーバディーでいいだろ」

「それじゃ誰かわかんないじゃん」

 名乗る名前などあったものか。シュティードは自分の名を誇りの一つに数えている。クレイジー・ジョーの影を追うと決めた時からそうなった。そしてなり損なった以上、シュティード=Jジェイ=アーノンクールだなどとは死んでも語れない。百歩譲ってもJジェイは抜きだ。

 まさしく文字通り、何者でもないのだ。

「そのうち教えてやる」

「あっ、うやむやにして誤魔化す気でしょ。大人はみんなそうだっ」

「教えねえとは言ってねえだろ」

「だったらいつ教えるかちゃんと決めといてよ」

 いつもなにもあるものか。そんな日は来ないのだ。

「お前がマキネシア一有名なロックンローラーになったら教えてやる」

 シュティードは投げやりに答えた。対してシオンは真剣な表情で詰め寄る。

「言ったよ? 言ったからね? 絶対だからね? じゃあ、約束の握手しよ」

「くたばれクソガキ」

「なんなのその言い方!」

「黙れ。握手だとか杯だとかそういうのは、もっと言えば契約書も趣味じゃねえ」

「駄目だよ。言葉だけじゃいつか忘れちゃうかもしれない。体で覚えなきゃ。知ってる? 認知症の人が昔聞いてた音楽で記憶を取り戻して……」

「そんなモン、先進治療権でどうとでもなるだろ」

「そういうことじゃないよ。とにかく駄目ったら駄目。はい、手ぇ出して」

 シュティードはまた渋い顔をして、嫌々ながらに右手を差し出してやった。

「そうじゃなぁい!」叫ぶシオン。「おじさんそれでもロックンローラー?」

「何が違うんだよ!」

「左手! 左手で握手するの! その方が心臓に近いから!」

「いい加減にしろクソガキ、ジミヘンにでもなったつもりか!」

「約束は魂でするものなんだよ! 出来ないの?」

 木箱に頬杖を突き、憎たらしげに続けるシオン。

「へぇーそうなんだ! おじさんは自分の魂に約束なんて出来ないんだね! あぁーあ、僕がっかりだなぁー! 僕が知る限りロックンローラーは自分に嘘なんてついたりしないけどなぁー! おかしぃなぁー!」

 シュティードの頬が痙攣する。まるで俎上の魚だ。さあ次に出るのは罵倒か右手か、それとも左後ろ回し蹴りか。これでひとまず前科が一つ。

【してやれ、シュティード】

 意外にもシドがこれを未遂に終わらせた。

「なんだ、お前まで……」

【オレ様には手がないからな】

 大事なことのようにシドは言う。敗北への言い訳にも聞こえた。

【握手一つで未来が変わることもある】

 シュティードが捩れた前髪を吹き上げる。そんな簡単に未来が変わってたまるものか。変わらなかったからこんな場所にいるのに。

「約束だよ」念を押すシオン。「僕がマキネシアで一番のロックンローラーになったら、おじさんの名前を教えて。本当の名前を。絶対だからね。男に二言はないんだから」

 脳味噌が漏れてきそうだ。シュティードはたまらずこめかみを押さえる。

「でも、フェアじゃないよね。だからもう一つ約束する。おじさんがマキネシアで一番のロックンローラーになったら、僕のフルネームを教えるね」

「なんでそうなる?」

「気になるでしょ?」

「明日の天気よりはな」

「遠慮しなくていいよ」

「てめえはもう少し遠慮しろ。大体、一番ってのは一番だから一番なんだ。二つもあってたまるかよ。それじゃ約束を果たせるのは俺とお前のどっちか片方だけだ」

 シオンが真ん丸い目をぱっと開いて、気の抜けた瞬きを一度挟む。

「そっか。言われてみればそうかも。じゃあ、勝負だね」

 は、とぼけた声を漏らすシュティード。言うが早いか、シオンが彼の左手を握りこみ、深緑の眼光を真っ直ぐに見上げる。

「教えるだけなんてつまらないよ。僕とおじさん、どっちが一番のロックンローラーになれるか勝負しよう。で、負けた方が名前を教える。それでいいでしょ?」

「ちょっと待て。そいつは話が」

「はい約束した!」手を振りほどくシオン。「もう約束したよ。約束だからね」

「ざけんなクソガキ!」

「自信ないの?」

 シオンの口元が得意げに波打つ。まごうことなきクソガキの顔だ。クソの上にクソをまぶしてクソで揚げてもまだ足りない。

「男がすたるよ。逃げちゃうの? やめるならいいよ。僕が一番になるから。おじさんはずっと二番で僕を追いかけ続けるといいよ」

「ンだとこのクソガ」シオンの蹴りが股間を打つ。「キんっふ」

 走る電流、うずくまるシュティード。まるで懺悔だ。牧師気取りもそこそこに、シオンは野良猫をつれて駆けてゆく。

「またね、おじさん! 来週はルーム・サービスのリフだからね、忘れないでよ!」

「ま……待ちやがれこの……」

「ファッキンセンキューアディオスおじさん! ばいばーい!」

 遠のく足音を数えるうち、あっという間に妖精は闇の彼方だ。残されたシュティードはよろよろと立ち上がり、八つ当たり気味にニキシー管を踏み壊す。

「くそぁ! サノバビッチが調子に乗りやがって! あのガキいつか殺してやる!」

【いいね。それもいつにするか決めておくべきだ】

 足早に来た道を戻るシュティード。かかとはコンクリをブチ抜く勢いだし、肩もなんだか強張っている。地団駄だか早歩きだか分かったものではない。

【とんだビッグ・ゲームになったな。名乗りをかけた勝負だ。ブックメーカー風にいえばオッズはいまのところプラス六〇〇。厳しいぞ、これは】

「ガキの名前なんかどうでもいい」

【そいつはフェアじゃない】と、シド。【貴様の名前もかかっているんだぞ】

 何が名前だ。命に予備がある時代に名前もクソもあったものか。シュティードはスクラップのネズミを蹴っ飛ばす。

「山の天気じゃねえんだぜ。ステージには立たない、そう決めた」

【誰に誓った?】

「誰でもない。自分と話し合った結果だ」

【返事はあったか? 契約書はどうした? ちゃんと左手で握手したか?】

 シドは畳みかける。どうにも人を煽り立てるのが得意らしい。趣味としては最悪だ。

【ま、貴様もまだまだ若造だ。臆病にも尻尾を巻いて逃げるというなら止めはしない】

 だが、とシド。

【オレ様が知る限りシュティード=Jジェイ=アーノンクールという男は、約束を破る奴が嫌いなはずだったがな】

「……俺は同意してない」

【しゃぶっただけでも子供は出来る。契約書ってのはそういうものだ。はて……だったら惨めにも約束を投げ出した貴様を、一体どんな名前で呼べば……】

 梯子の下までやって来て、シュティードはその足を止めた。半開きになったマンホールの隙間、その奥にある空を見上げ、溜め込んだ下水道の臭気を吐き出すように息をつく。

「俺たちが辿り着いたのはこういう場所だ」

 シドは吐き出しかけた軽口を飲み込んだ。

「真っ暗で、陰鬱で、しみったれた……先も見えない……先があるのかもわからないような、どうしようもない……監獄みたいな場所なんだぜ」

【……そうかもな】

「もし……」

 嫌いな嫌いなもしもの話を、シュティードはぼうっと口にした。

「もし俺たちが勝っていたら……勝ってなかったとしても、負けてはいなかったなら……今の自分みたいな奴と、勝負しようなんて気になったか」

【……わからん】

「あのガキがやってんのはそういうことだ。なにが悲しくて、その日暮らしで廃品を漁るようなろくでなしなんかと……」

【わからんが、哀れなのは小僧じゃない。オレ様達のほうさ】

「だよな」

【そしてそいつは時代なんかの所為じゃない】

 シドは確かにそう言いきり、そうすることで逃げ道を断った。

【誰もが、じゃない。誰かが望んでいる限り歌い続ける──それがロックンローラーだ。たとえ、オーディエンスがただの一人だろうと、歌って、歌って、歌うのさ】

「人生ってのは」シュティードは控えめに笑った。「諦めの悪さが大事なのか、引き際が肝心なのか……どっちなんだろうな」

【それもわからん。わからんよ、なんにも】

 だから、とシド。

【人は確かめようとする。求めた答えが出るまでクジを引き続ける】

「……」

【箱の中の野良猫が生きているか死んでいるか──決めるのは神じゃない】

 確認だった。シュティードはぐっと目を閉じる。強く、強く、二度と開かぬように。そのうちまぶたが潤いに飽きて、ゆっくりと瞳の色を暴いた。

「勝負の中で死ねたらそれでいい」

【だろうな】

「だが」肩をすくめるシュティード。「どうせなら勝って死ぬ方がいい」

【ターキーがうまいからな】

「いつもそうさ」

 小さな微笑み。梯子を上る。がらんどうに鋼鉄の音。

【そういう日の酒が一段と上手くなる方法がある。知ってるか?】

「ボトルに七〇〇ミリも入ってる理由の一つだ」

【そういうこと】

 射した光。頭上に手を伸ばす。出口であろうとなかろうと。

【グラスは一つより二つだ】




 なあ、シュティード。わかっただろう。わかりかけているだろう。

 足りなかったものは、探していたものは──




   ◇




 負けたくない。あいつに負けるのだけはごめんだ。それ以上に勝ちたい……そういう心持ちでシュティードはギターと向き合った。

 シオンの成長速度には目を見張るものがある。二週経つ頃には雑音も減り、三週目には力強さを纏い、四週経てばインプロヴァイズに緩急を見出す。五を教えれば十を吸収し、十を吸収すればそれを二〇に発展させていった。

 増えていくリックの引き出し、広がるスケール展開への視野、精緻さを増していくピッキングと、豊かなチョーキングのバリエーション。

 まるで怪物の進化だ。胎児の成長を早送りで見ているような気分になる。持てる情熱と若さの全てを音楽に注ぎ、そして音楽もそれに応えているのだと──形なき何かの意志を感じずにはいられないほどの、目覚ましい進化だった。

 歌に関しても同じことが言えた。

 肺活量だけは年齢や体格の問題もあって、そう短期間に大きく変わったりはしないが、調子外れだったピッチは徐々に正確になり、換声点──裏声と地声が切り替わる境目も、無理なくスムーズにジャンプ出来るようになってきている。

 ファルセットはまだ弱々しい。だが、シオンの水晶みたいな声にはそれが似合っていた。バラード・ナンバーを歌わせればシュティードよりも正直に響く。

 シュティードが教えた、カントリー風味の、ある一曲……クレイジー・ジョーの題名なき未公開楽曲を、シオンは特に好んだ。

 シュティードもまた、シオンがその曲を歌うことを好んだ。平坦で、一辺倒で、目だった展開や派手なリフ・ワークもない、砂漠……そう、あてどなく広がり続ける砂漠に似たその曲は、小細工のない少年の声がよく映えたのだ。

 不安と希望を胸に、相棒と砂漠を渡る曲。そのリリックも、サウンドも、まるでシオンを待ち望んでいたかのようにぴったりと当てはまった。この曲はきっと、こういう演奏の為に生まれたのだ。

 なによりそこには、シュティードに足りないもの……グルーヴなる魂の揺らぎが存在した。時には突っ込み気味に、時には遅れ気味に……音楽という生き物の心臓を左右する、ビートとしての豊かな感情表現だ。

 シュティードにとってそれは心底憎らしく、妬ましく、そして誇らしいことだった。


 一度だけ、夕暮れを過ぎてもシオンが帰らないことがあった。何を話しても上の空で、答えを煙に巻くようにギターを爪弾くのだ。

 シュティードはクズだが鬼ではなかった。何があったかをいちいち聞いたりはしないし、その日に限っては無理に帰すこともしなかった。自分自身、そういう心情に置かれた経験が何度もあるからだ。

 あたりはつく。ギターを弾いてるのがバレたとか、将来のことについて口うるさく言われたとか、そういう類のものだろう。

 そしてシュティードが知る限り、ギターとは、音楽とは、そういう時にこそ必要なものだ。言葉にし切れぬ感情をアウトプットするための、巨大な蛇口だった。

 俯きがちなシオンが奏でるコードワークに合わせ、シュティードは無言でインプロヴァイズを合わせ始める。そのうち、どちらともなく八小節ずつでバッキング・パートとソロ・パートを交代するようになって、いつしかそれは一つのセッションに変わった。

 そこに言葉はない。だがそれは確かに言語だった。二人の間には、音楽によるコミニュケーションのみが存在した。そういう夜だ。シャッフル・ビートにブルース・スケールがよく似合う、そういう夜だったのだ。


 名もなき音楽が〝砂漠の星〟と名付けられたその夜、彼らは本当に砂漠の星だった。

 暗天の中、無数に散りばめられた星々。輝くものは数あれど、彼らはその中でも一際に強く輝き、半音下げのギターの音と天まで届く歌声でもって、思いの丈の全てを叫んだ。

 時でも神でも他の誰でもなく────決めるのは俺たちだ、と。

  



   ◇




 ある、レッスンのない日のこと。それが全てを変えた。鋼鉄の二人を取り巻く時の流れというものは、およそその日の雲間に集約されていたのだと思う。

 煙草の銘柄をアーク・ロイヤルへと鞍替えしたシュティードは、いつもと同じ路地裏で、いつもと同じ煙草をふかし、いつもと同じ体勢で、いつものように寝転がっていた。

 要するにその日は、雲の速さも風の温さも、なにもかもいつも通りの日だった。起伏なく綴られた譜面の中で、ずっとずっと繰り返している小節の一部だ。

 そうして続けてきた繰り返しが、その日の午後にぱったりと途切れた。

「時の流れは一つの波だ」

 寝転がるシュティードの傍に立ち、声の主はそう言った。

 シュティードは薄目を開ける。逆光で顔がはっきりとうかがえない。長髪と体の凹凸、それと声色から、女であるということだけは分かる。二〇半ば……いや、三〇代。妙に落ち着いた声だ。

「上れば下る。下ればまた上る」女は続けた。「そういう流れが存在する」

「スピリチュアルならよそでやれ」

 そう吐き捨てて、また目を閉じるシュティード。シドは女をいぶかしみながらも、じっと黙り込み、ハードケースの模様であることにつとめた。

 だが、野良猫は。にゃあごにゃあごと大合唱を続けていたスクラップの野良猫達だけは、女を取り囲むように後ずさり、じゃらじゃらと喉を鳴らす。

「歌うたい。君は音楽の力を信じるか?」

「興味ねえな。黙って失せろ。俺はいま機嫌が悪い」

「機嫌のいい日などなさそうだが」

 女は鼻で笑った。そうしてみただけだろう。どうせ目元は笑っていない。

「メイだ」と、女。「メイ=カルーザ。人は私をそう呼ぶ」

「はん。ついたあだ名は〝五月病〟か」

「〝負け犬工場〟さ」

 らしいあだ名だ。そういう声をしている。

「誰だか知らねえが、人を見下してる野郎に名乗る名前はないぜ」

「下にいる君が悪い」

 鼻持ちならない。シュティードは露骨に顔をしかめ、帰りを促すように溜息をつく。だが女は退かなかった。

「金に困っているそうだな、シュティード=Jジェイ=アーノンクール」

「……なんで知ってる?」

「そのナリを見ればわかる」

「金じゃない。名前のほうだ」

「だからそう答えた。ネクタイを締めて歌っているロックンローラーがいると聞いてね。替えの服は持ってないのか?」

「いちいち服の趣味を変えたりはしねえ。これが一張羅だ」

「公務員のようなことを言うんだな」

「あぁーそうだ。ZACTだったぜ。どうせ知ってんだろ」

 誰だこいつは。いや、誰でもいい。まともじゃないことだけは確かだ。

「回りくどいのは嫌いだ。てめえは誰だ。ZACTの人間か? 俺を連れ戻しにでもきたのか? それとも頭のネジを外しにきたのか? その口ぶりじゃてめえの頭のネジは外れちまってるようだがな」

「風穴を開けたい」

「俺の頭に? 好きにしろ」

「時代にだ」

 それに、とメイ。

「シュティード=Jジェイ=アーノンクールにではなく、一人の歌うたいに用がある」

 メイが手を差し出す。シュティードは薄目を開けた。

 生身じゃない。鋼鉄の右腕だ。サイボーグか、アンドロイドか……どちらでもいい。問題は、その手に握られている紙切れだ。紙幣によく似た大きさだが、死んだ大統領の顔はうかがえない。

 シュティードの口が半開きになる。シドまでうっかり瞳を開いた。

 その紙切れの正体が、人々を演奏の場へと誘う、見覚えのあるチケットだったから。

「ギグだ」メイは笑った。「ギグに出ないか、歌うたい」




 ある、レッスンのない日のこと。それが全てを変えた。鋼鉄の二人を取り巻く時の流れというものは、およそその日の雲間に集約されていたのだと思う。

 砂漠の後光に陰る顔。鋼鉄の腕を持つ女。差し出されたそれが、待ち続けていた奇跡であるかどうか────決めるのは、誰だ?






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