Rewind the time #4 -Same difference-


   ◇




 それから二週間、シオンは毎日夕暮れと共に訪れた。決まって午後四時ちょうどに現れて、文句を言いながらもシュティードの教えに従って、七時になると帰ってゆく。地下道でも通っているのだろうか、来る時は大体マンホールの中から現れるが、帰りにどこを通るのかは知らない。先に背を向けるのはいつもシュティードだからだ。

 少年シオンについてわかったことは三つ。市街暮らしであるということ、学校はサボりがちだということ、親は多忙な研究職で一人になりがちだということ……そして──そして、とことん口も諦めも悪く、グレーなものに惹かれてやまない、たいそうなクソガキであること。

 これはまさしくシュティードが求めた〝世代の継承〟作戦オペレーション・ニューエイジの製品サンプルみたいなものであった。口を開けば親と市街と学校の愚痴ばかり、テストの点数などクソ食らえ、右ならえの世の中に中指を立て、自分こそはと息巻いてみせる。ジョークなんかも挟んでみて、皮肉な言い回しを好むのだ。

 それはまるで、かつてのシュティードそのものであった。

 シュティードは人の心の機微にとにかく疎い。悲劇のたぐいに関しては特にそうだ。彼はいつだって遥か高みから俯瞰している。出会った人間を、その裏にある悲喜こもごもを、ひいては自分の背中さえも。

 彼にとって人生の記録というのは一本のシネマである。全ては視界に再現された一繋ぎのフィルムであり、自分は画面の向こうからそれをただ眺めているだけだ。登場人物の美学や姿勢に共感を覚えはしても、そいつが抱えた背景にマジな顔つきで没入して涙したりはしない。自分のことでさえそうなのだし、他人の心情など理解にはほど遠かった。

 そういう意味で言えば、シュティードはシオンという人間に対して既視感を覚えたが、それはなにも自己の投射などという大層なものではなく──そういえばこんな考えの奴がさっきのシーンにも出てきたな──そういう漠然とした感覚だった。

 要するに彼は、シオンに自分の姿を重ねたりはせず、またその精神を育むに至った背景にも極度な肩入れはせず──極力そう努め──そこにただ結果としてあった反骨精神のみに同調し、自らもまた自分の中のそれだけを掬い上げてシオンに接した。

 そうしなければ、ギターを教えるその指に余分な邪推が混じってしまいそうだったし、

もし実際にそうなれば、きっと自分と同じ末路を辿らせてしまうに違いない。行き過ぎた自己投影はシドのあとを辿るだけだと理解していた。

 対等……どこまでも対等でなくてはならない。それは競争だ。シュティードはまさしくライバルと相対するがごとく少年にのぞんだ。

 馴れ合いは好かないのだ。だからそれは、彼にとって最も心地よい距離感だった。

 自然とシュティードもギターに触れる回数が増えた。といっても、さあ練習するかと意気込むわけではない。今日はどこまで教えたから、明日はここから教えなければいけない……となるとポイントはそことそこで、あれ、そういえばここの運指はどうやっていたんだっけ……そんな調子だ。 

 それでも弾かないよりは遥かにマシだ。演奏する者にとって、毎日楽器に触れることほど重要なことはない。教えてはじめて分かるあらや甘さが浮き彫りになり、それを補うべくシュティードはシドと向き合い続ける。

 なり損なった男は過去を清算するようにギターを教え続け、そして皮肉にも、そうすることによって未来へ一歩、また一歩と近付いていった。

 足跡は二人分だ。だが歩幅は違う。男は男なりの歩幅で、少年は少年なりの歩幅で、どちらも自らの為にのみ日々を過ごしながら、しかし瞳は同じ常磐ときわの彼方を見ている。

 独りで生きるシュティードにとって、同じく独りでありながらも共属意識を持てる相手……つまりシオンは、彼のシネマになくてはならないものだった。

 この感覚の中にこそ、終わらない旅は存在するのだと──そう思えるほどに。




   ◇




 シオンが通い始めてから十五度目の夜、シュティードが嫌な予感を煙に変えて吐き出していた頃に、ご無沙汰だった厄介ごとは訪れた。

「なーんか嫌な予感がしよるなあ」

 宿屋〝イモーテル〟の管理人、ロジャーはもうすぐ七〇になる。左耳はほとんど聞こえない。寝たきりの妻のため、育ち盛りの孫のため、あるいは先立った親不孝な娘のため、今日もあくせくとこの小さな宿を一人で切り盛りしていた。

 切り盛りといっても、大半はこうして一人でロビーで油を売るだけである。もちろんいくら売っても金にはならない。

 彼の仕事は待つことだ。客さえやってきてしまえば、後はどうぞご自由に……歳から来る体の痛みをかんがみた素朴な仕事と言える。清掃用のロボットでも掘り出せればもう一回り楽が出来るのだが、高望みはしない。

 よわい七〇ともなれば悪寒の正確さも並大抵ではない。年の功が成せる業である。ちょうどロジャーが頬杖を突いた瞬間、団体客が扉を押し開けてぞろぞろと雪崩れ込んできた。

「……」

 十四人。ロジャーは瞬時に数えた。これも年の功がなせるわざだ。続いて連中の格好──白いスーツに水色のネクタイ、腰には粒子銃を収めたホルスターという姿を見るなり、一人残らずZACTザクトの職員であると理解する。これは別に年の功というわけではない。奴らのド派手なイエローのサングラスを見れば、そいつに含まれるビタミンCはレモン何個分だと問いたくもなろう。まあ、聞いたところで今更健康に執着する歳でもない。

 代表格あたまと思しき垂れ目の男がカウンターの前に立つ。ロジャーは先手を取った。

「セミダブルで良ければ空いてるよ」

「慰安旅行に見えるか、ジジイ」

 そらきたこれだ。市街の連中には余裕が足りない。掃き溜めのモーテルの管理人と違って、公務員なんだから給与も安定しているだろうに、どうしてそんなに行き急ぐのか……。ロジャーは肩をすくめた。なにも面白くはなかったがとりあえずそうしてみた。

 垂れ目の男は手元の時計を弄る。ジー・ウォッチとかいう市街の最新デバイスだ。身分証と思しきホログラムにZACTの紋章が窺えた。

「国家電脳戦略特区都市所属、ZACT第三分社嗜好品取締執行官……ウィンチだ。ウィンチ=ディーゼル。ミスター・ウィンチと呼んでくれ」

「はあ」ロジャーは口を開けた。「そりゃご丁寧にどうも」

「おいおい。掃き溜めの猿は名乗り方も知らねえのか」

 ロジャーは困った。そんなことを言われたって、ジー・ウォッチなんてローテクだかハイテクだかいまいちわからないアイテムは掃き溜めに流通していないし、他に身分証と呼べるものは持っていない。

「ロジャーだ。ロジャー=ホーキンス。冷やかしなら帰ってくれ」

「冷やかし? 馬鹿言え爺さん。賑やかしに来たんだよ」

 友人への挨拶みたいに言ってのけ、ウィンチは薄紫の髪をかき上げる。遅れて入ってきた職員の女性が、その得意げな横っ面を平手で張り倒した。

「馬鹿! そういうやり方は駄目だって!」

「てめぇキーラ」女性を睨むウィンチ。「何様のつもりだ!」

「上司サマですけど! なんか文句あるか? おん?」

 女性はそう言うなり肩ほどの髪を整え、ホログラムの身分証を提示する。あんまり彼女の胸の主張が激しいものだから、ロジャーは身分証どころではなかった。

「あのあの、部下が失礼しました。同じく第三分社粒子取締執行官、キーラ=ヒングリーですっ」

 ウィンチより頭三つほど低い身長で、そのうえ低姿勢に一礼するキーラ。重力に従って贅沢な双丘が揺れた。ネクタイに緩みがないのが嘆かわしい。

 お嬢ちゃん……人の名前を覚えるのは苦手なので、ロジャーはそう覚えることにした。

「おい、おいおいおい」ウィンチが口を挟む。「言葉は正しく使えよキーラ。オレがいつお前の部下になった? 配属時期は一緒じゃねえか」

「黙ってくださいっ。仕事覚えたのは私のほうが先です。わたし先輩あなた後輩。わたしが鶴であなたが亀です。言ってる意味わかります?」

「……いやぁ」ウィンチは苦笑する。「正直後半はよくわかんねえが」

「とにかく勝手に動かないで下さい。私の言うことちゃんと聞いてくださいっ」

 キーラは真剣に訴えるが、甘ったれた顔つきのせいでどうにも締まりがない。他の職員と比べても幼く見える。

「……それで」咳払いして割り込むロジャー。「ZACTけいさつが何の用かな」

 キーラを右手で払いのけ、ウィンチが詰め寄った。

「赤毛の歌うたいを泊めたな。妙なギターを持ってる奴だ。このご時勢にロックンロールを歌ってるってぇ時代遅れのイカれた野郎だよ」

「さぁ……泊めたような泊めなかったような……ジジイだし記憶が曖昧だぁな」

 ち、わざとらしい舌打ち。それに続いて凄みかけたウィンチをキーラが足蹴にし、カウンターの前ににょっきりと割って入る。

「あのあの、楽器を探してるんです。濃度六〇パーセント級の違法粒子管を積んだギター。それを持っている方がここに出入りしてるとうかがったんですけど……」

「ほう。ギター?」

「そうです。詳しいことは言えないんですけど……えっと……とにかく危険なものなんです。凶器にもなりかねないっていうか……われわれZACTが責任をもって回収を……」

「……ほーうほうほうほう」

「……聞いてます?」

 ロジャーはキーラの顔をまじまじと見た。くりんとした睫毛、コンマ二秒。チャーミングなそばかす、同じくコンマ二秒。そしてダイナマイトなおっぱいに五秒。要するにほとんど胸にしか目がいかなかった。ロジャーが七〇歳だから五秒で済んだのだ。

「あの……」

 キーラが眉をひそめた。疑念ではなく軽蔑から。

「どこ見てんですか?」

「たしかに危険だなあ。凶器にもなりかねん。実にけしからん」

「訴えますよ」

「掃き溜めに法律はねぇよ。それでギターがなんだって、お嬢ちゃん」

「乳に喋んな!」胸を隠すキーラ。「ギターっていうか……赤毛の歌うたいを探してるんです。褐色の肌で、そう、ちょうどこいつぐらいの身長らしいんです」

 キーラはそう言ってウィンチを指す。

 ロジャーは髭を弄った。なるほど、このみょうちくりんな間の抜け方から察するに、こちらのお嬢さんはZACTに向いていないらしい。

 気の毒ついでに推測すれば──このお嬢さんにこの仕事の指揮権が与えられていて、キレ者の風格を隠しきれない男の方が補佐についているのだろう。 

 後ろにあるのは都合の悪い裏事情、後に控えるのはその発覚と善良なる職員の懐疑……そして防ぐべきは暴露と告発……万が一の為の尻尾切りか、それとも事の次第は頭も知らず、蜥蜴とかげの舌ごと葬られるのか……ロジャーは白髪に覆われた脳味噌をざっと回転させ、極力面倒なことにならないよう話の桿を握った。

「すまんなぁ、お嬢ちゃん。誰を泊めたかなんてぇ、律儀に覚えたりはしねえんだ」

 キーラはむっとした。彼女がいくつだか知らないが、ロジャーの目にはそれが年甲斐もない仕草に映る。だが可愛いのでよしとする。彼はそういう男だしいつまでも男だった。

「若いと思って馬鹿にしてます?」キーラは不満げに詰め寄った。「たしかに私、実務経験は浅いですけど、あなたの言うことが嘘かどうかぐらい分かります」

 少なくとも本人はそのつもりのようだから、ロジャーは呆れた様子で肘をつく。

「赤毛の野郎なんてなぁ、マキネシアには腐るほどいるぜぇ」

「でもギター持ってるんですよ! しかもワイシャツ姿で! そんなびっくらぽんな見た目の人、そうそう見ないはずです! ふつう、記憶に残りません? だっておかしいじゃないですか。掃き溜めでネクタイ締めてるんですよ? 会社もないのに」

「そんなこと言われてもなぁ、お嬢ちゃん。あんたは若いから知らないかもしれんが──マキネシアが技術開発用の海上フロートなんてのは嘘っぱちだぜ。いや、やってることはその通りだが、そんなにクリーンなもんじゃない。あぶれた移民と非労働者、それから社会復帰が困難な犯罪者を強制労働させる──言ってみりゃ収容所みたいなモンだぁな」

 咎められたような気がしてキーラはますます顔をしかめる。

「知ってます。馬鹿にしないでくださいってば。何が言いたいんですか」

「色んな奴がいるってことさ」ロジャーは笑う。「赤毛がいりゃあ金髪もいる、ドイツ人がいればイギリス人もいる。これはイザクト事変の前からそうだ。それが、街の外側一輪が砂漠になっちまったせいで、今じゃ文字通りの無法地帯。ワイシャツ姿でレスポールを持ってようが、キャミソール一丁でシトロエン乗り回してようが、そんな奴は珍しくもなんともないし、誰もそんなこと気にかけやしない」

「…………」

「街を見てみな」

 ロジャーは顎先で入り口のほうを指す。ガラスの向こうには大通り。鉄骨はあらわ、壁はひびだらけで並んだ建造物の一群は、作りかけのジオラマみたいにちぐはぐだ。

「イザクト事変から七年経ったが、ようやく復興が勢いを見せはじめたばかりだ。資源もろくにねえんだぜ。砂の中から町の残骸を掘り出そうにも、まず掘り出す重機を作るところから始めなきゃならねえ。なぁお嬢ちゃん、わかるだろ? 周りを見てる余裕なんてねえのさ。みんな、自分のことで精一杯だからな」

 これは本当のことだ。ただ、ギターを持った赤毛の歌うたいとかいう奴が、否応なしに記憶に残ってしまっただけのことで……。

 街の都合まで引き合いに出されてはキーラに返す言葉はなかった。別に彼女のせいだというわけではないが、警察が掃き溜めの法整備を放棄したのは事実だからだ。

 一方、キーラとは違う理由でZACTの連中も攻めあぐねているようだ。落ち着きなくロビーを行ったり来たりしているだけで、我先にと乗り込むような気概は見受けられない。

 そりゃそうだろう。こんな掃き溜めで──よりにもよって隠れ家にうってつけのモーテルで──片っ端から部屋の戸を開けて回ったりしたら、余計な厄介事が飛び出てくるのは火を見るより明らかだ。

 市街の働き蟻には余裕が足りない。ウィンチは身をもってそれを証明……しようとしたかは定かではないが、だん、とカウンターを叩いてロジャーに詰め寄った。

らちが明かねえぜ。宿泊客の名簿を寄越しなぁ」

「なに? 馬鹿言うんじゃあねぇよ。顧客のプライバシーに関わる」

「そうかい」ウィンチはロジャーに粒子銃を向けた。「ならてめえらの郷に従うぜ」

 粒子対応セラミックの白いボディに三連回転弾倉トリリボルバーのオーソドックスな携行用だ。われこそは地獄の番犬というわけである。

「ばかぁーっ!」

 キーラがウィンチを蹴っ飛ばす。両脚に助走のおまけつきだった。

「頭つかわんかぁ! そんなことしたら聞きだせるものも聞き出せないでしょうがあ!」

 ウィンチはゆらりと立ち上がる。彼は彼なりの流儀でやりたいようであった。

「いい加減にしとけよキーラぁ! いちいち人の仕事を邪魔しやがって!」

「お前が私の仕事を邪魔しとんじゃあ!」

「黙れクソアマ! 俺は俺のやり方でやるんだよ。てめえのやり方じゃ日が暮れちまう。大体そんな甘い考えで聞きだせるわけねえだろ。ここは掃き溜めだぞ」

「なんでもかんでも暴力で解決しようとする方がよっぽど甘いと思いますけど。いいから勝手なことしないでください! そういうやり方、古いんですよ! 頭が固いんです! 固すぎ! あなたと違って私は頭が柔らかいんです! 柔軟なんですぅ!」

「おーおーそうかい、神様が間違って乳袋ちちぶくろに脳味噌詰めちまったんだろうよ」

「はぁ! 私が詰め物してるって言いたいんですか! じゃあ揉みます? ほら揉めよ! 揉んで詰め物かどうか確かめてみろオラァ!」

「ええいめんどくせえ、いいからさっさと名簿を出せ。でねえと──」

 解除されるセーフティ。ロジャーの眉間に銃口が口づける。

「──てめえが地獄の名簿に載っちまうぜ」

 滑稽にもウィンチは得意げである。キーラが引き気味に一歩下がった。

「うわっ出た、時代遅れのジョークマニュアル……寒ぅ……。鳥肌総立ちスタンディングオベーションだわ……」

「黙ってろクソアマァ! こういう台詞は男のロマンなんだよ! いいからさっさと名簿を出しな、じじい。今の俺はそうとう機嫌が悪いぜ、見りゃわかんだろ? なあ?」

 息巻くウィンチ。地獄の名簿もなにも、どうせ近いうち載るしなあ、などとロジャーは思ってみたりする。しかし赤毛の歌うたいはまだ宿代を払っていないではないか。いやいや、かといって撃ち合いで部屋を滅茶苦茶にされるのはごめんだし……。

「よしたほうがいい」考えた末にロジャーは言った。「厄介な客がたくさん泊まっとる。お前さん達みたいな下っ端じゃ逮捕できないような大物もだ。撃ち合いはごめんだよ」

「ですよね!」キーラがぶんぶんと首を縦に振る。「私もそう思います!」

 ウィンチは鼻でせせら笑った。どうにも噛み合わないコンビのようである。

「バァカ、賞金首をブタ箱にぶち込むのはてめえら掃き溜めのお家芸だろ。今日は密輸だのポルノだのの取り締まりに来たんじゃねえんだよ。いいから名簿を寄越せって」

 ロジャーはなおも渋る。部屋一つが清掃必至の前衛芸術になるのは時間の問題だった。

「おい」ウィンチが痺れを切らして叫んだ。「粒子貫通爆弾I.P.B持って来ぉい」

「だから!」またキーラが割って入った。「どうしてそう野蛮な手段に!」

「うるせぇ黙れ。こちとら国家権力だぞ」

「なおさら駄目でしょうが! ほら謝って!」

「謝罪で済んだら警察はいらねえし警察に謝罪はねえんだよ」

「あのね! あんたみたいな奴がいるからZACTは野蛮だとか言われて……」

 ウィンチが痺れを切らした。間接照明のケーブルを引っこ抜いて、口元からキーラをぐるぐる巻きにする。蓑虫みのむしみたいになった彼女はソファの上へ倒れこんだ。

「むがががが」

「黙れ。てめえがいるとシリアスにかびが生える」

「むがあああああ」

「仕切りなおしだ」

 ウィンチはまたロジャーに銃口を向ける。間違い探しというわけではないようだ。

「いいか、これが最後だ。名簿を出せ。でねえとマジにモーテルごとぶっ飛ばすぜ」

「待て待て、それは困る。ばあさんを一人には出来ん。孫もいるんだ」

「そうかい。孫によろしく頼むぜ」

 自分の孫をこんな人間にしてはいけない……ロジャーは胸に固く誓い、バインダーに挟んだだけの薄汚れた紙束をウィンチへ差し出す。

 元ホテルマンのロジャーとしてはまこと遺憾な結果であった。どこで人生を間違えたのだろう。そもそもどうして掃き溜め落ちなんてしてしまったのだろう。あの頃は良かった。やはり、秘密の有料オプションつきマッサージをホテルぐるみで行っていたのがいけなかったのだろうか。おかしい。誰も損なんてしていないはずなのに。

「……あぁん?」

 名簿を見るなりウィンチの眉間に皺が寄る。誰の名前も記されていない。部屋番号と思しき数字とアルファベットの羅列が続くだけだった。

「客の名前は聞かないことにしてる。その方が面倒がない」

 ウィンチは〝Jジェイ〟と書かれた宿泊客にあたりをつけた。見たところアルファベットは規則的な並びではないので、客が好きなものを選ぶのだろう。そうでなかったとしても不遜極まりない赤毛の歌うたいならば、自分の名に組み込んだアルファベットにこだわりをしめすはずだ。

「三〇三号室を調べろ」

「はて、三〇三ならチェックアウトしたような……」

「てめえは黙ってろ」

「むがああ」キーラはなおも叫ぶ。制止しているようだ。「むががああああ」

「てめえも黙ってろ。オラいくぞ野郎ども」

 白スーツの群れが連れ立って階段を上る。これはまずいとロジャーもウィンチに続いた。この男、垂れ目の分際で頭は中々キレるようである。

「待て待て、マスターキーならここに……」

 鍵をちらつかせるロジャー。返事は廊下いっぱいの銃声だった。鍵もへったくれもなく扉越しに粒子の弾丸をばら撒いたのち、ウィンチは銃を見せつけて言う。

「間に合ってる」

「くそったれ」

 顎先で扉を指すウィンチ。銃を構えた職員達が部屋に雪崩れ込む。さあ撃ち合いかとロジャーは身構えたが発砲の様子はない。

 ウィンチに次いで部屋に入ってみる。もぬけの空という奴だ。特に変哲はなかった。蜂の巣同然の壁とベッドとソファ、それから外枠だけになったガラス窓を除いては。

 ロジャーは震えた。ZACTけいさつの容赦のなさに……ではなくただただ赤字に震えた。

 職員達は手当たり次第に部屋を漁る。浴槽、トイレ、ベッドの下、挙句の果てには冷蔵庫の中まで覗く始末だ。貴様の親は冷蔵庫で寝るのかと言ってやりたいが撃ち殺されそうなので胸にしまっておく。

「どこに隠したぁ?」

 ウィンチはロジャーに銃を向けた。かくれんぼのルールも知らないのかと言ってやりたいが、こいつは本当に撃ち殺しそうなので特に厳重に胸にしまっておく。

「だから、とっくにチェックアウト済みだよ」

「いい加減にしろじじい、宿ごと燃やすぞ」

「こっちの台詞だ。しわ一つないベッド見りゃあわかるだろ。清掃済みだ」

「見ろ」ウィンチは足元を指した。「煙草の灰だ。見落としたか?」

「流れ者が大勢泊まりに来るんだ、小さな灰なんかに時間を割いてる暇はない」

 ロジャーはてきとうにはぐらかした。後者は事実だが前者は嘘だ。そんなに儲かってはいない。なんなら後者だって面倒だからしないだけである。

「シャワーには痕跡ありません」職員の一人が言う。「トイレも。清掃したのは確かなようです。新品同然だ」

「はぁん。マジかよクソったれ。そいつは妙だな」

 ウィンチはいい加減に返事を返し、トイレの扉を閉めてロジャーに向き直る──かと思いきや、振り向きざまに粒子銃を冷蔵庫へと向けた。

「酒の臭いがしてんだよ!」

 そして発砲。青ざめるロジャーと青い光弾。五発、六発、七発……十発を超えたあたりでウィンチは撃つのをやめた。穴だらけの冷蔵庫は煙こそ上げているものの、当然ながら中に人影は見当たらない。そもそも人ひとりが隠れられるサイズではなかった。

「……」

「あの……」職員がおずおずと問う。「……ウィンチ準隊長……?」

 職員の一人、若い男がおずおずと右手を挙げる。アーリー・タイムスの茶色い瓶が握られていた。どうやら中身は空のようである。

「これの臭いでは?」

「どこにあった?」

「ベッドの下に……」

 撃たれ損の冷蔵庫に合掌。ウィンチが間の抜けた顔で銃を収めた。

「買い換えろ。潮時だった」

「えらいモンだな、公務員てぇのは。謝罪ぐらいあってもいいだろ」

「だから警察に謝罪はねぇってんだよ」

 誤魔化すように笑ってみせ、ウィンチは今度こそロジャーへ向き直る。

「正直に答えな。奴はいつここを出た?」

「一昨日ぐらいだな。Cブロックに向かうってぇ、朝早くに出てったよ」

「そうかい。こいつはどうしたことだ。じじいの割りに物覚えがいいじゃねえか」

 ロジャーは黙した。この男、やはり頭はキレるらしい。垂れ目の分際で。

「本当にここを出たんだな?」

「……同じことを何度も言わせるんじゃあねえよ。耳が遠いぜ若造」

 昔の血があんまり騒ぐものだから、ロジャーはついに言い返した。結局こうなるのだ。これが掃き溜めにあるただ一つの流儀だ。納得したようにウィンチが脂下やにさがった。

「おーおー。さすがはスクラップフィールド。場末ばすえのじじいでこの目かよ」

「それもとびきりの老眼だ。最近よく見えなくてな」

「あぁん?」

「うっかり──」ウィンチの腹に何かが当てがわれた。「撃っちまうかもしれねえぜ」

 銃だ。ジャケット越しにロジャーが突きつけている。細まるウィンチの目、一斉に銃を構える十余人の職員達。緊張だけがこの場の舵を取っていた。

「……アルツハイマーもほどほどにしとけよ、じじい」

「老いぼれに失う未来はねえさ。だが若者はどうだろうな」

 銃口を更に押し込むロジャー。ウィンチが目線で職員を制する。

「……はん。まったくガキと年寄りってのは何をやらかすかわからねえ」

 ウィンチは銃に目線を落とした。見慣れない形だ。ステッキじみた長さの青黒い銃身をもつ回転式拳銃リボルバー。十二インチか……ともすれば十六インチ……掃き溜めお得意の早撃ちには向きそうにないフォルムであるが、なるほどこの距離で銃身をぴたりと宛がえば老人でも外しはしない。

「バントライン・スペシャルだ」ロジャーは得意げに言う。「ここに来る前はワイアットアープに憧れてたもんさ。まあ、伝説が嘘か本当かなんてのは……今更どうだって」

「なんだ? なに言ってやがる?」

「知ってるかぁ、知らねえよなあ。よく聞けデジタル世代。この銃は四十五口径だ。弾丸は大体秒速三〇〇メートルで飛び出して、てめえのはらわたに風穴を開ける。この距離なら火傷のおまけつきで後ろの壁まで突き抜けるぜ」

「てめえ……」

「よせよ、謝罪なんかいい。どうせ穴が一つ増えるだけだ」

 凄むロジャー。彫りかけの彫刻を想起させるのは、頬に刻まれた無数のしわか……それとも奪うことに慣れたもの特有の、色味に欠ける暗い瞳か。

「命は大事にしな。特に掃き溜めではなぁ。次この街に踏み入ったら──ああ、どうなっちまうんだろうな。とても言えねえ。馬鹿馬鹿しさにお釣りが来るぜ」

 老い先が短いから強気に出たというわけではない。これは恐らくこの男の性根の部分だ。そういう道理の中で生きてきたのだろう。ウィンチはそう類推し、彼なりに一定以上の敬意を払ったつもりで、とどめを刺さんとセーフティを外す職員に待ったをかけた。

「よせよ。年寄りは大事にしねえとな」

 ロジャーは銃を下ろす。ウィンチは背広を正す。最後に職員達が銃を下ろす。緊張は霧散した。やはり誠心誠意訴えれば物事は話し合いで解決できるのだ。

「んあぁ、一つ言っとくぜ爺さん」

 ウィンチがロジャーの手を掴み、銃口を自分の腹に当てて引き金を引かせる。がいん、と鋼鉄が打ち合う音がして、ウィンチの背広に穴が開いた。おまけの火傷はジャケットの繊維を焦がしただけで、そこにはひしゃげた鋼鉄のボディとめり込んだ弾丸が残るばかり。

「俺ぁアンドロイドだ。次は心臓を狙えよ。馬鹿馬鹿しさにお釣りが来るぜ」

 ウィンチは笑った。プログラム通りにそうしてみせた。上手くできたと自分では思う。しかしロジャーの瞳に映ったその表情は、想像だけで描かれた繊細な人物画のような──生気を欠いた人ならざる者のそれであった。

「なんなのこれぇー!」

 追ってきたキーラの甲高い一声がシリアスにかびを生やす。髪がぼさぼさだ。これでようやくほんとに修羅場はおしまい……そういう感じがしたからロジャーは銃を収めた。

「おら行くぞバカ」

「バカはお前だ!」ウィンチに掴みかかるキーラ。「発砲するなってあれほど!」

「お前の監督不行き届きだ」

「あーシャツに穴開いてる! なんでそうなるの? 意味わっかんないし! どうせまたカッコつけるためにやったんでしょ! オレはアンドロイドだぜっ……とかいうやつ! さっむ! だっさ! ほんとアンドロイドはこういうところが駄目なんだよなあ!」

 キーラはそう言って腕を組む。組んだ腕に沿うように豊満な乳が潰れた。ウィンチはアンドロイドなものだから乳には興味を示さない。歳相応に落ち着きを欠いた小うるさい小娘のさえずりに、なんとも人間らしく耳を塞いでみせる。

「カートリッジ代なら経費で落ちるだろぉ」

「そうじゃなくて! 掃き溜めの人にも生活とかそういうのが……」

「知るか。オラ終わりだ終わり。一件落着。後は隣のブロックの管轄にまかせっぞ」

「仕事なめてんですか?」

「なめてんのはお前だ。さっさと市街に戻るぞ。摘発対象の闇酒場、あと何件残ってると思ってんだ」

「……アンドロの癖にこんな時ばっかり正論吐きやがってぇ……」

 キーラはロジャーに向き直る。どこを見ていいやら分からないという様子だった。もちろんロジャーは乳を見ていた。

「あの……すみません……ほんとにすみません……いつか必ず賠償を……」

「お嬢ちゃんも大変だなあ」

「すみません……」ぺこぺこと畏まるキーラ。ゆっさゆっさと乳が揺れる。「でも、これだけは覚えておいてください。公務員だって、楽なことばかりじゃないんです」

「見りゃわかるよ」

 苦笑するロジャー。皮肉のつもりだ。通じないことは知っていた。

「肩も凝るだろうしなぁ」

 ロジャーはしばかれた。欲を言えばもう一発欲しかった。







 キーラに続いて職員達も部屋を出て行く。白い台風は過ぎ去った。出て行く時だけ胸を張って先頭を切るというのだから、所詮垂れ目は垂れ目のようである。どうせ張らせるなら乳のでかい方に張らせておけばいいのに。ロジャーならそうする。

 ロジャーは扉を……扉だったものを一瞥する。続いて部屋を見渡した。木材とコンクリの破片、それから羽毛と硝子が床一面に散りばめられている。薬莢の一つでも転がっていれば廃品屋に売れたのに。やはりデジタル世代という奴は気に入らない。

 せめてもの救いは、部屋の片づけを自分でやらずに済むことだけだ。

「お前さん、なにやらかしたんだ」

「職場をばっくれた」

 冷蔵庫から上半身を覗かせるなりシュティードは言った。底板を外したところに備えられている空間に潜んでいたのだ。もちろんこのモーテル特有のものである。

「同僚か?」

「いや、覚えがねえ声だ。中央の連中じゃねえな。だが……」

 這い出たシュティードの右手にロックグラスが握られている。それもまさしく飲みかけの奴がだ。中ほどまで注がれたアーリー・タイムスが蒸留酒特有の重い香りを振り撒いていた。ただ詰めが甘かったというだけで、ウィンチの読みは正しかったようだ。

「気をつけろ、爺さん。ありゃ嗜好品回収用のアンドロイドだ。何世代目だか知らねえが、そうとう精巧に出来てやがる」

「関係ねぇな。わしは密輸はやらねえ」

「ならいい」

「後をつけるか?」

「嫌だね、めんどくせえ。どうせ明日になりゃ忘れてる」

 シュティードは気だるそうに伸びをして、ケースに入ったシドを引っ張り上げる。

【な、言ったろ。オレ様といるとこうなる】

「どうせこうなる。やり過ごす回数が増えるだけだ」

【その場凌ぎの繰り返しじゃないか】

「それが人生だ」

 格言みたいに言ってみせるシュティード。シドはいつも通り溜息をつくだけだった。

「わからんな」と、ロジャー。「ZACTをやめて売れない歌うたいになるなんて」

 酒の余りを飲み干すシュティード。そののち放られたグラスが壁に空いた小穴にすっぽりと収まる。

「向いてなかったんだよ、俺には」

 だろうなとロジャーは呟いた。どっちが、とは言わない。

「しばらくこの街からは出ない方がいいぞ、歌うたい」

「馬鹿ぬかせ。引きこもってるわけにもいかねえだろ、市街の根暗じゃあるまいし。ここにいたってそのうちZACTに通報される」

「その心配はない」

 ロジャーは窓際から路地を見下ろす。唸りを上げたZACTの白い乗用車──パトリオットの姿を見て、住人達は誰もが言わずとその道を開けていた。

「みな新・禁酒法の厳格化で職を失った者達だ。密告で街を追いやられた者もいる。痛みを知っているんだ。この街にZACTの肩を持つような奴はいやせんよ」

【どうだか】

「まあ、それは」ロジャーはシドに目をやる。「ロックンロールをこころよく思わない人間も、同じぐらいいるということだがな……」

 ロジャーがあんまりに分かりきったことをしんみりと言うものだから、シュティードは失笑した。ロジャーという男がそういう人間でないだけでも儲けものなのだ。そしてそういう男がモーテルの管理人だったことは、もっと儲けものだ。

「どのみちお前さんらはまだここを出られねぇよ。ツケを払ってない」

【今朝出て行くつもりだった】シドが答えた。【金ならある】

 授業料として頂戴したシオンの廃品を換金したものだ。知ってか知らずかロジャーは問い返す。

「この部屋の分もか?」

【部屋の分? なんの話だ?】

 シラを切る気か。そうはさせない。ロジャーは大げさに両手を広げた。

「修繕費だよ」

「あるわけねえだろ」当然のようにシュティードは言った。「これは事故だ」

 沈黙。睨みあう二人。ロジャーが先に火蓋を切った。

「過失はお前さんらにある」

【杜撰な管理体制のモーテルにもな】

「杜撰? 杜撰だと? 冷蔵庫のことを教えてなけりゃ死んでたぞ」

「んなモンここに入った瞬間に分かった。そこの角だけ音の響きが違う」

「イキるじゃねえよ若造。とにかく部屋の修繕費は出してもらうぞ。下手すりゃわしまで死んでた」

「黙れ偏屈じじい。てめえの考えは分かってんだぞ。ボロボロのソファだの間接照明だの、いい機会だからぼったくってリフォームしようとか考えてんだろ」

「いいや。その金で酒を買う」

【なお悪いのでは】

 シュティードは右の掌を突き出し、親指だけを折ってみせる。

「四分の一」

「駄目だ。ビタ一文まからん」

「じゃあ五分の一」

「減らすな。駄目なものは駄目だぞ」

【なら十二分の一だ】

「なぜそこで強気に出る」

 どれどれ、とロジャーは紙切れにペンを走らせる。

「ざっとこんなもんだなあ」

 ゼロの数を見るなりシドが目玉をひん剥いた。

【こっ……】「こんな馬鹿な話があるか!」【そうだそうだ! 不当請求だ! 断固として抗議する! 警察を呼ぶぞ!】

「警察なら今帰っただろ」ロジャーは顎ひげをいじる。「んまぁお前さんの言うことにも一理ある。ちょうど買い替え時だったし? その金さえ払ったら、残りの宿泊費はタダにしといてやるわ」

「ふざけるんじゃねえ! そもそも宿代取るほどのサービスなんて何もしてねえだろ!」

「そうかい。普通のモーテルは客の命まで救ったりはしねぇがな」

 それを言われてはおしまいだ。シュティードはもう一度紙切れに目を通す。

 一、十、百、千……五〇万とんで四〇〇〇ネーヴル。向こう三ヶ月ぶんの酒代ぐらいはある。シオンの持ってくる廃品が大体ひとつ二〇〇〇ネーヴルだから、そこから酒代と煙草代を差し引いて……駄目だ。シュティードはさじを投げた。この調子だと、ここを出るのは七ヶ月ほど先になる。

「投げ銭だけでは厳しいだろうが、規則は規則だ。ちゃんと払ってもらうぞ。なに、ここらは縄張り争いで揉めてる若者も多い。お前さんのタッパなら、用心棒って手もある」

 笑えない冗談だ。シュティードはなおも食い下がった。

「……二〇万に」

「まからんよ」

「だろうな……」

 旅に予想外はつきものだ。予想外の出費もつきものだ。それも醍醐味の一つである。だが行き過ぎると頂けない。

【……酒場の雇われでも始めてみるか】

「名案だ。飲み放題だな」

【馬鹿たれが、笑い事じゃないぞ。どうするんだ、本当に】

 どうするも何もない。そもそもシュティードは人の下で働くのが嫌いなのだ。ZACTというガチガチの管理体制の職場をばっくれた理由もそこにある。公務員をやめて歌うたいになったような男が、今更どのツラをさげて真っ当な職に就くというのか。

「……なんとかするんだよ」

 シュティードは力なく答える。ほとんど気休めでしかなかった。

 もちろん気に入らない。納得しているわけじゃあない。だが借りを返さぬまま逃げ出すというのは、もっと気に入らないのだ。シュティードはそういう男だった。それが誰のお陰とは言わないが、まだそういう男でいられた。

 ロジャーの銃が目につく。あれこそ大層なヴィンテージではないか。売ったらいくらか足しになるか……考えるだけ考えてみて、シュティードは鼻で笑い飛ばす。自分が抜き足差し足で空き巣の真似事をしているのが想像できなかった。

「いくらしたんだ」

 そう問うシュティード。口元へ煙草を運ぼうとしたロジャーの左手が止まる。

「なにがだ」

「銃だよ。あんたはいけ好かねえがその銃はクールだ」

「売り物じゃねぇぞ。バントライン・スペシャルってんだ」

 ロジャーは煙草を放り出して銃を手に取って見せる。それだけの価値があった。

「コルト・シングル・アクション・アーミーの十六インチ仕様。西部開拓時代の象徴だ。一九五〇年代に製造された。知ってるか、伝説の保安官ワイアット・アープが使ってたってぇ逸話が……」

「はん。一級品に噂の尾ひれはつきものだ。それこそ喋る遺産ゴシップってやつさ」

「若造の癖にロマンがねえなあ」

「俺は二七にじゅうななだ」

「若造には違いねぇだろ」

 バレルをなぞるロジャー。老い先短い自分が持つには銃身が長すぎるなあ、などと思ったりしてみる。それでも銃は銃だ。手放したりはしない。

「ちょうどわしがお前さんぐらいの歳に買った」

「買った? 売ってたのか?」

「ここでじゃあないぜ。マキネシアの外で買ったんだ。パーツをばらして持ち込んだ。

 若さの象徴って奴さ。有り金をはたいてオークションで落札したんだ。別に金持ちってわけでもねえのに。時計でもスーツでもなんでもそうだが、若い頃は背伸びしていいものを買おうとしちまう。見栄張りだったのさ、要は。だがこだわりの一つだった」

 ローダーから弾丸を抜き取り、ロジャーは空砲の引き金を引いてみせる。

「百人は殺した。わしぁ就職訓練も放棄したクチだからな、来るなりいきなり闇稼業よ。掃き溜めなんて言葉が生まれる前から、わしは掃き溜めに生きてた」

「はあ」

「相棒はこいつだけだ」

 こいつだけなんだ、と強調するロジャー。

「見るたび妙に気恥ずかしくなる。過ちと若さの塊だ。だが捨てられねえ。いや、だから捨てられねえんだ。こいつを捨てちまったら、自分の過去まで捨てちまう気がする」

 覚えのある感覚だ。シュティーまでつられて苦笑しそうになる。

「イザクト粒子は記録媒体だなんて言われてるだろ。実際そうだ、粒子は世界の挙動を記録してるからな。だが馬鹿げた話だと思うぜ。そんな粒子なんかなくなって、物には記憶が宿っちまうもんなのさ。昔聴いてた音楽なんかを聴き返すと、当時の思い出まで蘇ってくるだろ。それとおんなじ」

「……」

「自分の足跡がそこに詰まってる。だから捨てられねえ。そういうモンなんだ。そういうものが人生に一つぐらいはあってもいい。一つあるぐらいがちょうどいいんだ」

 確かに二つは重すぎる──シュティードはそう思う。ロジャーが顔を上げた。

「欲しいか?」

「コレクションとしてな」

「銃は持つな」

 ホルスターに銃を戻すロジャー。年季を帯びた目線は壁に向けられたまま、言葉だけがシュティードへと投げかけられる。

「酒はいくら飲もうが勝手だぜ。肝臓と相談さえしてりゃあな。煙草も、ギャンブルも、ロックンロールも……。だが、銃は持つな」

「……?」シュティードは怪訝そうに首を捻る。「何故?」

「音楽をやる奴が銃なんて持つもんじゃあない。こいつは引き算や割り算の為にある道具だ。お前さんには向かない。だから持つな」

「掃き溜めでもか?」

「掃き溜めだ。そいつだけは希望でなきゃならねえ」

 スヘッツコーツの街頭の向こう、砂一面の景色を一望してロジャーは呟く。

「人を殺した奴の音楽が持てはやされる時代なんて……おしまいだね」

「寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ、爺さん。人を殺した音楽やってんだぜ、俺達は」

 シュティードは捨て台詞のように言い残して部屋を出た。

 そうとも。人を殺した音楽だ。そしてそいつはきっと、これからも人を殺していくだろう。とち狂った誰かがまかり間違って、時代を逆巻きでもしない限りは。

 みな承知の上だ。そしていかに音楽が人を殺そうとも、銃を選んだりはしない。そんな必要はないのだ。彼らにとっては音楽こそが武器なのだから。

 そいつを希望にするためにこそ、歌うたいはギターを手に取ったのだから。






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