第四片 明らかになる真実 1
「冗談じゃないわ!」
マンションに帰還したカリンたちを待っていたのは、綾女の猛抗議であった。
「なにも言わずに出かけたと思ったら、なんでひとり増えてるのよ! しかもなに? 攫ってきたとか、犯罪はやめてよね!」
カリンとモルガルデンに挟まれるかたちでテーブルについているみずきは、苦笑しつつも綾女の抗議を受けとめているようすだった。
建物の屋根をつたってここにもどるまでのあいだも、みずきは大人しかった。
下手に暴れればかえって危険だという判断だろうか。だとすれば、ずいぶん肝が据わっている。おかげで攫う立場のカリンたちは楽ができた。
みずきは両手両足を縛られてはいたが、それ以上の危害を加えられることもなく、いちおうは丁重に扱われていた。
ちなみに、カリンが運んできたアルメリアは、いまだ気を失ったままソファに放置されている。
「いまさらなに言ってやがる。これまでだって、不法侵入器物損壊暴行障害不法占拠とやらかしてきてんだ。そこに誘拐と監禁をつけ加えなかったとしても、お前らの法律からすりゃあ、オレたちゃとっくに犯罪者だろうが」
すらすらと犯罪に関する単語がモルガルデンの口から出てくる。彼女もずいぶん《こちら側》に馴染んでいるようだ。
「私まで共犯にするなって言ってるのよ!」
自分を酷い目に遭わせたモルガルデンに対しても、綾女は怯むことなく言い返す。ある意味、遠慮のない関係になったとか、そういうことだったりするのだろうか。
「あんたも、縛られてるってのに、なに笑ってるのよ」
「あなた、奈須原綾女さん?」
綾女の舌鋒が自分に転ずるや、みずきは訊ねた。
「そ、そうだけど……どこかで会ったことあったかしら?」
予想外の反応だったのか、綾女は困惑の色を浮かべる。
「やっぱり! 表札を見て、ひょっとしたらって思って。実は去年、剣道の試合場であなたをお見かけしてるんです」
「待って。その制服、百花学園よね? もしかして、あなた――」
「ええ。央霞ちゃん――桜ヶ丘央霞の友人で、白峰みずきと申します」
みずきは深々と一礼した。綾女の目は、すっかり点になっている。
「央霞ちゃんが言ってました。あの日、試合した選手の中で、あなたがいちばん手強かったって」
「――え? さ、桜ヶ丘がそんなことを? そんな……うへ。うへへへへへ」
とろけたように、綾女がやにさがった。よほど嬉しかったらしいが、すこし気持ち悪い。
「本当に? からかってるんじゃあないわよね?」
「央霞ちゃんに関することで嘘は言いませんよ」
いや、どういう基準なんだそれ、とカリンは心の中でツッコむ。
「それより、突然押しかけちゃってごめんなさいね。すぐ出ていきますから」
「おい。おい、ちょっと待て」
聞き捨てならないとばかりに、モルガルデンが割って入った。
「勝手抜かしてんじゃあねえぞ。なんのためにテメェを攫ってきたと思ってるんだ」
「あら。どうしてかしら?」
「決まってんじゃねえか。人質だよ、人質!」
モルガルデンは大声でがなりたてたが、みずきは涼しい顔で「人質?」などと首をかしげたりする。
カリンの脳内で警報が鳴り響いた。
いつの間にか、みずきのペースに巻き込まれている。
これは意図したものか、あるいは天然か。
もし前者なら、彼女はなにを狙っているのだ……?
「本当なら、すぐに殺してやってもよかったんだが、それじゃあつまらんからな。お前の命と引き替えに、桜ヶ丘央霞に決闘を挑む」
「あんた、そんなこと考えてたの?」
モルガルデンは、不敵にくちびるを歪めてみせた。
「見たろうが、あの女の人間離れした強さを――おっと、お前は二回も戦って、そのあたりは身をもって理解してるんだっけな」
「ぐっ……」
モルガルデンの嘲弄を、カリンは甘んじて受け容れるしかない。
「あんな棒っきれ一本で襲ってくる奴らを薙ぎ払ったと思えば、潜在能力を解放された人間にあんだけ殴られても平然としてやがる。あんなもん見せられちゃあ、戦いたくならないほうがおかしいぜ」
モルガルデンの表情は、血に飢えた獣そのものだった。
しかし、カリンはむしろ、どこかとりすましたようなみずきの表情のほうが怖ろしいと思った。
親友が殴られたという話を聞いても動揺するそぶりを見せないこともそうだし、攫われる直前に仲間をひとり殺されながら、そのことにまったくふれようとしないのも不可解だ。
白峰みずき――カリンが最初に出会った《欠片の保有者》……。
思えば、これまで彼女のことは、央霞のオマケのようにしか考えてこなかった。
傑出した才はあるものの、あくまで非力な少女にすぎないと――果たしてそれは、妥当な判断だったのだろうか?
ここにいたって、カリンははじめて、みずきという少女の得体の知れなさに戦慄した。
カリンは、自分の使っている部屋にみずきを押し込めた。
これ以上モルガルデンと話をさせるのはまずいという判断からである。
虫も殺さぬような顔をして、みずきはこちらの言葉の端々や態度などから抜け目なく情報を引き出そうとしている――そう感じた。
「だとしても、あんな小娘になにができる?」
そう、モルガルデンは言う。
さすがに侮りすぎなのではないか。アルメリアならば、これだから脳筋は、と呆れたことだろう。
そのアルメリアは、先ほどようやく気がつき、現在絶賛落ち込み中であった。
自分の部屋に籠もったきり、呼んでも出てこない。まあ、あれだけの醜態を晒したのだから無理もないが。
しばらく経ってからカリンがようすを見にいくと、寝床として敷いているマットの上で、みずきは芋虫がくんずほぐれつしているような、おかしなポーズを取っていた。
「……なにしてるの?」
「退屈だから読書をしようと思ったんだけど、あそこの本を取ろうとしたら失敗しちゃって」
カリンは、本棚の最上段に収められていたその本を、みずきに渡してやった。
「ありがとう」
「縛られたままじゃ読みにくくない?」
「まあ、ちょっとはね。でも、これくらい――」
「私が見張っていれば、ほどいても問題ないから」
手首の縛めを解くあいだ、みずきはカリンを不思議そうに見つめていた。
「ありがとう。優しいのね」
「そんなに意外なこと?」
「だって、わたしたち敵同士でしょう?」
「どうしてかな。あなたを油断させるためかも」
カリンは冗談めかして答えた。
みずきがなにを考えているにせよ、いまはまだ、逃げるつもりはないだろう。
カリンたちの監視を、みずきが独力でかいくぐって脱出する方法は皆無。ならば、状況が動くまでおとなしくしておくほうが得策である。
もちろん、なにか隠し球があるという可能性も、忘れずに頭の片隅に留めておく。
「あなたと、すこし話がしたいわ」
「あら奇遇ね。わたしもよ」
みずきは、ひらきかけていた本を脇に置いた。
微塵の怖れも滲ませず、ただの友人に対するような気安さで、カリンににじりよってくる。
「ちっとも警戒しないのね。私たち、敵同士なのに」
さっき言われた言葉をそのまま返すと、みずきは愉快そうに笑い、こちらも「どうしてかしら」と返してきた。
「……たぶん、あなたにそのつもりがないってわかってるから?」
「そうね。危害を加えるつもりなら、とっくにやってる」
「どっちにしろ、怖がってみたところで役に立たないのはいっしょよね。むしろ、なにをするかわからないと相手に思わせてしまう分、危険ですらある」
「たしかに、そうだけど……だからといって、感情を殺すことは難しいはずよ。ましてや恐怖みたいな、生存本能に関わるものは」
「そんなこと言われても、怖くないものは怖くないんだから、仕方ないじゃない?」
それよりも――と、みずきは咎めるような目つきになり、カリンを下から見あげた。
「倉仁江さん。あなた本当に、央霞ちゃんとはなにもないの?」
「なにもって?」
カリンは訊き返した。具体的にどういうことを想定していっているのか、よくわからない。
すると、みずきは表情を曇らせ、自分の手許とカリンの顔のあいだで視線をいったりきたりさせた。
「だって……央霞ちゃんは、あなたのこと、ずいぶん信用してるみたいだから……。前に、あなたとふたりきりで会ったときに話したことも教えてくれないし」
「ああ、そんなこともあったわね。……あれ? ひょっとして、央霞はまだ《欠片の保有者》になっていないの?」
「え? どういうこと?」
今度はみずきが訊き返す。
「だって、覚醒して《欠片の保有者》になったんなら、裏切りを警戒する必要もなくなるはずでしょう?」
「わ、わたしが言ってるのは、そういうことじゃなくて、あなたと央霞ちゃんが、その……」
顔を真っ赤にするみずきをよそに、カリンは考え込んだ。
学園で感じた邪神の気配は三つだった。
生徒会室にいたのは、みずきと山茶花のふたりだったので、てっきりもうひとりは央霞だと思っていたのだが……。
これはつまり、カリンの知らない三人目の《欠片の保有者》が現れたということだ。
三人目は誰かと、ここで問い詰めるのはあまりうまくない。そんなことをすれば、カリンが邪神探知能力を持っていると教えるようなものである。
焦らずとも、三人目も学園の生徒かその関係者であろうから、捜しあてるのはそう難しくないはずだ。
話してよかった――カリンは内心ほくそ笑む。
三人目を央霞と思い込んだままだったら、足をすくわれていたかもしれない。
(所詮は子供ね)
いくら賢くて、邪神の記憶を持っているといっても、まだまだ役者は自分のほうが上だ。こうして情報を引き出されたことにも気づいていない。
そう思えば、みずきのことも可愛く見えてくる。
「ふふ……ふ……」
「な、なに笑ってるの?」
「おっと」
知らぬ間に漏れ出ていたらしい。みずきがちょっと引いていた。
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