第二片 襲来、奮闘。そして―― 4

 央霞との決別から二日が経過した。

 状況はすこしも好転しておらず、むしろ悪化しているとさえ言えたが、不思議とカリンの心中は穏やかだった。

(やっぱり、おかしな奴)

 いっとき燃えあがった怒りも、もはやない。

 あまりにも堂々と敵対宣言をぶちかましてくれたその態度に、かえって好感を覚えたくらいだ――と、ここまで考えて、なぜか頬が熱くなった。

(ち、ちがう! 好感といっても、そういう意味じゃないから!)

 ときたま、とても人様に見せられない姿で身悶えすることもあったが、それはあくまで独りのとき――それも、考えすぎて思考の迷路に嵌ってしまった場合に限られる。

 陽平もなにかを察したらしく、よくわからないけどすっきりした顔してるね、などと言われたりもした。

 敵対関係といっても、央霞の基本姿勢は専守防衛であり、カリンが手出しをしない限り攻撃を仕掛けることはないと明言した。

 もちろん、その言葉をどこまで信じていいかという問題はある。

 奈落人アビエントにとって権謀術数はなんら恥じるべきものではなく、むしろ無為無策をこそ厭う。匹夫の勇、などは最大級の侮蔑である。

 その常識からすると、向こうからは攻めてこないと思わせて油断を誘う策かもしれないと疑うところだが、カリンには、央霞がこちらを騙そうとしているとは、どうしても思えないのだった。

(大丈夫。央霞を信じた上で、警戒を怠らなければいいだけ)

 専守防衛に徹するのは、あくまで央霞ひとりのこと。みずきや、みずきの話にあった他の《欠片の保有者》は、その約束に縛られたりはしない。

 その点さえわきまえておけば、足を掬われる心配はぐっと減る。

 だから、学園内でひとりでいるときに、不意に声をかけられても狼狽したりはしなかった。

「倉仁江花梨さん」

 先の跳ねた短い髪。

 人形のように整った顔だち。

 だが、そのクールな仮面の下にあるのは肉食獣のさがであると、カリンは本能的に感じ取った。

「あなたは?」

「一年D組三善山茶花、剣道部所属」

 少女は手にした袋から武器のような物を取り出した。

 剣の形状かたちはしているが、節のある柔らかい植物で作られており、実戦ではなく訓練に用いるための道具のだとわかる。たしか、竹刀とかいったはずだ。

 なんの用――とは、訊くだけ野暮だった。

 ここで襲ってくるとなれば、カリンの正体を知る者以外にない。

 それに、全身から発せられる邪神の気配。

 髪の毛――最近では邪神レーダーと呼んでいる――がビンビンに反応している。間違いない。

 彼女は《欠片の保有者》だ。

「もしかして、白峰みずきの差し金?」

「まさか。これはごく個人的な理由による行動。つまりは私怨よ」

 山茶花は、竹刀を青眼に構えた。

「これ以上、よけいなものを央霞先輩に背負って欲しくはないの。……でないと、ますますボクから遠ざかってしまう……」

「はあ? あなたなにを……央霞とはどういう関係?」

「お前なんかが、気安く先輩を名前で呼ぶな!」

 そう吼えると、山茶花は斬りかかってきた。

(剣道、か)

 いわゆる武道というものは、アビエントラントには存在しない。あるのは実践的な戦闘技術と、その流派だけだ。

 太平の世において嗜まれる娯楽へと堕した技術とは、さて、いかほどのものか。

 そんな侮りは、しかし、山茶花の剣筋を見た瞬間に消し飛んだ。

 獲物を狙うハヤブサの如く、袈裟懸けに振りおろされた竹刀が、カリンの背後に立っていた植木を半分の背丈にする。

 まさか。竹刀でこの切れ味? とっさに横に跳んで避けなければ危なかった。

「いい動きね」

 山茶花の腕や胸許に光の紋様が輝くのを、カリンは見た。

(あれは――神刻!?)

 地表人デアマントの聖職者たちがよく使っていた。

 神の言葉をその身に刻み、肉体や魔力放出量を増強する法術だ。

 だが、山茶花の身に宿るのは、欠片とはいえ神そのもの。人工的な刻印とは、まるで次元が異なる。

 バックステップで距離を取る――が、相手は素早く方向転換し、こともなげに追いすがってきた。

(ならば)

 カリンは逆に、前へ出た。

 すなわち、山茶花のほうへ。

「なに!?」

 驚きつつも、山茶花は竹刀で迎撃してきた。カリンはそれを、

 ガツッ、と硬い物同士がぶつかる音がして、山茶花が身体をのけぞらせた。その顔は苦痛に歪み、右手を柄から放している。

「甲種。対人、砡爪三叉ぎょくそうさんさ!」

 この隙に、起動呪を発動。右袖の下に潜んでいた《アード》を三つ叉の槍へと変型させる。

 続けざまに突きを繰り出すと、山茶花は槍の射程外まで後退した。

 互いに息を整え、しばし睨み合う。

「なるほど。肉体改造の成果ってわけ」

 無表情のまま、山茶花は「気色悪い」と呟く。

 いま、カリンの着ている学生服は、幻術で作ったものではなく、新しく仕立てた本物だった。

 竹刀を受けたことでついた切れ目の下から、金属の光沢が覗いている。

 皮膚を鎧に転化させたのだ。性能の良い鎧は高額なので、報奨が下されるたびに、ひとつずつ部位を付け足していったのが懐かしい。

「でも、そうとわかっていれば斬ることも!」

「させない!」

 再度突っ込んできた山茶花の竹刀を、先の分かれた穂先で銜え込み、そのまま地面に縫いつける。続けて放った前蹴りが、山茶花の腹部をとらえた。

 吹っ飛んだ山茶花は、校舎の壁に背中から叩きつけられた。

 一瞬、意識を失ったかに見えたが、引き抜いた槍をカリンが油断なく構えたときには、ふらつきながらも立ちあがり、憎しみのこもった目でこちらを睨みつけた。

「頑丈ね。結構本気で蹴ったつもりだったのに」

「舐めるな……! ボクは、お前なんかに負けない!」

「ほざいてなさい」

 とどめを刺すべく踏み込もうとした、その瞬間――カリンの全身の毛穴から汗が噴き出した。

「!」

 振り返った視線の先に、ゆっくりとした足取りでこちらにやってくる姿がある。

「あまり、私の後輩をいじめてくれるな」

 央霞は言った。

 困ったような声音からは、微塵の気負いも、怒りさえも感じられない。

 しかし、すでに上着を脱ぎ、臨戦態勢に入っている。

「いちおう確認しておく。みずきの周囲の人間に危害を加えることも、私が動く条件に含めて構わないかな?」

「……ええ。今回仕掛けてきたのは彼女のほうだけど、このとおり反撃したわけだし」

「了解だ。なら、遠慮はいらないな」

 不敵に笑い、央霞は手首をコキリと鳴らした。一瞬だけ山茶花に視線を向け、手を出すなというように、ちいさく首を振る。

(大丈夫。大丈夫だ……)

 カリンは己に言い聞かせた。

 あのときは彼女の力を知らなかっただけ。まともにやり合えば、負ける要素は皆無だ。

 上着のボタンを外し、スカートのジッパーをおろして制服を脱ぎ捨てる。すでに鎧への転化は終えているので、裸でも問題はない。

 全身を覆う、青黒い金属鎧。岩竜のように厳めしく、ごつごつしているが、このひとつひとつが家族のために流した血と汗の結晶である。

(負けない。負けるものか……!)

 呼吸を整え、腰溜めに槍を構える。

 対する央霞は、両手をだらりと下げて突っ立ったままだ。

 一見無防備なようだが、その実まるで隙がない。

 おまけに、鋭い眼光が目に見えぬ重圧プレッシャーとなって全身にのしかかってくる。

 薄く張った氷の上に立っているかのような緊張感。喉が鳴る。柄を握るてのひらが汗でぬめる。


 カツン。


 央霞の背後で、石ころを蹴ったような音が響いた。

 カリンにのしかかっていた圧が弱まる。同時に、地を蹴った。

 ひそかに央霞の死角に回り込ませておいた《ドラード》に、わざと物音を立てさせた。

 ほんの一瞬。ほんの一瞬でいいのだ。

 央霞の気をそらすことができれば。

 足許を狙って槍を払う。地を這う蛇のように刃がうねった。央霞は跳んでこれをかわす。読み通り。空中では自由に身動きが取れない。

 腕の振りの勢いを殺さず、背中で槍を持ち替える。

「もらった!」

 左手一本で突いた。たとえ翼があろうとも、このタイミングではよけられまい。

 だが、そこでカリンは信じられない光景を目にした。

 央霞が、目にも留まらぬ速度で迫る穂先を、素手ではたいたのだ。

 まるでハエでも追い払うように、無造作そのものといった動きで。

 槍が横に流れたことで、カリンもバランスを崩してたたらを踏む。

(まずい……!)

 片足で着地した央霞が、身体をひねるのが見えた。


 ぼっ――


 紙袋を破裂させたような音。

 景色が目まぐるしく変わり、なにもわからなくなる。

 背中に痛みがやってきて、ようやく蹴られたのだと理解した。

 ちょっと……。

 ちょっとちょっとコレ!

!?)

 砲丸投げの要領で巨人族ティターンに放り投げられたとしても、こんなことにはならないだろう。

 槍から手を放し、両手両足を踏ん張って、ようやく回転は止まった。

 おそるおそる顔をあげる。

 目と鼻の先に、ひきしまった脚があった。

 静かな声が頭上で響く。

「なにかを守るのに、力だけでは不充分だ。だが、力を使うべきときに、私はそれを躊躇ったりはしない」

 またしても背中に衝撃。鉄の杭を打ち込まれたかのような、鋭く重い一撃だった。

 分厚い鎧が、薄紙ほども役に立たない。

 背骨がひしゃげ、内臓をめちゃめちゃにかきまわされるような感覚。絶叫のかたちに口をひらいたが、肺の空気がすべて圧し出されてしまっていたため、かすれたような音しか出なかった。

 潰れたカエルのように、カリンは地面にのびた。

 ひくひくと手足が痙攣し、視界が徐々に暗くなってゆく。

 山茶花が央霞をねぎらう声が、とぎれとぎれに聞こえた。

「どうします? コレ」

「そうだな。保健室にでも運ぶか」

「えっ――まあ……央霞先輩がいいならそれでも……」

 くそ。好き勝手言って……。

 だが、お生憎様だ。そうやって完全に油断しているがいい。

 いまにも途切れそうになる意識を繋ぎとめながら、カリンは最後の機会を窺った。

 三匹の使い魔のうち、《ドラード》は遊撃に使い、《アード》は十メートルほど離れたところに転がっている。

 では、残る《ツバード》――剣へと変じる黒猫はどこにいる?

 答えは、右のてのひらの内側だ。

 使い魔が最初に武器を取り込んだときの、もっとも基本的な形状、いわゆる元型アーキタイプへの変型であれば、瞬時に、しかも起動呪を省略しておこなうことができる。

 央霞の視線を感じた。本当に気を失っているのか疑っているのだ。

 ――砂を踏む音。山茶花が近づいてくる。あまり近くまでこられてしまうと、奇襲を妨害される怖れがある。


 八メートル。


 六メートル。


 四……。


「待て、山茶花」

「なんですか?」――足音が止まる。

 三メートル。ぎりぎりか。

「お前、なんで彼女を襲った?」

「……敵だからですよ。ボクたちの」

 そうか――央霞が、うしろを振り返る。

 いまだ。

「《ツバード》!」

 左手と身体のばねを使って勢いよく起きあがり、右手をまっすぐに突き出す。

「先輩!」

 慌てて駆け寄ろうとする山茶花――だが、遅い。

 すでに《ツバード》は変型を終え、央霞の身体を刺し貫くべく伸びている。

 すぅっ――と、息を吸う音。

 ワイシャツの下で、央霞の筋肉が膨張するのがわかった。

 右腕に衝撃。

《ツバード》の剣が弾け飛ぶ。くるくると回転しながら弧を描き、地面に突き刺さった。

「んな、な……っ! なに……っ……ソレ……!?」

 カリンは右手首をおさえて呻いた。

 関節が外れたのではないかと思うほどの痛みに表情が歪む。

(この女……!)

 完全に不意を衝いたはずなのに。

 いや、それ以前に……。

 いくら最弱の形態だったとはいえ、筋肉だけで刃物を弾くか?

 直後、右頬に風圧が来た。

 央霞の放った裏拳が、当たる寸前で止められていた。舞いあがった髪が、一拍置いて元の位置に戻る。

 へなへなと、カリンは崩れ落ちた。

「まだやるかい?」

 どちらでもいいぞと言いたげに、央霞は訊ねた。

 カリンは、返事をすることができなかった。

 放心したまま、虚空を見つめていた。気がつくと、央霞と山茶花の姿はなかった。

 そこで、ようやく自覚する。

 自分は敗れたのだ。

 徹底的に。完膚無きまで。弁明の余地もないほど完全に。

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