第二片 襲来、奮闘。そして―― 5

 その後、どうやって家に帰ったか憶えていない。

 気がつくとベッドの中だった。空腹を訴えて腹の虫が鳴いたが、部屋を出ていく気力がわいてこない。

 学校での出来事を思い返す。

 夢だったのでは――そう考えようとしたが、背中に残る鈍痛が、あれは現実だったのだとカリンに突きつけてきた。

「私は……」


 敗北した。


 真正面からやり合って、力でねじ伏せられた。

 それも、ただの人間に。

 そう。桜ヶ丘央霞は人間だ。外見、生態ともに地表人デアマントに極めて近い、霊長目ヒト科ホモサピエンスだ。

《欠片の保有者》である可能性はあるものの、少なくともいまはまだ、覚醒していない。

 だが、たとえ覚醒済みであったとしても、アルマミトラの力の一部しか持たぬ人間が、邪神本体を倒したカリンより強いことが信じられなかった。

(じゃあ、いったいなんなのよ、アイツは……!)


 アイツに負けた、私は――


 カリンは枕で顔を覆った。感情が込みあげてくる。おさえがたく膨れあがる。

 気づけば叫んでいた。


 なんで。なんで。なんで。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。


(私は騎士だ! アビエントラントの騎士なんだぞ!)

 没落した名門、貧乏貴族と蔑まれながら、実力で己を認めさせてきた。

 最強騎士の一角に名を連ね、ついには神殺しの英雄となれたのも、たゆまぬ研鑽の成果と言える。

 その誇りが、自信が、たったひとりの少女によって打ち砕かれたのだ。

 自分の積みあげてきたものが、すべてと引き替えに手に入れたものが、取るに足らないものだったのだと知らしめられる。これほどの屈辱があるだろうか。

 ただの人に敗れる騎士になど、路傍の石ほどの価値もない。

(私は騎士……私は……わた……し……)

 叫びは嗚咽に変わっていた。ぐずぐずに濡れた枕が顔に張りつき、いっそう惨めさをかきたてる。

 そこへ、ドアをノックする音。

「カリン姉ちゃん」

 陽平の声。カリンは慌てて頭から毛布をかぶる。

「ご飯できてるけど。……寝てるの?」

(そうよ。だから、あっちへいって!)

 心の中で訴える。こんな姿を見られたくはなかった。

 しかし、陽平は立ち去らない。

「……入るよ」

 そっとドアがあけられ、部屋の明かりがついた。

 入口に背を向けた姿勢で、カリンは息を殺す。

 ベッドのそばに、陽平がやってきたのがわかった。

「カリン姉ちゃん」

 カリンは無視する。こういうのを、なんとかという珍しい動物を使って表す言葉があったはずだ。

 ――と、いきなり毛布が剥ぎ取られた。

「なっ、な……!」

 呆気に取られていると、丸めた毛布で顔をはたかれた。

「とっとと起きろ! 飯が冷めるだろ!」

 まったく狸寝入りなんかして、と陽平はぶつぶつ言った。そう、それ。狸だ狸。

 なおも、ぐんにゃりとしたまま沈黙を守るカリンを見て、陽平はため息をついた。

「返事ぐらいしなよ」

「……ほっといて」

 カリンは膝を抱え、ふたたびベッドに倒れ込む。

 あのさあ、と陽平は声を荒らげた。

「なにがあったか知らないけど、落ち込んでるヒマなんてあるの? カリン姉ちゃん言ってたじゃん。一生懸命勉強して、家族を楽させてやるんだって」


 家族。


 カリンの脳裏に、故郷で待つ弟や妹たちの姿が浮かんだ。

 そうだ。ここで諦めてしまったら、彼らの許へ帰ることさえできなくなる。

 本当に手は尽くしたか?

 つまらないプライドに囚われてはいないか?

 戦いに不要なものを後生大事に抱えていたりは?

 カリンは布団から顔をあげ、壁にかけてある鞄を見た。

 持ち手の部分からは、あのお守り人形がぶらさがっていた。

「駄目だね、私」

 カリンは、くちびるの端を歪めた。

 いちばん大切なものがなにかなんて、わかりきっていたはずなのに。

 陽平、とカリンは呼びかけた。

「ご飯にしましょう」

「うん。でも、その前に」

 少年はティッシュを手に取り、涙で汚れたカリンの目許をぬぐってくれた。

「ほら、チーン」

 子供扱いされたようですこし癪だったが、大人しく洟をかんだ。

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