第二片 襲来、奮闘。そして―― 6

 土曜日の午後。

 外の喧噪を遠くに聴きながら、央霞とみずきはおしゃべりをしていた。

 広めの会議室には、ふたりの他に誰もいない。

「……そうか。彼女らに手伝ってもらうことにしたのか」

「うん。さっき生徒会室まで来てもらって、お話ししたんだけど、茉莉花ちゃんはその場にいるだけで雰囲気が明るくなるし、千姫ちゃんは計算がすごくはやいの。あと、ふたりともとっても可愛い!」

 嬉々として話すみずきに、央霞が「よかったな」などと応じていると、ドアがひらいて山茶花が入ってきた。

「お待たせしました」

 山茶花が央霞の向かいの席につき、みずきは議長席へと移動する。

「それでは、第一回女神会議を始めます」

 みずきが真面目くさって宣言すると、残るふたりの参加者からパチパチと拍手があがった。

「それで、なにを話し合うんだ?」

 央霞が訊ねる。

「まずは先日、《欠片の保有者》であることが判明した三善さんから話を聞いて……それから今後の方針についてかな」

 みずきに水を向けられ、山茶花が起立した。

「最初の質問。あなたが《欠片の保有者》として覚醒したのはいつ?」

「二ヶ月ほど前です。最初は、見たことのない景色がおぼろげに浮かぶ程度でした。そこがタイカという場所で、自分がアルマミトラの生まれ変わりだとはっきり自覚するようになったのは、入学してからです」

「他の《保有者》と出会ったことは?」

「みずき先輩がはじめてですね」

「私が《保有者》であることには気づいてた?」

「いいえ。でも、薄々そんなような気はしていました」

 淡々と、みずきと山茶花の質疑応答が続く。

 そのようすを退屈そうに眺めていた央霞が、しばらく経ったところで右手を挙げた。

「すこし気になったんだが」

「なあに? 央霞ちゃん」

 質問しているときには事務的無表情だったみずきが、ぱぁっと破顔する。

 その露骨な変わりように、山茶花が鼻白んだように眉根を寄せた。

「カリンは、を通って、こっちの世界に来たんだよな?」

 央霞は、親指で窓の外を示した。

 晴れた空に幾筋もの雲がたなびき、その中心には、あの巨大な石が浮いている。

「ええ、そうよ。あの石――《門石ヤーヌシュタイン》は、次元回廊の出口であると同時に、この世界に打ち込まれた碇でもあるの。異なる世界間を移動するのは本来とても難しくて、狙った場所と時間にたどり着くのは、それこそ奇跡と言ってもいいけれど、ああして回廊の座標を固定しておけば、それほどの誤差を生ぜずに、おなじ場所への行き来が可能になる」

「敵方の技術なのに、詳しいな」

「誰が使っていようと、わたしの――アルマミトラの作った世界の理に則っていることに変わりはないもの」

「つまり、あそこから、さらに誰かやってくる可能性もあるんだな?」

 央霞の言葉に、山茶花が表情をこわばらせる。

「それは困りますね。破壊とかは、できないんでしょうか」

「無理ね。あそこに見えてるのは、タイカ側にある石の虚像。だからたぶん、こっちの世界からタイカへ帰るのにも、タイカ側で石を操作して、回廊をオンの状態にしないとダメ」

「厄介だな。――ん? ということは、カリンアイツは好きなときに向こうに帰れるわけじゃないのか」

「おそらく、なんらかの連絡手段はあるはずよ。目的を達したら合図を送って回廊を繋いでもらうとか。……まあ、奈落人アビエントも一枚岩じゃないから、連絡がついたとしても、向こうが応じるとは限らないんだけどね」

 みずきは冷ややかに言った。

 異世界へ逃亡した女神の追討など、成功が期待されているかどうかさえ怪しい。

「もしそうなら、哀れだな」

「まあね。でも、わたしたちには関係ないわ」

「お前、彼女にはずいぶん手厳しいな」

 央霞は意外そうな顔をする。

「当然じゃない。向こうも言ってたけど、あの女は一度わたしを殺した相手で、いまも殺そうとしてるのよ?」

「私が二度と殺させはしないがな」

 央霞がじっと見つめると、みずきは言葉に詰まり、カァッと顔を赤くした。

「も、もう……いまはそういうの、いいから」

「まあまあ。央霞先輩も、覚醒したら理解できますよ」

 山茶花がなだめると、央霞は首をひねった。

「覚醒ねえ。本当にするのかな」

「信じてないんですか?」

「そうじゃなくて、私が《欠片の保有者》なのかってことなんだが」

「女神アルマミトラの意思により、《保有者》同士はかならず出会うよう定められている――だから、みずき先輩やボクにとって特別な央霞先輩は《保有者》に決まっています。そうですよね?」

「え、ええ……」

 同意を求められ、みずきは歯切れの悪い返事をした。

 山茶花が、腕組みをして考え込む。

「なにかこう、てっとりばやく覚醒させる方法があるといいんですけど」

「そうねえ……肉体でも精神でも、なにか強いショックを受けると覚醒めざめやすいとかは、あるみたい」

「強いショック。ふむ」

 山茶花はテーブルを迂回して、央霞の前へと移動した。

 なにをする気かと、央霞が顔をあげる。

 その肩に、山茶花が手を置いた。

「失礼します」

 そう言って、山茶花はいきなり央霞のくちびるに自分のそれを押しあてた。

「んな――っ!?」

 みずきが椅子を蹴たてて立ちあがった。

「みっ、みみみみ三善さん! なにやってるのあなたは!」

「どうですか?」

「いや、どうですかと言われても」

 キスされた当の央霞は、驚いたようすではあったものの、何度か目を瞬かせただけで、特に変化はなかった。

「おかしいですね。では、次はもっと激しいやつを……」

 山茶花はくちびるを舌で湿した。

「わたしを無視するなアアアァァァァーッ!!」

「なんですか、みずき先輩。さっきからうるさいですね」

 さも迷惑と言いたげに、山茶花はみずきを睨んだ。

「山茶花、お前ひょっとして、私のことが好きなのか?」

「ええ。そのとおりですが、なにか?」

 なにをいまさら、という態度で訊き返す山茶花。

 みずきは、央霞の首に腕を絡めたままの山茶花に歩みよると、無理やりそこから引き剥がした。

「なにするんですか。ボクは央霞先輩を覚醒めさせようと――」

「だからってなんで、ちゅ、ちゅ、ちゅーなのよ! わたしだって、まだなのに!」

「みずき先輩もしてみます?」

「そういう問題じゃない!」

 みずきは、わぁん、と声をあげ、央霞にすがりついた。

「三善さんのバカァ! 央霞ちゃんもバカバカ! なんで断らないのよう」

「バカって……子供ですか」

 山茶花がため息をつく。

「あのですね、みずき先輩。ボクたちは女神の魂を共有しているんですよ。つまり、ボクもあなたも同一の存在といって差し支えないわけです。だから、ボクと央霞先輩がどうにかなったとしても、それはあなたにとって喜ばしいことでありこそすれ、嘆き悲しむ必要はないはずです」

「そんなワケあるかあァァーッ!」

 絶叫するみずきに、さすがに央霞も悪いと思ったのか、彼女の顔を覗き込んで、なだめるようにぽんぽんと頭を撫でた。

「すまない。そんなに嫌がるとは思わなかった。もうしないから」

「うう……許さない」

 それでだいぶ落ち着きはしたものの、みずきはまだべそをかいていた。

「央霞先輩、甘やかしちゃ駄目ですよ。この先《欠片の保有者》はもっと現れるんですから」

「いや、それがみんな私を好きになるなんてあり得んだろ」

「そうとも言えないですよ。ボクたちのこの感情は、《保有者》同士がかならず巡り逢うため、女神によって授けられたものだとは考えられませんか?」

「それは――」

 央霞の腕の中で、みずきはハッと胸を衝かれたように表情をこわばらせた。

「まさか」

 そう発したのは央霞だった。

 まるで、みずきの言葉を代弁するかのように。

「考えすぎだろ」

「……そうですかね」

 クッ、と山茶花は、口角だけで笑った。



 ――お手洗いに。

 そう言って、会議室をあとにした。

 いちおう、トイレのある方には向かう。その歩みはどこかふわふわして、現実味を欠いていた。

(やってしまった)

 つと、くちびるに指をのばす。

 ふれる。かすかな湿り気。さっきからドクドク鳴っている心臓が、ますます速くなる。

(やってしまった。やってしまった)

 廊下の角を曲がるとき、すこし早足になった。

 誰の目にも届かないその場所で、倒れるように壁へもたれかかる。

「はああああああ……」

 額に両手をあて、山茶花は肺にたまった空気を吐き出した。

 顔がやけどしそうなほどに熱い。だが、くちびるはもっと熱かった。

 を思い返す。

(やわらかかった……)

 あんなに強く男らしい央霞でも、そこだけは女の子なのだ、などとくだらない感想までが浮かぶ。

 しかし、自分にあんな大胆な行動ができるとは、正直思っていなかった。

 よくやった、と自画自賛する反面、羞恥でいたたまれないという気持ちもある。だから、こうして逃げてきたのだ。

(それにしても、さすがは央霞先輩)

 面と向かって好意を告げられたというのに、落ち着いたものだった。

 まあ、いつもウザいくらいにそういうことをしてくる相手がそばにいるというのもあるだろうが。


 だけど、もし――


 告白の後、「じゃあ、そういうことなら」などと続けられていたら。

 というか、みずきがあんなに騒いだりしなければ、好意を受けとめてもらえた可能性もあったのではないか。

 そんなことになったら――

「………」

 山茶花は無言で壁から離れ、本当にトイレへと向かった。

 しっかり顔を洗わないと、会議室に戻れる気がしなかった。

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