第三片 混乱、混沌 2
うつむいても、顔を背けてみても、ひりひりと刺すような視線を感じる。
あまりの居心地の悪さに、食事の味もよくわからなくなっていた。
「なあ……」
根負けし、ついに菊池は口をひらいた。
顔をあげると、みずきが非の打ち所のない笑みを浮かべている。
「俺、お前になにかしたか?」
「いいえ。なんにも」
ふたたび沈黙。
しかも、相手はまったく視線をそらそうとはしない。いったいなんなのだ。
みずきの隣にいる山茶花は、我関せずとばかりに黙々と箸を動かしている。こいつはまったく頼りにならないと、菊池は悟った。
「引っ越しを手伝った教師に、この仕打ちはないだろ」
「おっしゃる意味がわかりませんね。その、お手伝いに対するお礼のつもりで、こうして夕御飯にご招待したわけですから」
「いや、それならなんで、さっきから俺にプレッシャーをかけてくる?」
「そう感じるのは、先生にやましいところがあるからなんじゃありませんか?」
「はぐらかすな」
「……本当にわかりませんか?」
菊池がうなずくと、みずきはちいさくため息をついた。
「央霞ちゃんですよ」
みずきの言葉に、なぜか隣の山茶花が、ぴくんと身体を震わせる。
「はあ?」
「だから、央霞ちゃんを送ろうとしたでしょう」
「それがどうした」
まったくわけがわからない。当然のことをしたまでで、非難される謂われはどこにもないはずだ。
「あのとき央霞ちゃんが断ったのは、先生とふたりきりになりたくなかったからですよ」
「え? いや、まさかそんな……」
菊池は混乱する。
みずきが不機嫌な理由は央霞? 自分が央霞になにかしたから、それでみずきが怒っているということか?
だが、それがなんなのか、菊池には見当もつかない。
「言おうか言うまいか、ずっと迷ってたんですよ」
みずきは自分の手許に視線を落とし、そこでいったん言葉を切った。
「んっ。やっと出てきましたわね」
すっきりした顔でリビングにもどったモルガルデンを見て、アルメリアは口にくわえたストローをぴこぴこ動かした。
モルガルデンと家主の少女――部屋を漁って見つけた身分証によると、奈須原綾女というらしい――が籠もっていた寝室からは、二時間ほど嬌声が続いていたが、いまは死んだように静まりかえっている。
「ジュース飲みます?」
「それよか、なんか食いてえな」
アルメリアが投げて渡したレモンに、モルガルデンは豪快にかぶりついた。
「おう、効く効く」
「皮くらい剥きなさいな」
「へへ……あの嬢ちゃん、最初は嫌がってたが、オレ様の超絶テクにかかれば一瞬でとろとろよ。お前らも混ざればよかったのによう。八人までなら、同時に可愛がってやれるぜ?」
「えっ、どういう意味?」
「八人て、なにをどうするんですの?」
得意気に嘯くモルガルデンに、カリンとアルメリアが同時に訊き返した。
「……ちょっと、カリンさん。いい歳して純情ぶって、いったい誰に媚びてるんですの? というか、いままでこのイノブタがなにをしてたか、まさかわかってなかったとかおっしゃるつもりじゃありませんわよね?」
「そ、そんなんじゃ……」
狼狽するカリンを、アルメリアは馬鹿にしきった目つきで見やった。
「まあ、どぉーでもいいですわ。それより、話の続きですけど――」
そこでまたドアがひらき、《ツバード》と《ドラード》が入ってきた。カリンの荷物を回収しにいっていたのだ。
〈ただいま、
「ご苦労さま」
カリンは椅子から降りて、二匹の頭をなでた。
使い魔たちは、体内に取り込んでいた荷物を吐き出すと、タトゥーの状態となってカリンの服の中に潜り込んだ。
アルメリアが、モルガルデンに目配せする。
「一から説明が必要かしら?」
「話なら聞いてたぜ。オレも使い魔を通してな。なかなかおもしれえ状況になってるみたいじゃねえか」
「馬鹿ですわ、馬鹿」
アルメリアは、優美な人差し指をカリンの鼻先に突きつけた。
「せっかく邪神の生まれ変わりを見つけたのに、殺す前に護衛と戦うだとか、ほんっと、つまらない約束をしたものですわ」
「そのかわり、向こうからもいきなり仕掛けてはこないわけだから、そう悪い話じゃないでしょ?」
「相手が律儀にそれを守ってくれるとでも? だいたい、その条件だと、対決はほぼ決闘形式になるじゃありませんの。戦場の選択としては下の下ですわ」
アルメリアは言い募った。
援軍を呼んだという立場上、カリンはあまり強く反論できない。
「し、仕方なかったのよ。彼女は、その……恩人でもあるし……」
カリンはうつむきながら、組み合わせた両手の指をせわしなく動かした。
アルメリアは荒々しくため息をつく。渋々ではあるが、報恩という部分は認めてくれたのだろう。
「で、その護衛の女。なんつったか?」
モルガルデンが訊ねる。
「桜ヶ丘、央霞よ」
「
オーガは下級
「いや、オーガじゃなくて央霞だから」
訂正はしたものの、あの桁外れのパワーは鬼っぽいといえなくもない。というか、鬼以上だ。
「そんな強え奴と戦えるんなら、オレはべつになんだっていいぜ」
「ま、その約束をしたのはカリンさんですしぃ、わたくしたちが守る必要はないのですけれど」
アルメリアは、ふいっとストローを吹き、先にかぶせてあった袋を飛ばした。
「桜ヶ丘央霞の、話をしているの……?」
シーツを身体に巻きつけただけのしどけない姿で、綾女が入ってきた。目の下には濃い隈が浮かび、汗に濡れた髪が頬に張りついている。
「あらあら。大丈夫ですの? こんなケダモノの相手をしたら、ふつう半日は足腰立たなくなるところですわよ」
「な、舐めんじゃないわよ……鍛え方が……ちがうんだから……」
ふらつきながらも、綾女は自分の席についた。
だが、やはりかなり無理をしていたらしく、テーブルに突っ伏して、ぜぇぜぇと肩を上下させる。
「央霞を知っているの?」
綾女に水を飲ませてやりながら、カリンは訊ねた。
「まあね……なあに、あんたたち……あの女をどうにかするつもりなの……?」
カリンたち三人は視線を見交わす。綾女の声には、央霞への明かな憎悪があった。
「ここに目をつけて正解でしたわね」
アルメリアが、血のように紅いくちびるを歪めた。
「ときどき思うんですけどね」
菊池が帰宅し、山茶花は自室へともどった。
山茶花が教科書を本棚に並べている横では、みずきが膝を抱えて壁に向かっている。
部屋の片付けを手伝うという名目でついてきたのに、その姿勢のまま、彼女はまったく動こうとしない。
「みずき先輩って、馬鹿なんですか?」
「うう……うるさい。自分でもわかってるわよ」
いじけたように、みずきは鼻をすすった。
食堂での菊池いじりは、傍目にも八つ当たり以外の何物でもなかった。
央霞が、敵であるはずの相手と妙に接近するのでやきもきしていたところへの山茶花の告白。さらには入寮とあって、心中穏やかでないのはわかる。
とはいえ、入寮に関しては話し合いの結果、みずき自身も認めたことだ。山茶花に言わせれば、だからとっとと《欠片の保有者》は同一の存在なのだと認めてしまえ、ということになる。
――央霞ちゃん、先生の前でだけ緊張するんです。あの央霞ちゃんがですよ。
あのとき、みずきは菊池にそう告げた。嫌がらせのつもりで。
そして、いまはそのことで自己嫌悪に陥っている。
「ああああ……なんであんなこと言っちゃったんだろう」
「断っておきますけど、ボクはフォローしませんから。ま、ボクなんかがなにかしたところで、余計に事態をこじらせるのがオチだと思いますが」
「三善さんなんかに期待してないわよう」
落ち込んでいるくせに酷いことを言う。案外メンタルは丈夫なのかもしれない。
「でも、知りませんでした。央霞先輩と菊池先生って、そういう関係だったんですか?」
「初恋の相手なのよ」
菊池は、央霞の兄・仁京の親友で、よく桜ヶ丘家に遊びにきていた。
危険な場所に央霞を連れ回したり、新しい技を試してみたりと、妹の性別を失念しているとしか思えない仁京に対し、菊池は常に紳士然と、あくまでかよわい女性として央霞を扱っていた。
央霞も、優しくしてくれる菊池を実の兄以上に慕い、いつしか異性として意識するようになった。
もっとも、それも央霞がそこらの男以上に男らしく成長してしまうまでのことだったが。
「で、いまは菊池先生のこと、どう思ってるんですか?」
「好きは好きでしょうよ。嫌う理由がないもの。でも、さすがに付き合いたいとかはないはずよ。……そのはず…………だと……思う」
話しているうちにだんだん不安になってきたらしく、みずきはますます背中を丸めて縮こまった。
淀んだ空気が目に見えるようで、山茶花はすこしイラッとした。
「まあ、子供の頃のことですし。央霞先輩も割りきってると思いますよ」
「そ、そうよね!」
がばっと振り向き、みずきは目を輝かせる。
「……でも、央霞先輩って、あれで結構うまく内心を隠せるタイプですからね」
たちまち、しゅんとうなだれるみずき。
(あ、ちょっと可愛い)
央霞もときどき彼女をからかって遊ぶが、その気持ちがわかった気がした。
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