第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 3

 ゴースバレン城に《転移の間》なる場所があることを、カリンははじめて知った。

 城の地下、十数階分は階段を降りただろうか。「ここです」と告げ、案内役が脇へと退いた。

 進み出ると、両開きの扉が軋んだ音をたて、ひとりでにひらいてゆく。

「来ましたね」

 中ではグローリアーナが待ち構えていた。

「お食事はきちんと抜かれましたか?」

「ええ。丞相殿に言われたとおり、昨晩からなにも……」

「結構」

 グローリアーナがうなずく。

 その傍らには、フードで顔を隠した小柄な人物が控えていた。

「彼はドローマ。私の下で長年、多元世界の研究をしています。彼が、この《門石ヤーヌシュタイン》を操作して――」

 グローリアーナは、広間の中央にある台座を指し示した。

「邪神の逃げた世界に次元回廊を繋ぎます」

 台座に置かれているのは、細長い卵のようなかたちをした石だった。

 縦はカリンの身長よりやや高く、外周は大人の男でふた抱え分といったところだろう。

 暗灰色できめの細かい表面には、古代のものと思しき文字が、隊列を組んだ兵士のように並んでいる。

「危険は?」

「むろん、ありますとも」

 グローリアーナは、しゃあしゃあと答える。

「邪神の逃げた《向こう側》のことは、ほとんど情報がありませんし、邪神も黙って討たれる気はないでしょうから」

「そういうことではなく、この次元回廊は大丈夫なのかと訊いています」

「ああ」

 そういうことかという顔に、拳を叩き込みたい衝動をカリンは抑える。この女、ぜったいわかってやっているだろう。

 空間転移術の使い手は少なく、次元転移術者となればさらに稀少である。カリンも噂程度しか知らないが、重罪人を異界流しにするという行為が、実験を兼ねておこなわれているらしい。

 いずれにせよ、安定して使えるならとっくにいろいろなところで活用されているはずだ。

 加えて、このドローマとかいう男も、アルマミトラの逃亡を観測した術師同様、グローリアーナの子飼いというのが気にくわない。

「《向こう側》は比較的タイカに世界であることがわかっています。簡単に言えば、使用する次元回廊が済み、安定しやすいということ。条件さえ合えば、回廊が自然に発生することすらあるそうで、タイカの住人が呑み込まれたり、逆に《向こう側》の生き物がやってきたという記録もあるとか――そうよね? ドローマ」

「さようで。グローリアーナ様はよく学んでおられる」

 説明を受けて、不安はなくなるどころか、ますます募ってゆく気がした。

 しかし、いまさらやめるわけにもいかない。

「すでに回廊は開通済み。あとは出口にある《門》をひらけばよい状態になっておりますれば……安心してお通り頂けると存じます」

 ドローマは恭しく腰を屈めた。

「とはいえ、より安全性を増すために、なるべく人数は少なく、持ち物も必要最低限に抑えるのがよろしい。よって今回お送りするのはカリン様おひとりとなります」

「アルマミトラはおそらく、現地の女の胎を借り、人間として転生しているはず。肉体は人間でも、神の力に覚醒めざめれば、決して侮れぬ存在となりましょう」

「邪神を倒したのは先月のことなのに、もう生まれ変わっていると?」

「タイカと《あちら側》では時間の流れが異なるのです。回廊がつながった先は、おそらく邪神が母体に宿ってから十年から二十年後といったところでしょう。いまからさらに時間を遡って回廊をつなぎ直すのは、技術的に不可能です」

「意外と不便なんですね」


 もし――万が一。


 グローリアーナは、含みのある声音で言った。

「任務遂行が困難と思われたときは、通信用の魔石にて援軍を請うて頂ければ……わたくしが、しかるべき人員を見繕って差し向けますわ」

「そうですね。万が一のときは……」

 カリンが睨みつけるように投げた視線は、内心を完璧に覆い隠したグローリアーナの笑みに受け流された。

「では、はじめますぞ」

 ドローマが《門石ヤーヌシュタイン》に手をかざし、起動呪を唱えた。

 石が淡い光に包まれ、金属を打ち鳴らすような音を発しはじめる。

「さあ、カリン様。石にふれてくださいませ」

 カリンは両のてのひらをひらき、《門石ヤーヌシュタイン》の表面に押しあてた。

 とたんに、そこから皮膚をひっぱられるような感覚に襲われ、視界が溶けた飴のように歪んだ。

「な、なん……これは――!」

 ドローマを振り返ろうとしたが、首が動かない。金縛りにかかっているのか、石から手をひきはがすこともできなかった。

 胃の腑が裏返るかのような嘔吐感と眩暈。

 しかし全身の痺れは、カリンにくずおれることさえ許してくれない。

 これはいったいいつまで続くのか。

 もし、永遠に終わりがこないのだとすれば――そんな空恐ろしい想像すらも、どうでもよく思えてくるほどの苦痛に、カリンは思考を放棄した。



 次に意識がもどったとき、彼女は真っ暗な空間にいた。

 腕が……動く。

 カリンは、汗で額にはりついていた前髪をかきあげた。

 目の前にあったはずの《門石ヤーヌシュタイン》が消えていた。

 それがわかったのは、足許がうっすらと光っていたからだ。星を砕いて撒いたような微細な発光体が、帯状に敷き詰められて前方にのびている。これが次元回廊というものなのだろう。

 ならば、これをたどっていけば目指す先にいき着くはずだ。

 カリンは勢いよく腕をひと振りし、指に付着した汗を払った。



《門》を抜けた瞬間、空中に投げ出されたと感じた。

 つぶっていたまぶたをひらくと、はるか下に地面がある。

 煌びやかな光は街の灯だろうか? それにしては、やけに明るいが。

 空が暗く、月と星があることから、いまが夜であるとわかる。

 それにしても、この月はタイカとそっくりだ。近しい世界、とドローマが言っていたが、たしかにそうかもしれない。

 考えているあいだにも、カリンは落下し続けている。

 このまま地面に激突するのも面白くない。

 カリンは、両腕を広げて意識を集中した。すると、手刀から肘にかけての皮膚が薄く展開し、一対の翼をかたちづくった。

 アビエントラントでは、古くから独自の肉体改造技術が発展してきた。これにより、肉体の各部位に、本来とは異なる機能を付与できる。

 肉体改造を施す技術者は改造医フォルベトラーと呼ばれ、騎士たちはこぞって彼らの施術を受けた。また、高名な改造医フォルベトラーを抱えることは、騎士の権威を示すことにも繋がる。

 カリンはつかまえた空気で翼を膨らませ、姿勢を安定させる。脚部に噴射口を形成して進行方向を調節し、目についた四角い建物の上に軟着陸した。

〈ねえ、ご主人様マイスター〉〈上見て〉〈上、上〉

 頭の中で使い魔たちが騒ぐ。

 顔をあげると、夜空にぽっかりと浮かぶ《門石ヤーヌシュタイン》が見えた。《転移の間》で見たものと比べると、数百倍はあろうかという大きさだ。

〈すごいね〉〈ほえー〉〈どーなってるんだろ?〉

「あれはたぶん、ね。《門石ヤーヌシュタイン》の影を《こちら側》に投影することで、次元回廊を安定させているんだと思う。船の碇のようなものよ」

 およそ隠す気が感じられないのだが、この世界の住人に不審に思われたりしないだろうか?

 まあ、長居するつもりはないので、帰り道の目印という意味ではありがたい。

 カリンは目立たぬように姿勢を低くし、建物の縁へと移動した。

 そこから、ぐるりとこうべを巡らせ、周辺の景色を確認する。

 やはり、あの光は照明だったようだ。建物の内部だけでなく、異様な数の街灯や、大量の発光体で文字や絵を浮かびあがらせる看板、なんだかよくわからないが、やたらビカビカ光っている飾りなどがいたるところに溢れている。

 そして、そこを闊歩する数えきれないほどの人の姿。ゴースバレンでも、これほどの人通りは見たことがない。

「すごい……お祭り?」

 カリンは壁を伝って、人気の少ない建物の裏手に降り立った。

 物陰から通りのようすを窺う。

「あの服……可愛い」

 カリンが注目したのは、客引きをしているらしい若い女だった。

 繁華街にある店の、一般的な制服ならば、溶け込むのもたやすかろう。

 カリンは、身体の周囲に幻覚を発生させる魔力の力場フィールドを張り巡らせた。

 これで、彼女を見た者の目には、《こちら側》の女性とおなじ格好をしているように映るはずだ。

(ふっ……完璧!)

 カリンは内心でほくそ笑んだ。

 さあ、いよいよ探索開始である。

 昂揚感を覚えつつ、カリンは未知なる世界へと踏み出していった。

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