第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 9

 夕食が、いつもより薄味に感じられた。

 向かいの席。春の訪れとともに突然現れ、以来陽平の同居人となっている少女の姿が、その日は食卓から消えていた。

 ――今日は、用があるから。

 携帯電話もスマホも持っていない彼女は、そのひと言だけを告げると、荷物を置いてでかけてしまった。

 もしかしたら予定が変わるかも知れないからと、陽平はいつもどおりに夕食の準備をして彼女を待った。

 もちろん、そんなことは起こりはしなかったが。

「せめて、いつ帰るかぐらい言ってけっての」

 陽平は愚痴混じりのため息をついた。

 ひとりきりの食事がこれほど味気ないものだということを、彼は久々に思い出していた。



 百花学園第一女子寮――

 ここから学校に通っていることは、使い魔にあとをつけさせたのでわかっている。

 間違いない。

 は、カリンの捜していた敵だ。

 かの邪神の魂を宿し、タイカをふたたび支配するために生まれてきた転生体だ。

 学校内での白峰みずきは、常に人の輪の中心におり、誰かしらの視線を浴びていた。

 あれほどの美貌を持つ有名人ともなれば、単独でいる機会はそう多くない。

 だが、寮であれば話はべつである。

 生徒会長だから特別扱いなのか知らないが、他の生徒は相部屋なところを、なぜかみずきは個室を与えられていた。

 これは天啓だと、カリンは受け取った。やはり自分はツイている。

 非常口の鍵を、使い魔に内側からあけさせて寮内へ侵入。他の生徒は、ほとんどが食堂か風呂のある一階にいるため、みずきの部屋のある三階は静かだった。

 カリンの脳裏には、天井裏にいる《アード》の目を通し、部屋のようすが浮かんでいる。

 目標ターゲットは机に向かい、黙々とペンを動かしていた。

 光学催眠を用いているのだから、誰かに見つかったとしても平気なのだが、こういう際には、どうしても足音を忍ばせたくなる。気分の問題だ。

 部屋の前で立ちどまり、呼吸を整えた。

 あの神殿での戦いの前にも、おなじようにしたのを思い出す。

 だが、今度は――

 しくじらない。しくじるわけにはいかない。

「乙種。滅神、静破柳刃せいはりゅうじん

 起動呪とともに、手の中で《ツバード》が姿を変える。

 神を滅する力を保持しつつ、狭い空間でも扱いやすい、細身で小振りの剣だ。

 ドアを蹴破り、カリンは中へと踏み込んだ。

 振り返ったみずきの美しい顔が驚愕に歪む。

(一歩の距離! ひと振りで首を刎ねる!)

 その瞬間、肩をつかまれた。

 誰だ!?

 身を翻し、背後を突く。だが、剣先は虚しく空を貫いただけだった。

「危ないな」

 首をすこし横に傾けた姿勢で、その人物は言った。

「央霞ちゃん!」

 みずきが叫ぶ。

 カリンは、我が目と耳を疑った。

 気配もなく背後に立ち、神速と謳われた彼女の突きを、いともたやすくかわしてみせたのは。

 邪神の現身うつしみたる少女が、その名を呼んだのは。

「桜ヶ丘央霞!」

 なぜ、がここにいる?

 ここは女子寮、百花学園の生徒とはいえ、男子はまず出入りしない場所のはず。

「きみは……」

 央霞にとっては図書館以来、まさかこんなかたちでの再会となるとは思っていなかったという顔である。

(くそっ……見られた!)

 どころか、うっかり攻撃までしてしまった。

 出直すか? だが、せっかくのチャンスをみすみす逃すのは惜しい。

 幸い、カリンは央霞とみずきのあいだに位置している。このまま振り返ってひと突きすれば、任務完了だ。

「おい、みずき」

 央霞が緊張感の欠けた声で訊ねた。

「彼女が、生徒会に欲しいと言っていた一年生か?」

「そんなわけないでしょ!」

片翼之蝶へんよくのちょう……」

 右腕を引きつつ起動呪を唱える。

 剣がみるみるかたちを変え、蝶の羽根を模した鋭利な短剣となった。

 振り向きざまの一撃を加えるべく、後方へ跳ぶ。


 ――親友同士なんだって。


 茉莉花から聞かされた、ふたりの関係についての話を思い出す。

 ただし、ふたりの振る舞いは他とはすこしちがっていて、まるで貴婦人とそれに仕える騎士のよう、だとか。

 滾らずにはいられない、などとぬかす茉莉花に、それでいいのかと訊ねると、お似合いすぎて嫉妬すら湧かないと返され、半ば呆れつつも納得した。

 そういう相手を殺されたら、央霞は哀しむだろう。

 犯人であるカリンを恨みもするだろう。

 央霞は、困っていたカリンを助けてくれた恩人なのに。

 それでも、やらねば。

 これは王から与えられた使命なのだ。

(ごめんなさい)

 あまりに央霞の嘆きが深いようなら、操心術を使って記憶を改竄してもいい。

 どの道、恩を仇で返し、アビエントの誇りを汚さねばならぬ身なのだから。

 葛藤に苛まれながらも、カリンの動作は淀みなかった。

 心は苦痛に呻きながらも、命を奪うという意思は揺らがなかった。

 刃をにぎった右手は、一直線に空を裂いてゆく。

 大量の花びらを撒き散らすように、みずきの白いのどから鮮血がほとばしる光景を、カリンが幻視した、そのとき――

 視界が影にさえぎられた。

 央霞の身体だと気づいた刹那、みぞおちに衝撃を感じた。

 身体が浮く。

 破城槌と真正面からぶつかったような、とてつもなく重い、拳による一撃だった。

(馬鹿な……ッ!)

 部屋の入口に、央霞は立っていた。

 それが、ほんの一瞬のうちにカリンとみずきのあいだに割って入るなど、できようはずがない。

 だが、事実、央霞はそこにいた。

 なにが起こったのか理解できぬまま、カリンの意識は、その身体ごと闇に沈んだ。

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