第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 10

 気がつくと、椅子に縛りつけられていた。

 真正面に、央霞とみずきが立っている。

 ここはまだ、みずきの部屋のようだ。

「よかった。目を覚まさないんじゃあないかと心配したぞ」

 カリンを昏倒させた当人である央霞が、安堵の表情を見せた。

 自分は任務に失敗し捕らえられたのだと理解する。

 央霞の言葉は、尋問して情報を引き出せなくなると困る、という意味だろう。

「くっ……殺せ!」

 これ以上、騎士としての矜持を汚すわけにはいかない。

 すると、腕を組んでゴミ虫でも見るような目でカリンを睨んでいたみずきが口をひらいた。

「そうしてあげてもいいんだけど、いまからじゃあ正当防衛にならないのよね」

 やたら不機嫌そうである。命を狙われたのだから当然だが。

「物騒だな、みずき。そんなに床を汚されたのが嫌だったのか?」

「ちがうわよ! そ……それもあるけどっ!」

「だけど、顔を殴るわけにもいかないだろ。相手は女の子なんだから」

 みずきをなだめておいてから、央霞はカリンの前で屈み込んだ。

「まだ痛むか? すまない。加減するつもりだったんだが、どうも素手だとクリティカルヒットが出やすいらしくてな」

 そう言えば、腹はズキズキと痛むし、口内は酸っぱい味がする。

 どうやら、殴られた際に胃の中のものをぶちまけてしまったらしく、部屋のすみにはバケツと雑巾が置いてあった。

「このカーペット、お気に入りだったのに」

 みずきはちょっと涙目だった。

「なあに? 命を狙われたってのに、怒るところはそこなんだ。それとも、圧倒的優位にいる者の余裕ってわけ?」

 泣きたいのはこっちのほうだ。右も左もわからない世界で散々苦労し、ようやく目的が果たせると思ったとたんにこれか。

 そう思うと本当に涙が出そうになったが、敵の前で弱味を見せまいと己を鼓舞し、かろうじてこらえる。

「本当に殺す気だったのか。きみも大概物騒だな」

 驚いた顔はするものの、どこかのんきそうな央霞の肩を、みずきが小突いた。

「だから! そう言ったでしょ?」

「彼女が異世界から来た刺客だなんて話、いくらなんでも信じられるか。ほら、お前よく、鬼が超強いからつかまると死んじゃう鬼ごっことか、わけのわからん遊びをしかけてくるだろ」

「わけわからんゆーな! そんなふうに思ってたのか!」

 ひどいひどいと駄々っ子のようにわめきながら、みずきは央霞をぽかぽかと叩く。

 カリンはぽかんとなった。

 これが、あの気品に溢れ、皆に慕われていた生徒会長の姿だろうか。

 こちらの視線に気づいたのか、みずきがキッとカリンのほうを向いた。

「あなたからも説明してあげて」

「なんで私が」

 カリンはむっつりと返す。そんなのは、当事者だけがわかっていればいいことだ。

「だいたい、どうして桜ヶ丘央霞がここにいるのよ」

「それはもちろん、寮生だからだが?」

「なにをいってるの? ここは女子寮でしょ」

「いや、だから――」

 困惑の色を浮かべる央霞のうしろで、ぷーっという音がした。

 ぷーっ、ぷくすすすす。

 みずきが笑いをこらえようとして漏れ出した音だった。

「やだ、この娘。央霞ちゃんを男だと思ってたのね」

「え……?」

 カリンのあごが落ちる。

 みずきは熟れた鬼灯のように真っ赤な顔になって、痙攣する腹部をおさえていた。

 まじまじと央霞を見つめる。


 凛々しい顔立ち。

 低く落ち着いた声。

 図書館での紳士的な振る舞い。


 それに――


「だ、だって、私のクラスメイトがイケメンって言ってたし……それって、格好いい男の人って意味なんでしょう?」

「たしかに、よく言われるが……」

「その場合、イケメンだとか、単に面がイケてる程度の意味でしょうね」

「わかるかー!!」

 そんな微妙なニュアンス、使い魔の翻訳機能では伝えきれるはずもない。

「そんなことないでしょ。さらさらのロングヘアに、女子の制服。おっぱいだってそれなりにあるんだから」

「か、髪は男でものばす人はいるし、服と胸は……服と胸は、その……ごめんなさい。目に入ってませんでした」

 いくら相手の目ばかり見るクセがあるからといって、これはちょっと注意力散漫すぎるだろうと、自分でも思わずにはいられなかった。

「さすがに、この歳になって男と間違えられるとは思わなかったな」

 結構ショックを受けているらしく、央霞は沈んだ表情をしていた。

「やーい、やーい。わたしを信じなかった罰なんですぅ」

 みずきは笑い転げながら、央霞の身体を人差し指でつんつんつついた。

 その姿を見ているうちに、カリンの腹の底から、ふつふつと怒りがわいてきた。

「ちょっと、あんた! あんたよ、白峰みずき!」

「なあに?」

「なあに、じゃないでしょう! わかってるの? タイカの話をするってことは、あなたの親友を戦いに巻き込むってことなのよ」

「わかっていないのはあなたよ」

 みずきは笑いを収め、すっ、といずまいを正した。

 とたんに、これまで振りまいていた稚気は鳴りをひそめ、威厳と風格めいたものが漂う。

「桜ヶ丘家は、代々白峰家に仕える家柄なの。だから央霞ちゃんは、わたしの言うことやることに、決して逆らったりはしない」

「奴隷ってわけ?」

「それだと外聞が悪いわね。いちおう、立場上はわたし付きのメイドってことになってるけど」

 メイド?

 カリンが目を向けると、央霞は無言でうなずいた。

「嘘だ!」

 思わず叫ぶ。

「お前みたいなメイドがいるか!」

 カリンの知っている、この世界のメイドとは、もっと可憐でかわいらしいものだ。

 うっかりその格好をしてしまって、あとで自分のキャラではなかったと落ち込むほどに。

「いや、わかる。私も、似合わない肩書きだとは思っているんだ」

 自分のことだというのに、央霞は妙に恬淡としていた。

 まさか、悟りの境地とでもいうのか。

「とまあ、いちおう主従関係ではあるんだけれど、実際はそのへんどうでもいいのよね。大事なのは、わたしと央霞ちゃんの絆が、親友とか幼馴染とか、そういうものすら超えるレベルのってこと。さらにつけ加えるなら――」

 白魚のような指で、みずきは央霞の髪をかきあげた。

「わたしは、央霞ちゃんもだと考えているの」

「ど、どういう意味?」

 動揺を隠せないカリンを前に、みずきは満足そうに目を細めた。

「アルマミトラの魂が砕け散る瞬間を、あなたも見たでしょう? 砕けた魂の欠片は、流星となってこちらの世界に。――さて、その意味するところはなんでしょう?」

「なんですって……」

 カリンの声が上擦る。


 待て。


 待て待て待て待て待て。


 それじゃあ、邪神アルマミトラは。

 その魂を宿す者は――


「何人もいる……ってこと……?」

「大せいかーい」

 みずきは破顔し、パチパチと手をたたいた。

 カリンは絶句する。

 これまで、たったひとりの転生体を倒せば事は済むと思っていた。

 だが、思い返してみれば、誰もそんなことは言っていない。すべては、カリンの勝手な思い込みだったということか。

「女神の魂を持つ者を、わたしは《欠片の保有者》と呼んでいるわ。欠片同士がふたたびひとつになろうとする作用により、《保有者》同士はいずれ巡り逢う運命を持つ。期間はだいたい、わたしが大人になるくらいまでかな。だから、わたしにとって重要な出会いは《魂の欠片》が惹かれあった結果である可能性が極めて高いってわけ」

「今度のは妙に凝った設定だな」

 央霞が感心したように言う。

「こんなこと言ってるけど、いずれ女神の記憶が覚醒めざめれば、嫌でも信じることになるわ。まあ、央霞ちゃんなら、いまのままでもわたしを全力で守ってくれるんですけどね」

 挑発するように、みずきは胸を張った。

 カリンのほうでは、そんなものにいちいち反応している余裕すらなくなっている。

 みずきは、新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに邪悪な笑みを浮かべた。

「あらあら。そんなにしょげなくったって、どうせあなたはここで終わりなのよ。さっきは正当防衛とか言ったけど、央霞ちゃんさえ口裏を合わせてくれれば揉み消す方法はいくらでもあるんだから」

「いや、それなんだが。私は彼女を、このまま逃がそうと思う」

「「ええっ!?」」

 意外すぎる提案に、驚いたカリンとみずきの声が重なった。

「どうして央霞ちゃん! この娘はわたしを殺そうとして……はっ! そ、そう言えば、前に会ったことがあるって言ってたけど、そのときに――」

「ちがうぞ」

「まだ最後まで言ってない!」

「聞かなくてもだいたいわかる。お前の考えてるようなことじゃない」

 央霞がみずきの頭に手を置くと、急速に風船がしぼむように彼女の興奮は収まり、「……うん」とうなずいたきり黙りこくってしまった。

 そのまま、みずきはうしろへ後退り、ベッドにぺたんと尻を落とす。心なしか惚けたような表情で、頬もほんのり上気していた。

 まるで魔法のようだが、魔力の動きがなかったので、そういった類でないのはあきらかだった。

 本当に、ただふれただけなのだ。

「……猛獣使いかなにか?」

「うん? よくわからんが、どちらかといえば、猛獣は私のほうだろう」

 冗談めかして言う央霞は、表情も和やかで、こちらの緊張をやわらげようという気遣いさえ感じられた。

(ま、惑わされるもんか!)

 簡単には心を許すまいと、カリンは己を戒める。

「さて。正直なところ、ふたりして私をからかっているという疑念はぬぐいきれないところなんだが」

「そうね。そう思っているほうが、あなたにとっては幸せだと思うわよ」

「だが、あの殺気は本物だった。それをなかったことにするわけにもいかない。……なあ、倉仁江さん。それとも、カリン・グラニエラか? きみにどういう事情があるかは知らないが、あきらめてもらうわけにはいかないのか?」

「無理ね。止めたいなら私を殺しなさい。こっちは彼女を一度殺してるのよ。いまさら躊躇するなんて思わないで」

「そうか」

 央霞は目を伏せる。

 予想した答えだったのだろう。声に失望の響きはなかった。

 しかし、次にカリンを見たとき、彼女の目はこれまでにない真剣味を帯びていた。

「それなら、ひとつだけ約束してほしい」

「聞くわ」

 思わず答えていた。

 真剣さにほだされたわけでも、相手がカリンにとって恩人だったからでもない――気がする。

 正直なところ、なぜそう答えしまったのか、カリン自身にもわからなかった。

「この次、みずきを襲うと決めたときは、その前に私と戦ってくれ。私を倒すことができたなら、あとは好きにしていい」

「……それだけでいいの?」

 カリンは訊き返した。

 今回は不覚を取ったが、まともに立ち会えば、カリンがただの人間に負けるはずがない。

 奈落人アビエントの騎士とは、まず己が強さをもって兵たちを従える存在なのだ。

「ダメよ、央霞ちゃん。そんな約束、この娘が守るはずないわ」

「どうなんだ? カリン・グラニエラ」

 みずきの叫びを背中に聴きながら、央霞が訊ねる。

 その言葉の終わらぬうちに、カリンの頭上に穴があいた。

 天井を貫き、落下してきた槍が床に突き刺さる。

 その際に、カリンを縛っていた縄も断ち切られ、足許に散らばった。

「来てくれたのね、《アード》」

 使い魔の変じた槍をつかむと、かすかな震えがそれに応えた。

「逃げるつもり!?」

 みずきが柳眉を逆立てる。

 これまでか――カリンは真上に跳躍した。

 そのまま屋根まであがり、息つく間もなく隣の建物へと飛び移る。手足に翼と噴射口を形成し、さらに隣へ。

 そうやってひと区画分ほど移動したところで背後を振り返った。

 どうやら追ってはこないようだ。カリンは、鈍痛を発するみぞおちを指でさすった。

(桜ヶ丘央霞――おかしな奴)

 久々に味わう敗北の苦さ。

 だが、それを与えた相手は、敵なのか味方なのかもよくわからない。

 街を見おろす月が、雲に覆われつつあった。

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