第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 5
帰宅ラッシュ時の、ひしめくような電車内。
桜ヶ丘陽平がドアの近くに立って外を眺めていると、頭上からのアナウンスが、ふたつ先の駅構内でトラブルがあったと告げた。
スマホを取り出し、なにか情報はないかと検索する。すぐに、誰かの撮影した動画がヒットした。
画面の中で、目から怪光線を放つ吐く男が鉄道警察相手に大立ち回りを演じている。
車輌内にため息が満ちた。これで数時間の遅延は確実である。
数年前――美衣浜市上空に謎の巨石が出現した頃から、超能力とでも呼ぶしかない、奇妙な力を持つ人間が現れるようになった。
絶対数こそすくないものの、彼らの起こす犯罪に、従来の警察力では対応できなくなくなりつつある。
近々、対超能力者専門の部隊が新設されるという話も持ちあがっているが、皆期待と不安半々といったところだ。
家に帰り着く頃には午後十時をまわっていた。
これから独り侘びしい食事を摂らねばならないことを思って、陽平は長く重いため息をつく。
少々込み入った事情から、陽平は両親と離れて暮らしている。
この家は兄の名義で、他に下の姉が住んでいるが、去年から学校の寮に入ってしまった。兄も最近仕事が忙しく、ほとんど家に帰ってこない。
上の姉が気に懸けて、ちょいちょいようすを見に来てはくれるものの、さすがに毎日というわけにはいかない。
なまじ、小五という歳の割にしっかりしているのもよくないのだろう。こちらは我慢することに慣れ、向こうはそれに甘えてしまう。
(まあ、言ってもしょうがないんだけど)
そんなことを考えていた陽平の足が、我が家を前にして止まる。
メイドの格好をした女が行き倒れていた。
陽平が家に入るのを妨げるように、力なく身体を投げ出している。
事件? 事故?
とっさに浮かぶ可能性は、どれも穏やかならざるものだった。
どうしよう。近所の人を呼ぶか? それとも警察に連絡? ていうか、なんでメイド服?
なにか判断するための材料はないかと、陽平は女に近づいた。
おそるおそる声をかける。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ぎゅるるるるるるぅぅ」
鳴いた。
盛大な――これは、腹の虫だ。
「すみ……ません……なに……か……食べるもの……を……」
虚ろな目をひらき、弱々しい声で女は訴えた。
「わ、わかりました!」
陽平は、メイド服姿の女に肩を貸した。
女性とはいえ、脱力した人ひとり運ぶのはかなりの重労働だった。
なんとか女をリビングのソファに寝かせ、ひと息つく。
額の汗をぬぐいながら、あらためて女の顔を眺めた。
褐色の肌にプラチナブロンド。パーツのはっきりした顔立ちは日本人のものではない。
それに、思ったよりも若い。下の姉とおなじくらいだろうか。
(きれいな人だな)
見とれていたことに気づいた陽平は、慌ててキッチンへ移動し、冷蔵庫をひらいた。
とりあえず、すぐにできるものを。
使える食材を確認し、チャーハンと野菜炒めを作ることにする。
「お待たせです」
完成した料理を皿に載せ、リビングに持っていく。
香りが届いていたのだろう。すでに身を起こしていた女は、目を輝かせてテーブルににじりよった。
「なにこれ!? すごくおいしそう!」
「どうぞ……遠慮しないで」
レンゲを手渡す。
はじめのうちこそ女は躊躇うような素振りを見せていたが、最初のひと口を食べたあとは、火がついたような勢いでチャーハンをかきこみはじめた。
箸は使えるかと訊ねると、案の定、使えないという答えが返ってきた。むしろ、存在自体を知らないらしい。なので、野菜炒めにはフォークを使ってもらった。
「ぜんぶ、あなたが作ったの?」
もしゃもしゃと料理を頬張りながら、女が訊ねた。
「は、はい」
「こんなにおいしいの、はじめて食べたわ。料理上手なのね」
「あ……その……そうだ、オレの分!」
陽平は慌てて席を立つ。
満面の笑顔と手放しの称賛に、とっさにどう返せばいいかわからなかった。
キッチンからもどると、女は空になった二枚の皿を突きだした。
「おかわり!」
陽平が黙っていると、女は不安そうに「……ある?」と首をかしげた。
チャーハンと野菜炒めをそれぞれ三皿ずつ、女はきれいに平らげてくれた。まったく、作り手冥利に尽きるというものである。
「それで、お姉さん」
「カリンよ」
満ち足りた表情でお腹をなでながら、女は名乗った。
「カリンさんは、なんでうちの前に倒れてたの?」
「それは……」
カリンは口をつぐみ、視線といっしょに身体を左右に揺らした。
どうやら自分の行動を順に思い返していたらしく、額をおさえてうつむき、「ああ、なんてこと」と呻いた。
「油断してたわ……緊張と興奮で判断力が鈍ってたってのもあるかも……まさか、一歩も動けなくなるまで気がつかないなんて……」
ぶつぶつと、そんなことを言っている。
「……よくわからないけど、道に迷ったんだね」
「でも、おかげで助かったわ。ありがとう……ええと」
「オレは陽平」
「ヨーヘイ? 変わった響きの名前ね」
ヨーヘイ、ヨーヘイと、カリンは口になじませようとするかのように繰り返した。
なんだか、照れ臭い。
「ね、ねえ。カリンさんはどこから来たの?」
「アビエントラント」
「アビエン……聞いたことないけど、どこにある国?」
訊き返したとたん、カリンの表情が固まった。
答えを待ったが、彼女は黙ったまま、額に汗を浮かべている。
「き……きっと、すごく遠いんだね」
「そうね……遠い、とても遠い国」
「日本にはなにしに?」
「ニホン?」
「うん」
「あ、ああ! この国のこと……よね? ニホン……そう、ニホン……」
――そういう名前なんだ。
聞き違いかと思ったが、カリンはたしかに、小声でそう呟いた。
おかしい。
これだけ流暢に日本語を話すのに、日本のことを知らないということなどあり得るだろうか?
「それで、なにしに来たのかって話だけど……」
「え、ええと……ニホンのことが好きで、文化とか、言葉とか? いろいろ知りたいと思って」
ぎこちない笑顔で、カリンは答える。
「そっか。カリンさんは留学生だったんだ。もしかして、マンガやアニメから興味を持ったとか? 海外でも人気だって聞くけど」
「まん……なに?」
「クールジャパーン!」
「く、くー……? ええええ……」
カリンの発汗量が倍くらいになった。
「なるほどねー。それでメイドの格好してるんだね」
カリンの動揺には気づかない体を装い、陽平はうんうんとうなずいた。
「服……? こ、これは、たまたま街で見かけて、可愛いと思ったから着てみただけで……」
「そういう服って、専門のお店じゃないとなかなか買えないと思うんだけど、道に迷ってたわりには、ずいぶん街に詳しいんだね」
「そ、それもたまたま。たまたまお店を見つけたの」
いや、無理があるだろ。怪しいだろ。
陽平は内心でツッコミを入れた。
招き入れておいてなんだが、彼女は胡散臭すぎる。
「買い物をしたってことは、お金は持ってたんだよね? なんでお腹がすいて倒れる前に食べ物を買わなかったの? メイド服の前に着てた服は? そもそも日本にはどうやって来たの?」
立て続けに質問を浴びせると、カリンはみるみる青ざめてゆき、あわあわと口を動かした。
陽平はスマホを取り出す。
「あのさ。警察に電話していい?」
「け、けい……?」
それも知らないのか。
怪しいを通り越して呆れてしまう。なんなんだこの人は。宇宙人かなんかなのか? というか、大丈夫なのか? いろいろと……
とにかく、これ以上関わり合いになるのはよそう。警察に保護してもらえば、自分よりよほど適切な対応ができるはずだ。
陽平がスマホを操作しようとすると、それよりも速く、カリンがテーブルを乗り越えて迫ってきた。
「なにすんだよ!」
腕をつかまれた拍子にスマホを落としてしまう。
拾おうとしたが、もう一方の手で肩をがっちりホールドされているので動けない。
「待って。お願い」
金色に輝くカリンの瞳が、陽平の目を覗き込んできた。
とたんに、眩暈にも似た感覚に襲われる。
キーンと耳鳴りが起こり、頭がくらくらした。
「お願い」
カリンは繰り返した。
彼女の顔の、瞳以外の部分がほとんど判別できない。本当に瞳が光を放っているかのようだ。
舌がこわばって、声が出てこない。
それがわかっているのか、カリンはゆっくりとした口調で続けた。
「私の嘘を信じて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます