第四片 明らかになる真実 3
「こういう言い方はなんだが、運がよかったな」
ややぎこちない口調で菊池は言った。
休戦協定が結ばれてから数日が経っている。
アルメリアの起こした事件は、何者かの撒いたガスが原因とされた。警察はその線で捜査を進めてはいるが、犯人にたどり着くことはないだろう。
いまだ、あちこちに生々しい破壊の跡は残ってはいたものの、瓦礫や壊れた物の破片などはすっかり片付いていた。
校舎や施設の修復が急ピッチで進められ、みずきをはじめとする生徒会も、生徒たちが一日もはやく元の学園生活を取りもどせるよう、学園側と協力体勢を組んで復旧に尽力している。
「倉仁江は、たまたま学校を休んでたから、事件に巻き込まれずに済んだんだものな」
「ええ。おかげさまで」
まさか、事件の犯人と顔見知りで、しかもおなじ部屋に住んでいるとは、さすがに言えない。
そんなカリンのようすを見て、菊池は苦笑した。
「いかにも日本らしい曖昧な言い回しを覚えたな。本当は風邪じゃなくて、なにか悩みがあったんじゃないのか?」
教諭陣の中ではいちばんの若手だが、彼は生徒をよく見ている。
カリンのことも、学園に通い始めた当初から、なにくれと気遣ってくれていた。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
「そ、そうか……」
菊池はまだなにか言いたそうだ。
「どうかしましたか?」
「いや……年頃の女の子は難しいなと、今更ながら思うようなことが……な」
「なんですか、それ」
カリンもちいさく笑う。
「と、とにかく。困ったことがあったらすぐに言うんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
仲間があれほどの騒ぎを起こした後で、またこうして学園に通っているというのも、なんだかおかしな感じだった。
迷惑をかけたことを誰かに詫びたい気持ちもあったが、そうするわけにもいかない。犠牲者を出さずに住んだことが、せめてもの慰めだった。
教室にもどると、茉莉花が話しかけてきた。
「やっほー。きくっちゃん、なんの話だったの?」
「休んでたあいだのこととか、不便はないかとか」
「そっかあ。あんなことがあって、あたしたちでも不安だもん。花梨ちゃんはなおさらだよねえ」
そう言って笑う茉莉花は、以前とまったく変わらぬように見えた。
「なんかさー、あれから事務処理の仕事が増えたとかで、チキがしょっちゅう生徒会室に呼ばれるんだよね。あたしも手伝うって言ってんのに、大丈夫とか言って拒否られるしさー」
「茉莉花が仕事をしないで騒ぐからじゃない?」
「えー? あたしは場を盛りあげようとしてだね」
本当に、彼女は変わらない。
相変わらず明るく振る舞っているし、人付き合いの苦手な友人の心配もする。
茉莉花自身、あの騒動に巻き込まれ、ずいぶん酷い目にも遭ったというのに、少なくとも表面上は、そのことが影を落としているようすはない。
心がしなやかなのだ。だから、折れない。
それは、彼女がこれまで健やかに生きてこられたという証なのだろう。
だからこそ、カリンはアルメリアに対して怒りを覚える。
茉莉花のような人間を育てた世界は、それ自体が貴重でかけがえのないものだ。何者にも、それを奪う権利などない。
カリンたちは、使命を果たしたら、この世界からいなくなる人間である。本来、縁もゆかりもない《こちら側》に対し、そのことをもって、なにをしてもよいなどと考えているのなら――
そんな連中を、許すことはできない。
「おっと」
トイレにいこうと廊下を歩いていると、山茶花とぶつかりそうになった。
たちまち、不穏な空気が流れる。
「よくもまあ、顔を出せたものだね」
山茶花は眉間にしわを刻み、視線で殺そうとするくらいの勢いでカリンを睨みつけてきた。
「やめてよ、こんなところで。休戦中よ」
「わかってる。ボクだって馬鹿じゃあない」
山茶花が生きていると知ったときはさすがに驚いた。
治癒能力があるとのことだったが、その力で央霞を治すようにとは、あえて言わなかった。
モルガルデンと央霞の対決が先に延びれば、それだけカリンにも、次に戦うときに備えて対策を立てる時間が稼げる。みずきたちにしたところで、いまは学内のことに時間を使いたいだろう。
味方の敗北を前提に――もっと言えば、モルガルデンを捨て石にするにも等しい考えだったが、次善の策を講じること自体は、誰に批難されるいわれもない。
それに、もはやあのふたりは、カリンにとって仲間と呼べるかすら怪しくなっていた。
「そういえば、新しく見つかった《保有者》って、千姫ちゃんだったのよね」
振り返ってみれば、アルメリアを一撃で昏倒せしめるほどのパワーを発揮したり、ひとりだけ術の効きが悪かったのは、千姫が《欠片の保有者》だったからだと考えられる。
「彼女はどんな能力を持ってるの?」
「はあ? 教えるわけないだろ」
「だよねえ」
だったら訊くな、と言わんばかりに山茶花が舌打ちする。
遠梅野千姫が《欠片の保有者》であると判明したとたん、みずきは各所に手をまわして、たちまち彼女を学生寮に入れてしまった。そのあたりの手際は実に鮮やかだ。
これで、うかつに千姫に手を出すこともできなくなったわけだが、それはまあ、構わない。
カリンにしろモルガルデンにしろ、まずは央霞を倒すことに専念するつもりだったからだ。
「……だけどアイツ、央霞先輩のこと、露骨にけなすんだ」
「アイツって、千姫ちゃんのこと?」
「そうだよっ。まさか、おなじ《保有者》で、央霞先輩が嫌いな奴がいるなんて思わなかった」
央霞と千姫のいがみ合い――と言うより、千姫が一方的に央霞に噛み付くようすは、みずきにつけた使い魔を通してカリンも観察していた。
以前は内に溜め込んでいたものを、その場に吐き出しているという感じで、央霞も周囲も軽く受け流すようにしているようだったが、ひとり山茶花だけは、時折こらえかねて文句を言ったりしていた。
もしかして、彼女が不機嫌なのはそれが理由なのか?
ならば、いまこうして突っかかってきているのは、多分に八つ当たりの要素があるということだ。
「べつにいいじゃない。ライバルが増えなかったんだから」
「はあ!? ボクはべつにそんなんじゃないから」
「はいはい」
「……っていうか、あんたこそどーなんだよ。央霞先輩のこと、どう思ってるんだ?」
「どうもこうも」
カリンは苦笑した。
そうするしかない場面だったからだ――本来ならば。
央霞のことは特別に思っているが、それは山茶花が想像しているようなものではない。
「私は
しかし、どうしたわけか、相当に意識して表情を作らねばならなかった。
あたりまえであるはずのことが、あたりまえでなくなっている。
己の中に生じている言いようのない変化に、カリンは戸惑いを覚えた。
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