第四片 明らかになる真実 2

「ずいぶん、仲良くなったみてえだな」

 ふたたび両手を縛られたみずきにスプーンで食事を与えていると、モルガルデンがからかうように言った。

「オレたちの見てねえところで、ナニをしてたんだろうな?」

「あんたといっしょにしないで」

 カリンは顔をしかめる。まったく、この性欲魔人ときたら。

 食卓についてからからずっと、みずきに粘つくような視線を送っている。おかげで、隣にいるカリンまで、その余波にあてられて鳥肌が立ちっぱなしだ。

「提案があるんだけど、いいかしら?」

 みずきが言った。

「おもしれえ話なら聞かないでもないぜ」

「あなたたちにとっても悪くない話だと思うわ」

「……言ってみな」

「ありがとう」

 みずきは、口許をナプキンでぬぐうよう求めてきた。やや釈然としないものを感じつつも、カリンはそれに従う。

 それから、みずきはゆっくりと、自信に満ちた口調で発した。

「いますぐに、わたしを解放しなさい」

「なにを言いやがる!」

 モルガルデンは吼えた。

 まあ、当然だろう。カリンでさえ耳を疑ったほどだ。いったいどこをどう押せば、そんな虫のいい要求が出てくるのか。

「話は最後まで聞いて。あなたさっき、央霞ちゃんと戦ってみたいって言ってたわよね?」

「それがどうした」

「今日の戦いで、彼女は決して軽いとは言えないダメージを負ったわ。どうせなら、万全の状態の彼女と戦うほうが、いいとは思わない?」

「なに? う……む。そりゃあ、な」

 モルガルデンの舌鋒が鈍る。

 カリンにもだんだんわかってきた。央霞の傷が癒えるまで、互いに手を出さないという協定を結ぼうというのだ。

 しかし、それだけでは解放しろという理屈は通らない。

 央霞を説得するならば、交渉の席でおこなえばいいだけの話で、せっかく手許にあるカードを手放したところで、こちらにはなんの益もないではないか。

 案の定、モルガルデンもすぐにその点を指摘した。

「わからないかなあ」

 理解の遅い生徒を前にした教師のように、みずきは首をひねった。

「そうしないと、交渉の余地すらなくなるわよ」

「どういうこった。わかるように言えよ」

 モルガルデンが、苛々したように膝を揺すった。それを見て、みずきは無邪気に微笑む。

「だからね、はやくわたしを返さないと――」

 言い終わらぬうちに、玄関のほうで凄まじい破壊音が響いた。

「な、なにが――!?」

 リビングのドアが吹っ飛び、反対側の壁に激突する。

「央霞ちゃんが来て、なにもかもぶち壊しちゃうってこと」

 みずき以外の全員が――死んだ魚のような目でテーブルに突っ伏していたアルメリアさえもが飛び起きて――部屋の入口を見つめる。

 これだけ派手な破壊をおこなったにも関わらず、いやにゆっくりとした足取りで、央霞が入ってきた。

「無事か?」

 央霞はひと言、そう訊ねた。

「うん!」

 みずきは嬉しそうにうなずくと、ぴょんぴょん跳ねて央霞のところへいった。

「はやかったね。わたしなら、もうちょっと時間は稼げたんだけどな」

「お前をこんなところに置いておけないだろう」

 こんなところとは失礼ね、と綾女が文句を言う。央霞は、ちらりと彼女を一瞥しただけだった。

 央霞の関心は、あくまでみずきに向いているらしく、淡々とした動作で手足の紐を引きちぎっていく。

「どうしてここがわかったの?」

 カリンの問いに、央霞はようやく表情らしきものを見せた。

 やや疲れの色のある口許に、こちらを挑発するような笑みが浮かぶ。


「愛の力だ」


 カリンは絶句する。まさかの答えであった。

 あまりに堂々としていたので、思わず納得しそうになったが、そんなことで誤魔化されるものか。

「いやーん。央霞ちゃんったら」

 みずきが身体をくねらせている。

「誰かの特殊能力か、みずきが小細工したとか、そういうことじゃないの?」

「さあ? でも、昔っから、わたしがどこにいても見つけちゃうのよね、央霞ちゃんは」

「なんとなく、わかるんだよ。風の音に耳を澄ますように……目をとじれば、みずきの存在が感じられる」

「嘘でしょう!?」

 カリンは天を仰いだ。

 肉体改造もなしに、邪神を探知できる自分とおなじような能力を身につけているとでもいうのか。いったいどこまで非常識なのだ、この女は。

 ああ、しかし、動物は群れの中から我が子の鳴き声を正確に聞き分けるというし、愛の力というのもあながち間違ってはいないのかもしれない。

 そこでようやく、モルガルデンが衝撃から立ち直った。

「お……おうおう! ひとりで乗り込んでくるたァ、いい度胸だな!」

 最近観た時代劇の悪役のようなセリフを吐く。

「お前か、山茶花をやってくれたのは。皆におかしな術をかけたのは、そっちの奴か?」

 央霞に睨まれ、アルメリアが硬直する。

 かろうじて恐怖をおもてに出したり震えたりせずに済んでいるのは、名門のプライドのなせるわざか。

「事情はご存じってわけかい。だったらどうする? いま、ここでやるかい?」

「待って! ふたりとも」

 みずきが両者のあいだに割り込んだ。

「央霞ちゃん、ここで戦ったら、奈須原さんに迷惑がかかるわ。モルガルデンさんも、万全の状態の央霞ちゃんと戦いたいって言ったばかりでしょう」

「どうせならってだけの話だ」

「このままわたしを返してくれたら、責任を持って央霞ちゃんを決闘の場に連れていくわ」

「口先だけならなんとでも言える」

「わかった。それなら――」

 みずきが、カリンのほうを向く。

「え? わ、私?」

「倉仁江さん、あなたの使い魔を見張りにつけてちょうだい。もし、を守る気がないと判断したら、その場でわたしを殺せばいい」

「なんだと」

 今度は央霞が驚きの声をあげた。

「お前、正気か?」

 モルガルデンも呆れたように言う。

「私が……約束を破るとは、考えないの?」

「信じてもらうためにはそれくらいしないと」

 いやに自信に溢れたようすで、みずきはカリンに微笑みかけた。

 こちらの信用を得るために、まず自分が信用していることを示す――たしかに、理屈は通るが……。

 なんとはなしに央霞を見る。

 視線が合った。

 慌てて目をそらしたカリンは、その瞬間、べつの可能性に思い到った。

(そうか。私は……)


 ――この目を、恐れているのだ。


 桜ヶ丘央霞の。

 彼女の信頼を。


 アルメリアが百花学園を蹂躙したとき、なにより苦しいと感じたのは、これで央霞の信頼を失ったと思ったからだった。

 捕らえられた状況で交わされたものではあったが、央霞との約束は、カリンの中で、どこか神聖なものになっていた。

 あらためてなぜかと自問すれば、それが央霞との絆に他ならないからだという結論に達した。

 カリンにとって、桜ヶ丘央霞とは、任務達成を妨げるただの障害と呼ぶには、あまりにも大きな存在だった。

 この世界にやって来たばかりで、まだ右も左もわからない時分に親切にしてくれた恩人であり、英雄と祭りあげられたことによる自信を完膚無きまでに打ち砕いた敵であり、彼女の話をはじめてちゃんと聞いてくれた相手でもあった。

 もはや、ただ勝てばいいという相手ではない。

 最大限の礼節を以て応じ、尊敬を勝ち得た上で打ち倒さねばならない――そういう種類の敵に、央霞はなっていたのだ。

 そして、そんな相手に対し、アルメリアの一件のせいで、カリンは負い目を抱かざるを得なくなった。

 もちろん、あの戦いにおいて、カリンはなにもしていない。アルメリアを止めるということも含めて。

 約束を破ったわけではないと言い張ることもできる。しかし、そのことになんの意味があろう? こうして央霞と対峙したときに、堂々と胸を張ることができない自分を知ってしまったいまとなっては……。

 みずきが“約束”などという言葉を口にしたのは、そうしたカリンの心理に気づいたからではないだろうか。

(だとしたら悪魔か、この女――って、それどころか邪神だったわ! そう言えば!)

「どうかしら、おふたりさん」

 内心動揺しまくるカリンをよそに、当のみずきは、央霞とモルガルデンに対し、可愛らしく小首をかしげてみせた。

「ふん……まあ、それならいいか」

「私は、みずきがいいなら構わない」

「それじゃあ、休戦協定成立ってことで」

 満足そうに、みずきは指先で拍手をした。

「おい」

 モルガルデンが、あごをしゃくってカリンを促す。

「《アード》」

 カリンの呼びかけに応え、黒猫が姿を現した。

「あら、可愛い」

「よけいなことはいいから。袖をまくって、こっちに向かってのばして」

「こう?」

 みずきが、カリンの言った通りにすると、露わになった彼女の腕に《アード》が跳び乗った。

 次の瞬間、するりと腕に巻きつくような動きとともに、使い魔の身体は体積を失い、黒猫のタトゥーとなって肌に張りついた。

「こんな場所じゃ、誰かに見られちゃうんじゃない?」

 心配顔で、みずきが言う。

「大丈夫。ふだんは見えにくい場所に移動してるから」

「えっ……まさか、下着の中とか? やだ……えっち」

「あのねえ……そのタトゥーは、いつでもあなたを殺せる武器なのよ」

 呆れるカリンに、みずきは「冗談よ」と手を振った。こんな状況で冗談を言える神経が信じられない。

「ひとつ、忠告しておく」

 立ち去る間際に、央霞が言った。

「今回のようなやり方は、もうするな」

「今回のようなって?」

 へらへらと、モルガルデンが訊き返す。

「周囲を巻き込むようなやり方だ」

 静かな声音だったが、それだけに央霞の激しい怒りが感じられた。

「オレたちゃ敵同士だ。指図される筋合いはねえ」

 けどよ――と、モルガルデンは続けた。

「どうせテメェは次で死ぬんだ。そしたら心配する必要もなくなるぜ?」

「とにかく、勝負の日までは大人しくしているんだ」

「さあて。どーしよっかねェ……」

 空気が張りつめ、両者はしばし睨み合う。

「わかったよ」

 先に視線をそらしたのはモルガルデンだった。

「アンタは旨そうだしな。つまみ食いを我慢するする価値もあるってェもんだ」

「日時と場所は追って報せる」

「楽しみにしてるぜ」

 不敵に、モルガルデンは歯を剥いた。

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