第四片 明らかになる真実 4

 ついでに央霞の怪我の具合を山茶花に訊ねたところ、あと三日もあれば完治するだろうとのことだった。

 一発殴られただけのアルメリアが半日寝込み、つい昨日ようやく鼻にあてていたガーゼが取れたことを思えば、驚異的な回復力と言える。

 彼女は本当に人間か、とも訊いてみたが、「ボクもそれはちょっと思う」と、山茶花も不思議そうに言っていた。

「もうすぐか。ワクワクすんぜ」

 モルガルデンは、夕食のメインディッシュである骨付きチキンを、骨ごとバリバリ囓った。

地表人デアマントにゃあ、たいした手練れはいなかったし、奈落人アビエント同士の私闘も禁じられて久しいからな。ああいうヤツと戦えるチャンスは、本当に貴重なんだ」

 謀略を好む奈落人アビエントではあるが、戦闘狂と呼ばれるような者も、実のところ、相当数存在する。

 戦闘用に改造した肉体を、実戦で試したいと思う気持ちは、カリンにも理解できる。そうした連中は、一種の求道者のように、戦闘のみに特化した肉体改造を繰り返す。

 モルガルデンの属するダンデラ族は、元は山間部で平和に暮らす弱小部族にすぎなかった。それがあるとき、下級奈落人アビエントの一種族であるオークの群れに襲われた。

 結果誕生した混血児たちは、どういう作用か、全員が頑健な肉体と優れた武勇の才を持ち合わせていた。まったく、どこの戦闘民族かとツッコみたくなる。

 彼らはたちまち周辺部族を平らげ、一大勢力を築くに至る。およそ百五十年前の出来事であった。

 モルガルデンは、その混血児の末裔にして、女だてらに一族最強と謳われた戦士である。

 出自としては卑しかったが、腕っぷしひとつで成りあがり、アビエントラントでも有数の騎士のひとりとなった。

 正直なところ、武人としての彼女には、素直に尊敬の念を抱いている。

 しかし、そんなモルガルデンであっても、あの央霞を相手に、はたして勝機があるだろうか?

「……おい」

 モルガルデンが、険しい目つきでカリンを見やった。

「まさかテメェ、オレが負けるとか思ってるんじゃあねえだろうな?」

「えっ……そ、それは……」

 図星を突かれ、カリンは返答に窮した。

「舐めんじゃねえや。オレ様は三豪のモルガルデンだぞ」

「そのうちふたつ、戦いとは関係ないじゃない」

 モルガルデンが、なぜこの二つ名を受け容れているのかはイマイチ謎だ。

「私は、実際に彼女と戦ったからわかるのよ。あの強さは、ちょっと常軌を逸しているわ」

「ますます楽しみじゃあねえか」

 モルガルデンは大口をあけ、陽気に笑う。するとアルメリアが、へんっ、と鼻を鳴らした。

「勝負のあとも、その態度でいられることを願ってますわ」

「そうだな。戦う前にやられちまったんじゃあ、どうしようもねえもんな」

「なんですって、このイノブタ!」

「ちょっとやめてよ。修理終わったばっかなんだから」

 綾女が仲裁に入る。こうした光景も、見慣れたものになっていた。

「なあ、カリンちゃんよ」

 鬱陶しそうに綾女を押しのけながら、モルガルデンは言った。

「どうせテメェ、オレが負けたら次は自分の番だとか思ってるんだろ?」

 またしても図星だった。

 いかつい外見に似合わず、モルガルデンは鋭い。自分がわかりやすいだけという可能性も捨てきれないが。

「悪ィが、出番はねえよ。いまのうちにタイカと連絡を取って、帰り支度をはじめとくといいぜ」

「なんで私が……」

「馬ッ鹿、オメェ。カーバンクルの紅玉を持ってるのは誰だよ」

 そう言えばそうだった。

 すぐに使うつもりはなかったが、なんとなく懐をまさぐってみる。


「…………あれ?」


 予想していた感触がない。カリンは慌てて、他の場所にも手をあてる。

「ちょ……まさか、あなた」

 アルメリアが腰を浮かせた。

「《ツバード》! 《ドラード》!」

 カリンの呼びかけに、使い魔たちが顔を出す。

〈なんですか?〉〈なにかご用で? ご主人様マイスター

「あなたたち、紅玉をどこかにやった?」

〈まさか〉〈大事なものだから〉〈肌身離さず持ってるって〉〈そう言ったのは〉〈ご主人様だよ〉

 心外な、という雰囲気をありありと出して、使い魔たちは答えた。

「そ、そうよね……変なこと訊いてごめんなさい」

 頬がひきつるのを感じながら、カリンは椅子に腰を落とした。

 アルメリアが、ぽつりと言う。


「なくしたんですの?」


「いやあああああああああああああ!」

 耳をふさぎ、カリンは叫んだ。

 悪い夢だと思いたかった。

「おい……おい。冗談じゃねえぞ」

 モルガルデンが、カリンの胸倉をつかんで捻じりあげた。

「どーすんだ、ええ!? タイカへの連絡手段はあれっきゃねえんだぞ。なくしちまって、どうやって故郷クニに帰れってんだよォ!?」

「それは……その……本国からの、救助を待つ……?」

「ンなもんアテになるかァい!」

「ですよねー」

 宙吊り状態で揺さぶられ、涙と鼻水が左右に散った。

「ああ、もう、この……馬鹿なんですの? 間抜けなんですの? あなたという人は、まったく……ッ!」

 アルメリアが罵る。

「心当たりはありませんの? ほら、冷静になって思い出してみなさいな」

「ええと……あんたたちが来たときには持ってたわ」

「その後は!?」

「うう……わかんない」

「わかんないじゃあないですわよ!」

 石を見つけるまで帰るなと言い渡され、カリンはマンションから放り出された。

 記憶をたどりながら、とぼとぼと街を歩く。

 これまでいったことがあり、なおかつ石を落とした可能性のある場所はどこかと考えてみたが、すべての場所がそうであるような気もするし、逆にどこもちがうという気もする。

 正直、アルメリアたちが来て以降は状況に流されていただけだし、気分も落ち込んでいたので、まともに頭が働いていなかった。

 そんなことだから大事な物をなくすのだと言われたら、返す言葉もないが。

 気持ちを落ち着かせて、一から考えてみる。

 紅玉を使ったのは、タイカに援軍を請うた一度きり。

 手にとって眺めたのも、アルメリアたちの来た日が最後だ。

 それ以降は、服の上からさわって確認することもなかったように思う。

 とにかく、あの日から今日までの道のりを辿ってみよう。そう考え、カリンは空船公園に向かった。

 穏やかな昼下がり。帆船のオブジェを登ったり降りたりして、子供たちが遊んでいる。

 心地よい風が芝生を撫で、試合をおこなう野球少年たちの元気な声が聞こえてくる。

 過去の記憶とさほど変わらない、のどかな風景が続いていた。

 しかし、いまのカリンには、それをのんびりと眺めている余裕はない。

 皿のように目を見ひらき、どこかに落ちているかもしれない紅玉を求め、散歩道を辿っていく。

 三周ほどしたあたりで、さすがにカリンも、この作業が無駄であることを悟った。もしも落としたのがこの辺りだったとしても、時間が経ちすぎている。

(どうしよう……)

 へなへなとしゃがみ込み、両手で顔を覆う。

 このまま石が見つからなかったら――そう考えたら、目の前が真っ暗になった。

〈泣かないで、ご主人様〉〈僕らがついてるよ〉

「ありがとう《ツバード》、《ドラード》……でも、泣いてないから」

 すん、と鼻をすすって、カリンは立ちあがった。

 こんなところでへたり込んでいる場合ではない。あきらめたらそこで試合終了だと、高名なバスケ監督も言っていたではないか。

 あと、可能性があるとしたらどこだろう?

 ひょっとしたら、ここで落とした紅玉を、陽平が拾って持ち帰っているかもしれない。

 そのとき、カリンの脳裏に、使い魔とはべつの声が響いた。

〈倉仁江さん。いま、いいかしら?〉

「白峰みずき!?」

〈あなたの使い魔に声を届けてもらってるのだけれど……そこは外なの? 他のふたりはいない?〉

「私ひとりだけど……どうして?」

〈あなたと、お話がしたいと思って〉

 虫も殺さぬ笑顔が目に浮かぶようだった。

 こんなときに……カリンはため息をついた。

「なんの用? こっちは忙しいんだけど」

〈すぐ済むわ。ねえ、倉仁江さん。あなた、《欠片の保有者わたしたち》を捜す能力を持っているんじゃない?〉

「えっ、なんでそのことを――」

 そう答えてしまったところでハッとなり、慌てて口を押さえる。

 むろん、そんなことをしても意味はない。

「嘘! いまの嘘だから!」

〈あはは。やっぱりそうだったんだ〉

 みずきが嬉しそうに言った。

「だから、嘘だって言ってるでしょ!」

〈とぼけてもダーメ。こないだお話したとき、倉仁江さん言ってたじゃない。央霞ちゃんはまだ《欠片の保有者》になってないのかって〉

「た、たしかにそんなこと……言ったような気も、する、けど……」

 正直、ほとんど記憶にない。

〈わたし、あれでピンときちゃったんだ。だって、あの時点で学園に《保有者》がと認識してないと、あんなセリフ出てこないでしょう? 実際は、三人目の《保有者》は千姫ちゃんだったわけだけど、じゃあ、どうして倉仁江さんは、央霞ちゃんが覚醒したと思ったのかな?〉

「くそっ……そういうこと」

 迂闊だった。綾女宅での会話では、こちらが情報を引き出したつもりだったが、その実みずきに重大なヒントを与えてしまっていたとは。

 やはりこの女、油断ならない。

〈あまり自分を責めないで。そもそも、最初に寮で襲われたときから、どうやってわたしを見つけたのかって、ずっと疑ってたんだから〉

「うう……慰めにならないわよ」

〈それでね、ここからが本題なんだけど……〉

 みずきの声のトーンが、一段低くなった。

〈あなたのその能力、まだ覚醒してない《保有者》も判別できたりする?〉

「さあ? 試したことはないけど……」

 おそらくは可能だろう。ただし、対象にかなり接近しないと難しいだろうが。

 能力を得てから時間が経過したこともあってか、最近では精度があがってきているようにも思う。

 ある程度近づけば個体識別もできるし、気配の強弱も感じられる。それが覚醒の度合いによるものなのだとすれば、対象が未覚醒の場合でも《保有者》であるかどうかがわかるかもしれない。

「まさか、私に新たな《保有者》を捜させようってんじゃあないでしょうね? 言っておくけど――」

〈そんなこと頼まないわ〉

 ころころと笑う気配がする。馬鹿にされているような気がして、カリンはムッとなった。

〈央霞ちゃんをね、見てほしいの〉

「はあ?」

〈だから、央霞ちゃんが《欠片の保有者》なのか、あなたの能力で確かめてほしいのよ〉

「なんでそんなこと知りたいの? ほっといたって、そのうちわかることじゃない」

〈そうなんだけど……〉

 みずきの声が一転、消え入りそうなほど小さくなる。

 常に泰然として、静かな自信に溢れた彼女の態度からは想像もつかない弱々しさに、なんだかカリンまでが不安になってきた。

「な、なによ。あんたらしくないわね。はっきり言いなさいよ」

〈私たち《欠片の保有者》は、いずれどこかで巡り逢うよう運命によって仕組まれている……三善さんがね、言うのよ。わたしや彼女が央霞ちゃんを好きになったのは、そのせいなんだって〉

「うん。まあ、そういうこともあるんじゃない?」

〈軽く考えないで! わたしは、そんなこと信じたくない。誰かの作為とかじゃなく、わたしはわたしとして、央霞ちゃんを好きなんだって思いたいの〉

 決然と言い切りはしたものの、そのセリフはどこか濡れたようで、ふとしたはずみで壊れてしまう脆さをも孕んでいるように聞こえた。

「おかしなことを言うわね。女神って、つまりはあなたのことじゃない」

〈たしかに、わたしは女神アルマミトラの魂を宿して生まれてきたわ。でも、それとはべつに、わたし本来の――人間としての魂も持っているのよ〉

 もしかしたら――カリンは思った。

 みずきは《欠片の保有者》であることを厭うているのかもしれない。

 考えてみれば、異世界の神の記憶などというものに突然覚醒めざめ、その復活のために働かされるなど、迷惑極まりない話ではないか。

 所詮人は神の道具、少女達が本来歩むはずだった生など意に介さないと告げられるようなものだ。

 しかも、己のすべての行動、すべての想いが、操られた結果かもしれないと疑いながら生きていかねばならないのだとしたら――

 その怖ろしさに、カリンはそっと身震いした。

「わかった。機会があったら試してみるわ。べつに、こっちにデメリットがあるわけじゃないし」

〈ありがとう。……よかった〉

 抑制を効かせてはいるが、みずきが心底ほっとしていることは察せられた。

「もしかしてだけど、使い魔を自分につけろなんていったのはこのため?」

〈あはは。バレた?〉

 でも、それがいちばん効率がよかったのだと、みずきは認めた。

 カリンは呆れ、ため息をつく。

「だからって、ねえ……やっぱり危険よ。したたかなんだか馬鹿なんだか」

〈そんなことを言ってくれるなんて、やっぱりあなたは優しいわね〉

「わ、私は……優しくなんか……」

 くすぐったさを感じ、カリンは身じろぎした。

〈優しいわ。優しくて、いい人〉

「ダメだってば。私はあなたの――あなたたちの敵なんだから」

〈わかってる。あなたには戦う理由がある。譲れない想いと、背負っている責任がある〉

「……央霞から、なにか聞いた?」

〈人形を見たわ〉

 みずきを閉じ込めた部屋には、カリンの荷物も置いてあった。

 鞄につけられたお守り人形を見て、彼女は悟ったのだろう。

 だが、たとえわかり合うことができたとしても、カリンがみずきたちとおなじ道をゆくことは決してない。

〈ままならないわね。わたしは《欠片の保有者》で――〉

「私は、アビエントラントの騎士」

〈せめてフェアにいきましょう〉

 すべてを呑み込んだ声音で、みずきは言った。

 カリンは虚空にうなずいて返す。

「望むところよ」

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