第三片 混乱、混沌 5

「あのアマ、抜け駆けしやがって」

 モルガルデンが忌々しげに歯ぎしりする。

 カリンとモルガルデンが到着したとき、百花学園はすでに混沌の坩堝と化していた。

 いたるところに割れたガラスや物が散乱し、逃げ惑う生徒を、目を血走らせたべつの生徒や教職員が追いまわしている。

 あちこちで流血沙汰も起きているらしく、誰も彼もが狂ったように叫んでいた。

 アルメリアは、かつて覇王と恐れられたヘリデ・マイテの後裔とされるヘルメリア家の姫君である。

 アビエンゴース家よりも古くに栄えた王家であり、アビエントラントでも名門中の名門と言える。

 タイカでのアルメリアは、戦場だけでなく、謀略方面でもその手腕を発揮していた。

 こと彼女の特殊能力は、右尾丞相グローリアーナとの協力態勢下でおこなわれた地表人デアマント勢力への分断工作において、とてつもない成果を挙げたという。

 彼女の手かかれば、学園ひとつ大混乱に陥らせるなど造作もないことにちがいない。

 しかし――

「なんてことを……いったいどういうつもりなの?」

 カリンたちの目的は、アルマミトラの――《欠片の保有者》の討伐である。

 関係ない人間を、これほどの規模で巻き込む必要が、どこにあると言うのか。

「おおかたアレだろ。この隙に乗じてってヤツ? それか、単に面白がってやってるかだな」

「なら、なおさらこんな……」

 おやぁ? とモルガルデンは、不審なものを見る目でカリンを見つめた。

「出し抜かれて悔しいってツラじゃあねえなあ。ひょっとして、地表人デアマントどもを巻き添えにしたことが気に喰わねえのか?」

「だから、彼らは地表人デアマントじゃないって言ってるでしょう」

「……まあ、いいけどよ」

 モルガルデンは皮肉っぽく口許を歪めながら、四角いあごをぼりぼりと掻いた。



 まず異変に気づいたのは、やはり央霞だった。

 続いて、聞こえてきた悲鳴や破壊音に、生徒会の面々が怪訝な表情をする。

 央霞は、すばやくみずきと視線を交わす。みずきがうなずく。

 敵が仕掛けてきたのだ。

「他の生徒が心配だわ。央霞ちゃん、ようすを見に――」

「いや、それが敵の狙いかもしれない」

 央霞は、机の上に置かれたみずきの手を握った。

 手のひらに、かすかな震えが伝わってくる。気丈に振る舞っていても、命を狙われている当の本人が怖くないはずはない。

 握る手にいったん力を込め、それから二度、手の甲を叩く。それですこしは安心したのか、みずきはふっと頬を緩めた。

「央霞先輩!」

 勢いよく扉がひらく。駆け込んできたのは山茶花だった。

「外はどうなってる?」

 仰天する周囲を無視し、央霞は剣道着姿の山茶花に訊ねた。

「あちこちで生徒が暴れまわっています。総数はわかりませんが、かなりの数にのぼるでしょう。とても手のつけられる状態ではありません」

 山茶花がそう言った直後、窓ガラスの割れる派手な音が響いた。かなり近い。

「なんだ、何事だ!?」

 蓮宝寺が慌てふためく。何人かが外に出ていこうとするのを、みずきが大声で制止した。

「だめ! 外は危険だわ」

「ですが、会長」

 みずきはくちびるを噛みしめた。

 生徒会としてなにができるか、いま、彼女は必死に考えているのだろう。

 しかし、ただの人間にすぎない生徒会メンバーを動員したところで、対処のしようがないどころか、いたずらに被害を拡大させることにもなりかねない。

「私がいこう」

「央霞ちゃん!?」

 みずきが驚いた表情で央霞を見つめる。

「とにかく原因をつきとめないと」

「そ、そうね……うん。いって。ここは大丈夫だから」

 ひきつった笑みを浮かべるみずきを見て、央霞はぷっと噴き出した。

 周囲から求められているとはいえ、外でのみずきは、いつも強がってばかりだ。

「みずきを頼む」

 山茶花に向かって言うと、彼女は目を見ひらき、ぶるっと身体を震わせた。

 頬を紅潮させ、拳で自分の胸を叩く。

「わかりました。この命に替えて」

「いや、無理はするな」

 央霞は苦笑した。

「あ、待ってください、先輩」

 部屋を出ようとした央霞に、山茶花は持っていた竹刀を手渡した。

「持っていってください」

「いいのか?」

「ボクにはこれがありますから」

 山茶花は木刀を手にしてみせた。

「気をつけてね、央霞ちゃん」

 心配顔のみずきにひとつうなずいてから、央霞は生徒会室を後にした。



 大股で校内を進みながら、央霞はこの混乱をもたらした犯人を捜してまわった。

 状況はますますひどくなっている。

 火災報知器のけたたましいベルが鳴り響き、あちらこちらで黒い煙があがっていた。

 加えて、逃げ惑う生徒たちの無秩序な動き――それに混じってしまっているのか、敵の気配はまったく感じられなかった。

(どこかにかくれて、機会を窺っているのか?)

 獣のように咆哮し、襲いかかってくる生徒たちをかわしながら、央霞は彼らのようすを観察した。

 彼らは、操られているというよりも正気を失っているという印象だった。

 身体能力もあがっているらしく、華奢な女生徒が素手で窓ガラスを粉砕するのを見たときは驚いた。

「た、助けて!」

 短パン姿の男子生徒が、必死の形相で駆けてくる。

 彼を追いかけている女生徒に、央霞は見覚えがあった。

 男子生徒は陸上部あたりの所属と思われたが、そんな彼であっても、凶暴化した生徒の脚力にはかなわないらしい。あっという間に追いすがられ、地面に引き倒される。

 女生徒はゲラゲラと笑い声をあげながら、力任せに彼の頭髪を毟り始めた。

「やめて! まだ親父みたいになりたくない!」

 男子生徒の悲痛な叫びが響いた。

 央霞は少女の腕をつかみ、男子生徒から引き剥がした。

「あれー? 央霞先輩じゃないですかー」

 女生徒――茉莉花が、興奮しきった表情で央霞を見あげる。男子生徒は、礼をいうのも忘れて逃げていった。

「嬉しいですねー。あたしに会いに来てくれたんですかー?」

「いや、私は」

「嬉しいですねーえええ」

 いきなり、茉莉花は央霞を抱きしめた。

 ただの抱擁ではない。万力で締めあげられているかのような凄まじい膂力である。

「ぐっ」

 骨が軋み、思わず呻き声が漏れた。

「やめろ」

「放しませーん。ああー、これがいっつもみずき先輩が嗅いでる、央霞先輩の香りなんですねー」

 央霞は、ぐりぐりと鼻を押しつけてくる茉莉花の額に手をあて、ぐいと押した。同時に、筋肉を瞬間的に緊張させ、両手のフックを外す。

「やーん。逃げないでくださいー」

 なおも迫ってくる茉莉花のみぞおちを、軽く竹刀の柄で突く。

 茉莉花の身体から力が抜け、へなへなとその場にくずおれた。

 芝生まで運んで仰向けに寝かせ、肩を揺すると、少女はすぐに意識を取りもどした。

「あれ……? ここは……」

「大丈夫か、大紬」

 央霞は安堵する。どうやら、一度気絶させれば正気にもどるらしい。

「怪しい奴を見なかったか?」

「えーと……たしか、変な格好した、金髪の女の人が――そうだ……ッ! チキ! チキはどこ!?」

 勢いよく身体を起こした茉莉花だったが、叫ぶと同時に激しく咳き込んだ。

「すまない。痛むのか?」

「あ、あたしは平気です……それより、チキは無事ですか? あのクソ女、あのコを弓で射ようとして……」

 茉莉花は、千姫を助けようとして自分が射抜かれたところまでしか憶えていなかった。

 事態が落ち着くまでどこかに隠れていろと言うと、彼女は首を横に振った。

「あたしも連れてってください」

 危険だからよせ、とは言わなかった。

 自惚れるつもりはなかったが、この状況を客観的に見て、もっとも安全な場所は自分のそばだろう。

「わかった。離れるなよ」

「はい!」

 茉莉花は嬉しそうに、央霞のジャケットの裾をつかんだ。



 凶暴化した生徒たちは、相手がカリンたちであっても見境なく襲ってきた。

 以前アルメリアから聞いた話によれば、理性による束縛から解放された状態とのことだったが、それだけでなく、破壊衝動を増幅させられているようにも思えた。

 いずれにせよ、傍迷惑極まりない。

 カリンはモルガルデンに、生徒たちを殺さず放置するよう言った。

 より長く混乱を持続させれば、それだけこちらにとって有利になる。それに、もしもアルメリアが失敗した場合、カリンは引き続き、この学園の生徒として機会を窺うことになる。ここであまり派手に動くのは、得策とは言い難い。

 そんな苦しい言い訳を、どのように受け止めたかは知らないが、とりあえずモルガルデンは、カリンの言うとおりに立ち回ってはくれていた。

 人のいない校舎の屋上に避難したところで、カリンは邪神の気配を探った。

「……変ね。生徒会室のあるほうにふたつ、グラウンドにひとつ反応があるわ」

「お前の話じゃあ、《欠片の保有者》はふたりだけだったよな?」

「さあ。知らないうちに誰か覚醒したのかも」

「なるほど。それじゃあ、オレはふたりいるほうにいってみっかな」

「待って。ここはひとりずつ確実に仕留めたほうが――」

「どうせなら手強いほうとヤり合いてえだろ。生徒会室とやらなら、オウカがミズキの護衛についてるかもしれねえしな」

「それは、そうかもしれないけど……」

「だったら二手に分かれるか?」

「……私もいくわ」

 一瞬考えて、カリンはそう答えた。

 アルメリアの独走だけでもうんざりしているのに、モルガルデンにまで好き勝手されてはたまらない。


 モルガルデンを先導して生徒会室へと向かう。その道中も、生徒たちは襲ってきた。

 それ自体は脅威とは言えない。

 彼らは肉体の潜在能力を引き出されている状態だが、所詮はただの人間である。奈落人アビエントでも有数の騎士であるカリンたちには遠く及ばない。

 それでも、ひとり生徒を撃退するたびに、カリンは葛藤に苛まれた。

 これでいいのか。アルメリアのこんなやり方を許していいのか。彼らは、奈落人アビエントともアルマミトラとも無関係な、無辜の民ではないか。

《こちら側》の人間は、どうやら地表人デアマントにそっくりらしい。

 人の外見に無頓着なカリンには、どうもそこがピンとこない。

 奈落人アビエントは元々多種多様な種族の総称であり、角も尻尾も生えていない者もたくさんいる。そのあたりになると、並べてでもみない限り、区別できるかかなり怪しい。

 そんなカリンだからかもしれないが、《こちら側》の人間を犠牲にするような行為には、どうしても抵抗を憶えてしまうのだ。

(央霞だって、きっとこんなことは……)

 そこまで考えて、カリンはハッとなった。

 なぜ、央霞が出てくるのか。

 たしかにこの状況は気に入らないが、それを敵である央霞がどう思おうと関係ないではないか。

「どしたい? カリンちゃん」

 モルガルデンが顔を寄せてきた。

 さっきから、彼女はカリンのようすをやけに気にしている。

「な、なんでもないわ」

「ふぅん。顔が赤いから、体調でも悪いのかと思ったぜ」

 やがて、第二校舎にある食堂にさしかかった。生徒会室のある第一校舎への近道なのだ。


 そこでふたりは、気を失ってのびているアルメリアを発見した。

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