第三片 混乱、混沌 6

 話はすこし遡る。

 赤の矢で千姫を射抜いたアルメリアは、次の獲物を求めてその場から立ち去ろうとした。

「……待って」

「あら」

 アルメリアは首をうしろに向け、愉しげにくちびるを歪める。

 千姫が、幽鬼のように両手をだらりと下げた姿勢で立っていた。

「妙ですわね。こんなにはやく目を覚ますなんて。あたりどころがよくなかったのかしら?」

「どーでもいい。そんなこと」

 ふらふらと、千姫はアルメリアに近づいた。

「えらそーな奴……」

「よく聞こえませんわ。もっとはっきりおっしゃいなさいな」

 アルメリアは余裕の笑みを崩さない。

 たとえ赤の矢で強化されていようと、人間が、自分に敵うはずがないと思っている。

 淀んだ千姫の両目が、その白い貌を見あげた。

「あんたみたいな奴は――」

 憎悪の篭った声。

 ようやくアルメリアは、相手がでないことに気づく。

「大嫌いなの……!」

 言い終わるやいなや、やたら腰の入った千姫の右ストレートが、アルメリアの顔面に突き刺さった。



 そんな事情を、カリンとモルガルデンが知る由もない。

「なにやってるんだ、コイツは」

 モルガルデンが気味に言う。カリンも同感だった。

「おい、アルメリア」

 アルメリアの横腹を、モルガルデンは爪先で小突いた。

「起きねえな」

「刺激が弱いのかも」

 カリンは屈み込んで、アルメリアの頬をはたいてみた。

「そんなんじゃダメだろ」

 モルガルデンが体重を乗せたストンピングを食らわせる。

「うぐっ……うう……」

「お、反応した」

「じゃあ、私も」

 ふたりがかりでゲシゲシとやる。

 だが、今度はやりすぎてしまったのか、アルメリアは目覚めるどころか、ぴくぴくと四肢を痙攣させはじめた。

「…………。まあ、とにかくだ」

 これでは埒が明かないと気づく頃には、ふたりとも息を荒らげていた。

「混乱はまだ続いてるみてえだし、この状況を利用しない手はねえよな」

「どうするつもり?」

「とりあえず、このまま生徒会室に向かう。そんで、誰でもいいから《欠片の保有者》を殺す」

 モルガルデンは獰猛な笑みを浮かべた。

ご主人様マイスター

 先行させていた《ドラード》が戻ってきた。

〈生徒会室に〉〈央霞はいないよ〉〈白峰みずきと〉〈三善山茶花〉〈あとはふつうの〉〈生徒だけだった〉

 残る二匹も顔を出し、交互に見てきた内容を報告する。

「なんだ。オウカはいねえのか」

 モルガルデンが舌打ちした。

「まあ、チャンスっちゃあチャンスか。いこうぜ」

彼女アルメリアはどうするの?」

 カリンが訊ねると、モルガルデンは忘れてた、というように手のひらで額を叩いた。

「おめえが担いでってやれよ。今回はオレが戦う番だからな」



「腐れ縁ってヤツですかねー。へへ」

 すこし照れたように、茉莉花は言った。

「小学校にあがる前からいっしょなんですよー。家も近くて、親同士も仲良くって、よくふたりで遊んでました。でも……性格はぜんぜんちがってましたねー。あたしはそのうち、他の友達とも遊ぶようになったんですけど、あのコはあたし以外とは仲良くしようとしなくって――」

「私とみずきの関係に似ているな」

「そ、そうですか? だとしたら嬉しいような、悲しいような……。だって、うちらぜんぜん、先輩達みたくかっこよくないですもん」

 茉莉花は両手を広げ、せわしなく左右に動かした。

 だけど――と、茉莉花は話を元にもどす。

「あのコは……チキは、ほんとはすっごく素敵なんですよ。頭はいいし、笑うとめっちゃ可愛いし――みずき先輩が生徒会に誘ってくれたとき、あたし嬉しかったんですよ。やっと、あたし以外にも、チキの魅力に気づいてくれる人が現れたんだなーって……チキのほうでも、みずき先輩を慕ってるみたいで――て、これ、央霞先輩に言っちゃマズかったですかね?」

「そんなことはない。あいつを好いてくれるというなら、私も嬉しい」

「よかったー」

 茉莉花は胸をなでおろしたが、すぐに表情を曇らせる。

「無事……ですよね?」

「大丈夫だ」

 ふだんならば安易に気休めを口にしたりしない央霞だが、そうしてやったほうがいい場合もあることは心得ていた。

 何事も、ひとつのやり方にばかり拘泥こだわっていると、いつかかならず破綻する。

 それに、凶暴化した生徒たちの動きにも変化が現れていた。

 あらかた校内を荒らし終えた生徒たちは、どうやらグラウンドに集結しつつある。なにかが起きているということは、新たに得られる情報があるということだ。

 これは、よい兆候と言える。

 途中、助けた生徒に話を聞くと、小柄な女生徒が彼らを扇動するように何事かを叫び、誘導していく光景を見たとのことだった。

「まさか、チキが?」

 茉莉花は蒼白になって身を震わせた。信じられないのも無理はない。

 だが、央霞に言わせれば、凶暴化した生徒は皆、抑えていたものを解放するように、ふだんなら決してやらないような行動に手を染めている。当の茉莉花も、ついさっきまでそうだったのだ。

 だから、それが千姫であっても例外ではない。なんら、驚くような事態は起こっていない。

「急ぐぞ」

 央霞は茉莉花を抱きあげた。うしろにくっつかれているより、そのほうが速く動ける。

「え? え? 嘘」

 茉莉花は真っ赤になって慌てふためいた。構わず、央霞は駆け出す。

「しっかりつかまって」

「は、はい!」

 茉莉花は、子ザルのように両手で央霞にかじりついた。その身体を、左腕でしっかりと支えてやる。

 めちゃめちゃになった校内の景色が、飛ぶように左右を過ぎていった。飛びかかってくる生徒は、右手の竹刀で払いのける。

 央霞の場合、竹刀でも木刀でも、武器を思いきり振るうと壊してしまうため、無意識のうちに力を加減するクセが染みついている。

 逆に、徒手空拳だとそうした心配がないせいか、カリンのときのように、ついうっかりやりすぎてしまう。

 山茶花が、央霞の戦闘力が落ちるのを承知で竹刀をよこしたのは、襲ってくる生徒の身を慮ってのことだ。おかげでここまで、ただのひとりも怪我人を出さずに来られている。 

「すごい! はやい! 央霞先輩、カッコイイです!」

 興奮しているのか、茉莉花の口から状況にそぐわない暢気なセリフが飛び出す。

 グラウンドが見えた。

 集まっている生徒は百――いや二百人はいるだろうか。

 人並み外れた央霞の視力は、人壁の向こうにいる千姫の姿をすぐにとらえた。

 グラウンドに降りる階段が近づいてくる。央霞は躊躇なく地を蹴った。

 突然の頭上からの襲来に、生徒たちが脇へと退く。その隙間に、央霞は着地した。

 最初に飛びかかってきた生徒を竹刀で叩き伏せる。一瞬遅れて背後からひとり、さらには左右からふたりずつ。

 央霞はその場で横に一回転し、五人をまとめて薙ぎ払った。

 はじめは様子見の構えだった生徒たちも、尋常ならざる敵が現れたのだと認識したのだろう。言葉にもならない声でいっせいに吼えたて、次から次へと押しよせてきた。

 倒すべきは央霞ひとり。数を頼み、休む間を与えず攻めたてるという戦法は正しい。

 だが、央霞は表情ひとつ変えず、まるで草でも刈り取るように、無造作とも思える動きで竹刀を振るった。

 右へ。左へ。

 そのたびに、十を超える人体が木っ端のように吹き飛んでゆく。

 むろん、精妙な力加減で、怪我のしない体勢で落下するよう計算している。

 目の前で展開されるこの光景に、茉莉花は唖然となった。

「央霞先輩って……人間?」

 その感想は、生徒たちを率いていた千姫も同様だったようだ。

 むっつりと不機嫌そうな顔で、こちらを睨んでいる。

「やあ、遠梅野」

 瞬く間に道は拓かれ、央霞と千姫はほんの数メートルの距離で対峙した。

「こんなところに集まって、なにをするつもりだったんだ?」

「最後にひと花ドカンとやろうかなって。さすがに、そろそろ警察が来る頃でしょう?」

 央霞は内心驚いていた。

 おかしくなった生徒がこれほどの数いる中、千姫だけが、きちんと受け答えできるだけの理性を残している。

 むしろ、口調はふだんよりはっきりしているくらいだ。

「お前たち、いったいなにをされたんだ?」

「よくわかんないですね。刺さった矢は消えちゃいましたし……でも、わたしを撃ったクソ女の話が本当なら、たぶん、理性とか欲望とか隠してきた本音とか……あとは筋力を制限してるリミッターもですね。そういう、頭の中にあるいろんなタガが、外れちゃった状態みたいです」

「なるほど。で、暴れてすこしはすっきりしたか?」

 央霞の問いに、千姫はにっこりと微笑んだ。

「いいえ。だって、まだあなたをブッ飛ばしてませんから」

 飛んできた拳を、央霞はあえて顔面で受けた。とっさに茉莉花を下へ降ろし、攻撃が当たらないよう後ろに庇う。

「マジですか」

 長い前髪の下で、千姫がどよんとした両目を見ひらいた。

「あの女は、これでのびちゃったんですけど」

「まあ、私は人より丈夫だからな」

 央霞は、血の滲んだくちびるをなめ、ぷっと吐き出した。

「それにしても、腑に落ちんな」

「わたしが央霞先輩を嫌ってることがですか?」

「ああ。なにか、きみを怒らせるようなことをしたか?」

 背後で、茉莉花が「そうだったの?」と声をあげる。

「そういうとこですよ。そうやって、わたしなんて眼中にないっていうふうに振る舞うから、腹が立つんです!」

 千姫は拳を振りあげ、容赦なく央霞を乱打した。

 それを央霞は、一歩も動かずに耐える。

 小柄な千姫のパンチとはいえ、肉体の潜在能力を限界近くまで引き出されているため、一発一発が重く鋭い。

「チキ、やめて!」

 茉莉花が涙声で叫んだ。

「どうしてこんなことするの? あんたは、そんなコじゃないはずでしょ!」

「それは、マリがわたしを、わかってなかったって、だけのことよ」

 千姫はいったん手を休め、ふぅふぅと肩で息をした。

 固くにぎりしめた拳は、皮がやぶれ、血が滴っている。

「央霞先輩……」

 茉莉花の震える手が、ジャケットの背中の部分をにぎりしめた。

「あたしのことはいいですから。このままじゃ先輩が……」

「いいや。私がよけないのは、きみを庇ってるからじゃない」

「えっ?」

 央霞は首を後ろに向けて、ぽかんとする茉莉花に笑いかけた。

「どういうこと……?」

 千姫が首をかしげる。

「伝わってくるんだよ」

 央霞は、一歩前へと進み出る。

 すると、気圧されたように千姫が一歩後ろに退がった。

「遠梅野千姫。きみは、いつも端っこの席で、目立たないように身を縮めながら、黙々と仕事をこなしていたな。だが、その実、常に神経をとがらせて、周りのようすを窺っていた。まるで、なにかに怯えているみたいに」

「そ、そんなこと……ない!」

 歯を喰いしばりながら、千姫は言い返した。

「ときたま毒は吐くが、それだって大紬に対してか、彼女がフォローしてくれるよう慎重にタイミングを見計らってしているように思えたが」

「そんなことないってば!」

 千姫のアッパーがあごをとらえ、央霞は大きくのけぞった。

「……まったく。格闘経験なんてないだろうに、よく身体が動くもんだ」

「なんで笑ってるのよ……変態なんじゃないの?」

「ある意味な」

 千姫の物言いにおかしみを感じながら、央霞はさらに前進した。

「さあ、どうした。もう終わりか?」

 もっと打ってこい。ありったけの想いをぶつけてみせろ。

 茉莉花の話を聞いてなお、央霞にとって、千姫はなにを考えているのかよくわからない相手だった。

 そんな彼女が、初めて本音を見せている。

 彼女の鬱屈に自分が関わっているというのなら、逃げずに受け止めるべきなのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る