第四片 明らかになる真実 8
そのあとは、どこをどう通ったか、あまり憶えていない。
目立つので空は飛ばず、ただただ死にもの狂いで足を動かした。
何度か追いつかれそうになり、そのたびに傷も負ったが、先に《こちら側》に来たことが有利に働いたのか、ギリギリのところで撒くことができた。
〈大丈夫?
気遣わしげに《ドラード》が訊ねる。
三匹の使い魔の中では、彼がいちばん甘えん坊だ。
そんな彼が最後に残り、ボロボロの主を励ましている。
(こんなの……へばるワケには……いかない……じゃない……)
しかし、両脚はカリンの意思に反し、泥の中を這いずっているかのように、一歩ごとに重くなってゆく。
斬られた傷が相当深かったのか、左腕は持ちあげることすらできない。血もどれだけ流しただろうか。
さっきからずっと、ハァハァという自分の呼吸音しか聞こえていない。周囲の物音を聞く余裕すらなくなっているのだ。これでは、モルガルデンが近づいてきても気づけないではないか。
なにもないところで躓いた。踏み留まろうにも身体がついていかず、そのまま前に倒れ込む。
「いひゃい……」
起きあがろうとすることすら億劫だった。このまま、眠ってしまいたい誘惑に駆られる。
どうせ、生き延びて使命を果たしたところで、タイカに帰れる保証もありはしないのだから……。
しかし、そんな弱気は振り払う。
私は、カリン・グラニエラだ。誇り高きアビエントラントの騎士だ。
ああ、そうだ。負けるわけにはいかない。ここで斃れてしまったら、それこそ本当の敗北者だ。
己を鼓舞するカリンの耳に、足音が飛び込んできた。
近づいてくる……。
カリンは身体をこわばらせた。モルガルデンが追いついてきたのだろうか。
足音の主は、こちらに気づいたらしく、一瞬立ち止まり、それから急いで駆けよってきた。
「カリン姉ちゃんッ!」
予想だにしていなかったその声。
カリンは顔をあげた。
ぼやけた視界に、必死で自分に呼びかける少年の姿が映る。
「陽……平……?」
「カリン姉ちゃん、しっかりして! ああ、もう! なんでこんな大怪我してんだよ!」
少年はカリンを助け起こした。
サッカーの練習の帰りか。汚れたユニフォームが、血と泥でますます汚くなってしまう。
小さな身体で、必死にカリンをひきずっていこうとしている。
「逃げ……て……陽……平……」
「はあ!? なに言ってんのさ。いいから病院だよ!」
そうではない。自分といっしょにいては戦いに巻き込まれる――そう伝えたかったが、舌がうまく回らなかった。
そうだ、《ドラード》に伝えさせれば。
カリンは使い魔に命令を出そうとしたが、ふいに陽平が立ち止まったので、なにかと思い前を見た。
「み・つ・け・た♪」
モルガルデンが、満面の笑みを浮かべていた。
「出たな、マザーロシア女!」
眦をつりあげ、陽平が叫ぶ。
マザーというからにはソイツは女なのでは? という疑問が浮かんだが、ツッコむ気力もなかった。
(くそっ……)
カリンは奥歯を噛みしめる。こんなにはやく追いついてくるなんて。
「気づかなかったか? 戦ってる最中、子グモの糸をくっつけておいたんだよ。だから、テメェがどこに逃げようと追跡可能ってワケさァ」
種明かしをしながら、モルガルデンが近づいてきた。陽平が気圧されて後退る。
「陽平……」
カリンは、涸れ果てそうになる力をかき集め、喉から声を絞り出した。
「私を……置い……て……逃げ……なさい……」
少年は動かない。まさか、聞こえないのか?
「陽――」
「イヤだッ!!」
陽平が、激しくかぶりを振った。
「オレはいかない! カリン姉ちゃんを置いてなんかいかないぞ!」
「だめ……よ……あなた……震え……てる……じゃ……」
「イヤだったら! そんなことしたら、あのときとおなじじゃないか!」
「なにを言って――」
あのとき? ひょっとして、カリンが彼の前から立ち去ったときのことか?
「健気だねえ、坊や。そんなにそのお姉ちゃんが大事かい?」
ニヤニヤ笑いながら、モルガルデンが訊ねる。
「姉ちゃんをいじめたのはお前か!」
「なあ、いい子だから、ソイツをこっちに渡しな。そうすりゃ坊やは殺さないでおいてやるからよう。そうだ、なんならウチにくるかい? 可愛がってやるぜえ」
カリンは全身が粟立つのを感じた。
下種め。陽平をこんな奴に、指一本でもふれさせてなるものか。
身体はほとんど動かないが、なんとか陽平を押しのけ、前に出ようともがく。
しかし、意図に気づいた陽平が、腕に力を込め、逆にカリンを逃がすまいとした。
「カリン姉ちゃんは、オレが守る」
ああ、そうか。
カリンは唐突に気づいた。
彼はやはり、あの央霞の弟なのだと。
これまで、歳が近かったせいもあり、なんとなくアスターと重ねていたが、揺るぎない意思と凛とした横顔、そして誇り高い魂は、紛れもなく桜ヶ丘央霞とおなじ血をひく者のそれだった。
だが、それでも――
陽平は、央霞ではないのだ。
彼女の持つ圧倒的なまでの戦闘力を、この少年は持ち合わせていない。
アビエントラントでも有数の騎士であるモルガルデンに立ち向かえば、間違いなく殺される。
(《ドラード》……! 陽平を連れて逃げて。気絶させても構わないから)
〈いいんですか?〉
使い魔にとって、主の命令は絶対である。
しかし、主が死ねば魔力の供給が断たれるため、使い魔もいずれ消滅してしまう。できることなら、カリンには生きるための努力をして欲しいというのが本音だろう。
(私のことなら、どの道詰みよ。だったらせめて、彼だけでも生かして帰さないと……)
〈いえ、そうじゃなくて〉
その物言いに、カリンが違和感を覚える前に、使い魔はさらに言葉を重ねた。
〈もうすぐなんです〉
〈そこに助けが〉
〈到着します〉
ひとつの台詞を持ちまわりで喋る、黒猫たち特有の話し方。
《ツバード》がいないいま、喋っているもう一匹は――《アード》?
「どういうこと? 助けって……」
思わず、口に出したその瞬間――
場の空気が一変した。
圧倒的なまでの存在感。
まだ、その人物が現れていないにも関わらず、接近を感じ取ったカリンやモルガルデンが戦慄するほどの――
「なんだ」
モルガルデンとカリンは、同時におなじ方向を見た。
道の向こうから、彼女はやって来た。
黒い長い髪をなびかせ。
淀みなく、一直線に。
「大丈夫か?」
三人の前まで来ると、央霞はそう訊ねた。
陽平が、おずおずとうなずく。そうか、と央霞は弟に返し、わずかに口許をほころばせた。
「よく頑張った。――なあ、カリン」
央霞が呼びかける。
「大した奴だろう? 自慢の弟だ」
「ちょ……! なに言ってんだよ、おーねえ!」
陽平は顔を赤らめ、怒ったように言った。
弟の抗議を、央霞は涼しい顔で受け流す。
「どうして……ここに……?」
「みずきから連絡をもらった。お前がピンチだとな」
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