第三片 混乱、混沌 8

 生徒会室にもどった央霞が見たものは、血の海に倒れ伏した山茶花の姿だった。

「桜ヶ丘君……」

 副会長が、途方に暮れたように央霞を見あげる。

 助け起こそうにも、あまりに酷い状態なので手をつけかねているというようすだった。

(遅かったか)

 央霞は自責の念に駆られた。

 アビエントたちの力量に対する過小評価。カリンが、あの約束を仲間にも守らせてくれるのではないかという根拠のない期待。

 自覚はなくとも、心の片隅に存在した可能性は否定できない。そうした認識の甘さが、最悪の結果を招いてしまった。

「すまない、山茶花……」

 みずきを頼む、などという無茶な言葉を、彼女は忠実に守り、必死で戦ってくれたのだろう。

 すまない。

 もう二度と、彼女の目がひらくことはないのだろう。

 央霞に追いつこうと必死に稽古に励むことも、大真面目な口調でみずきをからかうことも。

 思えば、これほどまっすぐに自分を慕ってくれる後輩もいなかった。そんな健気な彼女に、自分は果たして、なにかを返してやれたのだろうか。

「だったらお詫びに、剣道部にもどってきてください」


 …………


 生徒会室全体に、おかしな空気が漂った。

 誰もが、どう反応してよいかわからずに固まっている中、何事もなかったかのように、むくりと山茶花が起きあがった。

「お前、生きてたのか?」

「これはすごい。央霞先輩の驚く顔が見られるなんて。レアです。超レアです」

 クールな表情で淡々とそう言う。

 剣道着をはだけ、顔から露わになった肌からべっとりと血にまみれているという、スプラッタな格好ではあったが、山茶花はまったくいつもの山茶花そのものだった。

「う……嘘だ! 身体の半分近くが、ごっそりなくなっていたんだぞッ!」

 副会長が、幽霊にでも出会ったかのようにガタガタと震えた。

「見間違いでしょう。この通り、ちょっと皮膚が破れただけで――おっと」

 山茶花は、ボロボロになった道着の前をかき合わせた。

「見ないでください。えっち」

「山茶花、ちょっとこっちに来い」

 保健室に連れていくと言って、央霞は山茶花をひっぱっていった。

「どういうことだ?」

 床にぶちまけられていた血液の量からして、どう考えても、ちょっと皮膚が破れた程度のレベルではない。

「女神の力です。《欠片の保有者》は、覚醒がある段階に進むと、それぞれに独自の特殊能力が発現するんです。ボクの場合、女神の持つ癒しの力を授かったみたいですね」

 しかし、流れ出てしまった血液は取りもどすことができないらしく、山茶花は「血が足りません」とふらついていた。

「お前、そんな大事なことを……」

 なぜ黙っていたとか、いったいいつから能力を使えるようになったのだとか、いろいろ追及したいことはあったが、いまはそれどころではないと思い直す。

「みずきを攫ったのはカリンか?」

「はい、と言っていいのか。いいえ、と言えばいいのか」

 よくわからないセリフを吐きながら、山茶花が首をひねる。

「いっしょにはいましたが、彼女は気絶した仲間を背負って見ていただけですね。やったのはもうひとりの奴です。やたらとデカくてゴツい、マザーロシアのような女で」

「陽平も言っていた気がするが、なんなんだそれは」

「アメコミに出てくるキャラクターです」

 央霞にはさっぱりわからない。流行っているのだろうか。

「あの……央霞先輩」

 ふいに山茶花が表情をあらためたかと思うと、がばっと頭を下げた。

「申し訳ありませんでした! ボクがふがいないばっかりに、みずき先輩を……」

「気にするな」

 山茶花ひとりに危険な役目を任せたのは央霞である。

 だが、それを口にすれば、期待にこたえる実力がなかったのだと、山茶花は自分を責めるだろう。

「心配ない。みずきを殺さずに連れ去ったということは、交渉するつもりがあるということだ」

「奴らが交渉……ですか?」

 山茶花が疑わしそうに訊ねた。

 地表人デアマントにとっては、奈落人アビエントと交渉を持つこと自体がタブーだった。

 女神の記憶を有する《欠片の保有者》たちにも、そうした意識はあるものらしい。

「大方、残りの《欠片の保有者》が誰か教えろだとか、私の命と引き替えだとか、そんなところだろうと思うが」

「そんな条件、受け容れられるわけないじゃないですか。それに、交渉の席につくまで、みずき先輩がなにもされないとは限りませんよ」

「その前に、私が助ける」

「どうやって? 奴ら、生意気にもみずき先輩の携帯を壊していく知恵を身につけてましたよ。これじゃあ追跡のしようが――」

「大丈夫だ。心配するな」

 山茶花は、棒を飲んだような表情でしばし央霞を見つめていたが、無理やり自分を納得させたのか、ぎこちなくうなずいた。

「そこまで言うなら、先輩にお任せします」

「お前は身体を休めておけ。――そうだ、新しい《保有者》なんじゃないかって奴が見つかったぞ」

「本当ですか?」

「ああ。繊細な娘だから、落ち着いたところで話をしてやってくれ」



 目を覚ますと、逆さまになった親友の顔が見えた。

「よかった……チキ……」

 顔は笑っているのに、なぜか彼女の目からはポロポロと涙が零れてきた。

「ちょっと……やめてよマリ。しょっぱいってば」

「うるさい。あんたは、心配ばっかりかけて!」

 茉莉花は怒ったように両手で千姫の顔を挟むと、上体を屈ませて、こつんと額同士をぶつけた。

「ごめん」

「なんで、謝るの?」

「央霞先輩に、いろいろ言ってたでしょ。あたし、ぜんぜん気づいてなかった」

「昔から、マリはそうゆうとこ、あるから」

 人付き合いの得意な人間に共通しているのは、ある種の鈍感さなのだと、千姫は思う。

 やりとりの中で生じる矛盾や齟齬、あるいは悪意といったものに、敢えて目をつぶることで人間関係を円滑に保つ。そういうことを、ほとんど無意識にできるのが、茉莉花のようなタイプなのだ。

「ねえ、チキ。この際だから、ぜんぶぶっちゃけちゃって」

「……なんの話?」

「あたしに対してもあるんでしょ? イヤなとことか、直してほしいとことか」

「ああ……それはまあ、いっぱいあるけど」

「やっぱり! ってか、いっぱいなんだ!」

 地味にショックだったのか、茉莉花はおかしな顔になった。

 千姫は身体を起こし、バサバサになった髪を整えた。茉莉花の膝は枕として申し分なかったが、ずっとあの体勢で会話するのもやりにくい。

「うう……でも、大丈夫だから! 遠慮しないで教えて。ほら!」

 いくぶんやけくそ気味に、茉莉花は両手をくいくいと動かす。

 三拍ほど、千姫は考えるフリをした。

「……やめとく」

「なんで!?」

「いちいち指摘するのもめんどい」

「いっぱいありすぎるから!?」

「そうよ。だから、気にしないで」

 千姫は、ぷいっとそっぽを向いた。

 茉莉花に対して、不満があるというのは本当だ。

 けれど、それでも茉莉花がいてくれてよかったと思えることのほうが多かった。

 ……まあ、ほんのすこしだけだが。

(なんだかんだ構ってくれるし、今回も、こうして助けに来てくれたしね)

 だから、いくら気に入らないことがあっても、いちいち嫌いになったりしないのだ。

 ……それに、千姫が不満を口にしたら、今度は茉莉花の不満も聞かなくてはフェアでなくなる。

 どうせ、茉莉花の思いつくことなど、千姫自身が直したくても直しようがないと思っているものに決まっているのだ。そんなものを指摘されても、腹が立つだけで、なんの益もない。

「ねぇーえぇー。チキぃ、教えてってばぁー」

 駄々っ子のように、茉莉花は千姫の袖をつかんで左右にひっぱる。

 千姫はその手をぺしっと払い、

「ほら。そーゆーとこ」

「えぇー」

「……でもね、マリ」


 ――あんたは、それでいいの。


 それを聞いた茉莉花は、目を丸くしたまま固まった。

「ぶっ」

「な、なによう」

 茉莉花が不満そうにくちびるを突き出す。

「その顔、キョドってるプレーリードッグみたい」

「なによそれー」

 あの顔も、その顔も。

 子供の頃と、ぜんぜん変わらない。

 それでも――と、千姫は思う。

 わたしたちは、変わっていくのだろう。

 すこしずつ。あるいは突然に。

 ついさっき、自分の中で覚醒めざめた、あるひとつの意識も、その兆しなのだろう。

 願わくば、それによってもたらされるものが、善きものでありますように――

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