第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 7
翌朝、カリンは再度、街に出た。
陽平がサッカーの朝練とやらにでかけてしまったので、同行者は使い魔たちだけである。街を案内できないことを、陽平は申し訳なさそうに詫びていた。
〈朝ご飯も〉〈おいしかったね〉〈あんないいベッドで〉〈寝たのもはじめて〉〈僕ら〉〈当たり引いたね〉
使い魔たちは上機嫌だった。カリン自身も概ね同意だ。
陽平はとてもよくしてくれる。操心術がかかっている分を差し引いても、彼は善良な少年だと思う。
聞いたところによると、彼は「小学五年生」という身分らしい。この国には、すべての子供が受けられる教育制度があるのだ。
これはタイカとは大きくちがう点で、
方法は大きく分けてふたつあり、家庭教師を雇うか私塾に通うかだが、いずれにせよある程度の身分なり経済力なりが必要となる。
いくさが終わって間もないいまはともかく、もっと国全体が豊かになれば、アビエントラントもそういう方向に発展していくかもしれない。
もっとも、下級
この国のことを調べるにはどうしたらよいかと陽平に相談したところ、図書館にいくのがいいと勧められた。
電車とかいう交通機関を使うのは不安なので、すこし遠いが徒歩で向かっている。陽平の持たせてくれた地図によれば、三十分ほどで到着できるはずだ。
それにしても、明るい場所で街を見渡して見ると、昨晩よりもいっそう驚くことばかりである。
建物や人の多さももちろんだが、なんといっても、土がほとんど見えないほどくまなく道が整備されているのがすごい。この国の王は、よほどの財力を持っているのだろう。
そして、そこを走る、これまた物凄い数の馬なし馬車。
自動車――と陽平は呼んでいたが、どうやら油で動くらしい。
昨晩轢かれかけたのは、おそらくこれだ。剣でまっぷたつにしていたら、きっと大変な騒ぎになっていただろう。止めてくれた使い魔たちに感謝である。
とにかく、この世界にはタイカの常識では考えられないことがまだまだありそうだ。詳細な情報を得ることは、任務遂行の上でも極めて重要と言えよう。
〈風が気持ちいいね〉〈ちょっとだけ〉〈しょっぱい匂いがするけど〉
使い魔たちは、カリンの肌を離れてふつうの猫のように道行きを愉しんでいる。
「油断はしないで。この辺りも、邪神の気配が漂ってるわ。どこかに潜んでるか、少なくとも通過くらいはしているはずよ」
注意を喚起しつつも、カリンは自分の鼻を使って風の香りを嗅いでみる。するとたしかに、潮の匂いが混じってるのが感じられた。
美衣浜という名からもわかるように、この街は海に接している。
古くから貿易港として栄えてきた歴史があり、いたるところに異国情緒を漂わせる建物や施設が存在する――らしいのだが、異邦人どころか異世界人であるカリンにはさっぱりわからない。
タイカでも海を見る機会はほとんどなかったので、暇があったらあちこち散策してみるのもいいだろう。
もっとも、いかにこの世界が珍しいもので溢れていようと、美しさという点ではタイカと比ぶべくもない。
一軍を率いて各地を転戦し、荒廃した景色以上に様々な絶景を見てきたカリンの目には、どうしてもここは、薄汚れた灰色の世界と映るのだった。
〈そろそろ着く?〉〈そこのかど?〉〈そそ〉〈そこを曲がったとこだね〉
《アード》がカリンの肩に乗り、地図を覗き込んだ。
道の分岐する要所々々――まるで三つ目の巨人のように通行者を睥睨するのは、信号機と呼ばれる装置である。
使い魔たちのおしゃべりよろしく色分けされた目をかわるがわる点灯させ、彼らは人と車の安全を守っている。
ちょうど、カリンがいま立っているであろう地図上の一点にも、彼らを示す記号があった。
「そのかどを右に――」
曲がったところで、カリンの足は止まった。
飛び込んできたのは、視界を埋めつくすほどの薄桃色だった。
「な――――っ」
なに?
なに、これ?
カリンは言葉を失っていた。
行く手に見える白い建物――あれが目的地の図書館であるならば。
そこに続く道の両側に整然と並んでいる、この樹木はなんなのだ?
冬に葉を落とす種であるのか、緑色の部分は見えない。
そのかわりに、包み込むように優しく、それでいて貴婦人のそれのようにあでやかな、薄桃色のドレスを纏っている。
(すごい。空が燃えているみたい……)
これは、すべて花なのか?
だとすれば、なんと美しい――
タイカのどこにも、これほど見事に咲く花はなかった。
強めの風が、並木道を吹き抜ける。
すると、まるで冬のロサに降る雪のように、薄桃色が舞った。
だが、はらはらと落ちる砕片は、雪の持つ厳しさや酷薄さとは無縁だった。穏やかな春の光を受けながら、まるで生の喜びを謳うかのように煌めいている。
そして、カリンは唐突に気づく。
まるで霞がかかったかのような花吹雪のただ中に、すっくと立つ、ひとつの影があった。
その人物は、ポケットに手をつっこみ、誇らしげにあごをそらせて、舞い散る花の渦に目を細めていた。
長い黒髪が風になびく。駿馬のような手足が、動くたびに筋肉を浮かびあがらせる。
「やあ」
低く、柔らかく、それでいてしっかりと芯が通っていると感じさせる声で、カリンに呼びかけた。
「どうかした?」
不躾に眺めていたせいだと気づき、カリンは焦った。
「いえ、その……き、きれいで……」
「ああ。この桜並木は、ちょっとした名物なんだ」
「そう……なんですか」
その人物は、手のひらについた花びらを軽く払った。
「きれいな日本語だね。ひょっとして、生まれは外国ではないのかな?」
「い、いいえ。日本には、昨日着いたばかりで……それで、勉強のためここに」
「そうか。じゃあ、図書館を利用するのははじめてなんだな。よかったら案内しようか?」
「え? でも……」
「私もここに用があるから。まあ、ついでだな。それに、きみは」
――桜をきれいだといってくれたからね。
そう言って、その人物は微笑んだ。
「私も桜なんだ」
「え?」
意味がわからず、カリンはきょとんとする。
樹木の精とか、そういう種族なのか?
「
「ああ、そういう……」
そういえば、陽平も「桜ヶ丘」だったな、とカリンは思い出す。割とよくある姓なのだろうか。
「私は、
あらかじめ考えておいた日本人名を名乗る。本名そのままでは、不意にアルマミトラと遭遇した場合の危険が大きいからだ。
「……どうかしましたか?」
央霞が怪訝そうに見つめてくるので、カリンは訊ねた。
「ああ、すまない。やはり、日本に縁があったのかと思って」
縁――とは、不思議な表現だ。《こちら側》の人々の心のありようを、信じるもののありようを感じる。
そしてそこには、ふたつのものが、まったくの同一ではないという含意がある。
「さっきも、そんな言い方……私、日本人に見えませんか?」
「見えないが?」
当然のように返されて、カリンは愕然とした。
「え……ど、どの辺が……」
「どこがって、少なくとも純粋な東洋系にはまず見られないと思うのだが。こういうことを言われた経験はない?」
「はじめて、です」
この世界に来たばかりなのだから当然だ。
いや、それよりも。
自分では完璧に化けたつもりだったのに、傍目からは丸わかりだったというのか?
思い返せば、陽平に最初に訊かれたのも出身だった。
(し、しまったぁぁぁ……!)
昔からそうだった。
相手の目にばかり注目してしまうクセのせいなのか、他の特徴にはどうも鈍感なのだ。皆が一目瞭然だという
だが、このままでは、自分でも気づかぬうちに、どんどんボロを出してしまうだろう。
「どうかした? 顔色が悪いが」
「い、いえ。なんでも……」
「悪く取らないで欲しいんだが」
言葉を選ぶようにして、央霞は言った。
「もし、きみが自分や他人の外見を気にせずに済むようなところですごしてきたのなら、それはとても……そう、とても幸運なことだと思う」
「あ、いえ……気を遣わせてすいません。これはたぶん、私個人の問題なんで……」
これ以上この話題を続けていると、回復困難なところまで凹んでいってしまいそうだ。
そういう空気を察したのか、央霞はさりげなく、話題を美衣浜の名所や名物といったものへと変えてくれた。
図書館に入ったあとも、図書館の利用手続きの方法や、読書に集中しやすい場所を教えてくれたり、カリンの知りたい知識にふさわしい本選びにいたるまで、央霞は実に細やかな気配りを見せてくれた。
不安だらけだったカリンにとって、これはこの上ない助けであり、感謝してもし足りないくらいだった。
「本当にありがとう。あなたもご用があったのに」
なにかお礼をさせて欲しいとカリンがいうと、央霞は笑って手を振った。
「べつにいいさ。用といっても、本を返しに来ただけだし」
「でも、受けた恩はかならず返せと、私の国では教えられます」
「恩は、受けた相手以外に返したっていいんだよ。それに、きみを助けた理由なら、もう話したはずだ」
桜を、きれいだと言ったから。
カリンは、心臓をつかまれたような息苦しさを感じた。
「きみのような人に、そう言われるのは嬉しい」
「な、なにを言って……」
どうしようもなく頬が熱くなり、カリンは本で顔を隠した。
「なんだか……あなたはすごく、不思議な人」
出会ったばかりなのに、まるでそんな気がしない。
凛々しい切れ長の目に見つめられるたび、全身が緊張で震える。
乾いたくちびるを湿らせ、カリンは訊ねる。
「あなたは何者なの?」
「ただの学生だよ」
ほどなくして央霞は席を立ち、またどこかで、と言い残して去っていった。
央霞を見送ったカリンは、その背中が完全に見えなくなったところで、ようやく安堵のため息をつく。
確信があった。
たぶん、その時はすぐに訪れる。
なぜなら、彼女のよく知る気配を、央霞が身に纏っていたから。
(邪神……アルマミトラ……!)
まるで服に染みついた香りのように、央霞からは、その禍々しい気配が漂っていた。
央霞は、邪神の転生体なのか?
そう断定するには、やや弱い反応である気もするが――間違いなく、なんらかの関わりはあるはずだ。
(覚悟しろ。今度こそ、かならず……)
会話の中で、央霞は自分の通う学校の名を口にしていた。
――百花学園。
詳細はすぐに、集めた資料の中から見つかった。
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