10 本当の姿

 翌朝になってイネスが、『もう少し逗留とうりゅうばしたい』と言いだし、セレとエリスは一足先に町に帰ることになった。


 いつもはほとんど二人で行動しているので、帰りが二人なのはそれほど違和感はないのだが、なんだろう、妙に心残りだ。

 自分が案内すると言った手前、最後まできちんと見届けたいという思いからなのだろうが、かと言って、エリスを一人で返すわけにもいかない。

 エリスは明日、お針子の仕事がある。


「それじゃあ、私たちは先に帰りますね。おじさん、おばさん、イネスさんをよろしくお願いします」

「また来ます。お元気で!」

 セレとエリスは元気に手を振って、宿を後にした。


 二人は並んで御者台に座りながら、同じことを考えていた。

「なんか、気になるよね」

「うん……」

 いつになくセレの口が重い。

「まあ、おじさんとおばさんがいるし、イネスさんはベテランの冒険者みたいだし、一人でも大丈夫よね」


「……イネスはあたしがいなくても、自分で魔石を見つけられたかも……」

「セレ、……それは言っちゃダメ……」

「……わかってる……」


(わかってるけど。イネスはきっとあたしがいなくても、ブラックジャック洞穴に行けた。……あたしがイネスと一緒に行きたかっただけ……)


 セレは、青い空に向かってため息をついた。

(だって、変わった魔石の匂いがしてるんだもの……)



 四日後、いつものように朝から冒険者ギルドに入り浸っていたセレは、えない顔で依頼書が貼られた掲示板を見ていた。

 ギルドのドアが開くたびに、さっと目線を向けるのだが、そこに待ち人は現れない。


(今日も帰って来ないのかな……)

 そう思い掛けた時、またドアが開いた。

 サンドリザードのコートをまとった黒髪の男が入って来た。

「イネス!」


 イネスはこちらをチラリと見ると、

「ああ、セレ……」

 と短く言った。

 奥のカウンターでは、受付係のソディーがニンマリして親指を上げた。

「今帰って来たの?」

「いや、帰って来たのは昨日だが」


 昨日帰って来たのは城門が閉まるギリギリの時間だった。乗合馬車なので疲れてもいて、まっすぐに宿屋に直行した。今度の宿屋は、あまり遅くなると夕飯にありつけなくなる。食堂が夜は大衆酒場に替わるからだ。

 風呂にも入っていなかったので、体臭も気になった。

 寝る前に体を拭いて、そのまま寝た。正直、風呂を用意してくれたブラックジャック洞穴の宿が恋しくなった。


「何か面白い魔石は見つかった?」

「いや、それほど面白いものは……。セレが見つけてくれた石が一番面白いくらいだ」

「そう? そう言ってくれると行った甲斐があったわ!」


 ギルドの真ん中で話していると、ソディーに手招きされた。

「あなたたち、話すならどこかでお茶でも飲みながら話したら?」

「いや、俺は。今日は魔石の買取かいとりをお願いしたい」

買取かいとりですか? こちらへどうぞ」

 ソディーが買取の窓口に案内する。


「まずは登録証をお願いします。売りたいものは、こちらに出してください」

 カウンターに出された大きなトレイに、イネスが一個、また一個と魔石を載せる。五個出したところで、手が止まる。

「これで、お願いします」

「わかりました。鑑定に少しお時間をいただきますので、少々お待ちください」

「イネス……あの石は売らないの?」

「あれは……面白いから、取っておく」

「ふふ……そう」

 セレはなんだか嬉しそうだ。


「今日もやるか?」

「え?」

「訓練……」

「……いいの? 疲れてない?」

「大丈夫だ」

「じゃあ、お願い」


 そうこう話しているうちにソディーが戻って来た。

「お待たせしました! お預かりしました魔石五点。全部で金貨三枚になります。内訳はこちらをご覧ください」

「そういえば、ブラックジャック洞穴行きの馬車代、まだだったな」

「馬車の代金はもう、セレちゃんからいただいてますよ」


「……そうか、立て替えてもらっていたのか。払うので、いくらでしたか?」

『馬車台は銀貨…』とセディーが言いかけたところで、セレの『か、帰りは二人だけだったので半分の銀貨二十五枚でお願いします!』という声で遮られた。


「ダメだ、俺の都合で別になったのだから全額払う。あと、お前のガイド代が銀貨三十枚だったな。馬車代を半分払ったら、お前の取り分は銀貨五枚だけだろ。エリスにに分ける分がなくなる」

「だって、宿代も払ってもらったのに……」

「当然だろう、俺が頼んだのだから」


 イネスは懐から皮袋を取り出すと、銀貨を数え始めた。

「そ、そんな今でなくてもいいのに」

「こうゆうことは、早く済ませたほうがいい」

 イネスは銀貨を揃えると、セレの前に差し出した。


「案内、ありがとう。それと、面白い石をありがとう」

「こ、こちらこそ。ご迷惑をおかけしてしまって……」

 セレは、かえってイネスを面倒ごとに巻き込んでしまったことが気にかかっていた。けれど、それでもイネスは『ありがとう』と言ってくれた。社交辞令かもしれないが……。

 それぞれに受け取った金貨・銀貨をしまい、二人は揃って外に出た。

 その後ろ姿を見送りながら、ソディーがつぶやく。

「あの二人、急接近ねぇ……」


 前と同じように城外に出た二人は、荷物を置くとこの前と同じ目隠し訓練をした。知らない人が見たら、なにか危ない遊びをしていると誤解されそうだ。


 初めは小突かれてやっと相手の位置に気づくくらいだったのに、今は足音、ふくれる音、匂い、体温など様々な違いに気づけるようになって来た。


 例の変わった魔石の匂いの他に、汗の匂いや体臭までもわかるようになって来た。

(男の人の匂いがする……)

 そう思ったら、何だか自分の鼓動がうるさくなって、気になってしまう。

 相手の呼吸音が聞こえる……

(人の呼吸ってこんなに気になるものなの?)


 音が聞き分けられるようになって、ハッキリと相手の存在を感じる。

 そうなると、的確にけられるようになった。


「よし、やめっ!」

 どの方向から近づいても、的確にこちらに正面を向けられるようになっている。イネスは、セレの変貌ぶりに驚いた。


「よくわかるようになったな。練習でもしたのか?」

「いいえ……」

 やるわけがない。こんな変な鬼ごっこ、誰も付き合ってくれないだろう。


「じゃあ、今日は剣術の型でもやるか?」

「ぜひ、お願いします!」


 打ち込みの型、防御の型をいくつか教わって練習する内、日は高く上って、二人とも汗だくになっていた。


「ハァ、ハァ、先生……」

「俺のことか? なんだ」

「家に帰ってお風呂に入りませんか?」

「……風呂、一緒じゃないよな?」

「当たり前です!」

「ハハ……冗談だ。……風呂、入りたいな」

「じゃあ、行きましょう」


 二人は荷物を持つと、城門をくぐって城内に戻る。

 セレスティンの家は商店の立ち並ぶ一角のその更に奥にあった。


 セレはいつも通り、い茂ったモッコウバラで隠された裏庭の板戸を開けて、庭から入った。

「こっちこっち」

「いいのか、忍び込んで?」

「うちだから」


 広い庭の一角に、ダーデンチェアとテーブルが置かれた場所があり、大きなガーデンパラソルで日差しをさえぎっている。


「ちょっと待ってて、離れの鍵を持って来るわ」

「おい、誰かが来たらなんて言えばいいんだ?」

「うーん。あたしのお客様ってことでいいんじゃない?」

 セレは裏口から家に入ると、鍵を取りに行った。


 商人の家にしてはなかなか立派な家だ。成功した商人なのだろう。

 二階建ての大きな母屋に、客用の離れまである。

 ガーデンチェアに座って、辺りを見回していると、歩み寄って来た者がいた。


「どちら様かな?」

 低いバリトンの声が響いた。背の高い赤い髪を丁寧に撫でつけた中年の紳士が、こちらに向かって歩んで来ていた。

(これは……セレの父上か……?)


 イネスは椅子から立ち上がると挨拶した。

「これは失礼いたしました。私、イネス・バロッティと申す者。セレスティンさんには魔石探索の仕事をお願いしております。こちらで待つようにと言われまして、お待ちしている次第です」


「これは、ご丁寧にご挨拶いただきありがとうございます。私はこの家の主人で、ウルツ・ピアースと申します。娘のセレスティンがお世話になっている方ですね。先日のブラックジャック洞穴探索でご一緒でしたか……?」

「はい……」

「お父様!」

 助かった……とイネスは内心ホッとした。父上からすれば、怪しい男が庭に入り込んでいて、しかも娘の知り合いと言うのだから、警戒されて当然だ。


「お父様、イネスさんは私の大事なお客様よ! 失礼なことを言わなかったでしょうね?」

「そうだが、うちに来ていただくなら、事前に知らせておくれ」

「イネスさんは昨晩、ブラックジャック洞穴からお戻りになったばかりなのよ!お疲れのようだから、うちでゆっくりお風呂に入っていただこうと思ったの!」

「わかった、わかった。それではせっかくだから、母屋の風呂を使っていただきなさい」

 お父上は娘には弱いようだ。まあ、それは世の父親の常だが。


「イネス殿、もし何かお困りのことがありましたら、私にご連絡ください」

 セレの父君は胸ポケットから小さな紙片を取り出すと、イネスに差し出した。

 その小さなカードには、店の住所と屋号、名前が記されていた。

「ありがとうございます……」


「それでは、私はこれで失礼。イネス殿、我が家自慢の風呂をゆっくり満喫してください」

 赤髪の大男は大きな体を縮めて、そそくさと立ち去った。


「ごめん、イネス。まさか父が帰ってくるとは思わなくて……」

「いや、気にしないでくれ……」

「でもまあ、父の許可が出たんだから、堂々と母屋のお風呂が使えるわ! 父自慢のうちのお風呂、お風呂だけはいいのよ!」


 お風呂の何がいいのかはわからないが、訓練でしっかり汗をかいたあと、今の対面で大量の冷や汗が出た気がする。ここは甘えさせてもらって、その風呂を堪能させてもらおう。


 セレは離れの鍵を開けると、イネスを案内した。

「荷物はここに置いて、マントもね」

 イネスが荷物を置くと、セレと母屋に向かう。セレに導かれて母屋の奥の浴室に案内された。

「ここが脱衣室」

 確かに広い。窓はないが、とうの曲げ木で作られたテーブルと椅子が何客か置かれ、入浴後ゆっくり涼めるように配されている。

 奥の両開きのドアを引いた。


「……!」

 陶器の美しいタイルで敷き詰められた床、高い天井は温室のようにガラス張りになっている。周囲は沢山の南国の鉢植え植物が置かれ、庭の植栽と一体化している。

 人が一度に十人は入れそうな大きな大理石の湯船は、ピッタリとタイルの床にめ込まれて、なみなみと湯をたたえている。

「……確かに、これはいいね……」

「でしょう!」

 セレがにっこり満面の笑みになった。


「じゃあ、楽しんで! ぬるくなったら、底に沸騰石と湧水石が入っているから、調節して。あとで浴布タオルと着替えを持って来るわね」

「ああ、ありがとう」


 イネスは堪能した。

 体の隅々まで洗い、大の字になって風呂に入る。

 泳げるほど広い風呂……何年振りだろう……。

 あまりの気持ちよさにウトウトしかけて、ハッとする。

(セレも、風呂に入りたいだろうに、俺を先にしてくれたんだった……)


 あわてて湯船から出て脱衣室に戻ると、ふわふわの綿の浴布タオルと着替えが用意されていた。浴布で体を拭きながら、ふと壁に嵌め込まれた鏡を見て仰天する。

 そこには金茶色の波打った髪に金色の瞳の、『自分』が写っていた。


(まずい、変身石のアンクレットがない!)

 イネスは浴布を置いて、もう一度湯船に戻った。

 湯に潜って底を探す。何かキラリと光るものを見つけて潜ってみると、タイルの間にめ込まれた沸騰石と湧水石だった。

 何度も潜ってくまなく探す。

 一番深いところに排水溝があり、鉄格子がめ込まれている。

 キラリと光るものがあった。アンクレットの金具がからんで、かろうじてそこに引っかかっていた。

 イネスは、何度か潜って絡まった鎖を外そうとするが、なかなか外れない。


 そのうち、身体がオーバーヒートしてしまった。いわゆる『湯当たり』である。

 あきらめて脱衣室の椅子に座り込む。涼んでからもう一度探そう。

 頭から浴布を被って、肩で息をする。

 苦しいーーー


 いつのまにか、身体の上に浴布が掛けられ、床に寝かされている。


「気がついた?」

「俺……?」

「こんにちは。これが本当のあなたなのね」

 セレがニッコリと微笑んで、俺をのぞき込んでいた。

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