11 変わった魔石

 なかなかイネスが風呂から出てこないので、何度か様子を見に来た。

 今までも、父の友人やお客様に自慢の風呂に入ってもらうと、たまに湯当たりで、出てこない人がいるのだ。


『まさかイネスが、そんなことあるはずない』と思ったが、脱衣室で大きな音がしてあわてた。

 浴布タオルかぶったまま、椅子ごと倒れているイネスを見つけた。誰か、男手を呼んでこようかと思ったのだが、浴布タオルの間から見えてる髪の色が黒でないことに気がついてやめた。

 ――――そして、顔を見てもう一度驚いた。


「だれ? この人」

 別人だ。

 スッキリと通った鼻筋、髪の色と同じ金茶色の長いまつ毛、形のいい唇……。

『美しい男』と言うのはこういう人のことなのだ……と思った。


 脱衣室に仰向あおむけに寝かせ、あまり身体を見ないようにしながら、浴布タオルを掛ける。引き締まった胸筋をうっかり見てしまって、セレは恥ずかしさで真っ赤になった。

 きっとイネスなのだろう男から、そういえばあの変わった魔石の匂いがしない……。

 なるほど、その変わった匂いの魔石は、“姿” なのではないか、と思い当たった。そう考えれば納得がいく。

 今その匂いがしないのは、無くしたのだ、おそらくは風呂の中で。


 まぶたがピクピクと動いて、うっすらと開いた。


(うわ〜。うそ、瞳が金色……)

 金色の瞳の焦点が合った。まだ、朦朧もうろうとしているようだ……。

 

 * * *

 

「こんにちは。これが本当のあなたなのね」


 そう言われて、朦朧もうろうとした意識をかき分け、自分を取り戻そうと意識を集中する。

 そうだ、俺はセレの家で風呂に入った。


 今思えば、まったくの他人の家で風呂を借りるなんて、なんて愚かな行為だったのだろう。油断しすぎではないか……。

 しかも、湯に当たって気を失い、裸のところを助けられたとか……恥辱ちじょく以外のなにものでもない……。

 

(今、敵の前にいたら、俺は確実に殺されているんだろうな……)

 そんなことを思った。


「あの魔石、“姿を変える石” なんでしょう?」

 セレにそう言われて、現実に戻った。起きあがろうとするが、頭がガンガンする。

 

「なんでわかった?」

「なんでって、今のイネスの姿、全然違うし」

「…………そうだな」

「なんか変わった魔石の匂いがするって、イネスと会った時から思ってた」

「…………魔石の匂い?」

「うん。あたし、魔石を匂いで感知できるの……。だから、その石のことが知りたくて……」

「それで俺に近づいたのか……」

「ごめん……」

「いいよ。……理由がわかってスッキリした」

「あ、それ。変な女に執着されてるって思ってた?」

「思ってないよ……ぷっ、あははは……」

(イネス、思ってたんだ!)


「魔石、お風呂の中で落としたの?」

「ああ、浴槽の排水溝に引っかかってる」

「じゃあ、私が入って取って来るね。そのままじゃ、困るでしょ?」

「……頼む」

「そのまま、まだ寝てて」


 そう言うとセレは服を脱ぎ始めた。

「あ……」

「こっち見ないで! 目を瞑っててね」

 セレはイネスの顔にもう一枚の浴布タオルを掛けると、服を脱いで浴室へ入って行った。

 

 それから半刻さんじゅっぷんほど経っただろうか、イネスはだんだん体の感覚がはっきりしてきて、起き上がってみた。

 うん、これならば大丈夫そうだ。

 

 その時、浴室のドアが開いた。

「……あ」

 慌てて浴布タオルを頭からかぶる。

 セレの足音がズンズンと近付いて来る。側まで来て立ち止まった。


「お互いさま、と言うことで……。私が服を着るまで、そのまま待ってて」

 セレらしくない低い抑揚よくようのない声で、ささやくように言われた。

 ガサガサと髪を拭く音、服を着ているらしい音がして、また足音が今度は遠ざかって行って、ドアがバタンと閉じた。

 イネスは少しの間そのまま静止して、何も音がしないのを確認した。


 それからようやく頭から被っていた浴布タオルを取って、肩にかけた。

 椅子に腰掛けて、大きなため息をひとつつく。


 藤のテーブルの上に、『変身石』のアンクレットが置いてあった。

 鎖の部分がじ切れている。

(取れなくてじ切ったのか……どおりで時間がかかったはずだ)


 ここから出て、離れまで行き、またセレと顔を合わせなければならない。

(どんな顔をして会えばいい? …………俺は今、きっと “” の顔をさらしているんだろうな……)


 イネスは、用意された着替えの服を着て『変身石』を握ると、離れに向かった。

 ――――ちゃんと話さなければならない。


 離れに入って行くと、セレが濡れた髪のまま、待っていた。

「父の服だけど、大丈夫そうね」

 明るいセレのままの笑顔である。

 

「俺の……本当の名前は、ヘリオスだ。ヘリオス・ベリル、魔石の島スリ・ロータスの王族で、現王の二番目の息子だ」

 

「………!」

 セレの目が見開かれて、静止した。

「お、王の息子……王子様ってこと?」

「そうなる」

 

 沈黙。

 

「……今の話、聞かなかったことにできない?」

「なんでだ?」

「そんな、王子様だなんて恐れ多くて……」


「……今までどおりイネスでいいし、何も変える必要はない」

「そう言われても……」

「俺がいいと言っているんだからいいじゃないか」

「う〜ん」

「頼むからそうしてくれ」

「……わかった」

「よし!」


「そのかわり……」

「なんだ、まだあるのか? その心臓の強さはなんなんだ?」

「一緒に冒険者パーティを組んでくれない?」


「そんなことか。かまわないぞ」

「ほんと!」

「ああ、この国にいる間だけでよければ、だけどな」


 こうして、偶然イネスの秘密を知ってしまったセレは、パーティを組むことになった。

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