22 港町バロウ

 二日後、セレ、エリス、イネスの三人は馬車に乗って港のある町、バロウに向かっていた。バロウは王国一の大きな港で、他国へ向かう交易船の出発点でもある。

 地理的にはモルガニアはディヤマンド王国の西に位置するため、国の西にある港から行けば近いのだが、王都から西の港に行くのに陸路で三日かかってしまうので、陸路で一日の距離にあるバロウが重用ちょうようされることが多い。

 ちなみにバロウからモルガニアは、海路で二日だ。


 馬車に揺られながら、セレは向かい合っているイネスに尋ねる。

「ねえ、イネス。イネスはお城で会った貴族の奥方様がどなたか知っているんでしょう?」

「ん? ……ああ、おそらくだがな」

「え、イネス、わかるの?」

 エリスも興味津々だ。

「……知らなくてもいいこともあるぞ」

「えっ? なんでよ、知りたいわ!」

 セレはイネスの言い草にムッとした顔をして、にらんだ。その顔をチラリと見たイネスは、一言。

「……王妃様だ」

「ええっ!」

「まさか……嘘……」

「そう言えば、王妃様はモルガニアのお姫様だったのよね……」

 

「あの粉々の魔石は、モルガニアの王からディヤマンド王に贈られたものだ」

「そ、そうなの?」

「聖剣アルカンディアって聞いたことあるだろ?」

「もちろんよ! 建国の歴史に出てくる有名な剣だわ」

「その剣に据えられていたのが、あの魔石だ……たぶん」

「たぶん、て……」

 セレもエリスも、聞いては行けないことを聞いてしまったような気がして黙り込んだ。

 王都の賑やかな喧騒けんそうを過ぎ、並木の街道を走る。あたりはまばらな人家のある田園地帯へと変化する。


(そんな、あの方が王妃様だったなんて……どおりで教えてもらえなかった筈だわ。それに侯爵様のあの態度……当然よね。でも、王妃様の言葉は、お優しかったわ)


 次々と移り変わる田園風景を眺めながら、セレはフゥっと息を吐いた。

 王都に向かっていた時のような高揚感は消えていた。今は、不安やよくわからない焦燥しょうそう感が心を渦巻いている。行きにはあれほど楽しかったエリスとのおしゃべりも、口を開いたら不安な心を見せてしまいそうではばかられる。


 気がついたら眠り込んでいたようで、セレもエリスもお互いに寄りかかって眠っていた。車窓からの光が赤みを帯びて傾いている。

 イネスの横顔はその光の向こうを見つめているようだった。

 セレの目線に気づいたイネスが言った。

「起きたか。もうすぐ着くぞ」


 その言葉に外に目を向けると、傾いた太陽の光がキラキラと海に反射しているのが見えた。思わず、

「きれい……」

 とつぶやくと、

「ああ、きれいだな……」

 という言葉が返って来た。何だか、ほっとした。

 こちらの顔がゆるんだのだろうか、イネスも微笑ほほえんでくれた。


 間もなく人家も徐々に増えていって、密集した大きな町に変化する。交易で栄えた国一番の港町は、異国情緒があふれた建物や店が軒を連ねている。

 港が見渡せる四階建ての立派な宿の前に、馬車は停まった。


「着いたの?」

 エリスが寝ぼけまなこをこすって、身を起こした。

「着いたみたいよ。さあ降りよっか……」

 セレは、エリスの手を引いて馬車を降りる。馬車を降りると潮の香りがした。馬車で固まった体を、伸びをして伸ばす。

 騎士服を着てはいないが目つきの鋭い男と、ザイベリー家の家臣が交代で御者ぎょしゃをしてくれていた。

 黒騎士の男はサイモンと言った。どこぞの子爵家の末弟だそうだ。それでも王立騎士団の黒騎士なのだから、きっと腕が立つに違いない。

 ザイベリー家の家臣の方は、もうかなり見慣れていた。アンドリュー・ザイベリー伯爵子息に着いていた従者である。ヘンリーという名らしい。


 黒騎士のサイモンが先に立って宿に入って行き、我々もその後に続いた。

 ヘンリーは馬車を宿屋の裏に預けに行った。


 モルガニアへの船は定期便で週に二便出ている。

 次の船は明日の朝出発するので、ここではただ食事をして眠るだけなのだ。

 宿にはいろいろな人々が出入りしている。

 それこそ、イネスのような褐色かっしょくの肌の人もいるし、真っ黒な肌の人もいる。

 服装や装飾品も様々で、行き交う人を見ているだけでも飽きない。


 王都の豪華な宿では、セレとエリスは基本部屋で食事をしていたが、ここでは一緒に食べてもいいらしい。服装も晩餐ばんさん服でなくてはいけないと言うわけではないそうだ。

 イネスとセレ、エリスの三人で一つのテーブルを囲み、サイモンとヘンリーが別のテーブルに座る。昼は、宿で作ってもらったサンドウィッチだったので、何だかこうしてテーブルを囲むのは久しぶりな気がする。

 周りのテーブルも、いろいろな人々が席に着いている。商人風の人が多いが、たまに女性も混じっている。


 こうして見ると、黒騎士と従者、イネスは何とも所作が美しい。『生まれがわかる』と言うことはこういうことか、と思う。

 貴族の小さな男の子が厳しく所作を覚え込まされている様子を想像してしまい、口もとがゆるんでしまう。

 長女のセレは、貴族出身の祖父にきびしく教えられたため、それほど苦ではないが、エリスの緊張は隣からひしひしと伝わってくる。


 食事を済ませて部屋に戻ったエリスが、戻るなり

「はぁ〜、緊張したぁ」

 とこぼしていた。

「セレはすごいね、普通に食べてるし」

「うちはお祖父じい様が厳しかったからねぇ」

「そっか。白髭しろひげ先生、元は貴族だったんだっけ……」

「そう。お祖父様、医者になって人々を救いたいって、家を出たらしいよ」

「えらいねー、先生。本当にそうしちゃったんだ」


 お祖父様は子爵家の長男だったらしいが、医者を志し道をたがえたため、実家と縁を切ってしまった。母親が亡くなった時さえ、ふみも来なかったらしい。


「明日は早いらしいから、早く寝よ!」

 エリスの言葉にセレも、ベッドに潜り込む。

(明日は船かぁ。楽しみだなー!)


 * * *


 港町バロウの朝は活気に満ちている。

 船に食料や交易品を積み込む人足にんそくが行きい、乗船を待つ人々が列を作っている。

「一等船客の方はこちらっ!」

 列を作る客を尻目に、身なりの良い一等船客が横を通り抜ける。

 セレもエリスも案内されてイネスに続く。

「え、一等なの?」

 その声に、黒騎士が吐き捨てるように言う。

「我らが平民どもと同じ部屋など、あり得ない」


 (そうか、あたしは平民なんですけどね……)

 一等船室なのは、従者様の都合らしい。セレは、この旅が特別な命を受けた旅なのだと、改めて自覚した。


 船に乗り込んで甲板に立つと、波の揺れで体が持っていかれる。

「大丈夫か?」

 イネスに腕を支えられた。

「イネス……ありがと。波の上って面白いのね、ふわふわしてる」

「ああ、ふわふわだけならいいんだがな……なるべく、遠くを見ていろよ」

 イネスが謎の言葉を放つ……遠くって、海の向こうか?

 その言葉が実感をともなうようになるのは、出航の鐘が鳴ってかなりたった後だった。


「うええっ、気持ち悪い……」

 船室でバケツを抱えたエリスがうめいている。

「大丈夫、エリス?」

「……だい、じょうぶ……じゃない……」

 

 どういうわけか、セレは何ともなかった。エリスはこんなに苦しんでいると言うのに……だが、代わってあげることもできない。

 背中をさすりながら、時々水を飲ませる。飲んだ水もすぐ吐いてしまうのだが。

「お薬がないか、いてくるわね」

「ごめん……」

 セレは客室を出て、医務室を探す。

 探している途中で、顔色の悪い黒騎士に会った。

 目が『何も話しかけるな』と言っている……彼も船酔いで苦しいのだろう。

 風に当たりたくなって甲板に出て見ると、イネスが船員と話をしていた。


 イネスはセレに気づくと、近寄って来た。

「どうした、大丈夫か?」

 そんなに心配してくれていたのだろうか? 心の中に少し暖かいものが流れ込んでくる。

「あたしは平気なんだけど、エリスが船酔いで。何か薬がないかと思って……」

 イネスは少し微笑むと、ふところから何かを取り出した。

「昨日、宿の人に頼んで分けてもらったんだ。二回分ある。すぐ吐いてしまわないよう、吐ききって少し落ち着いてから飲ませるんだ」

「ありがとう、イネス」

 本当に手回しがいい。こうなるとわかっていたんだろう、自分たちのために用意してくれていたのだ。


 イネスのお陰でエリスも少し落ち着き、静かに眠っている。翌日も朝から薬を飲ませて少し起きられるようになった。

「私は食事はやめとくから、イネスと食べて」

 エリスがそう言うので、船の食堂ギャレーに向かわせてもらう。

 食事をとっている人の数は、そう多くなかった。一等用の食堂ギャレーはなお静かだ。

 イネスとザイベリー家の家臣ヘンリーが食事を取っていた。


「おはようございます。ご一緒させていただいても構いませんか?」

 セレが丁寧に話しかけると、『どうぞ』と椅子を引かれた。

 

 ヘンリーは食後の紅茶を飲んでいたようで、

「私は先に参りますね。どうぞ、ピアーズ殿はごゆっくり召し上がってください」

 と言って立ち去った。


「エリスの様子はどう?」

「イネスの薬のお陰で今は大分落ち着いてるわ」

「それはよかった」

 朝食を注文しながら、話は自然とモルガニアの話になる。

 

「港に着いたら、すぐ移動するのよね」

「ああ、明日の朝になると思うが。マウントエルリアの近くの村まで移動する」

「そこで、誰かに話を聞けるのかしら?」

「まあ、そうだと思う。山、と言っても広大だからな。今でも噴煙をあげている場所もあるから、案内なしで近づけるものでもない」

「そうよね……」

「……心配なのか?」

「そりゃね。……魔真珠の時は運が良かっただけだし、イネスがいろいろ調べてくれていたから……」

「大丈夫だ。運も実力のうちさ」


(イネスがいてくれたから……)

 セレは言葉にこそしなかったが、そう思っていた。もし、今回の旅にイネスがいなかったら、どうしていただろう?

 きっと、不安で押しつぶされそうになっていたに違いない。イネスがいてくれるから今こうして落ち着いていられるのだ。

 ザイベリー侯爵もそれがわかっているからこそ、三人一緒で行けと言ったのだろう。

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