2 冒険者セレスティン

 比較的裕福な商家に育ったセレスティン・ピアースは、医師である祖父がすすめる高等教育の受けられる学校を蹴り、町の庶民が通う学校へ進んだ。


 父親譲りの真っ赤な髪の、両サイドを三つ編みにして顔にかからないようにし、そのまま後ろ髪と一緒に高い位置でポニーテールにまとめている。弟の学校が上品な制服なのに比べて、彼女が通う学校はラフな私服の者が多い。

 ぴらぴらしたスカートでなく、膝丈のトラウザースで行けるのも彼女は気に入っていた。


幾何きか学なんかできなくても、生活していけるじゃない? 代数より、人間関係をうまく築く方がはるかに有用よ!」


 正直、勉強が大嫌いだったセレスティンは、冒険者に憧れ、父の店の近くの『冒険者ギルド』に足繁く通っていた。母譲りの薬草の知識で薬草を採集したり、ありふれた魔石を拾ってくる小遣い稼ぎをした。


 冒険者ギルドの受付係のソディーは、緑の髪に茶色の瞳の明るいお姉さんだ。

「ハーイ、ソディー姉さん! 今日は何かお使いはない?」

「セレちゃん、今日も来たのね。ちょっと待ってて、今スマルトさんに聞いて来るから!」

「わかった。待ってる!」

 明るく物怖じしない性格のセレスティンは、ギルドの職員ともいつの間にか仲良くなり、今ではすっかり常連だ。


 奥に行ったソディーが戻って来ると、手に持った薬草入りの袋を渡される。

「これ、セレちゃんのお祖父じい様からの依頼品。揃ったから渡してくれる?」

「えー、おじいちゃんかぁ〜。また怒られちゃう」

「そうなの、大丈夫?」

「いーや、平気平気! 行ってくるね!」

 セレスティンは元気に返事をすると、勢いよく出て行った。


 医者をしている祖父は、あまり冒険者をよく思っていない。まあ、それは両親も同じなので、今更なのだが……


 二つほど通りを行ったところの、石造りの三階建の建物の二階に、祖父の診療所があった。庶民向けの狭い診療所で診察費も安く、白い眉毛まゆげつながった長い口髭くちひげから、この辺りの皆には『白髭しろひげ先生』と呼ばれて頼りにされている。


 コンコンコン、とドアをノックして声を掛ける。

「こんにちは〜! 薬草のお届けに来ましたぁ!」


 返事を待たずにドアを開けると、狭い廊下に並んだ椅子に小さな女の子を抱いた母親が、座って診察の順番を待っていた。

「失礼しまーす」

 とその横を通り、奥の診察室のカーテン越しに声を掛ける。

 簡易ベッドに腰掛けた患者の足だけがカーテンの下から見えている。


「白髭先生、冒険者ギルドから薬草の配達です。ごめんなさい、診察中に! ご注文の薬、置いていきますね。代金はいつも通り週末にまとめてお願いします」

「ああ、セレスティンかい? お前また、冒険者ギルドに……。ああ、わかった、ありがとう」


 診察中の祖父は、何かセレスティンに言いたそうな声だったが、目の前の患者の症状の聞き取りに忙しいようだ。

 セレスティンは心の中でぺろっと舌を出した。

 診察中なら手を離せないに違いない、と思って来たのだ。

 セレスティンは何も言われなかったことにホッとしながら、また冒険者ギルドへ帰って行った。


 その晩、店をやっている両親とは別に、早くに夕食を済ませたセレスティンと兄妹たちは、夜のひとときをそれぞれの部屋で過ごしていた。

 成績優秀な弟は、祖父の希望通り高等教育を受けられる学院に入り、夜も真面目に勉強をしている。少し年が離れた妹は、自分を磨くのに余念がない。部屋を覗けば大抵たいてい、大きな姿見の前で服やアクセサリーを、取っ替え引っ替え試している。


 セレスティンは十六才で普通学校を卒業すると、すぐに下級の冒険者の資格を取った。

 むろん、祖父をはじめ両親は大反対したが、誰も彼女のこころざしを折ることはできなかった。セレスティンには他の者にはない、不思議な力があったからだ。


 この世界には『魔石』というものが存在する。

 それは、それを操ることができる力を持ったものが使うと、さまざまなことができる代物なのだ。平民にもまれに、魔石を操る力を持つものが一定数生まれるが、通常は貴族階級の者に多く現れる能力だ。


 セレスティンは小さな頃から、『魔石をぎ分ける』ことができた。

 近くで魔石の力を感じると、色々な匂いで彼女に伝わる。

 彼女が初めてそれを知ったのは、小さい頃、近所で不審火ふしんびがあった時だ。

「母さま。変な匂い……お鼻がくさいの」

 しきりとそう訴えるセレスティンに、周りが

「変な物でも拾って、触ったんじゃないかねえ?」

 と相手にしなかったのだが、その5時間後にその場所で火事が起きた。


 その時ははっきりとはわからなかったのだが、その後も魔石の出る洞窟や、山の中でこんこんと石から湧く泉など、変わった匂いがするたびに魔石の存在を探し当てた。


 下級冒険者の資格を取った彼女は、『魔石探し』の依頼を次々とこなした。

 実績を積んで階級が中級になると、『一緒にパーティを組まないか?』という他の冒険者の誘いも増えて来て、いよいよ遠くまで出かけることになった。


 この地よりそれほど遠くない中央大地に『ブラックジャック洞穴』という巨大な洞穴がある。三階建ての建物がすっぽり入ってしまうというその洞穴の大きさに、最初に訪れた時は驚いたものだ。枝分かれして延々と続く鉱脈には、まだ見ぬ数多くの魔石が眠っていると言う。

 セレスティンは、主に魔石目当ての、掘るのが得意な水魔石使いと、石の鑑別が得意な護衛兼鑑別士と3人のパーティを組むことが多かった。


 魔石の探索は、鼻が効くセレスティンが場所を特定し、水魔石使いのエリスラインが集中的に水を当てて掘り、掘り出した石の鑑別は年嵩のイネスがするという具合だ。

 エリスラインとの出会いは国の北部高原の、とある小さな鉱脈を探索していた時だ。

 まだ下級冒険者だったセレスティンは、『火焔石ファイアーアゲート』を探して、ソロで馬に乗り旅していた。

 季節は秋で、枯れた下草に隠れた岩盤から少しだけのぞく石を探す。

『火焔石』の匂いは独特で、表現は難しいが、ねっとりした感じで少し焦げたような匂いがする。


 父が言っていたが、統一戦争の頃、この辺りも戦場となったらしい。隆起した花崗岩が年月で侵食され、ボロボロと崩れている。街道から少しでも外れると、窪地や水の流れた跡など、地面の裂け目が口を開けていて、とても足場が悪い。

 まだ十の月の初めだったが、高原を吹き抜ける風は身を切るように冷たい。

 どうやら天気は味方してくれなかったようで、冷たい小雨があたって来た。霧が湧き上がって来て、方向を失う。


 街道へ戻ろうと、起伏のある枯れた草地を馬で歩んでいたが、完全に道に迷っていた。

 初めはどうにか少し先まで見えていた景色が、今はミルクの中を歩いているかのように真っ白になった。

(どうしよう、このままじゃ夜になっちゃう……かといって闇雲やみくもに歩き回っても消耗するだけ……ここは、立ち止まって考えるべきか……?)


 そう思った。その時、馬が地面の裂け目に足を取られた。

「ヒヒィーーンッ!」

 馬は横倒しになり、セレスティンは降り落とされた。

 驚いた馬は自力で立ち上がると、セレスティンを残したまま何処どこかへか走って行ってしまった。


「ビーティ! ダメ、行かないで!」

 馬の名を必死で呼ぶが、視界は限りなくゼロに近い。


「はぁ。……どうしよう?」

 セレスティンは地面に開いた、身長の半分ほどの深さの裂け目から立ち上がると、そこから抜け出した。

 周りはまばらな低木の生える草原だったはずだ。この霧さえ晴れれば、方角もわかるはず。ここで霧が晴れるのを待つしかない……。

 革のコートを着て来て正解だった。このくらいの雨ならば、なんとかしのげる。セレスティンはコートのフードを目深まぶかかぶり直すと、体を丸めるように腰をおろした。

 幸いさっき拾った『火焔石』と『湧水石』がある。コップがあれば良かったが、それは馬にくくり付けたままだった。乾いていて燃やせる物が無いので焚き火はできないが、とりあえず『湧水石』で手の中に水を湧かせて飲んだ。


 時が過ぎるのがとても遅く感じられる。いつになったらこの雨と霧は晴れるだろう……そう思っているうちに、ウトウトと眠りに落ちていた。


「ううっ、さむっ!」

 寒さに身ぶるいして目が醒める。いつの間にか雨はやんで、霧も消えていた。

 夕日は落ちて、僅かに山の輪郭を橙色だいだいいろの残照が縁取ふちどっている。

 あたりは夜になろうとしていた。


 暗くなる前に街道の方角を見極めなければ、と思い周りを見渡すと、右手に大きな雄鶏おんどり鶏冠とさかのような岩山がそびえている。確か、その手前を街道が横切っていたはずと思い出し、その方向に向かって足を踏み出した。

 冷えた体を無理やり動かして、急ぎ足になる。

 街道はほどなく見つかった。


 街道を町の方向へむかって歩いていると、すでに薄暗くなった街道の向こうから、ゆらゆらとした小さな白い光が近づいて来た。

 その光は誘うように強くなったり弱くなったり、まるで、精霊か何かのようにふわふわと揺れながら近づいて来た。


(まさか、幽霊とか……そんなんじゃないわよね……)

 思わず、腰の短剣に手を掛けた。


「あ……ビーティ!」

 セレスティンの愛馬、ビーティだった。先刻、飼い主を振り落として逃げて行ったその鼻先だけが白い黒馬は、なんだか少し済まなそうにいなないた。

 まさか、馬が明かりをともして来たわけではないし……。

 馬の手綱を引いている者がいる。長い厚手の羊毛セーターを着た小柄な少年に尋ねられた。帽子を目深まぶかに被っていて目が確認できない。

「あなたがこのの飼い主?」


 セレスティンはビーティの顔を撫でながら、その問いに答えた。

「はい、ビーティは私の馬です。捕まえてくださってありがとうございます」


 セレスティンがコートのフードを後ろに外して顔を見せると、その真っ赤な髪と白い頬が、白い照明石の光で鮮やかに見えた。コートの下では用心のため、しっかりと短剣のに手を掛けていたのだが。


「よかったです! このが、どうも主人のところに案内したがっているみたいだったので、探しに出たのです。ご無事で何よりです」

 そう言うともう一歩近づいて来た少年の口元が弧を描き、どうやら笑顔を向けられたようだ。


「私の家は、この街道の先です。良かったら今日は我が家にお泊りください。村には宿屋がありませんので……」

「そうですか。それでは馬小屋の隅でも結構ですので、一晩お世話になります」

 セレスティンと馬を連れて来てくれた少年は歩き始める。


「あっ! 申し遅れました、私、エリスライン・マードック、と申します」

「エリスラインさん……私はセレスティン・ピアースと申します。よろしくお願いします」

「こちらこそ。田舎の狭いうちですが、私の部屋にどうぞ」

「いえ、そこまでしていただいては、申し訳ないので、納屋の床にでも……」

「そんな! 女の子同士じゃないですか。この辺りには同年代の女の子が少なくて……。どうかお話を聞かせてください!」

 そう言われて初めて、相手が女の子だと気がついた。             


 そのまま、四半刻ほど歩き続けると、街道から少し入った林の中に灯りが灯った家が見えた。

 家の前で家人が出迎えて待っていた。

「エリス! 無事で帰って来た!」

 心配していたのだろう、エリスラインより少し年下の弟が、家の前から走って来る。

「母さん! エリスが帰って来たよ!」

 大きな声で家の中の家族に知らせている。

 家のドアが開くと、中から母らしき人が飛び出して来た。

「エリス! よかった……もう暗くなって来たから心配したわ」

 母が駆け寄って来た。


「ごめんなさい、母さん。馬の持ち主を見つけたの。今夜はうちに泊まってくださいとお願いしたの、いいでしょう?」

 母親の目が、少しいぶかしげにセレスティンを見る。すかさず、

「こんな時間に申し訳ありません! わたし、セレスティン・ピアースと申します。魔石を探しに来たのですが、霧に巻かれて迷ってしまいました」

 そう告げると、怪しんでいた目は優しい眼差まなざしに変わっていく。


「セレスティンさん、大変でしたね。良かったらうちに泊まって行ってください。なんのお構いもできませんが……」

「ありがとうございます! 正直、日が暮れて来てどうしようかと心細くなっていたところでした。お世話になります!」

 セレスティンが元気よく答えると、そこにいた皆が笑顔になった。


「お客さんの馬は、俺がつないでくるよ。先に入っていて!」

 久しぶりのお客さんに、弟も喜んでいるようだ。


 母と弟の三人暮らし、父親は町に出稼ぎに出て、たまにしか帰って来ないらしい。村外れの小さな家の静かな暮らしだ。


 帽子を脱いだエリスラインは、お母さんと同じ空色の髪に桃色の目、頬にそばかすが散った色白な可愛い女の子だった。弟は父似だそうで、そばかすのある顔は同じだが、髪は紺色、目はとび色だった。

 その晩は初めて会ったばかりだと言うのに、話が盛り上がってしまい、夜遅くまで一緒のベットの中で話し合った。


「私のことはセレって呼んで! あなたのことは、エリスって呼ぶわ」

 相手に言われる前に、もう言っていた。


「セレは冒険者なんでしょ? すごいわ!……私も冒険者になりたい!」

「そうなの? なら、一緒に冒険しよう! 冒険者になって世界中冒険しに行こう!」

「世界中? か、考えたことなかった……セレはすごいなあ」

「私ね、魔石の匂いがわかるんだ。魔石が近くにあると匂いがするの」

「魔石の匂い? なにそれ、初めて聞いた!」

「昔、子供の頃ね、近くで火事があったんだけど……『火焔石』の匂いがわかったの! それで、だんだん魔石に匂いがあるってわかって。でも、他の人には匂いがわからないらしいんだけどね!」

「すごい、すご〜い! 私もね、少しだけ魔石が使えるの。照明石とか湧水石とか。水関係なら任せて!」


 そんな話はお互いが寝落ちするまで続いた。隣の部屋では弟が、仲間に入りたくて耳をそばだてていたのだが……夜は更けていった。

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