3 赤毛の幸運の女神


「もし来る決心がついたら、訪ねて来てね。待ってるから……」

 別れ際、ギュッとエリスラインをハグしながら、駆け出しの冒険者セレスティンは、住所を書いた布の切れ端を渡した。


「お世話になりました!」

 元気に挨拶をすると、愛馬ビーティにまたがった彼女は風のように駆けて行った。


「いーな、姉さん。いろいろ町の話聞いたんだろ、俺も聞きたかったなー」

 弟が残念そうな声を出す。

 昨晩、二人で盛り上がったのは町の話ではなく、魔石探しの冒険の話……だが、黙っておこう。話したら母が心配しそうだ。


「ご両親が店をやっているのよね……父さんも雇ってもらえないかしら……」

 母は、たまにしか帰って来れない父の、不安定な仕事のことが心配らしい。

「それなら俺も! 雇ってくんないかな?」

「なに言ってんの。あんたまだ子供でしょ!」

「ちぇっ、姉ちゃんだってまだ十六じゃねえか。俺と二つしか違わないし!」


 姉弟きょうだいは、見たこともない町への期待で心が湧き立っていた。



 姉弟きょうだいの父トマスが、セレスティンの両親が経営する店で働くことが決まるのは、そのわずか半年後のことだ。

 北部高原の村外れの家を売り、わずかな荷物を荷馬車に積んで、マードック家の四人は町なかの貸し家にやって来た。

「信じらんない……こんな町に住めるなんて……」

「俺も……」

 荷馬車の荷台から、眩しいものを見る目で外を眺める姉と弟は、見るもの全てが新しく、ワクワクが止まらない。


 半年前、迷い馬のいななきに真っ先に気がついたのは、弟のアラバスターだった。姉のエリスラインと二人で馬を落ち着かせて捕まえた、あの日が昨日のことのようだ。

「こんないい馬、この辺の人じゃないね……」

「馬の飼い主がきっと困ってるわ。私、探しに行ってくる!」


 そう言って出て行った姉が連れて来たのは、真っ赤な髪のきれいなお姉さんだった。そのお姉さんと、その夜はうちで一緒にご飯を食べて、町の話を聞いた。

 お姉さんの家は商売をしていて、町に何軒も店を持っていると言う。


 その縁がきっかけで、我がマードック家は町に引っ越して来た。

 明日から自分も、公立の普通学校へ通うことになった。

(人生、何があるかわかんないな……)

 アラバスターは心の内で思う。


 借家に着くと、セレさんが待っていた。

「マードックさん、エリス! 待ってたわ!」

 真っ赤な髪にきれいな水色の目、セレさんが迎えてくれた。エリスも荷台から飛び出して、セレスティンに飛びついた。

「会いたかったわ、セレさん!」


「父さんに鍵を預かって来たの! お疲れ様、中へ入りましょう!」


 裏通りの一角ではあるが、二階建ての頑丈そうな建物の一階部分がマードック家になるらしい。

「ちょうど一階が空いたところでね、運が良かったのよ!」

 セレスティンが明るい笑顔で言う。一階と二階は別々の入り口になっているので、そう気を使うことなく暮らせそうだ。


「サッとだけど、掃除を済ませておいたわ。部屋を確認したら、すぐ荷物を運び込めるわよ」

 本当に、何から何までありがたい……セレさんの言葉に、母のマリアも目が潤みかけている。

「セレスティンお嬢様、ありがとうございます。お世話をおかけいたします」

 父と母がセレさんに深く頭を下げた。


「やだ、マードックさん、頭なんて下げないで! わたしはエリスが来てくれただけで嬉しいの! それに、ここを用意したのも父だし……私のことはセレさん、でいいのよ!」

「ありがとうございます……セレ…様」


「いーのいーの。それよりねえ、エリス、こっちへ来て! 奥の部屋を見て!」

 セレスティンはエリスの手を引っ張ると、廊下の奥へと消えて行った。


「……本当に、あの日迷い込んできた馬は『幸運の馬』だったのねえ……」

 母がポツリと言った。

「そうさ、俺が捕まえたんだからな!」

 アラバスターが “どうだい” とばかりに言う。その声に、父も母も明るい笑い声をあげた。


* * *


 トマスが三カ月ぶりに北部高原の自宅に帰ると、手紙を手に握った娘が期待に満ちた顔で、「父さん! 大変なのっ」と飛びついて来た。


 家に入ってよく聞いてみると、二月ふたつきほど前に道に迷った馬を見つけたらしい。

 娘が馬の飼い主を探しに出ると、なんときれいなお嬢様だったのだそうだ。

 そのお嬢様は、町にある大きな店の主人の娘で『ぜひひとこと、お礼を申し上げたいので、ついでの時にでも寄って欲しい』という手紙だった。


 数日後、仕事に戻るついでにその住所を訪ねてみると、立派な門構えの店があった。まさか、こんな立派な店を構えているとも知らず、訊いてみたら、まっすぐ奥の応接室に通された。

 恰幅かっぷくの良い赤髪の店主は、娘を助けてくれたことに何度も礼を言い、『些少だが礼金を支払いたい』という申し出た。


「いいえ、何もいりません、私も子供のいる親ですから。当たり前のことをしただけで、それも私ではなく、娘と息子ですから……」

 赤髪の主人はそう言う私に、『それでは申し訳ない、一杯だけでもお付き合いください』と酒を勧めてくれた。あまり遠慮しすぎるのも悪いかと思い、

「それでは一杯だけ……」

 とご馳走になる。

 美味しいウイスキーに地元の酒の話をしたら、『戦時中にその辺りへ派兵された』話になり、お互い同じ部隊として戦ったことがわかった。


 戦争の話から家族の話になり、仕事の話になって、出稼ぎの話をうっかりすると、『ぜひ、うちに来て働いて欲しい』と誘われて、トントン拍子に話がまとまった。

 ……本当に、人の縁とは不思議なものだ。



 セレスティンは一番奥の部屋のドアを開けると、エリスに見せた。

「この部屋どう、エリスの部屋にぴったりじゃない? 突き当たりでそれほど広くないけれど、ここは光が入るの」

 窓には防犯のため鉄格子がはまっているが、縦長の窓からは光が入る。

「わたしの……部屋?」

 エリスは部屋を見渡した。明るい水色のストライブの壁紙が貼られている。

 前の住人も女性だったのだろうか。

「実を言うとね、ここの前の住人は知り合いなの。それで、他に貸す前にこちらに回してもらったのよ」


 目を丸くして部屋を見まわしていたエリスが、ガバッとセレスティンに抱きついた。

「セレさんっ、最高! この部屋気に入ったわ!」

「うわっ、そんなに喜んでくれて私も嬉しい!」


 弟のアラバスターが部屋を見にやって来た。

「おおっ、姉さんいい部屋じゃん、良かったなー。セレさん、俺の部屋も見に来てよ」

 両親もやって来て、

「どれどれ、きれいな部屋じゃないか。よかったなあ、エリス」

 と、みんなそれぞれの部屋に満足してくれたようだ。


「さて、馬車を返しに行く予定もあるから、早く荷物を降ろそう。みんな、張り切って運ぶぞ!」

 父トマスの掛け声で、みんなが動き始める。

 セレさんも手伝ってくれて、荷下ろしはあっという間に終わり、トマスは急いで荷馬車を返しに行った。

 各部屋のベッドや、キッチンのテーブルなどは作り付けなので、必要最低限の暮らしはできそうだ。引っ越し作業で三日ほど休みをもらっているので、必要なものは明日、明後日あさってで買いに行けばいい。



「私は父に、到着を伝えに行って来ます」

 セレさんはそう言うと、日が沈む少し前に帰って行った。


 キッチンのテーブルに人数分のカップだけを出して、お湯を沸かす。

 昨夜泊まった宿屋で食べた朝ご飯から、何も食べていなかった。

 町に着いた興奮で、食事のことすら頭から抜けていた。


「母さん、ティーポットはどこに入れたっけ?」

 とりあえずお茶葉を探して、お茶を淹れる。ティーポットは破損を心配して、厳重に箱の底に入れてしまい、取り出せない。茶しだけが見つかったので、鍋に湯を沸かして茶葉を入れ、茶漉しで漉した。


 茶葉が少し混ざってしまったお茶を飲んでいると、セレさんが両手にいっぱいの荷物を抱えて戻って来た。


「すみません、父もご挨拶に来たかったようなのですが、手が離せず……。皆さんで食べていただくよう、私がことづかって来ました」

 どん、テーブルの上に置かれた両手いっぱいの荷物は、すべて食べ物だった。

 バスケットには、まだパリパリと焼きたての音を立てる大きな丸いパン、手に下げた袋には沢山の野菜と、紙に包まれた肉類が入っていた。


「後でミルクも届きます。途中で配達を頼んで来ましたので」

「ありがとうございますっ、セレさん!」

「『腹が減っては戦さもできない』ですよね! まずは腹ごしらえしてから、続きをやりましょう!」


 母のマリアは荷物の中から、フライパンと食器を探し出してテーブルの上に並べる。

「張り切って作るわよ! エリス、バスター、手伝ってちょうだい」

「はぁい! わたし、サラダを作るわ!」

「じゃあ俺は、肉を切る!」

「私も手伝わせて、何をやればいい?」

 セレさんも袖をめくり上げて、手伝う気満々だ。


 料理が出来上がる頃、父のトマスが帰って来た。

「おーっ、いい匂いだな!」

「おかえり、父さん!」

 温かな湯気の上がるキッチンで、母親と姉弟きょうだい、そして赤毛の幸運の女神がテーブルを囲んでトマスを待っていた。

 なんとも幸せそうな光景である。


 マードック家の町での生活一日目はこうして幕を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る