3 エリスラインとの出会い
ある時セレスティンは『
季節は秋で、枯れた下草に隠れた岩盤から少しだけのぞく石を探す。
『火焔石』の匂いは独特で、表現は難しいが、ねっとりした感じで少し焦げたような匂いがする。
父が言っていたが、統一戦争の頃、この辺りも戦場となったらしい。隆起した花崗岩が年月で侵食され、ボロボロと崩れている。街道から少しでも外れると、窪地や水の流れた跡など、地面の裂け目が口を開けていて、とても足場が悪い。
まだ十の月の初めだったが、高原を吹き抜ける風は身を切るように冷たい。
どうやら天気は味方してくれなかったようで、冷たい小雨があたって来た。霧が湧き上がって来て、方向を失う。
街道へ戻ろうと、起伏のある枯れた草地を馬で歩んでいたが、完全に道に迷っていた。
初めはどうにか少し先まで見えていた景色が、今はミルクの中を歩いているかのように真っ白になった。
(どうしよう、このままじゃ夜になっちゃう……かといって
そう思った。その時、馬が地面の裂け目に足を取られた。
「ヒヒィーーンッ!」
馬は横倒しになり、セレスティンは降り落とされた。
驚いた馬は自力で立ち上がると、セレスティンを残したまま
「ビーティ! ダメ、行かないで!」
馬の名を必死で呼ぶが、視界は限りなくゼロに近い。
「はぁ。……どうしよう?」
セレスティンは地面に開いた、身長の半分ほどの深さの裂け目から立ち上がると、そこから抜け出した。
周りはまばらな低木の生える草原だったはずだ。この霧さえ晴れれば、方角もわかるはず。ここで霧が晴れるのを待つしかない……。
革のコートを着て来て正解だった。このくらいの雨ならば、なんとか
幸いさっき拾った『火焔石』と『湧水石』がある。コップがあれば良かったが、それは馬に
時が過ぎるのがとても遅く感じられる。いつになったらこの雨と霧は晴れるだろう……そう思っているうちに、ウトウトと眠りに落ちていた。
「ううっ、
寒さに身ぶるいして目が醒める。いつの間にか雨はやんで、霧も消えていた。
夕日は落ちて、僅かに山の輪郭を
あたりは夜になろうとしていた。
暗くなる前に街道の方角を見極めなければ、と思い周りを見渡すと、右手に大きな
冷えた体を無理やり動かして、急ぎ足になる。
街道はほどなく見つかった。
街道を町の方向へむかって歩いていると、すでに薄暗くなった街道の向こうから、ゆらゆらとした小さな白い光が近づいて来た。
その光は誘うように強くなったり弱くなったり、まるで、精霊か何かのようにふわふわと揺れながら近づいて来た。
(まさか、幽霊とか……そんなんじゃないわよね……)
思わず、腰の短剣に手を掛けた。
「あ……ビーティ!」
セレスティンの愛馬、ビーティだった。先刻、飼い主を振り落として逃げて行ったその鼻先だけが白い黒馬は、なんだか少し済まなそうに
まさか、馬が明かりを
馬の手綱を引いている者がいる。長い厚手の羊毛セーターを着た小柄な少年に尋ねられた。帽子を
「あなたがこの
セレスティンはビーティの顔を撫でながら、その問いに答えた。
「はい、ビーティは私の馬です。捕まえてくださってありがとうございます」
セレスティンがコートのフードを後ろに外して顔を見せると、その真っ赤な髪と白い頬が、白い照明石の光で鮮やかに見えた。コートの下では用心のため、しっかりと短剣の
「よかったです! この
そう言うともう一歩近づいて来た少年の口元が弧を描き、どうやら笑顔を向けられたようだ。
「私の家は、この街道の先です。良かったら今日は我が家にお泊りください。村には宿屋がありませんので……」
「そうですか。それでは馬小屋の隅でも結構ですので、一晩お世話になります」
セレスティンと馬を連れて来てくれた少年は歩き始める。
「あっ! 申し遅れました、私、エリスライン・マードック、と申します」
「エリスラインさん……私はセレスティン・ピアースと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ。田舎の狭い
「いえ、そこまでしていただいては、申し訳ないので、納屋の床にでも……」
「そんな! 女の子同士じゃないですか。この辺りには同年代の女の子が少なくて……。どうかお話を聞かせてください!」
そう言われて初めて、相手が女の子だと気がついた。
そのまま、四半刻ほど歩き続けると、街道から少し入った林の中に灯りが灯った家が見えた。
家の前で家人が出迎えて待っていた。
「姉さん! 無事で帰って来た!」
心配していたのだろう、エリスラインより少し年下の弟が、家の前から走って来る。
「母さん! 姉さんが帰って来たよ!」
大きな声で家の中の家族に知らせている。
家のドアが開くと、中から母らしき人が飛び出して来た。
「エリス! よかった……もう暗くなって来たから心配したわ」
母が駆け寄って来た。
「ごめんなさい、母さん。馬の持ち主を見つけたの。今夜はうちに泊まってくださいとお願いしたの、いいでしょう?」
母親の目が、少し
「こんな時間に申し訳ありません! わたし、セレスティン・ピアースと申します。魔石を探しに来たのですが、霧に巻かれて迷ってしまいました」
そう告げると、怪しんでいた目は優しい
「セレスティンさん、大変でしたね。良かったらうちに泊まって行ってください。なんのお構いもできませんが……」
「ありがとうございます! 正直、日が暮れて来てどうしようかと心細くなっていたところでした。お世話になります!」
セレスティンが元気よく答えると、そこにいた皆が笑顔になった。
母と弟の三人暮らし、父親は町に出稼ぎに出て、たまにしか帰って来ないらしい。村外れの小さな家の静かな暮らしだ。
帽子を脱いだエリスラインは、お母さんと同じ空色の髪に桃色の目、頬にそばかすが散った色白な可愛い女の子だった。その晩は初めて会ったばかりだと言うのに、話が盛り上がってしまい、夜遅くまで一緒のベットの中で話し合った。
「私のことはセレって呼んで! あなたのことは、エリスって呼ぶわ」
相手に言われる前に、もう言っていた。
「セレは冒険者なんでしょ? すごいわ!……私も冒険者になりたい!」
「そうなの? なら、一緒に冒険しよう! 冒険者になって世界中冒険しに行こう!」
「世界中? か、考えたことなかった……セレはすごいなあ」
「私ね、魔石の匂いがわかるんだ。魔石が近くにあると匂いがするの」
「魔石の匂い? なにそれ、初めて聞いた!」
「昔、子供の頃ね、近くで火事があったんだけど……『火焔石』の匂いがわかったの! それで、だんだん魔石に匂いがあるってわかって。でも、他の人には匂いがわからないらしいんだけどね!」
「すごい、すご〜い! 私もね、少しだけ魔石が使えるの。照明石とか湧水石とか。水関係なら任せて!」
そんな話はお互いが寝落ちするまで続いた。
翌朝。
「もし来る決心がついたら、訪ねて来てね。待ってるから……」
別れ際、ギュッとエリスラインをハグしながら、駆け出しの冒険者セレスティンは、住所を書いた布の切れ端を渡した。
「お世話になりました!」
元気に挨拶をすると、愛馬ビーティに
「いーな、姉さん。いろいろ町の話聞いたんだろ、俺も聞きたかったなー」
弟が残念そうな声を出す。
昨晩、二人で盛り上がったのは町の話ではなく、魔石探しの冒険の話……だが、黙っておこう。話したら母が心配しそうだ。
「ご両親が店をやっているのよね……父さんも雇ってもらえないかしら……」
母は、たまにしか帰って来れない父の、不安定な仕事のことが心配らしい。
「それなら俺も! 雇ってくんないかな?」
「なに言ってんの。あんたまだ子供でしょ!」
「ちぇっ、姉ちゃんだってまだ十六じゃねえか。俺と二つしか違わないし!」
* * *
エリスラインの父トマスが三カ月ぶりに北部高原の自宅に帰ると、手紙を手に握った娘が期待に満ちた顔で、「父さん! 大変なのっ」と飛びついて来た。
家に入ってよく聞いてみると、
娘が馬の飼い主を探しに出ると、なんときれいなお嬢様だったのだそうだ。
そのお嬢様は、町にある大きな店の主人の娘で『ぜひひとこと、お礼を申し上げたいので、ついでの時にでも寄って欲しい』という手紙だった。
数日後、仕事に戻るついでにその住所を訪ねてみると、立派な門構えの店があった。まさか、こんな立派な店を構えているとも知らず、訊いてみたら、まっすぐ奥の応接室に通された。
「いいえ、何もいりません、私も子供のいる親ですから。当たり前のことをしただけで、それも私ではなく、娘と息子ですから……」
赤髪の主人はそう言う私に、『それでは申し訳ない、一杯だけでもお付き合いください』と酒を勧めてくれた。あまり遠慮しすぎるのも悪いかと思い、
「それでは一杯だけ……」
とご馳走になる。
美味しいウイスキーに地元の酒の話をしたら、『戦時中にその辺りへ派兵された』話になり、お互い同じ部隊として戦ったことがわかった。
戦争の話から家族の話になり、仕事の話になって、出稼ぎの話をうっかりすると、『ぜひ、うちに来て働いて欲しい』と誘われて、トントン拍子に話がまとまった。
……本当に、人の縁とは不思議なものだ。
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