33 マインド・コントロール

 セレスティンは、ヘリオスの手を引いて神殿から抜け出すと、ただひたすら歩いた。

 ヘリオスを助けようと何度も来た、道なき道を半日かけて一番近い村ヘ向かって歩く。

 

 その間も、彼は何も言葉を発しない。

 まるで、言葉など忘れてしまったかのようだ。


 村に辿たどり着いて、見知った顔に声を掛け、休む場所を提供してもらった。

 八年の間に幾度いくども来たので、それなりの顔見知りになっていた。言葉もいつしか少し覚えて、意思の疎通そつうができるくらいにはなっていた。


「はぁ、あんた、やっと救い出せたんだねぇ。大したもんだ、あのおっかねえ魔女からよぉ」

「うん、やっとだよ……」

「こりゃあ、だいぶ薬を盛られてるねぇ。抜けるまで大変さね」

「うん、わかってる……。ところでラクダを2頭雇いたいんだけど」

「ああ、わかった。用意しとくよ。明日の朝でいいかい?」

「お願い。悪いね」


 幸いオリィの荷物に、少し金貨や銀貨、魔石も少し入っていたので、そこから借りることにする。

 

 後で聞いたことだが、セレたちが去った後、神殿の上に大きな黒い煙が上がっていたそうだ。

 どさくさに紛れてオリィも脱出できているといいのだが……。

 

 今は、目の前のヘリオスだ。

 食べ物を分けてもらって、湧水石で湧かせた水を飲ませる。オリィがよく使っていた魔石の着いた銀の水筒が入っていた。

 

(これは大事な物みたいだったな……よくこれに向かって、何かを話しかけていた気がする)


 食べる物を食べたら少し眠そうにしていたので、ヘリオスを寝かしつけた。

 まだ、日が沈む時間には早かったので、自分はヘリオスの横に座って、その顔をまじまじと見た。

(相変わらずきれいな顔……)

 

 八年の年月が、自分と同じようにったと思えないほど、その顔は美しかった。手入れをされていたのであろう、ゆるくウェーヴのかかった髪、きれいな爪、別れた時と同じ印象のまま、目の前に居る。


 それなのに、自分はどうだろう?

 長く日差しの下にさらされて日焼けした肌、髪はバサバサで化粧っ気のない顔。長い冒険者生活で肌も爪もボロボロだ。


 ポタリ……。

 セレの水色の目から、涙があふれていた。

 ポタポタ、ポタポタと涙が止まらない……。


 

(誰……? これは、夢?)

 ぼんやりとした視界に、赤い髪が映る。

 記憶の奥底に、とても大事なものが仕舞しまわれている気がするのに、それが何なのかわからない……古い傷跡が痛むように、胸の奥が痛むのだ。ヘリオスは現実ともつかないはざまにいた。


 ぼんやりした視覚がゆっくりと像を結ぶ。

 目の前に顔が浮かんでいる……女の顔だ。

 陶磁器のように白い顔、白い瞳が薄笑いを浮かべて迫って来る……。


 ヘリオスは声も出せぬまま、腕を伸ばしていた。その白い魔女の首をつかんで絞めつける。

 遠くで誰かの声が聞こえる気がする…………。


「……リ…ォス、……ヘリ……オス……」


 セレは突然伸びてきた愛しい男の手で、首を絞められていた。

 声が出せなくて苦しくて暴れていると、心配したその家の者が駆けつけて、掴んだ手を引き剥がしてくれた。


「幻を見てるんだよ。だから、用心しろって言っただろ。縛っておいた方がいいよ。勝手に砂漠の中にでも出て行かれちまったら、死ぬよ」

「そんな……」

 今、首を絞められて殺されそうになったのだが、それでも長いこと囚われていた愛しい人を縛って拘束するなどできない……。

「こいつが大事なら、そうした方がいい。明日、呪術師から解毒薬をもらって来てやるから、出発は少しのばしたらどうだい?」


 セレは仕方なく同意した。もし、一人でヘリオスを見ていて暴れられでもしたら、太刀打ちできそうにない。皆に手伝ってもらって手足を拘束した。

「ごめんなさい、ヘリオス。このまま静かにしていてね……」


 夜の間、ヘリオスがうなされているのを、セレはただ見守った。

 ひたいに浮いた汗をぬぐい、暴れ出さないよう祈る。

 夜明けが近い。あたりが白み始めた時だった。


 疲れと眠気でウトウトと眠り込む。


「……セレ」

 誰かに呼ばれた気がした。

 眠い目をこすって、まわりを見渡す。

 ヘリオスの顔がこちらを向いていた。

「……セレか?」

 金色の瞳がはっきりと見開かれている。


「ヘリオス?」

「お前なのか?」

「待って、今外すから」

 慌ててヘリオスの手の拘束を外す。

 

「ヘリオス、ごめんなさい。……迎えに来るのが遅くなって……」

「本当にセレなのか? 幻覚じゃないのか?」

「本当よ……会いたかった……」

「この拘束は……?」

「ヘリオス、薬を飲まされていたでしょう? それで暴れたので、仕方なく」

「セレ、顔を見せてくれ」

「ヘリオス……だめ、今のあたしを見ないで」

「どうしてだ? やっと会えたのに……」

 ヘリオスはセレの腕をつかむと、身体からだを引き寄せた。

 そして薄暗い薄明はくめいの中で、まじまじとセレの顔を見つめた。

 

「セレ、変わってないな。……いや、変わったか。もっときれい綺麗きれいになった」

「ヘリオス、あなたは全然変わらないのね……」

 セレの水色の瞳から、涙がはらはらとこぼれた。


 ヘリオスはその胸にぎゅっとセレを抱き締めた。

「俺の気持ちは、全然変わってない。むしろ強くなった。いつもセレのことだけを考えて、毎日をやり過ごしていたんだ。いつかきっと、お前ともう一度会う、それだけを考えた……」

「ヘリオス……ヘリオス、愛してる……」


 いつの間にか薄明は、朝焼けに変わり陽が登ろうとしていた。

 

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