34 スリ・ロータスへ

 さっきまであれほどはっきりと顔を上げて話していたというのに、ヘリオスの様子はコロコロと変わった。

 筋の通った話していたと思えば、いきなり違うことを言い出して、怯えて顔も上げない。薬の影響というのは恐ろしいものなのだと、セレはつくづく思った。


 ひとときでも自分の顔を見て、思い出して抱き締めてくれたことが、何より嬉しい。

 その家の者がまじない師のところで “解毒薬” をもらって来てくれた。

 食事と共に飲ませようと思ったが、とても嫌がって飲んでくれない。よほど『薬のたぐい』を飲まされることに恐怖を感じているのか、食器をひっくり返して暴れ出し、しかたなく皆で拘束せざるを得なくなった。

 無理に薬を飲ませるのは諦める。

 結局、その村に一週間ほど滞在した。村の人々がこれほど協力的だったのには驚いたが、皆 “砂漠の魔女” の所業には辟易へきえきしていたのだと理解する。


 皇都から一個師団がやって来て、魔女の一団は捕えられたと知らされた。

 どうやらオリィは無事生還したらしい。

(よかった! 本当に良かった!)

『いつか、謝りに行けたらな』と思う。許してくれるとは思えないが……。


 少し様子が落ち着いたヘリオスと二人、村の人々にお礼を言って旅立つ。

 陸路でおよそ一ヶ月、古くからの交易路『塩の道』を通って南の海に出た。

 その頃にはヘリオスの薬も抜けて、ほとんど以前のような状態に戻っていた。


「セレ、どうした? 元気がないな」

「そ、そんなことないわよ!」

「ここからは海路だし、少しゆっくりできる」

「そうね……」

「セレ……」

 ヘリオスはそっとセレを抱き寄せた。



 ヘリオスは魔女の神殿にいる間、時間的な感覚を無くしていた。

 盛られる薬や頭がしびれるような香が、常に自分を支配していて、いったいどれ程の年月が経ったのか、わからないようにされていた。

 抵抗すると、拘束されて薬が盛られ、意識が朦朧としているなか身体をむさぼられる。肉体は快感を感じているが、頭の奥は抵抗の悲鳴をあげていた。

 薬が切れると、おのれおのれのあられもない痴態ちたいに気づき、恥辱ちじょくと後悔の念が押し寄せて来る。

 これを繰り返すうち、“このやり方では自分を追い詰めてしまう、ひいては脱出の機会を失ってしまう” と気づき、抵抗をやめた。

 きちんと食べて体力を温存し、薬を盛られないよう大抵のことは我慢した。

 それでも魔女の要求を受け入れるのは、本当に嫌だった。


 魔女は基本、言うことを聞いてさえいれば、攻撃することはなかった。

 魔女にとって自分は『愛玩動物』のような位置付けで、こちらが手に噛みつきさえしなければ、頓着とんちゃくすることはない。人間には興味がないのだ。自分がこのまま好きなことをして生きていければ、他はどうでも良いと言ったふうだった。


 ある日、すきをついて脱出した。

 屋上の『飛空艇』を奪って逃げた。

 だが、魔女がすぐにすごい勢いで飛んできて、俺は叩き落とされた。

 そしてまた捕まり、薬を盛られ脅迫された。

「今度逃げたら、あの女とその家族を見つけて殺す」

 魔女がセレのことを覚えていたのは驚きだったが。


 そしてより一層強い薬を盛られた。


 そこからは記憶が飛んだり、はっきりしない……日付の感覚も失われてしまった。

 次に気がついたのは、砂漠の民の村だった。

 寝かされて、手足を縛られていた。

 ゆっくりと明確になる視覚の中に、赤い髪が映った。

 記憶の底に閉じ込めた、一番大事な姿……俺の一番愛しい女。


「……セレ」


 呟くと、その水色の瞳がこちらを向いた。

 幻覚……?

 いや、ここにいるはずがない。これは幻覚だ。俺が見たいと思ったから、脳がその姿を作り出して、目の前にいる気にさせているんだ。

「セレか……」

 目の前の幻覚は近づいて来て、

「ヘリオス」

 と言った。幻覚なのに随分はっきりと聞こえる。つい、

「お前なのか?」

 と返事すると、更に近寄って来て

「待って、今外すから」

 と拘束を外し始めた。


「ヘリオス、ごめんなさい。……迎えに来るのが遅くなって」

 と言う。これが幻覚でなかったら、本当に嬉しいのに……だが待て、本当に幻覚なのだろうか? ……いや、まさか!


「本当にセレなのか? 幻覚じゃないのか?」

 一応確認してみる。まだ、幻覚という可能性もある。

「本当よ……会いたかった……」

 手の拘束が解かれて、温かいセレの手が俺の手を包んだ。

「この拘束は……?」

「ヘリオス、薬を飲まされていたでしょう? それで暴れたので、仕方なく」

 そうか、そうなんだ……。


「セレ、顔を見せてくれ」

「ヘリオス……だめ、今のあたしを見ないで」

 幻覚でないと言うなら、その顔を見たい。

「どうしてだ? やっと会えたのに……」

 ヘリオスはセレの腕をつかむと、身体を引き寄せ、まじまじとセレの顔を見つめた。

 日に焼けて、つやのない肌。髪は伸びて砂まみれだ。そして、疲れた表情。いきいきとした娘の顔は、すっかり熟練した女冒険者の顔になっていた。


「セレ、変わってないな。……いや、変わったか。もっときれいになった」

 

 ヘリオスは思う。

 いったいどれほどの年月が経ってしまったのだろう。

 こんなになるまで、どれほど苦労を重ねたのだろう……。

 そして見捨てることなく、俺を救いに来てくれた。

 俺のことなど忘れても良かったのに……。

 いや、セレが俺のことを忘れるなんて、想像したこともなかった。

 きっといつか必ず会えると思っていたのだ。



 海を見下ろす港の、一段高い岬で穏やかな海を眺めながら、二人は心を寄りわせる。

 明日はまた、船に乗ってヘリオスの故郷スリ・ロータスを目指すのだ。

 

 スリ・ロータスは今のところ政情も安定している。長らく故郷を離れていた王子が帰還しても大丈夫なほどには。

 まさか、八年も神殿にいたとは思わなかったが……。ヘリオスが故郷を出てからを合わせると、十五年の月日が経っていた。

 

 帰って、彼の大事な赤髪の冒険者を家族に紹介しよう。


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赤髪の冒険者セレスティンは、なぜ裏切ったのか 滝久 礼都 @choukinshi

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