15 海への遠征ー4

「おやおや、あんたたち。こんな寒い季節じきに海に潜ったのかい?」

 ようやく宿屋に帰ると、女将さんが心配して出て来た。

「いま、バスタブを用意するよ。ちょっと待ってな」


 おばさんがバスタブを取りに行っている間に、イネスが二人にささやいた。


「いいかい、二人とも。今日真珠をったことは内緒にしておくんだ。俺たちが『魔琥珀まこはく』や『魔真珠ましんじゅ』を見つけたことがバレたら、ここから帰る前に消されてしまうかもしれない……」

 

 物騒なことを言うものだ。

 セレもエリスもまさかと思ったが、まだ見てはいない最後に獲った貝に、万が一『魔真珠』が入っていれば、大騒動になるに違いない。

 なにせ、前にそれが見つかった時から十年も経っているのだ。十年前みつかったその『魔真珠』は王国の宝物庫にあるという。


「今日見つけたものは、寝る前に俺に全部預けてくれ」

 確かにその方がいいかもしれない……強そうな男のイネスなら、襲われることもないかもしれない。

 

 おばさんが大きな木造りのバスタブを、よいしょっと運んで来てくれた。

「あんたたち、だれか湧水石を持ってるかい? 持ってたら水を入れてくれると助かるよ」

 エリスが片手を挙げようとしたのを、セレが遮って言った。

 

「私たち、貧乏冒険者だから持ってないんです。みんなで井戸から運びますよ」

「そうかい……そりゃ助かるね。じゃあ頼むよ。一杯になったら沸騰石であたためるからね」

 それとなく探りを入れられているようで、なんだか居心地が悪い。

 

 セレは濡れた上着や革鎧かわよろいを脱ぐと、暖炉の前の衝立ついたてに掛けた。

 

「セレ、お前はみんなの荷物をそれとなく見張っていてくれ。水は俺たちが運ぶから」

 心配しすぎなのではないかと思ったが、初めて泊まる宿屋だ。様子がわからないうちは用心するに越したことはない。

 寒そうな素振りをしながら、二人が水を運ぶのを見ていた。ときどきエリスが周りの目を盗んで、指先から水をざあっと入れている。


「あんたたちが獲って来た貝、スープとパエリアにするけど、それでいいかい?」

 おばさんが様子を見にやって来る。

「町で、あの貝が美味しいと言う話を聞いてやって来たんです。ぜひ、お願いします」

 適当なことを言った。


 バスタブが水でいっぱいになって、おばさんに沸騰石で沸かしてもらうよう頼む。

「あたしゃ、石が使えないんでね。あんたたち、誰か使えるかい?」

 そう聞かれて、イネスが答える。

「俺がやります」

「そうかい、あんたは役にたつ男だね! 頼むよ」


 そうなのだ、みんながみんな魔石が使えるわけじゃない。庶民で魔石を使える者など一握ひとにぎりなのだ。たった一つの魔石を使えるだけでも、それは大きなギフトとなる。

 

 お風呂に入り、順番に体を洗ってすっかり気が抜ける。

 夕飯の貝のスープは割とあっさりしたお味だった。パエリアも他にあまり具がなく、シンプルな味付けだった。疲れていたので、早々に部屋に引き上げる。

 寝る前に、何事もないよう祈りながら、荷物をみんなイネスに預けて『おやすみ』を言った。


 夜中、誰かがドアを開けた気がする。

 昼間の疲れで目を開けることができず、そのまま朝まで寝てしまった。


「あっれー?」

 起き抜けに、隣のベッドで寝ていたエリスが、不思議そうな声を出す。

「ん? エリスどうしたの?」

「うーん、試しに昨日みつけた琥珀、枕元に置いといたんだけど……みつかんないの」

「え、ベッドの下にでも落ちたんじゃない?」

「見たけど……見当たらないの」

 

「………」

「まさか……ね」

「指輪はある?」

「さすがの私も、触られれば気づくよ……たぶん」

 

「早く帰ろっか……」

「……そうだね」


 着替えて起きて行くと、イネスがもう朝食を食べていた。

 なんだか少し疲れた顔だ。


「早く食ってくれ、帰るぞ」

「……イネス、機嫌悪い?」

 返事がない……。

 二人は急いで朝食を済ますと、宿屋の主人と女将おかみに礼を言って荷馬車に乗り込んだ。イネスはその間も、必要以上のことは何も言わなかった。

 しばらく荷馬車を走らせて漁師町を出ると、イネスが深くため息を吐き出した。

 

「悪いが、御者を代わってくれ。まったく……あの宿の親父、夜中に四度も俺の様子を見に来たぞ。お前たちは大丈夫だったか?」

 その言葉に、セレとエリスは言葉少なに答える。

 

「え、大変だったのね。……夜中に誰かドアを開けた気がしたんだけど、寝てて……。朝起きたら、エリスの琥珀が無くなっていたの……」

「そうか、予想通りだな。それだけで済んでよかった。……俺は寝るから、何かあったら起こしてくれ」

 そう言うとイネスは、エリスと場所を変わって、荷台で横になると寝てしまった。

 

『この世とは世知辛いものだ』イネスは、そう思いながら夢の中に入って行った。



 御者台を代わってもらって荷台に移り、横になるとすぐに眠ってしまったらしい。昨夜は宿屋の主人への警戒でほとんど一睡もできなかったので、致し方ない。

 冒険者をやっていれば、宿が見つからなかったり、怪しい場所で野宿をせねばならなかったりすることもままあるのだが、ここのところそんなこととは無縁だったので、鈍ってしまったのかもしれない。


 イネスはいつの間にか馬車が止まっているのに気づき、目が覚めた。外を見ると、水辺が目に入った。馬に水をやるために止まったのだろう。

 起き上がって荷台から降りると、エリスに声を掛けられた。

「イネス、起きたの?」

「ああ、今目が覚めた」

「今馬に水をやっているところ。あなたも何か飲む?」

 水の入った皮袋を渡される。

「ありがとう」

 パーティというものはこういう時に本当に助かる。交代で眠ったり、食事の用意もできる。


「起きたのね!」

 馬を連れてセレが戻って来る。馬はお腹が空いたらしく、その辺の草をみ始めた。


「イネス、あの貝開けてみたいの……いいでしょう?」

 セレはずっと我慢していたに違いない。魔石の匂いがわかる彼女のことだ、その存在を感じてうずうずしていたに違いない。


「ああ、そうしよう。開けてみよう」

 荷台の荷物の中から、あの大きな二枚貝の入った袋を取り出すと、道端の平らな石を探す。ちょうどいい石を見つけて、貝を取り出した。


「やっぱり大きいわね!」

「こんな大きい貝、初めて見た……」

「……開けるぞ」


 イネスを中心に、セレとエリスが覗き込んでいる。道端で貝をさばくとは思ってもいなかった。

 イネスは貝の隙間にナイフの刃を滑り込ませると、トントンと石の上で叩く。貝が割れて、中の水がザッと出てきた。

 続いて貝柱をゆっくりと切って、貝殻を開いた。

「……なんだか、美味しそうね……」

 エリスがつぶやく。

 イネスは下の貝殻に沿って指を貝の中に突っ込んだ。


「……何かある」

 探っていた指が止まる。

 イネスはそこに他の指も突っ込んで、何かをつまみ出した。

「うわぁ……」

「これ……」

「………」

 イネスの親指の頭ほどの大きさの、空色の大きな真珠。


 みんな、言葉が出てこない……。

 しばらく見つめた後、イネスがそれをセレに差し出した。

「お前が見つけたんだ」


「………」

 セレは差し出されたそのアクアマリンブルーの丸いたまを受け取った。


 セレは語りかけるように心の中でつぶやいた。

(こんにちは、私を呼んだのはあなたね……)


 その水色の珠が、意思を持っているかのように彼女の心に触れるのを感じた。大きくて、ふわふわしていて温かくて、限りなく透明に近いブルー。

 その大いなる主がふわりと彼女を包み込む。


「大丈夫か?」

 イネスとエリスが心配そうな顔で覗き込んでいた。

 ボーっとしていた時間は数秒だったのか、それとも数分?

(不思議な感覚……なんだろう?)


 手のひらの上の真珠は、ただ美しく水色を帯びた虹色の光を分散させている。


「じゃあ、ちょっと待って。それを洗うから」

 エリスは真珠をそっと手に取ると、水湧石の力でじゃあっと水を掛けて洗い始めた。洗い流した真珠をセレに返すと、今度は貝を洗う。


「これ、食べるんだよね?」

「うっ、そうだな……」

「貝殻は磨けば、加工品として使えるみたいよ、ボタンとか、アクセサリーとか……」

 エリスの中ではもう、使い道が決まっているようだ。


 携帯用のフライパンを出して、簡単な石組みの土台を組んだ上に乗せる。

 練り油の容器からほんの少し油を取って、フライパンに乗せた。

 イネスが手際良く、貝柱を切り離して適当な大きさに切った。


「お昼はこれと、パンとチーズだけだけど、いいよね」

 エリスの声に二人とも親指を立てた。


 イネスが火焔石で火を着け、フライパンの中の貝柱が焼けていい匂いを立て始めた。

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