5 冒険者イネス
久しぶりに、宿で温かい風呂に入った。こうしてゆっくり風呂に入るなんて、しばらくなかったことだ。
広いベッドで存分に手足を伸ばす。
こんないい部屋を破格で紹介してもらって、本当に運がいい。
イネスは快適な宿に案内してくれた、赤髪の娘を思い浮かべる。
(親が店をやっていると言っていたな……お嬢様の割には、気さくなもの言いだが……)
『いっさい遠慮というものを知らない』という言葉を思い出して、フッと笑いが込み上げる。
ああ言われていたが、俺には『今日はお疲れでしょうから』と言っていた。気遣いがないというわけではないのだろう。
もしかしたら、部屋に連れ込まれるのを
いや、そんなことはないだろう、親の知り合いの宿だ。部屋に入って出て来ないなどとなったら、踏み込まれるに違いない。
ノックの音がして『お食事をお持ちしました』と声がした。
この宿は食堂がない代わり、部屋まで食事を運んでくれるらしい。
まさに、至れり尽せりだ。
ドアを開けると、カートに載った食事が運び込まれた。
一番大きな皿にはご丁寧にクローシュが掛けられている。しかも、その横にはワイン付きだ。パリパリのパンにスープに温サラダ、副菜に煮込み料理まで付いている。
運んで来たメイドは、
「ワインはセレお嬢様からの差し入れです」
と告げた。
ワインをグラスに注ぐと
「のちほど、デザートをお持ちします。お酒のお代わりなど、ご希望がございましたら、その時に仰ってくださいませ」
と出て行った。
イネスは、久々のちゃんとした食事を堪能した。贈られた赤ワインは、主菜のステーキ肉にとてもよく合って、おいしかった。いいワインを飲むのも久しぶりだ。
少し、酔いが回って来た頃、デザートが運ばれて来た。ブドウの果汁をゼラチンで固めたゼリーに、ふわふわのクリームで花のように飾られたデザートは、思いのほか甘く、故郷の甘いデザートを思い出させた。
(おかげで今日はよく眠れそうだ……)
イネスは赤髪の娘に感謝した。
翌朝、いつもは夜明けと共に起きるイネスが目を覚ましたのは、ノックの音だった。
「朝食をお持ちしました」
その声に、起き上がってドアを開ける。
ティーポットにたっぷりの紅茶と、ふわふわのオムレツ。カリカリのベーコンに、メープルシロップがかけられたスコーン。焼きたての香りがする。
イネスは熱い紅茶がカップに注がれるのをぼんやりと見た。
今まで旅をして来て、安宿に泊まったことも、木の下で野宿をしたこともあるが、こんなに無防備に朝を迎えたことはない。
運んで来たメイドに、
「冒険者ギルドは、何時から開くのだろうか?」
と尋ねると、
「まもなく、ではないでしょうか」
と言われて、急いで支度をして、食事を流し込んだ。
時計塔の鐘がカーン、カーンと八つ鳴った。
足早に冒険者ギルドに向かう。
広場を横切ってギルドの前に着くと、赤い髪の娘の姿があった。
「おはよう、イネス!」
「おはよう、セレ……」
「ゆっくり眠れたかしら? 食事はどうだった? あの宿の食事は評判がいいのよね!」
『昨日はワインの差し入れをありがとう』と言おうとしたのだが、先手を打たれてしまった。
「ああ、お陰で久しぶりにゆっくり眠れたよ」
(ゆっくり眠りすぎて、起きれなかったのだが……)
「そう! よかった〜」
(満面の笑顔……)
その素直な笑顔にしばし、言葉が出て来ない……自分はそれほど
「ギルドの会議室を貸してくれるって! ギルドの職員も一人、一緒に見たいと言うんだけれど、構わない?」
「ああ、構わない」
(未婚のお嬢様と二人きりにするのはよくない、という配慮だろうか?)
二人してギルドに入って行くと、依頼を受ける冒険者で、掲示板の前は意外と混雑していた。
「あっ、スマルトさん。昨日、こちらのギルドに登録したイネスさんです」
セレスティンが紹介すると、ボードを手に、依頼書に冒険者の名前を書き込んでいた筋肉質の男が振り向いた。
男は目だけで、イネスの頭からつま先まで無言で観察すると、口を開いた。
「私はここの職員で、スマルトという者です。会議室でしたね。こちらへどうぞ」
スマルトに案内されて、イネスとセレスティンは、二階のいくつかある会議室のひとつに通された。
重そうな
「私の持って来た魔石のコレクションはこれだけよ。イネスさんは?」
「俺のはこれだけです。ここへ来る前に売って来てしまったので、それほどは……。荷物にもなりますし」
イネスは肩から下げていた鞄から、魔石の入った布袋を取り出した。
* * *
(よかった。昨日よりさっぱりした感じになってる……)
セレスティンは、広場の向こうから歩いて来たイネスを見て、そう思った。
「おはよう、イネス!」
「おはよう、セレ……」
「ゆっくり眠れたかしら? 食事はどうだった? あの宿の食事は評判がいいのよね!」
「ああ、お陰で久しぶりにゆっくり眠れたよ」
「そう! よかった〜」
お風呂に入って、ゆっくり食事して、眠る……そんな単純なことだが、冒険者にとってはそれすらも、なかなか難しいことがある。節約のために安宿に泊まり、時には宿もなく野宿する。常に外からの脅威や、自然の過酷さに向き合わなければならない。
この
また、詳しく聞いてみよう。
「ギルドの会議室を貸してくれるって! ギルドの職員も一人、一緒に見たいと言うんだけれど、構わない?」
「ああ、構わない」
ソディー姉さんに『魔石を見せてもらうので、部屋を借りたい』と言ったら、スマルトさんが出て来て、『どこのどんな奴かわからないのと、セレちゃんを二人きりにできない! 私も同席させてもらう』と言われた。
心配してくれるのは嬉しいけど、みんな、私のこと心配しすぎよ。
(昨日と同じ魔石の匂いがする……)
セレスティンは、イネスと共に歩みながら思う。
なんだか独特なのだ。セレスティンの感じる “魔石の匂い” はふつうの嗅覚で感じる匂いとは別物だ。
それは『第六感』のようなもので、『魔石を感知した脳が、臭覚に変換して教えてくれているのだろう』というのが、医者である祖父の見解だった。
だからこそ、見たいと思った。
今まで感じたことのない魔石の匂い……どんな魔石なんだろう?
会議室の机の上に並べられたイネスの魔石は、存外普通だった。
普通のところで、火焔石。
少し高い、湧水石、浄化石。
高価な部類は、傷を癒す傷癒石。
そして見たことのない石があった。
「これ、なんですか?」
「これは、増幅石です。知りませんか?」
「ほう……聞いたことはありますが」
職員のスマルトも興味深そうに覗き込んでくる。
「知らないです。初めて見ました! この石はどういう石なんですか?」
セレスティンが思わず前のめりになるが、イネスはさして表情を変えるでもない。
「言葉通りですよ。ほかの魔石の力を増幅させます」
「そうなんだ!」
「それはいいですね!」
二人ともガッツリと食いついた。
実を言うとこの石は、かの国で作られた人工石なのだ。
他の魔石と一緒に使えば、その力を最大まで引き出すことができる。
イネスはあえて、それを言わずに黙っていた。
「これで全部ですか? まだありますよね……」
なんだろう、その物言いは……? この娘は何をもって言っているのか。
「これで全部ですよ」
イネスは袋を逆さにして見せた。
「そうですか……」
セレスティンは
「ああ、忘れてました。これもそうですね」
イネスはそう言うと、背中に斜め掛けしていた長い包みを下ろした。
丁寧に布で巻かれたそれを解くと、
黒い
「これは……素晴らしい剣ですね。とても貴重なものだということは、私にもわかりますよ」
元冒険者のスマルトは、熱を持った目で剣を見つめた。
「見ますか? これは俺だけが使えるように剣に刻み込まれています。他の方は鞘から抜くこともできません」
「そうなのですか! それはすごい……このようなものをどこで?」
「以前旅した、スリ・ロータス島で王族から賜りました」
「王族…ですか? それはまた、どのような……」
「まあ、ご縁があったというだけですよ」
「それじゃあ、イネスさん。あたしのも見てください!」
スマルトはまだ詳しい話を聞きたそうだったが、セレスティンが話を
セレスティンの目はキラキラとアクアマリンのように輝いて、自分のコレクションを見せたくて仕方がないようだ。
『魔石コレクター』は世界中にいる。
ただ美しいだけの宝石と違って、魔石は様々な道具にもなる。それは、使える人間あってのことなのだが、使える人間が一部の貴族や限られた能力を持った人々ということになれば、それだけ希少価値も増して、ますます高額で取引されるのだ。
彼女は、普通の火焔石や湧水石は持って来ていなかった。
代わりに『美しいが、どんな魔法効果が込められているんだろう?』というような魔石を持って来ていた。
魔石とわからぬ者が見れば、ただの鉱物の結晶にしか見えない。
イネスはその一つ一つに魔力を流して鑑別していく。
「これはいいですね、滑水石です」
「浄水石」
「氷晶石」
「真実石」
「緑毒石……けっこう危ないものが混じっていますね」
「あはは……知らないって怖いですね」
結構楽しそうである。セレスティンはイネスに見てもらった魔石に、ひとつずつメモを付けて、箱にしまっていった。
そのうち、イネスの手がピタリと止まった。
「これは、どこで採って来たの?」
イネスは、淡いグリーンの中に濃いパープルとブルーの縞模様が入った正八面体のフロー石を
「中央台地のブラックジャック洞穴です。ご存知ですか?」
「ええ、一度行ってみたいと思って来たのです」
イネスの言葉に、セレスティンが喰い気味に答えた。
「あたしが案内します! ぜひ一緒に行ってくださいっ!」
ここで、イネスとセレスティンのブラックジャック洞穴行きが決定した。
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