29 脱出
セレとエリスが涙を
毎晩繰り広げられていたカードゲーム
その真ん中で大勝負が行われていた。テーブルの上には金貨が積み重ねられて、町長と
「イカサマだっ!」
「なんだとっ、ふざけるな!」
「そのテーブルの下に隠した
と、
床に散らばった金貨を求めて、周りにいた者たちまで一斉に群がって、大乱闘になった。
金貨を奪って逃げる者、それを追いかける者、怒声が飛び交い殴り合いの大騒動だ。イカサマを疑われたサイモンは皆の標的になり、ボコボコにされて儲けた金貨を根こそぎ奪われた。
その大騒動の裏に、一人の貴族の少年がいたことを知っているのはごく
この少年が将来、正しく生きてくれることを願うだけだ。
翌朝、セレとエリスは荷物もしっかりと片付けて、いつでも出発できるよう準備
昨夜のことを宿の主人に尋ねると、言葉を
皆どこか
片付けを手伝っていると、イネスが荷物を持って降りて来た。
「おはよう、イネス」
声をかけると、何かいつもと違う。
「……おはよう」
「昨日の夜は何かあったの?」
「ああ、サイモン殿が怪我をしたらしい」
「えっ! そうなんだ……」
「それで……セレは決心が着いたか?」
まさかそれが心配で表情が固いとか……無いとは思うが。
「う……うん。……あたし、イネスと行きたい!」
伏せがちだったイネスの目が、パッとセレを見つめた。
瞳の中に喜びの感情が広がっていき、頬と口元が
(イネス、そんな顔するんだ……どうしよう、ドキドキしてきた)
「俺でいいのか?」
優しい声が、ドキドキに拍車を掛ける。
「イ、イネスがいいんだよ。イネスだから……」
そんな二人のやり取りを、床に散らばった陶器の
黒騎士サイモンは昨夜の乱闘で足の骨を折ったらしい。動かせないので彼はここに預けて、皆
イネスはサイモンがいなくなって警戒を解いたせいか、セレが『一緒に行きたい』と言ったのが嬉しかったのかわからないが、明るく振る舞うようになった。故郷のスリ・ロータスの話や、兄弟のことなど話してくれる。
スリ・ロータスは『魔石の島』と呼ばれているだけに、魔石の研究や教育も盛んらしい。小さい頃から魔石に関する教育を受けるのだそうだ。彼も魔石のことを、ディヤマンドから来た魔石研究家に教わったと言う。ディヤマンドにそんな有名な魔石研究家がいただろうか?
二日がかりでヴィーク港に着いた。ここからディヤマンドへ向かう定期船は、来た時に乗船したバロウ港に向かう三日おきの定期船と、アンドリュー様が乗って来たウエストポート港に向かう二日に一度の船だ。
ヴィーク港に到着した時、バロウに向かう船は昨日出たばかりだったため、一行は翌日朝のウエストポート行きに乗船することになった。
ウエストポート港は距離が近いので、半日でディヤマンドに到着する。
ヴィークでの最後の晩餐は、お忍びのアンドリュー様と護衛のヘイリーを除いた皆で食べた。
「アンドリュー様が……退屈凌ぎに我々の心を
マクスエルが恨みがましい目でイネスに文句を言っていた。
こんな調子で、サイモンや宿の店主などを
イネスは今更ながらに、複雑な感情が入り混じった気持ちで皆を眺めた。
国を追われるように出たのは十六才の頃だった。それから身分を
幸い魔石が使えたので、仕事にあぶれないで済んだが、それを面白く思わない者の嫉妬や反感も買った。食事に変なものを混ぜられたり、理不尽な暴力にあったりもした。
また、年頃でもあったので、悪い女に
それなのに。
心にはまた、暖かい感情が流れ込んで来てしまうのだ。
* * *
翌朝。
ウエストポートへの定期船は小型だが、船足は早いらしい。
大多数の乗客は、
対して部屋数の少ない一等船室は、取引で渡航する商人が多い。アンドリュー様は貴族なので早くに入船し、出発を待っている。
カランカランと出航を告げる鐘がなり、船はゆっくりと岸壁を離れた。
今回は航海時間が短いので、甲板で過ごす者も多い。とは言っても海を渡る北風が冷たいので、時間と共に人影は減っていくが……
イネスは甲板に立ってモルガニアが遠くなるのを眺めていた。
「イネス……」
セレがイネスを見つけて近寄って来る。
「どうした?」
「……ウエストポートへは半日で着くんでしょう? その
「俺は陸路は危険だと思うから、海路でオクスタリアへ渡ろうかと思う。オクスタリアなら南の国々への船も沢山あるからな」
「そうなの? イネスはオクスタリアへ行ったことあるの?」
「ああ、あそこは大陸でも有数な魔石取引が盛んな国だからな」
「イネスって何でもよく知ってるのね。私は、自分の国のこともよく知らないのに……」
セレがちょっと拗ねたような顔をした。
「そんなことはないさ。旅をしている間に、必要で覚えたんだ。セレもそうなるさ」
(優しい……)
それよりも、もうイネスが旅のパートナーとして考えてくれているのが、とても嬉しかった。
「これからの旅は貧乏旅行だぞ。風呂にだっていつ入れるかわからないし、船室だって
「ええっ、お風呂に入れないのはやだなー」
「お前、風呂好きだよな」
「だって、うちのお風呂
「そうだな。
そう言って笑うイネスの顔が楽しそうで、セレの心はキュンキュンした。
昼過ぎになって、いよいよディヤマンドの大地が見えて来た。
「ここでお別れなのね。寂しいけど……」
「おじさんやおばさんにも、よろしくね」
セレとエリスが別れを惜しんでいる。
西からの追い風で、陸がどんどん近くなって来る。ディヤマンドの西海岸は
入江の周辺には他国の交易船も行き来していた。
こちらの船が入港するのとすれ違いで、ちょうどオクスタリアの船が出航して行く。オクスタリア・カラーの濃紺に真紅のラインがとても印象的だ。
入港を待っている桟橋の人だかりの中に、一際目立つ馬車が見えた。
白に金の装飾の施された家紋のデザインが描かれた立派な馬車だ。
「イネス殿、ピアース殿。申し訳ありませんが、侯爵の手が回ったようです!」
息せき切って護衛のマクスエルが走って来た。
「我々が乗っていることをどうやって知ったのかわかりませんが、アンドリュー様のお迎えではなさそうです!」
「イネス、どうしよう?」
「先ほどオクスタリアの船が出たばかりです。あれに間に合えば良かったのですが……」
振り向けば、すぐそこにオクスタリアの船がゆっくりと遠ざかっている。
「セレ、荷物は?」
「ここにある!」
「じゃあ行くぞ!」
「行くって?」
答える間もなく、イネスはセレの手を引くと、反対の手にセレの荷物を抱えて甲板の上を走る。
端まで行くと荷物を海に放り投げて、セレを抱えて飛び込んだ。
「ひあっ!!!」
ザブーーーーンンン
「セレ、上向いて!」
「はいぃぃぃ……ぶくぶくぶく」
セレは浮いている自分の荷物を浮きに上を向き、マントの襟首を掴んだイネスがそれを引いて泳ぐ。
まったく、無茶もいいところだ。
凍え死んだらどうしてくれる……? と思いながら必死で荷物に
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