第23話 裏切り者
繰り返しが始まった日のことが遠い昔のように感じる。
実際、遠い昔なのだ。
半年なのか一年なのか、もう分からないや。
あの日から、僕は――僕だけじゃないだろう。
毎日のように、部屋への侵入者を警戒していた。
いつ誰が、部屋に入ってきて、寝込みを襲ってもおかしくなかった。
日中、どれだけみんなと協力し、脱出するための手段を考えていても、この先に答えがないことは分かっている。
だからがまんできなくなった誰かが、ひとりの寝込みを襲って時間の檻の鍵を、開けようとするだろうと思ったのだ。
一番に狙われるとしたら僕だ。
僕は奴隷だから。
僕は、囮に使ってください……いつ死んでもいい命だと言い続けてきた。
僕は――死んでもいい人材だとみんなの頭に刷り込まれている。
……死にたくない、と、こんなにも強く思うことになるなんて、想像もつかなかった。
どうしてだろう……。
ご主人さまのところにいた時は、早く死にたい、楽になりたいと思っていたのに……。
生きたいと思うほどに、僕はクリスタさんの傍が――居心地が、良かったのかもしれない。
今のみんなの傍が、幸せで……。
前の居場所と比べてしまい、知ってしまったことが、僕の不幸なのかも。
だけど知った幸せは、長くは続かない。
このまま時間の檻に囚われたままなら、一生、みんなと共に過ごせるだろうけど――絶対に限界がくるのだ。僕のように。
張り詰めた緊張と幻視する恐怖。
ないかもしれない他人からの殺意に惑わされて。
僕は毎日、吐いていた。
心が壊れていくのが自覚できた。
朝になれば元通りだから、吐しゃ物が残ることはなかったのが幸いだった。
今更だけど、奴隷でいることはとっても楽だったんだ……。
まさか人間でいることが、こんなにもつらかったなんて――――
「はぁ、はぁ、はぁ……っっ」
持ち込んでいたナイフを握り締める。
ここで自分の首を切ればよかったのに、しなかった。
誰かに殺されるくらいなら自分で、とはならなかった。
僕が出した答えは――――
やられる前に、やる、だった。
……ナイフを服の内側に隠して、枕を抱えた。
僕は…………。
「どうぞ、トト様」
「うん……おじゃまします……」
掛け布団をマントのように広げ、おいで、と誘ってくれる。
ヒナさんは反対側へ。
クリスタさんを挟んで、三人で添い寝をする。
僕たちがお願いしているのだから、寝相が悪くて床に落ちるのは僕かヒナさんでいいのだ。
「…………」
「不安ですか、トト様」
「はい……いつまで、続くのかなって」
「このまま一生、この場所で暮らせるかもしれませんね」
「そんなの嫌だよ。あたしは早く、勇者と、みんなのところに戻りたい。先生のことも、伝えたいし。先生が成し遂げられなかったことを、あたしが達成させるんだって熱量があるんだから。正直、こんなところでモタモタしてられないよ」
「なら、明日こそ、見つけないといけませんね――この檻からの、脱出方法、を……」
言って、クリスタさんが、すやすやと寝息を立ててしまった。
僕たちふたりを招いておいてよく眠れるものだなあと感心する。
……安心してくれたから、かもしれない。
それだけクリスタさんは僕たちを信頼してくれている――。
「…………」
――クリスタさんでなくともいい、とは何度も考えたけれど、でも、クリスタさんがいいと思った。
だって、僕の行動は咎められる以上に、クリスタさんからすれば受け入れられないものだ。
それでも優しいクリスタさんは、僕を許してくれるかもしれないけど、もう、元には戻れない。
亀裂じゃないのだ、壊れてしまう。
クリスタさんに嫌われて生きることには堪えられない。だったら……。
比べたら、クリスタさんがいない世界を生きるつらさの方が、まだマシだった。
……ごめんね、クリスタさん。
僕のことを許してほしい。
僕は。僕は、さ……もう堪えられなくて……。
もしも裏切るなら、クリスタさんがいい。
このナイフで突き刺すなら、クリスタさんがいい。クリスタさんじゃないとダメなんだ。
……ごめんなさい、クリスタさん……。
僕は奴隷でなければ、もう人間でもなかった。
自分のために大切な人を殺すなんて、こんなのもう、救いようのない、化物だ……っ!
地上を支配した魔王を咎めることは、僕にはもう、できない――――
ふたつの寝息が聞こえてくるようになってからしばらく。
時間を置いて、僕は目を開ける。
体を起こしても、クリスタさんも、ヒナさんも、意識が戻ってくることはなかった。
どうやらぐっすりと寝ているみたい……。ちょっとの物音では起きないだろう。
服の内側からナイフを取り出す。
朝に、丁寧に何度も研いでおいた、切れ味のいいナイフだ。
痛みもなく、気づかぬまま、向こうへ送ろう。
――ありがとう、クリスタさん。
奴隷として培ってきた技術で気配を消し、殺意も向けず。
僕は憧れと親愛を向けながら、クリスタさんのその心臓へ、手元のナイフを突き刺した。
ナイフが、柔らかい肉に埋まっていく。
心臓を、確実に突き刺した感触が伝わってきた。
赤い血が――――クリスタさんの服を、じわりと濡らす。
彼女の唇の隙間から垂れた赤い血を、僕は目を細めて、見届けた。
「…………終わった、の……? これで、時間の檻から――――」
その時、クリスタさんの心臓が白く光った。
一瞬の、突き刺さるような眩しい光に目を手で覆って…………
次に開いた時、突き刺したナイフは飛び出すように外れて床に落ち、傷口は綺麗に塞がっていた。
……これは……回復魔法……?
――自動、回復っ。
元々仕込んでいた、一度の死亡をなかったことにできる蘇生魔法!!
「まさか、魔力をほとんど使い切る貴重な回復魔法を……なんでこのタイミングで……っ!!」
タイミングが良過ぎる。
いや、違う。
そっか……どうせ時間が巻き戻るのだから魔力を使い切ったところで元に戻るんだ。
毎日、こうして対策しておけば、闇討ちされても死ぬことはない。
クリスタさんが深い眠りに落ちる寸前に魔法をかけておけば、短い効果時間でも対処できる。
完全に深い眠りに落ちた時だけ魔法がかかればいいのだから……。
僕は、まんまとその仕込みに誘われて――尻尾を出してしまった。
手を出したのが終わりの始まりだったんだ。
そして悔やむべきは、今日の僕は、クリスタさんとふたりきりではないということだ。
反対側にはヒナさん。
彼女もまた、自衛のために小振りのナイフを持っていたらしい。
――闇の中で、立ち上がる人影があった。
「――クリスタは確実に、一度死んでたよ。だから、言い逃れできないよね。あんたが裏切り者だ」
「……そ、っか……」
僕は、負けたんだ。
賭けに。策略に。
一番最初に裏切った者を問答無用で殺すために――全員ががまんの限界を越えてがまんしていた。
誰が最初に尻尾を出すかのチキンレースだったのだ。
そして僕は、誰よりも早く、がまんができなかった。
誰よりも早く、人間から足を踏み外した。
あは、は…………僕は一度、人を殺した。
蘇生したからと言って、罪がなくなるわけじゃない。
僕は、殺されても文句は言えない立場なんだ。
見下ろしたクリスタさんは、既に寝息ではなくなっていた。
彼女の閉じられたまぶたの端から、薄い涙が、流れ落ちていた。
「……ごめんなさい、クリスタさん」
ヒナさんが、眠るクリスタさんを越えて――容赦なく、僕の首を、ナイフで切り落とした。
首が落ちても、少しの間は意識があるのだと初めて知った。
やがて、まぶたを下ろすこともなく、視界が暗くなっていく。
冷たかった。
寂しかった。
もう会えないんだなあ、と分かった。
涙も流せなかったし、悲鳴も上げられなかった。
感情は内側に閉じこもったまま――――僕はしぬ。
それが、僕への、罰、なんだろうなと――そう思った。
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