第3章

第19話 同世代

「どう、です……? 本当にもういないのでしょうか……?」


 屋外へ通じる扉。

 内鍵のかんぬきを引き抜き、解錠して扉を開ける。

 ゆっくりと足を踏み入れるクリスタさんは、まだ腰が引けていた。

 確かに、まだちょっと不安だけど……でも、外を歩いても大丈夫そうだった。


 ついさっきまでワイバーンの群れが飛んでいた空の下は、驚くほどに生物の気配がなかった。

 屋外の端っこまでいき、底が見えない大穴を覗き込む。あ、でも下にはいる……。僕たちがいるこの場所に、ワイバーンが近づかなくなっただけかもしれない。


 でもなんで?

 マリアさんの死体を転がしただけで、ワイバーンにとっての通行手形になったとか?


「トト、そのままずるっと落ちないでね」

「うん。大丈夫。それに、落ちても失うものより得るものの方が大きいですよ」


 ヒナさんは顔をくしゃっとさせた。……僕、おかしなことを言ったのかな……?

 言ったのだと思う。


 むずかしいなあ。これまでの常識がまったく通じない。

 まるで異世界にきたみたいだった。


「ひとり減って、いける場所が増えた。……探してみたけど、やっぱりここだよな……?」


 目の前には劣化して脆そうな梯子があった。

 ワイバーンの群れに囲まれていた時は上がることができなかったのだ。だけど今なら……。


 この上にもまだ探索地が広がっていて、重要なアイテムが落ちているのかもしれない。

 いけない理由がなくなったのだから、いくしかない。いかない理由もないのだから。


「じゃあクリスタ。誰が上がる?」

「え。それはやっぱりフロイド様が、」


「嫌だ。こんなあからさまな罠っぽいの。上がっている最中に梯子が壊れて落ちるとか、実は遠くからワイバーンが狙っていて、中腹にさしかかったところで襲いかかってくるとか、ないわけじゃないだろ。いいか? 魔道士は回復魔法を使えるが、痛みに強いわけじゃない。――以上だ。俺は上がらないぞ」


 たったひとりの男性が女性陣に背中を向けて、頑なにいきたがらないでいる。僕は恐怖に素直な人だなあ、と思ったものだけど、他のふたりは違うようで、引いてる。

 じと目で、呆れている様子だった。

 確かに、この梯子を上がるべき人物は、彼ではなかった。

 探索地が広がったのはフロイドさんのおかげなので、危険な役回りを彼に押し付けるのは違うはず。やっぱり「男なのに」という意見はあるけど。


 でも、僕のご主人さまも男だけど、危険な役回りは全部僕に任せていた。

 ガタイのいい人ならともかく、フロイドさんのような、戦士として見れば線の細い人がなんでもかんでもやる必要はないと思う。特に、今回は僕がいるのだから僕を使えばいいのだ。

 本来のご主人さまがこの場にいないのだから、許可の取りようもない。

 ので、独断で僕が提案してもいいはずだ。

 いいというか、確認のしようがない。


「フロイドさん、僕が見てきます」

「トト……いいのか?」

「はい。たとえ罠に引っ掛かっても、僕ですから」


 僕は――奴隷ですから。


「トト様ー。そういう考えはよくないと言いませんでしたかー?」


 頬を膨らませ、不満顔のクリスタさん。

 積極的に困らせたくなってしまう不思議な魔力が、クリスタさんにはある。

 そういう魔法なのかな。そんなわけないけど。


 心配してくれるクリスタさんのことが、僕は好きなのだ。困らせているのは、もっと困らせたらどうなるだろうという興味もある。きっと見捨てられることはないだろうという安心感もあるのだ。

 絶対、とは言い切れないのに。

 甘えてるなあ、と自覚はある。


「あはは……ごめんなさい、クリスタさん。でも、回避型の魔道士である僕なら、罠だったとしても回避できると思うから、大丈夫っ。自信がない中で言ってるわけじゃないですから!」

「そう……? ならいいですけど」


 心配な顔は最後まで残っていたけれど、梯子に手をかける僕のことを見届けてくれた。

 クリスタさんのためにも、罠には細心の注意を払っていないと。考え事をしていて逃げ遅れた、なんて結果は、クリスタさんに悪い。彼女を一瞬でも悲しませたくなかった。

 僕は、梯子に足をかける。


「じゃあ、いってきます」

「気をつけてくださいね?」


 言われたことのない言葉に一瞬ぽかんとしてしまったけど、心の中が温かくなって、自然と笑っていたらしい。普段しない表情なので頬が痛くなった。

 笑顔は良いことだけど、ずっとこのままの表情だと困ってしまう。

 頭を左右に振って……、梯子を上がった。


 長い梯子だった。

 上がる度にぎしぎしと悲鳴を上げている。

 少しの風で体ごと梯子が外れるんじゃないかって不安の中、素早く、だけど慎重に上へ。

 無事に、罠もなく、僕は頂上まで辿り着いた。


「ここ……」


 そこは階下よりも狭い、先がない屋上だった。

 探索地はこれ以上なく、梯子も階段もなかった。

 本当に、頂上――――ただ、なにもないわけではなかったのだ。


 目の前、ここまできて初めて見えるようになったものがあった…………丸い時計。

 屋上には大きな丸時計が、四つの足で立っていた。


 月日は分からないけど、時間は分かる――そして今日は、『二日目』だった。

 全員が顔を合わせてから二日目、ってことかな……?

 そして時刻は、曇天で薄暗いけど、ちょうど針が重なるお昼時だった。



 ひとりでできる分の探索を終えて、梯子から下り、上にあったものをみんなに報告する。


「大きな時計……だけか?」

「うん。他にはなにも……。見落とすほど見るものが多いわけでもなかったです」

「……なら、その時計が今回の鍵、なんだろうな」


 探索地が広がったけれど、得た情報は少ない。これから中層階を通って、まだ探索していない下層階へ向かうことになるけれど、屋上から下を覗けば、下層にはワイバーンの群れがいた。

 きっと、下層階へはまだいけないのだと思う。


 新しく見つかった時計は重要なものだろう。だって、これみよがしに大きな時計があんな場所に置かれていたら、重要なものだとしか思えない。

 頂上だから、他の場所から見えないところも、今しか使えないことを示しているとか……?


 それとも時計ばかりに目がいって、それ以外を見落としていたりするのかな。

 これみよがし、という誘導だったり。


 時計ではなく、高い位置からの景色が重要な情報だとしたら、目を凝らしては見ていないかも……。


「見落としが心配なら、後でひとりずつ確認しておけばいい。ひとまず次は下層階も確認しておこう。クリスタ、先導してくれ」

「え、わたしですか?」

「今のままだと俺が仕切ってるみたいだ。こんな役回りは嫌だね」

「嫌、って……あんたばっかり、わがまま言わないでよ」


 腰に手をやり、ヒナさんが言った。だけどそう言うならヒナさんが先導すればいい……とフロイドさんが指摘すると、「え、嫌だし」と、彼女も同じく嫌なのだった。

 同じ穴の……。

 だからこそ、ふたりの理由は明快だった。


「老師サマ。そしてマリアが結果的に死んでるだろ。先導者が悪意を集めやすい前例がある。ジンクス、とでも言うか? 先導すれば標的にされるようなもんだからな……そりゃしたくない。眉唾でも、しない方が生存率が上がるなら俺はしないぞ」

「まあ、気持ちは分かるけど……」

「さすがに三人目まで同じようなことにはなりませんよー」


 だけど二度あることは三度ある……って言うんじゃなかったっけ?


「だったらアンタがやれ、クリスタ。次はアンタが俺たちをまとめる番だぞ」


 大丈夫だ、と内心では思っていても、いざとなれば腰が引けているクリスタさん。

 彼女の迷いを断ち切るためにも、ここは僕も協力しないといけないようだ。

 そっと近づき、クリスタさんの腕にしがみつく。


 すると、僕の意図を察したヒナさんも、片方の腕に密着した。

 クリスタさんは「え??」と身動きが取れずに戸惑っていたけれど、そんなのお構いなしだ。

 ふたりで密着して、クリスタさんを潰すように挟む。


「――僕はクリスタさんについていく」

「あたしも、クリスタが前を歩いてくれると嬉しいかな」

「え、えぇ……?」

「……。これはこれで三対一で俺が不安だが……まあ仕方ないか」


 最初から偏っているのだから、男と女で分かれることになる。

 分かれているけど対立ではないのだから、フロイドさんもこの構造を認めていた。


「当然、クリスタが仕切ることに反対意見はないぜ」

「ちょっ、せ、せめてフロイド様も一緒に仕切ってください!! ふたりで仕切れば怖いものもなくなりますよね!?」


 先導者が狙われる、というのであれば、先導者を二名にしてしまえばジンクスも分散すると考えたのかもしれない。

 ジンクス通りに片方が当たるのか、ふたりとも巻き込まれてしまうのかは分からないし、あくまでもジンクスのまま、という可能性もある。結果が出るまでは分からない。


 とにかく、魔道士にありがちな、ひとりだと進む方向も決められない悪癖は出なくなった。

 クリスタさんかフロイドさん、もしくはふたりが協力してくれれば、ゴールがぶれることも、途中で迷うこともないはずだ。

 ふたりのために、僕は一魔道士として、奴隷として、できること以上に支援するつもりだ。

 それが僕の存在理由だから――――


「いたっ。……あの、トト様? 強く抱きしめ過ぎです……」

「あ、ごめんなさい、クリスタさん」

「いいですけど……不安なのですか?」


 不安……言い出したらずっと不安だ。

 自分が殺されるよりも、誰かがいなくなってしまうことが。

 この場にたったひとりで残されることが、すごく不安だった。


「……大丈夫、です。雑用なら僕に任せてください」

「雑用はみんなですれば倍以上早く終わりますよ。トト様ひとりに任せる雑用はありませんからね」

 クリスタさんにしがみついたまま、歩きにくいけどこのまま探索をすることになる。



 向かった先は、中層階を抜けての、下層階だった。

 結果の予想はつくけど見ないわけにはいかなかったのだ。

 ――最初に見た時と変わらず、壊れた階段。


 飛び降りれば下の階へいけるけど、少しでもずれたら深い穴へ真っ逆さまだ。

 挑戦するにしては不安要素が多過ぎるし、なによりまだワイバーンがいた。

 一頭のワイバーンが、上から覗く僕たちの存在に気づいた。

 だけどやっぱり、飛び上がってはこない。

 首を伸ばして僕たちをじっと観察しているだけで……。


 やがて満足したワイバーンは視線を逸らして下層階の先へ。

 あの一頭の目を欺いたところで、別の一頭に見つかれば捕食されるだろうことは想像がついた。

 ……下層階へはいけないみたいだ。


「まだ無理みたいですね……」

「また誰かの死体が必要なのかもな」

「フロイド様!」

「冗談だ。……前例を見ればひとまず考える解決への糸口だろ。もちろん、別の方法も考える。誰かが欠けることは推奨するべきことじゃない」


 老師さま、マリアさん……誰かが死んで先へ進めている。なら、これがダンジョン脱出のための答えなのだろうと考えるのは普通だ。だけど、視野が狭まっている、とも思うのだ。

 後で、実は他の方法があったのに……と思うのは避けたい。

 クリスタさんはそういうこと、一番気にして抱え込みそうだ。


「案はある?」


 と、ヒナさん。彼女の考えは、『道があるなら先へ進むべきだけど、障害がある』――じゃあどうするの? だった。

 まず障害がある道をなんとかして突破しようと考えるのは元戦士だから、かな。

 迂回しよう、とはならない。

 迂回する別の道も、今のところないのだけど。


「ないな。ひとまずは戻るしかないだろ。今は時間を置く……。時間と言えば、やっぱりあの時計だな」


 新しく出てきた情報……アイテムは、あの時計しかない。なら、あれを調べるのが当面のするべきことだけど、移動させることもできない巨大な時計は現場で調べるしかなかった。

 僕が見た時は、ただの時計だったけど……。確かに分解して中身を見たわけではない。僕の見落としと言えるけど、それを言い出したら一回探索したところもまた探索し直した方がいいと思う。

 時間が経つことで変わった部分があるかもしれない。


 そうクリスタさんに伝えると、


「トト様の言う通りですね。でもその前に……一息つきませんか?」



 食事を制限しなければ食材が底をついてしまうので、昼食は軽めに、だ。

 と言っても提供するのはスープだ。これなら食材を節約できる。

 ほっと一息つきたいだけだったクリスタさんには、ハーブティーを。

 他のふたりには野菜スープを。

 味を濃くすれば満足してくれるので作る方としては楽だった。


 食堂はとても静かだった。みんな、食事中はあまり喋る方ではなかったけれど、これまでは先導してくれる人がいたし、次々と案が出てきて盛んに話し合いができていた。だけど今は……ない。


 目前の課題はあるけど、具体的な案ではなくて、消去法だったのだ。特にすることがないから、無理やり絞り出した案を実行するだけの時間。だから、四人で話し合うこともなかった。

 話し合いをすればするほど、手を出してしまいたくなる禁じ手が目の前にある。

 今の困った状況を打破してくれるのは、あの方法しかないと過半数が頷けば、すぐにでも事態は動き出してしまうだろう。

 だから誰も口に出さない。

 自分が犠牲に、と挙手をする人だっていない。僕も含め――。

 ……僕は、手を挙げられなかった。


 いつもなら……いや、昨日までの僕だったら手を挙げられたはずだったのに。

 ちょっとだけ……本当にちょっとだけだ。


 死ぬのが嫌だと、思ってしまった僕がいる。

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