第20話 不思議な時計

「ダメだ、分解できないね」

「じゃあ……。時計はただの時計だった、ってことですか……」


 一番腕力がありそうなヒナさんにお願いして、時計の分解を試みたものの……やっぱり無理だった。

 時計にはパーツが外せるような隙間もなくて、鉄のように硬かった。

 ように、ではなく、鉄だと思う。

 仮に持ち上げることができて、梯子の下へ落とすことができても傷のひとつもつかなそうだ。


「長く感じたけど、まだ二日目なんだ……」


 時計に表示された時刻を見る。

 ――二日目のお昼過ぎ。

 相変わらず天気は晴れることなく曇天のままだった。そう言えば雨がまだ降っていないけど……曇天なのにこのままずっと降らないのだとしたら、それはそれで気が狂いそうだと思う。

 何か月もここにいるつもりはないけど、結果的にいることになる可能性だって、あるだろう。


「トト、戻ろうか」


 梯子に手をかけたヒナさんに、何気なく聞いてみた。


「……勇者さまたち、今頃なにしてるんですかね……」


「さあね。魔道士がいないから、ダンジョンの奥深くまでは探索には出ていないと思うけど。でも、代理の魔道士を見つけたら話は別かもしれない……。外にいる勇者たちが、行方不明になったあたしたちをもう既に見捨てて、新しい一歩を踏み出してる可能性だってあるよね。外から助けがくるなんてあんまり期待しない方がいいよ」


「……してないです。だって、僕は奴隷ですから」


 使い捨てなのだ。

 ダンジョン内でいなくなった使い捨ての奴隷を探して命を懸けるご主人さまなんていない。少なくとも僕のご主人さまは、奴隷をたくさん買っては順番に使うような人だ。ひとりの奴隷がいなくなったところで代わりなんていくらでもいるだろう。

 最初から、僕たちは自分の力でこのダンジョンを攻略しないといけない。

 それは今も変わらないこと。


「トトの事情は知らないけどさ」


 ヒナさんが言った。

 その言葉は、痛いところを突かれた、と初めて自覚した。


「奴隷だから犠牲になって当然――って前提だけど、周りからさ、『そんなことない』って言われたいだけなんじゃない?」

「っ」


「本当にそう思ってるなら、今の状況で『自分を殺してほしい』って手を挙げるべきじゃない? もしくは試しにひとりで下層階へ下りてみるとか。反対されても勝手にいけばいいわけだし。……ワイバーンに食べられても、奴隷なんだから――そういう結果だって必要なのも分かってるでしょ?」


「…………はい」


「でもそれをしないのは、できないから。奴隷だと自覚はしているけど、犠牲になることを望んでいるわけじゃない。……いやまあ、当たり前なんだけどね。誰だって死にたくないでしょ? トトの意見は別におかしいことじゃないの。……なのに自分は奴隷だから、と言って同情を誘うのはさ、ズルくないかな、って話」


「…………」


 僕の甘えを見抜きながら。

 ヒナさんが言いたかった指摘は、ひとつだけだった。


「これ以上、クリスタを困らせないで」



 ――クリスタさんは優しい。

 僕に同情して、囲い込んでくれるくらいには。

 あの人は、僕が狙われたらきっと守ってくれるだろう。


 ――もしも四人で殺し合いをしろと言われたら。

 クリスタさんは僕の味方になってくれると思う……そうでなくとも、ヒナさんとフロイドさんと比べたら、僕の存在はクリスタさんにとっては後回しにするべき弱者だ。

 ……狭いところだけど、安全地帯。

 僕の嗅覚は、自然と彼女の傍を見つけたのだ。


 ヒナさんは僕のやり方を見抜いた上で、ズルい、と批判したのだ。


「別に責めてはないよ。でもさ、そのやり方は好きじゃないかな、って――それだけ」


 ヒナさんは睨むでもなく、僕を観察していた。

 本当に、否定しているわけではないようだった。

 だけど、喜んでもない。当然だけど。


「奴隷ってさ、二種類いる、とあたしは聞かされてる。絶対服従の従順なタイプと、表面上は従順で、いつどこで相手を刺してやろうか、と企んでるタイプ。トトは断然、後者でしょ? 表面上ですら従順って感じじゃないもんね。あたしたちはご主人様じゃないから、ってだけだとも思うけど」


「……従順じゃない、ですか?」

「じゃないよ。従順はもっと――頷くことしかしないから」


 死ねと言われたら躊躇いなく死ぬ。それが奴隷の本来の姿だ。

 だとすれば僕は、奴隷とはまだ言えないのかもしれない。

 たとえご主人さまからの命令でも、恐怖と戦わないといけない難しい命令だから。


「トトって意外と――――生きる執着、強いよね」



 その後は脱出の糸口も見つけられず、見えている禁じ手のことには誰も触れないまま。

 段々と空気が悪くなっていくのを肌で感じていた。


 僕たちは魔道士だから、率先して空気を良くしようとはしなくて、仮に一念発起しても、風通しをよくするための技術もなかった。

 老師さまなら気を遣っていただろうし、マリアさんもみんなの前ですることがなくとも、個人に接触して、お喋りをすることで気を紛らわせてくれていたかもしれない。

 大人だからこそできる、組織内を円滑にするための経験があるのだろう。


 ……でも、僕たちには、それがない。

 いつもは誰かがやってくれていたから、僕たちがすることはなにもなくて……。

 見て盗むこともしなかった。


 そういうのはご主人さまや勇者さまの仕事だから、僕には縁がないと思っていた。

 それが、こんなところで必要になってくるとは思いもしなかった。

 フロイドさんも、ヒナさんも、クリスタさんも、誰も……。

 上に立って引っ張ることはしなかった。


 今の状況でそれをすれば標的にされるから、という怖さもあるだろうけど。

 その結果、なにも進展することなく、二日目が終わった。


 つつがなくと言えばよく聞こえるけど、なにもよくなかった。

 このままなにもなければ、いずれは禁じ手に触れることになる。


 もしかしたらみんな、既に誰を狙うべきか考えて、口には出さないけど取捨選択を終えているのかもしれない。きっかけひとつで素早く動けるように……。

 ヒナさんが僕にあんなことを言い出したのも、先を見越してのものかもしれなくて……。


「…………」


 眠れなかった。

 目を瞑っているだけで夜が明けて――三日目が始まった。



 自主的に時計を確認しにいく。

 同行者はいなかった。


 単独行動を怪しまれるかもしれないという危惧もあったけど、いつも誰かにべったり、というのも怪しまれる。もうなにをしても怪しまれる気がするから、自由に行動した方がいいのかもしれない。


 時計は『三日目』を示していた。

 まだ早朝だった。これから一日が始まると考えると、長いなあ。

 寝不足だからかもしれないけど、もう既に寝たいという欲求があった。


「トトか」

「あ、フロイドさん」


 この場にいくことを誰にも言っていなかったので、無許可をフロイドさんに咎められる、かと思えばなにもなく。フロイドさんも時計を見て、日付を確認していた。


「三日目、か……いつまで安全なのか、だな」

「いつまで……?」


「カウントダウンでないだけまだマシだが、たとえば仮のリミットが、五日目だとすれば。その日になにかしらの変化が起こるってことだろうな。時計を使ったなら、日付か時間が俺たちに影響を与えるはずだ。そうでないなら時計なんて、普通に部屋にあってもいいだろ。わざわざ梯子の上に置いていく理由がない」


 さらに言えば持ち運べないサイズだ。

 時間を確認するためにはこの場までこなければいけない。

 フロイドさんの言う通り、カウントが上がれば、区切りの日数で、なにかが起こるかも……?


「なにが起こるのですか?」

「そこまでは知らないけどね。だけど老朽化……? 想像できるのは、城が崩れ始めるとか?」


 う。まったくあり得ない話でもなかった。

 崩れていくわけでなかったとしても、スペースを狭める、というのはありそうだった。

 ……せっかく引いてくれたワイバーンが、また戻ってきてしまうかもしれない。

 そうなるとまた、必要な命が増えてしまう――かもしれない。それは最悪だった。


 だけど、狭くなっていけば、距離がある今の僕たちの関係性が、改善するかもしれない。

 逆に悪化するかもしれないけれど……。

 少なくとも、今の膠着状態は、動く。


「なるほどな。もうひとつ、城が壊れることで見つかる部屋があるかもしれない」

「あ、そっか……そういうことも……」

「あくまで仮説だよ。簡単に信じない方がいい」


 と、フロイドさんは言うけど、もちろん、仮説の信憑性は疑っている。脊髄反射で信じているわけじゃなくて、そういう可能性は充分にあり得ると、僕は僕の意見として持っているだけだ。

 言われるまでもなく、フロイドさんの仮説を鵜呑みにはしない。


「フロイドさん、今日はどうするんです?」


 探索する場所はもうないはず。同じ場所をもう一度探索するとしても、一度見ているためすぐに終わるはずだし、今の僕たちが話し合いをして熱くならないわけがなかった。

 頭を冷やす、としても。

 フロイドさんの仮説のこともあるし、モタモタだってしていられないはずだ。


「自由でいいんじゃないか?」

「は?」


「これまで気を張り続けてきたんだ。モタモタしてはいられない、だけど焦っても仕方ない。だから今日は、全員でなにかをしよう、と指示はしない。元々指示していたわけでもないが……。今日は各々が自由に過ごせばいいんじゃないか? 少なくとも俺はなにもしないよ」


 なにもしない……でも、本当に『なにもしない』、わけはないはずだ。

 寝るとか、ぼーっとするとか、そういうこと。


「それ、わざわざ言わないといけないのか?」

「はい」

「どうして?」

「僕が、参考にします」

「…………そうか、アンタは……ひとりの自由時間を持て余すのか……」


 フロイドさんは頭をかきながら。

 分かりづらいけど困った顔をして、なぜか渋々ながら、教えてくれた。


「……見えるワイバーンをさ、観察でもしようかと思ってる。癖とか行動パターンとか、あるかもしれない。一日観察して、得るものがなければそれでもいいんだ。得るものがなかった、それを得ることができたなら儲けものだよ」


「それ、僕も手伝います」

「必要ないよ。まあ、俺とは別で勝手にやるなら止めないけど」


 お墨付き(?)を貰えたので、僕も朝食の後にワイバーンの観察をすることにした。



 曇天でも分かる。気づけば日が暮れていた。

 暗雲? 雷雲? ともかく、暗くなっていたのだ。

 嘘かと思うけど、僕はワイバーンの観察を、十時間以上もしていたらしい。

 不意に肩を叩かれ、焦って振り向けば、呆れた顔のフロイドさんがいた。


「どんだけ集中してたんだ……。それで、なにか分かったか?」

「えっと、ですね……ワイバーンの家族構成とか……?」

「ふうん。役には立たなそうだな」


 癖やパターンは、途中で観察しなくなった。

 個体差があるので、中途半端に「こういう癖がある」と言ってしまうと情報に引っ張られることになってしまう。分かったつもりになるのが一番危ないから……種族としてのパターンではなく、個体差に注目した。

 人間と同じで、全員に通用する策がなかったとしても、たったひとりを狙った場合の効果的な策はあるのだ。


 クリスタさんに最も通用する言い方はこうだ、とか。フロイドさんにはやってほしいことの逆を言えば反発するから、ある意味、思い通りに従ってくれていることになる、とか。

 個人に注目すれば、絶対的に強い人というのは実は少ないのだ。

 それは、きっとワイバーンにも当てはまると思ってる。


 まだ観察して一日目だから、成果は芳しくないけど、繰り返していけばワイバーン全体の上下関係くらいなら分かりそうなものだった。

 だけど、そんな時間が僕たちに残されているのか……。

 あの時計が、僕たちをどう追い詰めるのだろう?



 ――翌日、四日目。

 違和感に気づいたのは僕だけだった。


 …………調理場で「??」と、朝食を作ろうとして伸びた手が止まった。

 食材が、増えてる?

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