回復魔道士デスゲーム

渡貫とゐち

第1章

第1話 老師の目覚め

 見えた天井が決まったものでないことは珍しい状況でもない。いつどこで気を失い、どんな場所で目を覚ますかは己の運が決めてしまう。

 幸い、今回のケースは緊急性が高いものではないようだった。だが、だから安心、という話でもないだろう。


 見知らぬ天井ということは、少なくとも儂が知るパーティの拠点ではないということになる。つまり、敵地のど真ん中という可能性も……。

 縛られもせずに放置されているなら、目前の危険はなさそうだ。

 敵地のど真ん中であっても、敵が儂を認識していない可能性も……。いいや、それは甘く見過ぎだな。意図的に放置されていると考えた方がよさそうだ。


「ふむ、記憶がないのう。だが意識はスッキリしておる」


 なぜこの場所にいるのか分からない。気を失う寸前までなにをしていたのかも思い出せん。昨晩、なにを食べたのかも……。これは歳のせいかもしれんが。


 起き上がる。

 最近(と言ったが十年前から)、急激に太ってきた結果の、球のような体。

 ゆりかごのように反動をつけなければ起き上がれなくなってしまった。首を引っ込めれば縦横無尽に転がれるので、隙を見て足を出せば立ち上がることもできる。人は環境に慣れるものだった。

 若い頃は足も細く、すらっとしたものだったのだが。


 儂が寝ていたベッドは上質なものだった。が、所々が破けており、使い古されているようだ。

 あらためて見てみれば部屋も老朽化が進んでいる。見えるところに大きな蜘蛛の巣、壁はひび割れている。床に破片が散乱していた。

 風の通りが悪く、空気が淀んでいた。小さな窓の外に見える空は曇天だ。

 当然、小さな窓には顔しか出せない。少年少女なら体を通り抜けさせることができるだろうが、儂には無理だ。この体だと肩も抜けられないだろう。

 部屋の隅にあった鏡は割れてしまっている。儂を映すが、これではメイクもできんな。

 鼻の下、一文字にぴんと伸びるはずの銀色の髭は、いつもと違い左右が垂れてしまっている。元気がないのう。

 目覚めは良いが、見知らぬ土地で、体はきちんと疲弊を訴えているらしい。髭一本の疲弊なら大したことではないか。

 ハゲとは言わせない禿頭を軽く叩き、息を吐いて気合を入れ、部屋の外へ。

 建て付けの悪い扉はロックがかかっていると思い込んでいたが、押せば開いた。

 ただし蝶番が砕け、二度と閉まらなくなってしまったが……仕方ない。

 外れた扉は横へ立てかけておく。


 ――薄暗い廊下じゃった。


 左右に伸びている。明るい方へ向かうと、バルコニーがあった。

 曇天の下へ出る。

 視点が高く、見晴らしのいい場所だ。ただし山に囲まれていたが。

 山の奥はもやがかかっているので確認はできず。

 バルコニーの柵を手の甲で軽く小突いてみれば、ボロボロと砕けてしまった。

 ……もしも体重をかけていたら、真下に真っ逆さまだ。

 底が見えない大穴へと、だ。


「…………」


 儂が立つバルコニーはちょうど中間地点か。上階がまだ存在する。

 この場所の遠景を見てみなければ分からんが、儂がいるこの場所は、古城じゃった。

 人の気配も生活感も一切感じられないお城。

 使わなくなってしばらく、どころか百年ほどは放置されているような装い。管理されていない割りには、老朽化は遅いが……長持ちするような素材が使われていたのだろうか。

 もしくは、人の手で管理しなくともちょうどいい塩梅で老朽化と復旧が進むエリアか。


「当然だが、ダンジョンじゃな」



 状況は把握した。

 古城の探索ついでに、他に人がいないかも調べてみないとな。パーティ仲間がいるかもしれん。

 それに、愛用の杖も。


 ……しかしながら、あれでなくとも構わないし、もっと言ってしまえば魔法を使うのに必要はないのだが、あって困るものではない。

 私事を言えば師の形見を再利用して作ったものだから、使わずとも残しておきたい逸品ではあるのだが……。

 ないものはない。割り切るしかないの。


「古城の周りは大穴……そして空には――あれは、ワイバーン共か……脱出はできんな」


 翼と爪が一体化し、全体的に細く青い生物だ。竜と呼ぶには細い体だった。

 竜と比べてしまえば力も弱いが、それでも儂よりは倍以上も力の差があるだろう。

 奴らは力がないことを自覚しているために、その細い体を上手く使って獲物を狩る狡猾な一面もある。なかなか頭が切れる生物なのだ。

 ゆえにゾッとしたものだが、儂がバルコニーに顔を出しても、奴らは叫ぶだけで一向に襲いかかってはこなかった。古城に近づけない理由でもあるのか。もしくは誰かに躾けられているのか。

 それともこのダンジョンのルールなのか。


 恐らくだが、儂が古城から出ようとすれば、奴らが襲いかかってくるのだろう。近道をすることは許さん、というわけだ。

 古城内部から正規の手順で脱出しなければならない。

 探索をすれば、裏技のような脱出法もあるのかもしれんがな。

 意外と、裏側に回れば道が続いているかもしれん。そうなると、正規ルートはそちらだ。

 ワイバーンの巣があるこっち側は範囲外――――


「という先入観も、よろしくはない」


 従うところと違反するところは、経験則から、見極めが必要だ。



 バルコニーから廊下へ戻ると、見知らぬ少女が立っていた。

 儂が失くしたと思っていた身の丈以上の太く長い杖を両手で持って、だ。


「お前さん……」

「お久しぶりです、先生」


 細いが、ひ弱には見えない少女。年齢は十四か、十五ほど。

 燃えるような明るい赤髪と小さなツインテールが特徴的だった。

 服装は近接戦闘向けの軽装。だが、儂のことを先生と呼び、杖の持ち方も一応は様になっている。彼女は儂と同じく、魔道士なのか?


「覚えていませんか? ヒナです」

「すまんが覚えていない。儂を先生と呼ぶ生徒はごまんといるからな」

「半年前に先生が開いた、初心者魔道士向けの特別講習がありましたよね。そこで百人ほどが授業を受けて……その中のひとりです」

「いや、覚えておらんよ」


 さすがに厳しいだろう。飛び抜けた生徒がいれば記憶の片隅にあったかもしれんが……魔道士にはまったく見えない彼女のことは覚えていない。

 当時からこの格好だったなら……、と思ったが、やはり記憶にはないな。


「しばらく迷走した結果、あたし、魔道士になろうって決めたんです」

「見た目のちぐはぐさはそういうことか……」


 魔道士か、戦士か(もしくは剣士だ)。悩んだ末なのだろう。偏ることが正義とは思っておらんし、全ての立場で物事を見ることは大切だ。

 魔道士から見える景色。剣士から――戦士から――魔法使いから――そして勇者から。

 勇者は無理としても、浅く広く、それぞれの立場から世界を見ることは大事だ。必須ではないが、見ておけばひとつを極める過程でも、後でも、必ず血肉になるのだから。

 迷走は見識を広めるためにも必要なことと言える。


 儂は魔道士で偏ってしまっていたが……それでも、体験せずとも知識だけはある。

 人の意見というのはなかなかバカにはできない重要な情報だ。


「この杖、先生のですよね。目立っていたので覚えてました」

「どこにあったのかね?」

「大広間……です。他の方もいますよ」

「何人いる?」


 少女は指折り数えて、


「先生も合わせたら五人です」

「ちなみに、職業は聞いているかね?」

「ひとりは答えてくれませんでした。言って得があるのか、って言われて……。他の方は答えてくれましたけど、えっと……綺麗な女性と、あたしよりも年下の女の子、は、魔道士でした。あたしも先生も魔道士ですから、きっと答えなかった男の人も魔道士だと思います」


「魔道士だけが集められている、か……」


 予測だが、儂らはダンジョンに取り込まれている可能性が高い。

 魔道士だけを取り込んだのは、魔力が特別に多い個体だったから……と説明できる。

 ならば魔法使いも含まれている場合もあったが、疲弊していれば、魔法使いの魔力は少なくなっているだろう。


 魔法使いと魔道士。

 違いを言えば、攻撃(防御)と回復だ。


 回復を専門としている魔道士は、魔力を温存していることが当然であり、パーティが崩壊していなければ魔道士が取り込まれるのは必然と言えた。

 パーティ内で最も魔力を多く持っているのは、いつ、どこでも魔道士であるべきだ。

 もちろん例外はあるだろうが、今回の招集に、例外はなかったようだ。


「儂も大広間へいこう。案内してくれるかね。…………すまん、名前はなんじゃったか」

「ヒナです。ミドイン・ヒナ――です」

「ヒナ。杖、重たいだろう。儂が持とう。見つけてくれてありがとう」


「どぞ」と、目を逸らしながら差し出してくれた彼女から、杖を受け取る。

 ずし、と重たい杖を、彼女は軽々と持っていた。


 彼女の体の細さなら、杖に重心を揺らされてもおかしくないはずなのに……戦士か剣士の適正はあったようだ。魔法使いでも伸びそうな子だ。

 勇者以外なら務まるオールラウンドプレーヤーになれるかもしれない。

 しかし、そういうマルチな才能がある子ほど埋もれてしまうのだが。……もったいないのう。


「あの、先生……」

「なんだね?」

「ぎゅっとしていいですか?」


 遠慮がちだが、はっきりとしたお願いじゃった。

 慣れたものである。

 球のようなこの体は、なぜか女子と子供には受けがいい。

 嫌悪がなく、断る理由もないので「構わんが、十秒で終わりにしてくれ」と許可を出す。

 きりがないので長くはさせない。


 そっと近づいてきて、孫の年齢の少女に抱き着かれる。

 世間では大魔道士と呼ばれる儂も、世間と過去をよく知らない子供からすればただのマスコットか。……ん? だが、この子は儂のことをある程度は知っているはずだが、それでもマスコット扱いをするかね?


「先生……不安です」

「…………」


 温もりを求めたのか。

 急にダンジョンへ取り込まれ、見知らぬ場所で目覚め、知らぬ相手と顔を合わせる。

 ただでさえ昨今の魔道士はパーティ内で立場が弱く、若い世代は前衛職のサポートに回ることが多いのだ。強く意見を言えない子が多い。指示がなければまともに動けない子も……。

 そんな子が、知った顔がいない中で前向きになれ、というのも難しい。


 魔道士だけが集められたのが事実であれば、ようはこの空間には、おとなしく、引っ込み思案な傾向が強い人間しかいないことになる。

 集団の端にいるような、じゃな。

 儂もそっちタイプだが、年齢を六十も重ねれば、さすがに空気を読むことができるわけで……。

 指示がなくとも動くことはできるが……、人を引っ張っていけるかどうかはまた別の話ではある。

 勇者や剣士と違って、他者を奮い立てることは苦手分野だ。


「ヒナ、そろそろいいかね」

「……あ、はい。先生もやっぱりドキドキしているんですね……」

「この分厚い肉の塊でも、心音は聞こえるのか……」


 儂も人並みに不安を抱えているようだ。

 初めての状況ではない、とは言え、初めて会う人たちが集まっているのだ。不安はある。

 不安がなければ、それはつまり感覚が麻痺しているのだから危険信号だ。

 怯えず前に向かっていくことがどれだけ死に近いか、儂はよく知っているのだから。


「大丈夫、儂がついておる。なんとかするつもりだ」


 ヒナの頭を優しく撫でる。これで彼女の不安が和らいでくれればいいが……。

 同時に、この子のためにも。

 儂も、自分のケツを自分で蹴らないといけないようだ。

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