第30話 最後の扉(B)

「!!」

「――――ッッ」


 フロイド様は目を剥き、わたしは地面を転がって、痛みに悲鳴も上がりません。声を出して吐き出してしまえば、そのまま気絶してしまいそうだと思ったからです。


 だから悲鳴は逃がしません。

 歯を食いしばって、痛みも抱え込んだまま。

 この痛みと熱、炎の魔法を頭の中で反芻するように……考えます。

 イメージします。


 すると、視線の先で、一瞬だけ、小さな火が、宙に灯りました。

 使えるはずがない攻撃魔法が、一瞬だけ。

 とても小さな火花のようなものでしたが、生まれました。


 空っぽ寸前のわたしの魔力を使い切って、生み出されたのは、摩擦でこぼれた火花のような炎の魔法です。当然ですが、フロイド様の足下にも及びませんでした。

 そして、今のでわたしの魔力は完全に、消えてしまいました……。


「気づいたんだね……まあ、ヒントは散りばめられてあったし……気づかないわけがないか」


 と、フロイド様。

 気づいた? ヒント? 返事をしたいところでしたが、半身が炎で焼かれ、小さな爆発で骨も砕かれてしまっています。口も動きませんでした。

 だらしなく、唾液だけが口の端からこぼれ落ちています。


「魔法使いと魔道士、その違いなんて、実はなかったんだ」


 攻撃魔法と回復魔法。

 求められる知識とイメージ力が違うために、別の魔法と認識されていました……。

 それはかつて、誰が言い始めたのか分かりませんが、魔法を勝手に分類し、基準を設けたことでひとつだった魔法を分断させた、という解釈。


 魔法使いは回復魔法を使えず、魔道士は攻撃魔法を使えない――という先入観。しかし実際は、魔法は一種類です。

 つまり、イメージさえできれば攻撃魔法も回復魔法も使えてしまうのです。


 強い信仰心。


 繰り返される毎日の中でひたすら同じイメージをし続け、イメージ力を鍛え上げるという努力をしなければ使えないでしょうし、または死を覚悟し魔法を体で受けることで理解度を深め、魔法発動をしやすくする裏技的な方法もありました。


 一朝一夕で身につく万能な力でないことはこれまでと同じです。

 同じですが、魔法は一種類しかなく、その方向性を決めるのは強いイメージ力でした。

 それが、真実……一体いつから、誰が騙したのか、魔法は誰かの意思で分類されたのです。

 選り分けることで発動しやすくなるという意図はあったのかもしれませんが……。


 万能がいたら困る、というバランス調整の役目もあったのかもしれません。

 求められる技量が高くなることも、事実でしたし……。


 もしも、魔法使いと魔道士の魔法が使える存在がいたならば。

 それは、勇者様を特別扱いせずとも、魔王に対抗できる存在になったのかもしれない……?


「老師サマも気づいていなかった魔法の真実だったのかもね」


 知っていたならば、死ぬ前に教えてくれても……。

 いえ、わたしたちが自力で気づくことに意味があるのかもしれません。

 教わってばかりでは、成長なんてしませんからね。


「フロ、イ、ド、様…………」

「なんだい?」


 右半身は使い物になりませんでした。やっと動いた口も、声を発するだけで激痛が全身に走ります。限界は近いです。近いだけで、まだ……動けないわけではありませんでした。

 わたしは震える手で胸に手を突っ込みます。取り出したのは一本の、ポーションです。


「それは……、誰のポーションを……!」

「トト、様、のです……っ」


 そう、です。トト様が隠し持っていたポーションを、わたしはこっそりと回収していました。フロイド様も探したかもしれませんが、彼女は軽装でしたし、胸も小さく、隠せるところはありません。いえ、ないわけではありませんが、男性には手を出しづらい場所です。


 筒状のポーションが隠しやすい場所でした。まさにぴったり、と言えるような……。わたしには絶対にできないことでしたが、こういうところは彼女が奴隷だったことを思い知らされます。


 そこへ隠すことを発想できたのは、元から使われてたから、でしょうね……。

 痛かったでしょうに。

 いえ、分かりませんけど。


 わたしは最後の望みを、震える手で、ガラスの筒を砕きます。指から滴ってくる回復薬を舌で受け止め、喉の奥へ。微力ながら、魔力が回復する感覚です。これで、わたしは――――


「魔力を取り戻しても遅いよ。その前に、俺がアンタを殺せば回復も無駄になる」

「ちが、います……傷を癒しは、しませんよ……」


 右半身の痛みが増してきましたが、わたしは最後に、この刃に、賭けます。

 トト様がわたしの心臓を刺したナイフ。それは今、わたしの手元にあります。

 小振りのナイフを、握り締め、切っ先をフロイド様へ向けました。

 届きません。当然です。


 なぜか手に馴染むナイフ。その冷たさ、硬さ、肉を断つ感触や、心臓を貫かれる感覚は嫌というほど覚えています。今でも思い出せるくらいには。

 わたしは一度死んでいますので、死ぬ感覚もイメージできてしまうでしょう。

 同じように、ナイフのことを理解していれば、それを変形させることも可能なのではないですか?


 魔法は、イメージ次第でなんでもできます。

 炎を生み出し、水を吐き出し、雷を落とすだけが魔法ではなく、癒すことができるなら壊すこともでき、繋げることができるなら分離することだってできるでしょう。


 そして――――伸ばすことだって。


 イメージすれば、きっと、魔法は応えてくれるはずです。


 刺されたことで知り尽くすことができたこのナイフの理解は、きっとわたしが一番でしょう。

 回復した魔力を全て使い、ナイフに変化を与えます。


 そう。


 伸びたナイフの切っ先が、フロイド様の心臓を貫くイメージの通りに、現実が書き換わりました。


「かふっ……ぅ!?」

「派手な結果だけが、魔法ではないはず、ですよね……フロイド様……?」


 フロイド様の口から溢れ出る赤い血が、ナイフの刃に乗ってわたしのところまで下りてきます。

 半身が焼かれていてよかったです。

 片目で、感覚も麻痺している中では、真っ赤な血を見て触れても気持ち悪くなりませんでした。それとも人の死を見てきたわたしは、慣れてしまったのでしょうか。


 人が死ぬことに。

 人を、殺すことに。


「クリ、スタ……ァッッ」


 フロイド様が震えながら手のひらをわたしに向けてきます。

 わたしは対応することができずに、目を瞑ることしかできませんでしたが…………いつになっても、炎の球が飛んでくることはありませんでした。


 やがて、彼の手が落ちました。

 立ったまま……ナイフに貫かれたままです。


 彼の目は、わたしを見てはおらず……。

 感情なく脱力し、その場で固まっていました。


 生命力は感じられませんでした。

 フロイド様は、力尽きていました。


「…………」


 巨大な、扉。

 ゆっくりと、扉が開いていきます。


 巨大な扉が奥の方へ。耳障りな金属の擦れる音を世界に響かせながら――底の見えない大穴を覗いたような暗闇の中へ浮かぶ、白い光の階段が見えました。

 遠く、高い、その先に、小さな粒ほどの光が見えます。

 そこが、出口なのでしょうね……。


「…………帰り、ます……」


 立ち上がります。

 転がっていたヒナ様の……いえ、老師様の大きな杖を抱えて、それを支えにし、麻痺している半身を連れていくように、ゆっくりと歩きます。

 光の階段へ、一歩ずつ。


 まさか途中で壊れて落下する、とは思いたくないですが……。今更ですが、最後の最後で背後から襲ってくるワイバーンがいたりませんよね? もしも今、襲いかかられたら、わたしにはどうすることもできません。その時は諦めて敗者となりましょう。


 魔道士は全滅しました、という結末も、悪くはありません。

 一歩、一歩と。ガラスのように透き通った階段に、杖を叩きつけるように。

 ひび割れていそうな気もしますが、気にせずに上がっていきます。


 老師様、マリア様、トト様、ヒナ様、フロイド様――全員の意志を背負って。


 わたしは、仲間ゆうしゃの元へ、帰ります。

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