第29話 最後の扉(A)
フロイド様の野蛮なセリフに身構えましたが、当の本人は前を向いています。
目線の先は長く続く橋しかないはずですが……。
「扉だ」
「え?」
地平線まで長く続いていた橋の光景が、気づけば巨大な扉になっていました。
薄い雲の上まで伸びる押し開きの扉(全景は分かりません)。
それは、まるで巨人が出入りするための……。
ドアノブはありませんでした。
つまりわたしたちが開ける用のものではない……?
それにしても、どうしていきなり橋の道がなくなり、これまで見えていなかった扉が目の前に現れたのでしょう。靄も晴れて遠景も見れるようになったのに、一切の前触れがありませんでした。
いくらわたしたちが取り込み中だったとは言え、ですよ?
「道がループしてたってことかな」
一定の距離が繰り返されていた、と。
確かに、景色が変わらず橋が長く続いていた理由として納得できます。時間が繰り返されていた密室と同じく、今までわたしたちは同じ道を走り続ける密室に囚われていたことになるのでしょう。
三人を、ふたりへ減らすために。
ヒナ様が犠牲になったことで道のループが途切れ、最後の扉が目の前に現れたのでした。
「で、最後はこの扉を開けるために、俺たちが殺し合うわけか」
最後の密室であり、出口へ繋がる扉、なのでしょう。
ふたりで脱出することはできず、わたしか、フロイド様か……犠牲者を決める必要がありました。
二頭のワイバーンが扉の前で止まります。わたしたちが降りると、役目を終えたように二頭のワイバーンが引き返していきました。牢から助けてくれたお礼で乗せてくれたわけではなくて、元からダンジョンを脱出するための舞台装置だったと思うと……ちょっと寂しいです。
「これ見なよ、扉の鍵を開けるにはひとりの命が必要、とある……結局、このダンジョンは最後のひとりにならなければ攻略は無理だったってことだ」
魔道士が集められ、その数を減らすことを最初から求められていた、となるのでしょう。わたしたちでよかった、と言えますか……? 絶対に犠牲者が必要だったなら、勇者様ばかりが集められなくてよかった、と言えますが。
しかし魔道士であるわたしたちも、いないと困ってしまうと思います。回復は、ポーションか、魔道士の魔法か、です。回復魔法は魔道士の専売特許なのですから。
――しかし、魔道士が攻撃魔法を使える前例を見ています。
では、その逆もあるのでは?
わたしたちの役目など、あっという間に奪われてしまうのではないでしょうか。
「…………」
「そうやってぼーっと突っ立っているだけなのは、わたしを殺してくださいという意味?」
――頬のすぐ横を熱が通り過ぎました。
背後で、小さな爆発が起こります。振り向けば地面が凹んでいました。
フロイド様の炎の魔法、です。
「っ」
「広い空間、ふたりきり。犠牲者がひとり必要だという状況で、相手から視線を外してよくもまあ熟考できるよね。短絡的に突っ込んでくるのも悪手だけど、無警戒で立っているだけはもっと酷い。考えることは大事だ。でも今じゃない。アンタはなにもかもが甘いし、未熟だよ」
分かっています。わたしが、まだまだ、だってことくらい……。
「その点、トトの方が優秀だったな。環境の差、だろうけどね。出自は仕方ないか。もはや出自に左右されないくらい、世界は過酷に切り替わってる。全員が勇者に縋るくらいにはね」
全員が勇者様に頼り切りでした。それがダメだとは分かっているのですけど……。
でも、明らかに違い過ぎるのです。わたしたちと勇者様には大きな隔たりがあります。差を詰める力は、わたしたちにはありません。
勇者様には勇者様しかついていけず、勇者様でも苦戦するのが地上を支配した魔王、ですから。
わたしたちにできることは言われた通りにすること。言われた通りに、治療をすることです。
それが魔道士の役目――。
「アンタはどう考えてる? 自己犠牲で死んでくれるなら痛みを感じさせずに殺してあげるけど。悪いけど、俺は脱出するよ。生きて戻り、支えたい人がいるからね」
「それは、わたしも……」
「ああ、みんな同じだよ。このダンジョンで死んでいったみんな、同じく、出口の先で待たせている仲間がいる。少なくても、魔道士のことを必要としてくれる人がいるだろうね。だから生きて戻る理由がある。それは俺もアンタも同じだ。条件は同じ。その上で、クリスタ――アンタはどう考える?」
フロイド様の問いかけです。
ようするに、わたしは、戦って死ぬか戦わずして死ぬか、選べと言われています。
後者を選ぶなら痛みを感じさせずに殺してくれるのでしょう。フロイド様の配慮でした。
……自己犠牲の精神は、あります。ありますけど、怖くないと言えば嘘になります。
それに、やっぱりわたしだって、生きて会いたい人がいるのですから……頷けません。
勇者様の顔を思い出したら尚更、彼の提案には乗れませんでした。
だから、決断しなくてはなりません。
覚悟を決めなければなりません。
ひとりとひとり。魔道士のわたしたちが殺し合いをすることを。
わたしが、この手で他人を殺めることの、覚悟を決めなければならないのです。
わたしは、自分の心臓をぎゅっと掴むように。
……殺されるよりも、殺す方が、心が痛いのでした。
「フロイド様……自分で命を絶ってくれませんか?」
「できない相談だ」
「はい……分かっていました」
フロイド様の手のひらから小さな炎の球が生まれます。これまで何度も見てきた攻撃魔法。ですが、規模は小さく、威力も同時に軽くなるのではないですか?
手加減、ではないでしょうね。
「魔力の節約だ。そして手数勝負になる。それでアンタを殺せる。アンタはどうせ、魔力なんてまったく残っていないんだろう?」
魔力は既に空に近いです。
ひとりずつに振り分けられたポーションも、フロイド様に手渡してしまいましたし、自動蘇生魔法を使ってしまったので魔力はないも同然です。
掠り傷を癒すことくらいなら、できないこともないですが……。山にもならず積もらないほどの塵はただの塵です。
わたしの魔力は空っぽ、と言ってしまっていいでしょう。
フロイド様は、わたしの魔力事情を細かく把握していたのですか?
最後に、こうなることを見越して……?
「想定していたパターンのひとつだ。百通りも考えておけば掠るひとパターンくらいあるものだよ」
炎の球体がわたしのすぐ真横で爆発しました。
「きゃっ!?」
飛び出した球体が、地面や壁に触れる前に爆発する、こともあるのですか……?
フロイド様が意図的に……?
これでは、避けても爆風に襲われてしまいます。
これまでの疲労が蓄積していた体に、直撃でなくとも爆風が襲えば、立ち上がるのも難しいです。
そして、フロイド様の手のひらが、倒れたわたしを狙っていました。
「弱い者いじめは好きじゃないんだけどね」
前へ転がるように立ち上がります。
わたしのかかとを掠るように炎の球が飛んできて――爆発。
背中から襲いかかってくる爆風がわたしの体を押し上げました。
「うっ」
首が折れそうな体勢で、エビ反りのように地面を滑ります。膝が震えて反射的に動けません。ですが、太ももを強く叩いてさらに前へ飛び出します。
小さな炎の球と小規模な爆風が、わたしのことをゆっくりと追い詰めます。
悪趣味ですね……いえ、彼の魔力残量からすればこういう戦い方しかできないのでしょう。
できることなら、大きな一発でわたしを燃やしてしまえばそれで済みますから。
魔力が充分にあれば、という前提ですが。
それにしても、どうして炎の魔法ばかりを……?
魔法を使うにはイメージが重要です。
回復魔法の難易度が高いのは専門性が高いから、ですが、それと比べると、炎はイメージがしやすいです。もちろん無関係ではないでしょう。
何度も何度も目の前で見た炎の魔法です。マリア様が作り出した炎を何度も見てイメージを固めていったのであれば……。
マリア様には強い信仰心があり、フロイド様は繰り返した長い時間の中で魔法のイメージを固めていきました。
理解力を高めるための裏技は、きっとないのでしょう。まともな方法はありません。
でも……。
一か八かの裏技は、ないわけではありませんでした。
これは魔力を節約しているフロイド様相手だからこそできたことでした。
信仰心も時間もなければ、わたしには、これしかありません。
背中に感じた熱。飛んでくる炎の球を、わたしは、受け止めます。
正確には使えなくなっても構わない半身を炎の球に当たるように、迎えにいきました。
高熱と小さな爆発が、わたしの右半身を焼きました。
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