第15話 水面下

 限られた食材で提供されるトト様の料理は、この状況下というスパイスを加味しなかったとしても美味しかったでしょう。

 使っているのは野菜だけのはずですが、満足度で言えば今日が一番だったかも。

 食べ応えもありました。


 朝から満腹になり、自室へ戻ります。このままベッドに飛び込んだら昼寝――よりかは、恐らく時間的には二度寝でしょうけど――ができてしまうでしょうけど、しませんでした。

 つい先ほど、マリア様からお誘いがあったのです。


『後で部屋に伺いますので待っていてください。今後のことで相談があります』


 と。


 なんでしょう? みなさんがいる場所で相談すればいいと思ったのですが……。

 まずはわたしにだけ相談したい、とのことでしたら、かなり信頼されているようで嬉しく思います。

 わたしが女神クリスタだから……と思うと当たり前なのかもしれませんが。

 信頼ではなく信仰でしたか。――いいえ、それでも嬉しいですけど!


 待っていると、すぐにコンコン、とノックがありました。

 扉まで迎えにいくと、黒いローブの緑髪美女が立っていました。


 あらためて、彼女を部屋に迎え入れるというのは、同性でもドキドキします……。

 わたしの部屋(ではなく一時的に借りているだけですが)に美女がいます。これって夢ですか?


「マリア様……いらっしゃいませ、どうぞこちらへ……」

「お邪魔します、クリスタ様。こちら、ベッドに腰かけてもいいかしら?」

「はい、どうぞどうぞ!」


 癖で、飲み物を準備しそうになりましたが、水もコップも食堂です。部屋にはありません。

 伸ばした手の行き場所がなくなってしまい、宙をうろうろした後、手を下ろします。

 来客をもてなさないのはモヤモヤしますが、状況を考えれば当たり前でした。


 椅子を移動させ、マリア様の対面に座ります――座りかけたところで、腕が掴まれました。

 ぐっと引っ張られ、マリア様の大きな胸に顔が突っ込んで、大きく跳ねます。

 そして横のベッドに引き倒されました。


「なな!?!?」

「クリスタ様、急につまづいて、どうかしたのですか?」

「つ、つまづき、ました……?」


 そうでしたっけ?

 ともかく、乱れた衣服を(大した乱れではないですが)正して、マリア様の横へ腰かけます。

 ベッドの、ぎし、という音が、なぜかわたしを緊張させるのです。


 部屋でふたりきり。

 相手は大人のお姉さん。

 肩が触れるほどの密着度でした。


 女性の良い匂いがして、こてん、と頭を肩に置いてしまいたくなるのを、ぐっと堪えました。

 このままリラックスをしたら寝てしまいます。来客を残して寝るなんて、失礼過ぎますよ!


「あのっ、……どういったご用件……ご相談で?」

「さっき、フロイドには話したと思うのだけど……はい」


 マリア様が見せてくれたのは、黒い手袋を付けた手のひらから生まれる、炎の球体でした。

 綺麗ですね……小さいですが、安定しています。

 わたしが応援しなくとも、この大きさの炎の球が作れるようになったのですね。


「す、すごいですねっ、マリア様」

「他にもできますわよ」


 炎以外にも。氷も、水も、バチバチッ、と音を鳴らし、雷を生み出すこともできていました。

 すごいですね……本当にすごい……。すごいというか、もはや怖いです……。


 微笑を浮かべながら、あれもできたこれもできた、と母親に自慢してくる子供のようにも見えましたし、研いだナイフを一本ずつ見せてくれているようでもありました。

 魔道士なのに攻撃魔法も使えています。

 正確に、彼女の意思で。


 もしも、『ある前提』がなければ、わたしは嬉しく思えたでしょう。マリア様がいれば外のワイバーンを威嚇することもできるのではないかと、希望が見えてきたからです。

 しかし、です。


 昨日、目の当たりにしたあの結果を思い出すと、過剰な力を持つ仲間を、もう仲間とは思えなくなってしまいます……。


 魔道士でありながら魔法使いである彼女。

 それは多種多様な攻撃手段と、絶対に倒れないための回復手段を持っていることになります。

 攻守が完璧に揃った魔王に近い存在――。

 それが今のマリア様であれば。


 …………ワイバーンよりも。

 内側にいる、最大の脅威となるでしょう。


 ……嫌な汗が噴き出してきました。

 背中が、冷や汗でべとべとです。


 流れ落ちる汗を、背中で感じて分かってしまいました。


「実は既に使いこなしているのですよ……。これも分類的には、回復魔法、と言ってもいいのかもしれませんね。ですから私は今もまだ、魔道士なのです」

「……じゃあ、どうしてフロイド様には、教えず――」


「教えるメリットがなさそうでしたから。教えることで得てしまうデメリットの方が多いと判断しました。クリスタ様の命令であれば――と、思いましたけど、今回ばかりは、いくらクリスタ様の命令でも聞けないでしょう。正直なところ、クリスタ様の存在も、もう役目を果たしたとも言えますし」


「役目……?」

「結果論ではありますが」


 がぼっ!? とわたしの口から下品な音が鳴りました。

 マリア様が、わたしの口の中へ指を差し込んだからです。


 人差し指と中指。

 言葉はおろか悲鳴も上げられませんでした。


 せめてもの抵抗として、ベッドに座って浮いている両足をバタバタさせることくらいで――――


「内側から焼かれたくありませんよね? それとも焼かれて本当に女神クリスタになりますか?」


 天に召されますか? と。

 そう言っているのですか?


「…………っっ!?!?」

「落ち着いて。ふふ、良い子ねえ」


 指は口の中に入ったままでした。……この状態で炎の魔法が発動すれば、わたしは内側から焼かれて、死にます……。ついさっき末路を見た、ワイバーンのように……。


 一体、わたしは、なにを見ているのですか?

 なにが起こっているのですか? 教えてくださいっ、マリア様っっ!!


「分からない、という顔ねえ。本当に分からないの? ねえ、クリスタ?」


 わたしは押し倒されます。

 ふかふかのベッドのはずなのに、とても、痛いです。


 真上からわたしを見下ろすマリア様。

 垂れてくる緑髪の奥に、これまで見たこともなかった表情がありました。


 ……マリア様って、こんなにも…………悪人顔、でしたっけ……?

 マリア様の輪郭が、景色に溶けていくようでした。



「手始めに、フロイドを殺します」



 端的に言われました。

 疑問も、否定も、反対も、受け付けないと言った顔でした。


 肯定以外はわたしの死です。そう言われているような――。

 喉元にナイフを突きつけられているようなものなので、わたしは逆らえません。

 体を焼かれる覚悟がなければ、言い返すことはできない状況でした。


 回復魔法がある、とは言っても、内臓を焼かれた状況で回復魔法が使えますか? わたしには無理です。それとも、実は脅しで、燃やしてもすぐに回復させて、助けてくれる可能性もあ、


「甘いことを考えていそうな顔だから教えてあげるわ。たとえ内臓を燃やし、回復魔法で癒したとしても、また燃やすわよ? つまりずっと続くの。痛みと回復が繰り返されれば、反対する心も折れるでしょう?」


「…………」


「まずは邪魔になるフロイドを殺し、その後はあなたたち三人を引っ張っていって、ダンジョンからの脱出を目指すわ。大丈夫よ、みんな助けてあげるわ。たとえ心臓、そして脳がひとつずつだけが残ったとしても、回復魔法で癒してあげる。今の私は、きっとなんでもできてしまえるから」


 なんでもできる。

 炎も出せたし、回復魔法も使えるし、嘘ではないのでしょう。

 マリア様は、万能な魔道士になっている――ということです。


「クリスタ、私に逆らいますか?」

「…………」


「私が、あなたの先頭を走ります。あなたは黙って頷き、私についてくればいいのです。そして、私を助けなさい。それがいつどこでも、どんな状況であっても残されている、あなたたち魔道士の役目でしょう?」


 …………そう、です。

 そうでした。


 わたしたち魔道士の役目とは、前衛の仲間を支援することです。

 わたしがごちゃごちゃと考え、場をかき乱す必要はないですし、それでは邪魔になってしまいます。


 勇者様や戦士様が――できる人が前衛を務め、力を発揮すればいいのです。

 できない側のわたしたち魔道士は、邪魔にならず、力になれるようにすぐ傍についていることです。


 それが役目。

 魔道士が、その場にいる意味です。


 ――すっ、と、口の中の指が抜き取られました。


 糸を引く唾液。驚きと緊張で呼吸ができなかったのが、ひとつのつっかえが取れたことで満足に呼吸ができるようになりました。


 酸素が脳まで届きます。

 わたしの答えは、ひとつしかありませんでした。


「ついていきます、マリア様」


「ええ。では、まずは今の密室を解くために、犠牲者を作りましょう。もちろん、フロイドね。魔道士らしからぬ先導癖を持つ役立たずはここで潰し、魔道士の未来のためにも、スタイルを矯正しておきます」


 きなさい、と呼ばれました。

 万全ではありませんでしたが、わたしは立ち上がり、マリア様を追います。

 部屋の外へ出ました。


「……あの、マリア様……他に、方法は……」

「ありませんよ。あら、反対意見ですか?」


 首を左右に振る。

 もう、今更……フロイド様が生き残る道は、取り戻せないようでした。

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