第7話 進展
「――わたしはっ、
「でも、クリスタ様……」
「様なんていりません!!」
「クリスタ、さん……」
クリスタ嬢に詰められたトトは目を丸くしていた。
奴隷としてこれまで雑に扱われてきた彼女だ。心配される、体を大事に、と言われることなどなかったのだろう。
彼女からすれば当然の行動だったが、周りからすればドン引きの行動だった。
マリアは、ひとつの手段として考えてはいたようだが……けしかけたわけではあるまいな?
儂が視線を向ければ、首を左右に振った。トトの独断のようだ。それでも止めるべきは大人の貴様のはずだがな……。トトの細腕は、仮に食糧とするなら心許ないだろう。
誰が適しているのか、という話ならもちろん儂じゃ。この老いた体で良ければな。
「ごめんなさい……」
「いえ、わたしのために、ありがとうございます……。でも、もうしないでくださいね?」
トトを抱きしめるクリスタ嬢。
彼女を崇めるマリアが嫉妬するのではないか、と危惧してしまったが、クリスタ嬢が自分の意思でトトを抱きしめたことは見て分かっている。
この行為を咎めるなら、それは神への冒涜となるだろう。マリアは静観したままだった。
全員が見守る中、フロイドが手を叩いて注目を集める。
「いいか? 調べてみたが、下層階へはやっぱりいけない。食糧問題は続行だ。カニバリズムを否定しつつも――もちろん、俺だって人肉を食いたくはない。だが、生きるためには必要なことだと思う。最悪、人肉を食すことは受け入れないと厳しくなると思うぞ。幸い、六人も魔道士がいるんだ、食われても治療できる。あとは各々の抵抗がなくなればいい話だが……」
人肉に忌避感があるのはヒナとクリスタ嬢のみだった。他は、最悪、食べられるだろう。
トト自身も、人肉に抵抗はない様子だ。
「嫌です。わたしは、この場の誰のことも、食べたくなんか――」
「なら餓死するしかない。そのことに俺たちを巻き込まないでもらいたいな。反対するのは結構だが、邪魔をするアンタを殺して食っちまうことで解決することもできる」
不穏な空気が漂う。
儂らが目を覚ましてから初めて、敵対の空気が流れ出す。
脱出するための協力の空気が、一気に『敵対し数を減らすサバイバル』になってきている。
……これだけは避けるべきだった。
女神の危機に、静観していたマリアが椅子を引いて立ち上がった。
「クリスタ様の危機なら当然、私が立ち塞がります。刃を向けるなら私を倒してからにしなさい」
「……お互い魔道士ですよ。勝負になりますか?」
と言いつつ、彼は肉弾戦もできる。
トトのようにナイフを持っていれば、回復させる間もなく刺し殺してしまえば、魔道士を始末することは可能だ。
魔道士は、攻撃魔法を持たないだけで、攻撃手段を持っていないわけではない。
引っ込み思案が好戦的ではないと誰が言ったのか、という話じゃ。
「俺は、最悪の話をしているんです。なにも今すぐ殺して食います、とは言ってないっすよ」
「ですが、いずれはそうなる可能性もあるということでしょう? 餓死寸前になればクリスタ様を殺して食べてしまうと。それは、今対処しても構わない蛮行なのではないかしら」
「片腕一本のカニバリズムを受け入れてくれれば、なにもひとりを殺す必要はない。……だろう?」
視線で問われたクリスタ嬢。
行くも地獄、引くも地獄で行き先を見失ったように戸惑っておる。
「クリスタ様が嫌がっているでしょう?」
クリスタ嬢が受け入れたら、それで解決する問題でもなくなっている。フロイドとマリアの対立は、後々の亀裂に影響を与えることになるだろう。少なくとも、男女の分裂は決定的だ。
いずれは起こっていた対立と言えるが……。フロイドのやり方も反対されやすいだろう。
彼のやり方は、やはり冷たいのだ。
「わたし、はっ――」
「あのっ!」
と、大きな声を出したのはヒナだ。
「あたしも人の肉を食べるのは嫌だよ。クリスタだけじゃない。だったらあたしのことだって、あんたからすれば殺すべき相手でしょ?」
それともクリスタのお肉が食べたいの? と煽るヒナだったが、
「…………。アンタには敵わない。だから狙いをあの女にしただけだ」
「うわ、卑怯者」
「なんとでも言えばいい。勝てない相手に挑む馬鹿は早々に死ぬだけだ」
ヒナが、にやり、と笑った。
が、その余裕は足をすくわれる。
「でもさ、勝てないなら――あたしが仕掛けたらあんたは降伏するしかないわけでしょ?」
「仕掛けたら返り討ちにされる自信があるけど、仕掛けてきた相手をいなして隙を見て殺すことには少し頭が回るから……勝率は少し上がるよ」
強がりではないだろう。
挑んでは勝てない。しかし挑んできた相手(奇襲でない場合)の対処は頭に叩き込んでいる。魔道士は狙われてなんぼの職業だ。襲われるのは慣れている。
手を出すのは不慣れでも、出されたところで足を引っ掛けることには慣れている。
その点、まだ見習いのヒナは、経験が足りないのだ。
挑めば負ける。
ヒナに勝ち目はなかった。
「やる? 勝つ気ならくればいいよ」
「だったら――」
「やめんか、バカモノ共が」
杖でふたりの頭を小突く。
痛みはないだろう強さのつもりだが、「あいたっ」とヒナが漏らしたので、少々強かったかもしれん。……それくらいはがまんしなさい。
「仲間内で喧嘩をしてどうする。儂らがここで敵対したら、奴らの思う壺じゃよ」
「でも、先生……」
ただでさえ食糧がない中で喧嘩をすれば、多くのエネルギーを使ってしまう。空腹がゆえの敵対かもしれんが、八つ当たりが過激化すれば、さらに腹が減って険悪になっていく……悪循環だ。
やがて、八つ当たりの喧嘩が殺し合いに発展する。
この閉鎖空間が、さらに敵対を煽るのだ。
このダンジョンは、魔道士たちを殺し合わせるシステムが構築されておる。開かずの扉や外のワイバーンなど、殺し合いへ促す要素はいくつもあった。
全員で脱出、なんて理想は最初から達成不可能だったわけだな――。
まったく、悪趣味なダンジョンだわい。
「……大丈夫じゃ。儂が、なんとかする」
「先生……っ」
ヒナの羨望の眼差し。
しかし、その目はすぐに濁っていく。
儂の目を見たヒナが、奥からなにかを感じ取ったのかもしれん。
額面通りに受け取らず、直感で真実を見抜く力を、彼女は持っているのかもしれないな。
「先生……? なにをするつもりで……、」
「仲間の肉を食べずとも、お前さんたちは開かずの扉を開けて次の探索場所へ進めるようになる。そこで、恐らくは食糧も手に入るじゃろう。だから、こんなことで喧嘩などせずに、全員での脱出を目指してほしい。年老いた儂からの願いじゃ――」
六十の老人じゃ。充分に長生きだった。
晩節を汚したくはない。つまりこの機会こそが引き際だったのだろう。
子供を殺してまで長生きしたくはなかった。
ここで身を引けば――儂は、良い人生だったと胸を張って言える。
もちろん、地上の魔王を倒せなかった心残りはあるものの――。
そして苦楽を共にした仲間に最期の挨拶をできなかったことにも後悔が残るが、新世代へこの手の中にあるバトンを渡すことができたのなら、同じく握りしめた後悔など帳消しにできる。
儂は、偉大な魔道士として、次の世代の魔道士へ意志を渡すことができた。
儂がするべきことは全て終えたと言ってもいい。
だから――あの人のように、この杖はお前たちに渡す。
未来の大魔道士へ、託そう。
『なあフクロウ、どうして魔王が地上を支配できたと思う?』
『? そんなの、魔王が強かったからですよね?』
『それはそうだが、強さの理由だよ。魔王は元々、我々と同じく人間だっただろう? なのにどうして、彼は我らよりも力を持っていたのか。同じ魔法を使っていたのに、だ』
『……より鮮明に、解像度の高いイメージを持っていたから……でしょうか』
『ああそうだ。イメージ。ラベルを剥がし、先入観と偏見の全てを取っ払った無から有を生み出す常識外のそのイメージ力は、我々には到達できなかった真理に辿り着いたからだ』
『?? 真理、と言うからには、かつては魔王の力こそが当然、だったのですか……?』
『さてね。だが事実、我々は魔法を制限し過ぎたのだよ』
――師匠、辿り着きました。
しかし儂はもう、老いてしまった。
魔道士とは言え、不老不死にはなれません。
命は、やがて朽ち果てていく。
「――先生!? 待ってっ、なにを、」
広間から出られる狭いバルコニー。
確認済みの脆い柵に、儂は、全体重をかけた。
崩れた柵から儂の体が落下する。
最期に聞こえたヒナの悲鳴も、遠くなっていき――――
落ちた儂を狙い、古城の周りを飛んでいたワイバーン群が、一斉に飛びかかってくる。
鋭い牙が、儂の球体のような肉の塊に突き刺さった。
――さらば、
お前さんの勝利を、儂は信じておる。
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