3. 冬場は8,000円くらい

 部屋中に響くインターホンの音で、目を覚ました。


 徹夜明けから数時間の仮眠を経て、コンディション最悪の身体は、しかしすんなりとベッドから起き上がる。瞼は重たく開かず、大口の欠伸が止まらずとも、頭は一気に覚醒していく。二度、三度と続く電子音にハイハイと、寝過ごし対策の連打を実行してくれている律義さに、僅かな笑みを作りながら、自室から一部屋跨いだDKの玄関へ向かう。


「はーい」

『デリヘルでぇーす(甘ロリ声)』

「やめてくれ。隣人とは仲良くやってるんだ」

『嫉妬させてくれるねえ。ロリ系はどんな店名なんだろう』

「隣は家族住まいだし、下は四十年在住のおばあちゃんだよ……」


 人妻とロリババア……、というサエの呟きには、リアル寝取りは刀傷沙汰だし現実にはロリとババアしか居ねえよ、と扉を開ける。うだるような暑さの中、小さめのスーツケースを隣に汗を滲ませるロリババアの近似値は、僅かに強張った面持ちで日傘を折りたたみながら、


「やあカモたん。昨日ぶりだね」

「ようサエ。アレがまだ昨日ってのが信じられねえわ……」


 もう一週間くらいの体感である。それだけ濃い付き合いが出来てるということだろうか、などと考えながら鍵を閉め、サエを玄関へと上げる。


「広いね。何で一人暮らしで3DKなんだい」

「いつでもお前と暮らせるようにだよ。言わせんな恥ずかしい」

「トゥンク……」


 なお家族向け物件しか無かっただけである。この辺に住む奴なら誰でも知っている。不動産屋がなんとかギリギリお一人様用にと引っ張り出してくれた四世帯アパートの二階左部屋、家賃六万円はコスパで考えるなら超優良物件でしかない。


「右奥が俺の部屋な。右前のフローリングと左奥の和室どっちが良い? 広さは変わらん」

「和室! 中々縁が無いからね!」


 即決である。気持ちはとてもよく分かる。角部屋であるのも良い。一番広いのとエアコンがあるのが右奥でなければ、俺もこっちで生活したかったのだから。


 さてと、サエの荷物を受け取り、日傘は玄関へ立てかけ、一足だけあるスリッパを置き。


 すぐ隣にある、洗濯機を指差して。


「それじゃあ、さっさと服脱いで風呂入れ」






        ◇






「掃除したくないから、外の汚れ持ち込まないってのは合理的だと思うよ?」

「この六年インフルにもコロナにもなってないんだよなあ。実際的でもあるんだろうな」


 僕も真似しようかなあ、と襖一枚隔てた向こうの和室で、サエはゴソゴソと荷物をひっくり返している。我ながらクッソ面倒くさい習慣だと思うが、まるで気にした風の無い合法ロリ娘は腐っても三つ年上の大人の女であった。


「何か足りないものあったら言えよ。貸せるものなら貸すから」

「……あー。着替え一式忘れてきたよ。カモたんの服をくれたまえ」

「全裸でいろ」

「じゃあ着替え終わったからそっち行くね」

「着てねえだろうが! もっと自分を大事にしろ!」


 薄い襖がギシギシと悲鳴を上げる。せめぎ合うのは男と女の全力だけでなく、俺の理性と野生でもあった。この一枚向こう側に惚れた女が素っ裸で居る。しかも風呂上がりだ。


 体格差的に必勝のサエはともかく、なけなしの理性がヘタレた拳で野性をメッタ打ちにした後に、ようやく着替えを終えたサエが襖を開けて入ってくる。


 昨日とさっき見た白黒のロリファッション、ではなく。


 ぶっかぶかの白シャツ一枚だった。


「……おい」

「家ではいつもこうだからね? パンツとスパッツ履いてるだけ感謝してくれたまえ」

「それは余計にエロいだろうが……!」

「だって、その、仮にも人様の部屋をさ。汚すわけにも、行かないし?」


 そっぽを向いて、内股を擦り合わせるサエに「ああ……」と項垂れる。かくいう俺も普段はパンツと肌シャツくらいしか着ていないが、今は外着一式を重ねていた。理由は言うまい。


 今日も今日とて絶好調にぶっ壊れているお互いのシモ事情は置いておいて、そんなに物珍しいだろうか、サエは目を輝かせながらくるくると、


「綺麗にしてるねえ、割とイメージ通りだけど。……エロ抱き枕が堂々と置いてあるのも」

「物が少ないだけだなあ。置き場所に結構困るんだよ、収納とかできないし」

「だからってベッドの枕元に立ててあるのは実用性重視過ぎないかい? あっ本当に永遠娘全巻あるじゃないか朧絵巻まで! ところでこの避妊具の山は合意と見てよろしいかな」

「抱き枕使う時のエチケットだよ」

「箱買いするほどの頻度に驚愕だよ。ああ、ちなみに僕は必要ないからね。生理が重すぎて薬飲んでるから毎日が安全日だよ。良かったねナマ中出しし放題で」

「しれっととんでもない情報流すな。ちゃんと身体大事にしろよ。……おい? 何で収納に向かってポーズ取ってんだ。何でわざわざ胸元や尻見せつけて……やめろ隠しカメラなんか置いてねえよ!」

「……え? 置いてないの? じゃあお風呂でなるべくゆっくりねちっこく身体洗ったり、これ見よがしにエッチな仕草してみせた僕の配慮は……?」

「ただの水の無駄使いだ」


 あとガスのな。


 LPだから高いんだぞ。


「しっかし、仮にも男の一人暮らしにエログッズがロリババア本と抱き枕とゴムしかないってのは逆に不健全じゃないかい? 部屋の質素具合に、まるで釣り合わないミドルタワーPCがド級の呪物に見えてくるんだけど」

「よく分かってるじゃないか。極力現物を持たない主義なんだ」


 外付け含めて都合10TBの禁書庫である。何なら十秒に一枚の速度で無限にAIエロ絵を生成し続ける能力もある。コイツさえあれば百年戦える気がする。


「時代の進歩を感じるねえ。フロッピーディスクが懐かしいよ」

「最悪、今のエロゲのスチル一枚すら入らないからな……」


 そんな媒体にゲーム一本詰めて売っていたというのだから、先駆者たちには頭が下がるばかりだ。限られた手札で戦い続け、しかしそれで良しとしなかったからこその今があることも。


 偉大なる先達へ心からの敬意を表明すべく、黒のPC筐体を神のごとく拝むポンコツ二人はこれでも自立した大人やっており、しかも貴重な休日を使って遊んでいるのだ。さっさと本日の目的を果たすべく、いそいそとモニターやら配線やらの準備を始める。


「誘っておいてなんだけど、ノートPCでスペック大丈夫か?」

「外付けグラボ持ってきてるから大丈夫だよ、電源タップだけ丸々借りるね。あっ、念のためそっちでもOBS動かしておいてね。ネタが増えるから」

「男の部屋に泊まりに来るのに、荷物の大半がPC周辺機器じゃねえか……。クッソ俺をオモチャにする気満々かよ。ええと、ネットは無線と有線……」

「僕の世界にネット回線は有線しか存在しないよ。……おっ、接続速いねえ」

「戸建てタイプで10G引いてるからな」

「――ッ!?」

「ここに来て今日一番良い顔しやがったな。気持ちは超分かるが。俺も同じ顔した」

「広い部屋、安めの家賃、恵まれたネット回線……。ヒキオタの理想郷かいここは?」

「しかも洗濯物は部屋干しできる」

「住んでいいかい?」

「籍入れたらなー」


 えっ、と素で返すサエを尻目に、PCデスクの椅子へ腰かけ胡坐をかく。今日の理解らせポイントプラス1などと思っていたら、サエはゴソゴソと掛け布団を被ってベッドに潜り、


「おい、何してる」

「僕の匂いをコスりつけてる」

「やめろ眠れなくなるだろうが。やめてくださいお願いします」

「フハハ精々今夜は僕の香りに包まれて悶々と……、なんかすごい良い匂いするんだけど下っ腹がかつてないほどにオギオギしてきた」

「おおーい汚すなって、いや別に汚いと思わねえけど。マジで眠れなくなるから止めてくれ。あとゲームはー」

「僕とカモたんどっちが先に我慢できなくなるかゲームに変更しようよ」

「それならもうお前の負けだよ。いいからさっさと用意しろモゾモゾすんな馬鹿! おっぱじめたらマジで部屋から叩き出すぞ!」

「理性が……溶ける……」

「ここ最近お前に理性あったところ見たことねえんだけどお!?」

「狭い部屋に男女二人、逆に君はどうしてこの状況で理性を保ってるんだい……?」

「お前のことが好きだからだよ!」

「迫真の告白をありがとう。睡眠薬盛ってもいいよ」

「昏レできる量お前に盛ったら二度と目覚めなさそうだ……」


 などとぎゃあぎゃあ騒ぎつつ理性を繋ぎ止めるのも当然限界が来ていた。「しょうがないにゃあ……」とモゾモゾ起き上がりながらこれ見よがしに脚やら尻やら向けてくるサエの姿に脳の中のナニカがブチ切れそうになる。というかそもそも惚れた女が自分のベッドでゴロゴロしている状況そのものがヤバい。煽られているのでなければとっくに手出している。


「カモたんの反骨根性も大概だよねえ。それじゃあ、さっさと建前の要件は片付けて、後はオトナの時間としゃれこもうか」

「夜はピザ取る予定だし、酒なら冷蔵庫入ってるぞ。適当に食って飲め」

「この男、まるでつれないクセに用意だけは良いんだよなあ……。好き……」


 ハイハイ、と照れ隠しに手を振ってゲームを起動した。巷では割と人気のオープンワールド系アクションRPGだ。ストーリーは一通り終えたものの、五十時間とちょっとのプレイ時間で、やり込みもほぼ手付かずなデータを選択する。

 そういえばコレも、サエに勧められて始めたんだよなあ、などと思いながら。







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