5. 残っていたモノ
答えは、返らなかった。
たった数拍の、沈黙だったと思う。それだけで、もう耐えられなかった。「一週間後に連絡するから。その時はまた、友達で」などと捨て台詞を残して、一方的に通話を切った。あらゆる連絡手段を拒絶して、実家の自室に駆け込んで、枕を抱いてベッドに飛び込んだ。
四日前のことだ。
仕事に行ったら、死相が出ていると言われた。
週末まで休みを取らされた。入社したての、なけなしの有休が全て吹き飛んだ。さっさと結婚して特別休暇取れと言われた。なんてホワイトな職場なのだ。あまりの有難さに涙がちょちょぎれそうになる。
トウリとは、別の部署で、別の階で、別のシフトで本当に良かった。
今、彼の顔を見てしまえば、反射的に大泣きしかねない。
「やだよう……。トウリ君のこと、嫌いになりたくないよう……っ!」
人生史上をひと月で更新する、クッソ情けない泣き言を、枕の中にぶちまける。
彼と共に暮らした数週間。襲われなくて良かったと、今でこそ思う。もうイロイロと取り返しのつかないことをした気がするが、まだギリギリ引き返せる。あれ以上の関係を、トウリとの最も深い繋がりを、この身体に持ってしまえば。
あんな、心が引き裂かれるような言葉を、伝えることはできなかった。
死ぬほどの後悔は既に押し寄せてきている。心はとっくに地獄の底へ突き落されている。ここから這い上がるのは、きっと、並大抵のことではない。
それでも。
トウリとの関係が、永遠に壊れてしまうより、よほどマシだった。
そんなことになれば、自分は二度と立ち上がれまい。生きていくことなどできない。すぐその場で死に果て、輪廻転生など望むべくもなく魂は虚無へと帰しただろう。
だから、これで良かった。
少なくとも、彼とは生涯の友人で在り続けられる。
楽しい時間ばかりを、分かち合って生きていける。
彼が望むのなら、こんな身体くらい幾らでも差し出していい。どれほどに激しく求められ、めちゃくちゃにされようとも、友人の建前があるならば一線は引き続けられる。
自分はそういう類の『
だから。
だか、ら。
枕を、噛み締める。心の奥底から噴出しかけたナニカを必死に堪える。奥歯を砕かんばかりに力を込めて、嗚咽を飲み込む。涙は鼻水に変えてすすり上げる。
自分は強い。強いのだ。一人でだって生きていける。孤独も強さに変えていける。彼が、そう教えてくれたのだ。他の誰でもない、彼だけが。
僕の強さを、弱さを、認めてくれて。
「トウリ、君」
一音、一音を。
確かめるように、愛おしむように、呟いて。
突然に、震え出したスマホに、全身を跳ねさせた。
母か、母なのか。逃げ出してきた当日は烈火のごとく怒り狂い「全くもうこの子は三十も手前になってヘタレてばかりで」などと、死んだ乙女心を踏みにじってご丁寧に棺桶に詰めて焼却して灰は夜の海に撒き散らした母なのか。部屋から出てこない内は飯も作らんと、引きこもり娘を孤独死させるも辞さないアレは本当に母なのだろうか。
そう戦慄しながら慌てて取り上げたスマホは、しかしすぐに震えを止めた。
着信、ではなかった。
スリープを解除し、ロック画面を開いてみれば。
『カモリさんから新着メッセージが届いています!』
たったそれだけの、アプリ通知が入っていた。
鼓動が、跳ねる。
荒ぶる呼吸に反して喉が詰まる。
冷や汗が頬を伝い、背筋を湿らせる。
失念、していた。通話もチャットも全て拒否して、これだけを見逃していた。使わなくなったから、単に忘れていたのだ。二人が出会ったきっかけ。二人の歪みを加速させた地獄。まだ二人を、繋いでいたもの。
だからどうしたというのだ。忘れられる程度の存在。大した繋がりでもない。ただ偶然、意識から外れていて、通知が鳴ったに過ぎない。ブロックすれば終わる希薄なものだ。
そうだ。
ここに在る、全てのメッセージを、
コレは、二人が出会った場所で。
楽しくて仕方がなかった、大切な思い出が詰まった場所で。
夢のような、奇跡みたいな日々の、全ての始まりとなった場所で。
カモリ:『いきなりゴメン。今、話せる?』
消してしまえる、わけが無かった。
嬉しくて……仕方がなかったのだ。
メッセージを交わすたびに震える、スマホの通知音が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます