4. 本当に失くしたくないモノ

『僕たちさ。友達でいた方が、良いと思うんだ』

「……は? 何言ってんだいきなり」


 唐突な言葉に、素の返事が出た。


 告げられた意味を、少しずつ理解し始めて。


 得も言われぬ焦燥と、恐怖が、込み上げてくる。


「なんだ、それ。TLのきぶり系幼馴染でもあるまいし」

『そうだね。我ながら随分とヘタレたものだと思うよ。……でもさ。実は、君にまだ、言えてなかったことがあってさ。君の小説を読ませてもらった時に、気付いてはいたんだけど。ごめんね。こんな形でしか伝えられなくて』


 仕事から帰ってきたら、非番のはずのサエが家に居なかった。


 どこかに出かけたのかとチャットを飛ばしても返事は無く、日が傾いても帰ってくる気配がなく。コレはおかしいとメンヘラヤンデレ顔負けの鬼電の末に、ようやく連絡が付いた。


 苦笑するような、困ったようなサエの声音が、スマホの向こうから続ける。


『トウリ君。君は自分のことを、強いと思う? 弱いと思う?』

「弱いと思う。なんだよ、それ」

『即答だね。まあ分かってたけどさ。君は強い女に、人が持つ強さに、惹かれるものね』

「そうだよ、それがどうした。……もしかして、自分が俺に釣り合わないとか思ってないだろうな。そんな下らない話ならブチ切れるぞ。サエは十分――」


 強いだろ、と。


 それだけの言葉が、続けられなかった。


 仕方ない、と。そんな思いを含んだ吐息が、落とされる。


『気付いたかい? やっぱり似てるね、君と僕は』

「俺は、強くないぞ」

『うん。僕も僕をそう思ってたんだよ。君と出会うまではね』


 定職に就いていないこと。


 人と社会の中で、傷ついたこと。


 普通に生きることを、諦めたこと。


 弱いからだと思っていた。ここが自分の限界なんだと思っていた。一人ではこれ以上の先へ進めない。世界を広げていこうとするなら、誰かと生きるしかないと思った。


 自分の背中を預けられる、たった一人でもいい、誰かを求めた。


 誰かと共に生きられるのか、自分を試そうとした。


『それが、理由だったんだよ。僕が、君が、出会ったのは』


 弱い自分が、諦めずに強さを求め続けられる、強い誰かと共に居たかった。


 そんな誰かの隣に、並び立てるようになりたかった。


 だが。


 サエは、己を嘲笑うように、息を漏らす。


『それってさ。紛れもなく『強さ』じゃないか』


 普通ではない生き方を、当たり前のように選べること。


 何度挫けても、心を折られても、また立ち上がれること。


『普通、人間ってさ。心が折れたらお終いなんだよ。立ち上がることなんて出来っこない。だから必死に言い訳するんだ、悪いのは自分じゃない、他人だ社会だって、責任転嫁して。自分の心が壊れないように、守ろうとする。弱さを間違いを認めることなんて、在り得ない』


 ましてや。


 自分より強い誰かに、並び立とうだなどと。


『するはずがないんだよ。オスはメスが自分より弱いから、守ろうとするし可愛がる。メスはオスに守ってもらうために愛されるように、か弱く愛らしく振舞う。それが動物としての普通。自分よりも強いオスにメスに憧れて、どころか隣に並ぼうとするなんて。

 獣として破綻した『人間バケモノ』だけなんだよ』


 人が、人であろうとするがゆえに。


 獣であることを良しとしないがために。


 本来あるべき獣性は、歪み、捻じれ、一握りの意志へと昇華される。


 それを。


『強さ』と呼ばずして、なんと言う。


『破綻してたんだよ。僕らが『誰か』に求めた理想は、初めから。

 だって、君も僕も、弱くなんてなかったんだから』


 さて、前置きはここまで。


 サエは、多分、スマホを右から左に、抱え直した。


『僕たちの、今後。どうしよっか』


 話さなければならない。


 長く息を吐いて、こちらも、スマホを抱え直す。


『最高の友人で居られると思うんだよね。間違いなく。何の傲慢でもなく』

「ああ。俺も、そう思う」


 一生モノの、だ。


 互いに、心地の良い距離感で居られる。必要な時は頼りあって、多くの時間を共に楽しめる。そんな紛れもない親友で在り続けられるという自信がある。


『何だったらさ。僕は、もっと都合良く。セフレでも良いと思うんだよ。どうせもう、君以外の他の誰かに、僕を許すつもりもないからね』

「最低だな。最適解だ」

『本当にね。自分でもそう思うよ』


 そうだ。


 俺にもサエにも、背中を、人生を預けられる『誰か』など、必要無い。


 それは、一人で生きて行ける二人だからこその、これ以上無い最適解。


 伴侶であることは、全く別の話だ。先は長い。人生は長い。ずっと傍で、ずっと一緒に居ることになる。生涯を分かち合うことになる。良いことも悪いことも、全て。


 何があるかなんて分からない。


 何が変わってしまうかなんて、分からない。


『僕はね。万が一にだって、君を嫌いになりたくないんだよ』


 声は、震えていた。


 空を見上げるような響きに、涙を、堪えていた。


『この世の何よりも、大好きな君との関係を――壊したくないんだよ』


 せめて、友達で居続けたい。


 それは、紛れもない本心だ。


『ねえ、トウリ君。君は、どう思う?』


 二人の生活。二人の部屋。二人の仕事。


 二人の想い。互いに与え合って来た全てを。


 今この時まで、積み重ねてきた何もかもを、捨ててもいいと思えるほどの。


「俺も、サエが大好きだよ。嫌いになんて、なりたくない」


 たった一つの、心の底からの、我が儘だ。


 そっか、と落とされる安堵の呟きが、一度だけ、鼻をすする。


『トウリ君。改めて、訊かせてもらうね』


 優しく、抱き締めるような声音に、胸の内が引き絞られて。






『君の人生に、僕は必要かい?』






 答えは、返せなかった。






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