7. 弱いから

「何か、言い辛いことあるだろ。俺の勘違いなら、謝るけど」


 結論、ではなく。


 理由を、伝えることにした。


「踏むべき過程イベント踏んでないのに、結果だけ求められるかよ。純愛厨だぞ俺」


 サエが、僅かに目を見開く。


 軽く、唇を噛む。


 後に、シャツの裾を握り締めて。静かに、息を吐いて。


「どうして、分かったんだい?」

「露骨に避けてた話題あるだろ。……仕事の話、とか」


 アプリのプロフにも書いていなかった。俺ですら書いてある。理由は簡単、初回の機能説明でそう推奨されたからだ。例え三行程度の簡素な内容でも。


 年収は……書いてあった。年齢を考えれば、幾分か少なめの。


 観念した、とでも言うように、サエは顔を上げ、僅かな笑みを作る。


「定職に、就いてないんだ。ハハハ、この年でこの態度で、お笑い種だろ?」

「どうやって生活してるのか、とか。聞いてもいいのか」

「在宅の入力系バイトを掛け持ちで。あとは、投稿した動画で小遣い稼ぎ」

「一人暮らし、だよな」

「贅沢しなければ割と何とかなるよ。物持ちも良い方なんだ」


 そっか。うん。サエの話が途切れる。


 否。話すべきことは話したから、それ以上が無いだけだ。


 ならば、これから言うべきことは、俺の方にある。


「そりゃあ……、大変だよな」


 口にしてから後悔したほどの、どうしようもなく薄っぺらい、同情の言葉。


 そんなものに。


 サエの頬が強張り、眉根が寄って。


「……ひっく。ふぁ、あ」


 泣い、た。


 想定外の、思いもよらなかった不意打ちに、成す術も無く固まる俺の前でサエはボロボロと涙を零し始める。溢れさせる。僅かに俯いて、小さな両手で拭うそばから頬を濡らして、まるで見たままの子供のように、声を上げて。


「え、いや、ちょ、サエ!? サエさん!? お、俺なんかやらかしました!?」

「ちがっ、違うんだ。ごめん、ごめんね。そうじゃなくて……っ! ……トウリ君、勃起したまま慰めようとしてるのクッソ面白いね」

「ぶち犯すぞこのアマァ……ッ!」


 撫でようと思って伸ばした右手で小さな頭を引っ掴み全力で握る。手を取ろうと思って差し伸べた左手でこめかみを抉る。「わぁ……ア……ッ!」などと、涙の嗚咽と苦悶の呻きを同時に上げるというクッソ器用な泣き方を見せるサエが、少し落ち着いたところで手を放し、


「だって、普通、普通さあ……っ! 社会不適合者とか、お先真っ暗の底辺フリーターとか、財布狙いの寄生年増女とか、そういうこと言うもんだろお……っ!?」

「どこの普通だよ、んなこと言わな……いや言うか。そうだなそれくらいが普通だよな残念なことにな、マジでクソだもんなあこの世界! 悪かったなあ俺は普通じゃなくて!」


 またぞろ涙を溢れさせながら、ポカポカとやわっこい拳で俺の胸を叩くサエの、今度こそちゃんと頭を撫でる。生まれて初めてまともに触っただろう女性の髪に何を思う余裕も無く、思い付く端からの言葉を、ただただ吐き出す。


「俺、クソな理由で二回転職してて。転職期間合わせて一年以上無職やってるし。実は今の会社も入って一年経ってないし……。まあやっぱクソなこともありつつ、何とかやっててさ」

「何でそんな話……っ! 意味分かんないんだけど!?」

「いやだって、俺は俺が悪かったなんて微塵も思ってないし。サエが悪いとも思わないし。それでも自分の弱さ認めて、何とかしようとしてきたから、今があるんだろ?」


 息を詰める音がサエの喉奥から漏れて、殴る手が止まった。


 そりゃあ、これだけ近くで見ていれば分かるだろう。


 戦い続けてきた奴なのか、逃げ続けてきた奴なのか。


 そのぐらいは。


「だからさ」


 落とすように呟いた一言に、サエは、肩を強張らせるから。


 思わずと、小さな笑みがこぼれた。


 ああ、そうだ。


 だから、何だというのか。


「死ぬほど辛かったよ。だからさ、挫けたっていいだろ」


 それだけのことだ。俺とサエでは、その後の選択が、少し違っただけ。できる限りのことをやって、逃げることなく戦い続けてきたのは、きっと変わらない。


 弱いからこそ、強くあろうとしてきた。


 けれど、一人で戦うのはどうしたって限界があるのだ。一度でも社会を知れば分かる。このまま生きていくのは、無理があると悟っていたから。


 一緒に強くなれる、誰かを求めていた。


 二人はきっと、何も変わらない。


「別にサエが無職だろうが引きこもりだろうが、俺は、サエのこと好きになってたよ。他の連中とか、アプリのクソ共に何言われたか知らんけど、まあ気にすんな」


 告げた言葉に、また、大きな瞳が潤んで。


 子供のような泣き声が止まるまで、ずっと頭を撫で続けていた。






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