6. 挫けているヒマは無いから

「そういうのを――世間一般では『重い』って言うんだよ」


 違う。


(そこまで無理して、話合わせてくれなくても)


(なんか、必死過ぎっていうか)


(正直重いです。勘弁してください)


 違う。


 俺は、ただ――。


「そうだね。僕も違うと思うよ」


 分かったように。


 心を見透かしたように。


 知らず求めていた言葉は、遊び飽きたオモチャを投げ捨てるように落とされた。


「だから……敢えて問おうか。

 トウリ君。君の言葉、行動。全ての根底にあるものは、何だい?」


 それなのに。


 分からない問いばかりを、この女は投げかけてくる。


「なんだ、それ。俺が、何を」

「そうか、分からないか。いや、良いと思うよ。実に君らしくて、さ」


 呆けるばかりの間抜けヅラを、心底愉快そうに、嘲笑って。


 ゆっくりと伸ばした右手を、俺の左頬に、添えて。


「『愛』って言うものだと思うんだ。月並みな言葉だけどね」


 とっくに示されていた答えを。


 告げた。


「自明だろう? だって君の小説は、とどのつまり、全てがソレじゃないか。

 君はとっくに愛してるんだよ。自分の手で生んだ作品を、物語を、世界を、人物を。そして彼らへ注ぐ想いと同じように、誰かを愛そうとする。愛し続けることができる。僕にそうしてくれたように。……いや、違うか。『自分が幸せになるために、まずは他人を幸せにする』。君にとっては前提でしかないんだよね。ただソレが、人並みにすれば、吐き気を催すほどクソ激烈に重い、というだけで。返そうと思える余裕もなく、逃げることを選ぶというだけで」


 こちらを覗き込む瞳が、濁流のように、真実ばかりを叩きつける。


「君はどこまでも真っ直ぐに、いっそ憐れになるくらい純粋に。自覚も無く理由も無く誰かを愛そうとするから。他人にとっては恐怖にしかならないんだよ。多くにすれば君から生ずる想いの根源なんて理解できっこない。君だって薄々勘付いていたんじゃないか。だから事ここに至るまで、僕に自分の小説を読ませようとはしなかった。

 それが例え、実のところ、ただ自分が愛されたかっただけのモノだとしても」

「違、う。俺は――」


 余りにも空虚な、否定の言葉に。


 だがサエは、黙って続きを待つ。


「サエに性欲ぶつけたら、好きで居られなくなるかもしれない、って」


 ちっぽけな愛情。同棲まで始めてもなお、トウリがサエに手を出さなかった理由。半端な執着であれば、性欲処理に乗せて捨てられる。届き得ない理想であれば、自創作にて昇華し、己から完全に切り離す。


 そうして自分を含めた全ての物事に、無関心に、無頓着に生きられる。


「ちゃんと、サエを好きで居続けられるのか。分からなくて、怖くて」


 自分などその程度のケダモノだと、罪悪も嫌悪も無く、ただ事実として理解している。


 そんな、どうしようもなく情けない弱音を。


 サエはただ、真正面から受け止めて、柔らかな笑みを浮かべる。


「誰かを本気で好きになったことは、今まで無かったのかい?」

「あるには、あった。応援してたVが、一人だけ。今はもう立派に一人立ちしたから、メンバーシップだけ続けて、活動は追ってない。俺はもう、必要ないだろうって」

「やっぱり、切り離してしまえるんだね。どれだけ好きだったものでも、自分の人生から。

 それでもトウリ君は、君の『例外』に、僕を置いてくれたんだね」


 君は本当に、愛情深い人だ。


 欠片も理解できない言葉へ、力無く首を振れば。


 穏やかな笑みは、悦びに感極まるように、歪んでいく。


「ああ、それでもやっぱり君は認められないよね。自分が誰かを愛せるとは、絶対に。何故なら自分が誰に愛されているとも思わないから。誰かに向けた自分の思いが、返ってくることなんて一度たりとも無かったから。だから足りないのは常に自分だと決めつけている。より一層に決め込んでしまえる。そうして膨らみ続けた過分な愛情が、ますます誰にも理解されなくなっていくとも知らずに。本当に憐れで――可哀そうな人だ」


 胸を刺し貫く言葉の数々。


 心を踏みにじる容赦の無い罵倒。突きつけられる現実。


 普通に話していたつもりだった、アプリの相手が少しずつ返事をくれなくなり、ある日唐突にブロックされて過去のやり取りが消える。拒絶の言葉があればまだいい。アレコレと話題を用意して楽しみに待っていた通話は、まるで気の無い返事しかなく。「そうなんですね」「ちょっとよく分からないです」と、自分が一方的に話して、残りは無言の時間で終わる。何となく分かっていたこうなるだろうと、その理由は分かっていなかった。


 自分が何か足りなかったのだろう、としか。


 失敗を重ねるたびに、傷ついて、それでも次は上手くやろうと前を向く。


 しっかり相手と向き合おうとして、時間を掛けて、ありったけの心を砕いてみる。


 結果また、失敗して。また反省して。また次はと踏み出せてしまうその在り方そのものが間違いだとは永遠に気付けない。他人にとっては歪みでしかない感情は際限なく歪み続け、誰とも分かり合えないほどに分かり合えなくなっていく。一人孤独に朽ちていく。


「だからね、トウリ君」


 そんな自分の、自分でさえ気づけなかった本性を。


 全て見抜いた、この女は。


「僕が、君を愛してあげるよ」






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