2. 先制攻撃

 エアコンの風が、やけに寒く感じる。


 胃の底に、ズシリと重たい何かが沈む。硬直したハラワタがメリメリと音を立てて圧し潰される。逆流する消化液が食道と喉を焼いて口内に溢れる。呼吸はとっくに止まっていた。あれだけうるさかった心臓は、今は動いているかさえも怪しい。


 ことり、と。


 何かがテーブルに置かれたと思えば、店員の持ってきたピザであった。


 もはや遠く遠退いて久しい店内の喧騒。ダメ人間二人によるクソ以下の汚物談義など、誰の耳にも入っていなかっただろう。立ち去る間際、じろり、と店員の目がこちらへ向かって眇められた気がしたのは、二十六年の年月が熟成させた被害妄想に過ぎないはずだ。


 慣れ親しんだ社会人用ビジネススマイルを引きつらせ、正面を見る。


 そこに変わらず在る、サエの穏やかな笑顔。


 死力を振り絞って、血の気も無く震える両腕をテーブルへ肘立てる。組んだ両手に顎を乗せる。長く、長く吸って、ありったけ吐き出した息に全ての覚悟を決め込んで。


「……何故気付いた?」

「さっき、バッグ漁るついでにテーブルの下覗いたらね」

「小学生みたいな理由だな」

「経験があるみたいな言い方だね」


 墓穴しか掘らない。もはや何を口にしても無駄でしかない状況だというのに、クソの役にも立たないスカスカ脳みそが言い訳ばかりを提案してくる。ずっとトイレ我慢してて。朝処理し忘れて。コレは別の生き物だから。お前は本当に言い訳する気あんのか。頭の中身をぶちまけてやりたくなる衝動は必死に抑え込みつつ、


「二次元と、三次元は別モノだと」

「君、ぶっちゃけ僕みたいなの大好きだろう」

「現実に、理想は持ち込まないと」

「散々年上ロリの何たるかを熱弁してたじゃないか」


 ダメだこのガキクッソ強い。負ける、負けてしまう。弱点バラしたのは全部俺だが。


 いやまだだ何か打つ手があるはずだと、膝を組み替えるべく伸ばした足裏を細い爪先に軽く蹴り上げられて腰が跳ねた。ハアハアと荒ぶる呼吸を飲み込めば、サエはピザを一切れ、小さな舌と口でこれ見よがしに迎え入れ、頬をもぐもぐさせながら小首を傾げ、あまつさえ、


「んっ?」

「ヌッ」

射精した?」

射精してない」


 精神的には射精した。


 心も身体も負けていた。


 ――否、元より勝機など在りはしなかった。現実と幻想は違うと、二次元は二次元に過ぎないと、拗らせ切った性癖にてとっくの昔に諦めていた、自創作にて昇華するに満足していた、理想そのものを目の前にぶら下げられた人間のなんと弱いことか。サエに対面したその瞬間より、何やら暴走を始めた己の分身に、写真とのギャップに驚いたフリをして最寄りのファミレスに駆け込んだ。前のめりに、気持ち前屈みに、立っているから立っていられずさっさと席に座ってなお座りもしないこの馬鹿野郎に辟易しながら平然と会話をしていたというのに。


 ニマニマと、満足気な内心を隠しもしない年上ロリの笑顔に、心身共に前後不覚に陥りながらどうにか絞り出した一言は。






「……サエも、さっきからずっと内股モゾモゾさせてないか」






 サエの笑顔が凍り付いた。






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