5. 性癖拗らせアラサー女(29)

 我ながら子供のように小さな足でよたよたと、慣れ親しんだ自室の床を踏んでベッドに転がった。ぽす、と反発力に負けた身体が弾んで浮かび、もう一度転がってようやく沈む。


 深く息を吸って、吐く。心臓の音もようやく落ち着いてきた。それにしたって駅の改札からホームまで駆け抜けたみたいな有様だ。昼間などマジで爆発するのではないかと冷や冷やしていた。間違いなく寿命が三年くらい消し飛んでいる。


 今夜はいやに重たい身体をよじって横倒しになり、母に寄り添う赤子のような姿勢にて膝を曲げて、足を重ねれば。


 ぐしょりと、下着が鳴った。


「……壊れたかな」


 ふむ、と呟き、もっともらしく顎に手を当て軽く内股を擦り合わせる。たらふく湿った薄布から、粘る水気が溢れて腿を伝う。さすがにおかしい。昼頃にカモリと会ってから既に六時間超、脱水症状を危惧するべき排出具合である。なんだコレは。暇を持て余して日がな一日引っ掻き回した時ですらこうはならなかった。ソレ系に特化したエロゲかAVでも早々お目にかかれないだろうとてつもない光景が己の下半身に顕現している。


 いや、理由など分かり切っている。瞼を閉じればすぐにでも思い浮かべられる、彼の視線。捕食者の目。極上の獲物を前にした野獣の眼光。


 剥き出しの情欲に晒されて、身体が震える。


 あの瞳の奥で、自分は一体どのようにどんな風にどんな有様に繰り返し繰り返しめちゃくちゃにされたのだろうか。思えば思うほど腹の奥底から沸き上がる夥しい熱に呼吸が荒ぶる。自然と下っ腹へ伸びた右腕の、手首を左手で引っ掴んで必死に止めたのは一重に『勿体ない』とそれだけの下劣極まりない理由であった。


「思っていた以上の、理想にも勝る逸材じゃないかあ。カモたん……!」


 たまらない。たまらなかった。


 控えめに言って最高であり至高であり僥倖でしかなかった。


 昔っから可愛い可愛いとはしきりに言われ続けてきた。お人形さんみたいだねえとそれだけだ。あるいはハナから種壺か何かにしか見えていない頭のネジ弾け飛んだヒトモドキのケダモノしか居なかった。どうあれ己の上っ面の幼さは、どこまでも冒涜的に過ぎたのだ。


 これ以上なく辟易していたし何よりつまらないではないか。自分は誰かの愛玩動物ペットでもなければお猿さんの性処理穴ロリオナホでもないのだ。一般的な自分の扱いについて諦めはとっくの昔についているが、そこまで人生諦めたわけではない。


 というわけで、恋人なんて作るなら、ちゃんと人並の良識も善性も持ち合わせた上で、いざとなれば躊躇なく投げ捨てられる真性のド変態ロリコンがいいなと思うようになった。


 ……すなわち性癖が拗れた。控えめに言って詰みだった。ロリエロ本が愛読書になった。そのまま時間ばかりが経過して二十九歳になった。この欲望は永遠に満たされず一人悲しく果てて逝くのだろうなあと、今度こそ人生諦める羽目になった。


 そう、思っていた。


『理想』が、目の前に現れた。


 アプリに載せられていたのは履歴書写真と、会社の飲み会か何かで撮ったのだろう写真だった。笑顔を作っていても、まるで感情の籠っていない空虚な目。リアルで対面しても、声を聴くまでもなくすぐに分かった。傷つきたくないから、誰も傷つけたくないから、己の世界を精一杯に狭めて生きているような、空っぽの瞳が。


 己の姿を、見た瞬間に。


 獣欲を、燃え滾らせた。


 下っ腹が、疼き震えた。


 生粋の異常者だった。二次ロリと三次ロリは違うなどと、幻想は幻想であるなどと。煮え滾る欲望を抑えて諦めてあまつさえ自創作で昇華して。社会で生きるために倫理も道徳も善悪も無く理詰めの損得勘定だけで一般人のフリしているホンモノの『人間バケモノ』だった。


 コイツに襲われたい。


 成す術も無くめちゃくちゃに犯されたい。


 そのぶ厚いヒトの皮を、この手で引っぺがしてやりたい。


「ハハハ、我ながらヤバ過ぎるだろう僕。カモたんのこと言えたもんじゃないよなあ……。でもゴメンねえ心の底からの本音なんだよ。ああでもクソ、アイツ純愛厨も拗らせていたな。なら必死にブレーキかけてる理性の下にあるのもまた本能か……!?」


 おおよそアタリはついていた。アレは自分と同じだ。


 どうせ空虚な心象風景をしているのだろう。何物にも関心を執着を持てないのだろう。諦めることばかりを極めてしまったがゆえに、自分の『好き』さえも信用できなくなっている。性欲を処理すれば、ほんの少し混じっていただろう愛欲さえも、まとめて捨ててしまえる。


 誰かを好きで居続ける、自信が無いのだろう。


 そんな人間が、出会いを求めて、マッチングアプリなんてものを手に取った。


「きっと……自分が誰かと生きられるのかを、試すために」


 遊び、恋愛、結婚でもない。


 それよりももっと前、友達未満の壁へ、挑むために。


 ただ一人でも心許せる誰かを求める。どうしようもないほどに……鏡合わせの二人だった。


「仮にも、三年分は長く拗らせてるからね。このくらいは分かるよ、カモリ君」


 生まれて初めて抱いた、身も心も焼き焦がすほどの愛欲を、持て余してしまうことも。


 同時に、この感情を失うかもしれないことに、引き裂かれるほどの恐怖を抱くことも。


 きっと今頃、どうすればサエを好きでいられるのかとかそんなクッソ下らないことで思い悩んでいるのだろう。こちとらロリでも年上である。その程度の回答はとっくに持ち合わせがあるのだ。さて一体どうやってケダモノに堕としてやろうかと、一切の容赦も無い冷徹な意思はやがて一つの結論へ辿り着く。


「エロ自撮り送りつけよう」


 右手でスマホを掲げる。斜め上から、目元は映らないように角度を調整、襟首をぐいと大事なところが見えないギリギリまで引っ張って、カシャリ。


 うーん、我ながら素晴らしい完成度。永久保存版。まんまエロ漫画の一ページ目にできそうな、無垢な少女が汚い大人に騙されてネットの闇に引きずり込まれていく導入のような、淫猥極まる背徳と冒涜とがむせ返るほどの濃度で渦巻いている。然るべき組織の目に留まれば即座に通報かスカウトものだろう。アイツこれ見ただけで射精するんじゃないか。


 即断即決でチャットに乗せて送信、しようとした瞬間に、通話の着信が鳴った。






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