4. 性癖拗らせアラサー男(26)

「人生初の出禁になったかもしれん」

「僕もだよ」

「行きつけだったんだけどな」

「僕もだよ」


 互いに失うモノばかりの戦いだった。


 残念でもないし当然であった。


 股間にモザイクが必要だろう者同士、そこまで準備は良くないので誤魔化しがてらにモールのベンチへ腰かける。サエはお行儀よく揃えた膝に両手を乗せ、俺は組んだ脚に手を合わせ。


「とりあえず、レスバはチャットか通話でやろうな」

「そうだね。でも楽しかったんだよ」

「周りが見えなくなるくらいに白熱したな。結果はコレだが」

「コレがアラサー男女の姿とは世も末だねえ。……それで、さ」


 もじもじと、サエは両手の指を絡める。


 言葉を探すように、頬の裏を膨らませて、


「良かったらで、いいんだけど。……また、遊べないかな」


 いつになく、しおらしく。不安と恐れとをないまぜにした声音に。


 少し迷って、頬を掻いて。


「まあ、今回全部俺の奢りだからな。次は払ってくれよ」


 そう告げれば、一拍置いて、小さな笑い声が返る。


「それ、どこのネタだい?」

「Vの切り抜き」

「つくづく最低だねえ。正直なのは良いことだと思うけど」


 からからと朗らかな笑いに、釣られて頬が緩む。どこまでもいつもと変わり映えの無いやり取りが、こうして生身の初対面でもできることに、心底の安堵と、心地良さを覚える。


 さて、と。呟くサエが立ち上がり、日傘の先端で床を突いて、振り向く。


 浮かべられる微笑みに、何故だろうか。


 根拠不明の期待が胸の内に――、


「とりあえず……、今日のプリキュアは、やめておこうか」

「……そうだな」


 そもそも、そういう理由でのお誘いだった。


 ゲロにも劣るド腐れ汚物が、公開初週土日の劇場へ乗り込むは作品と小さなお友達への冒涜に他ならぬと、共通認識でしかなかった。






        ◇






 お互いに色々と整理したいこともあろうと、早々に解散と相成ったその日の夜。


 凄まじく気怠い身体を引きずり、布団にうつ伏せで倒れ込み、手探りで掴んだスマホの画面に何の通知も入ってないことへ、不明瞭な安堵と落胆の息を落とす。


 背中を捻じって仰向けに転がる。光度最低のLED照明をボケっと眺め、視線を下げれば、程よい手狭さに慣れ親しんだ自室の景色と。


 未だに硬くそびえ立つ、もう一人の自分が居る。


「……壊れたのかな」


 ふむ、と息を吐いてもっともらしく腕組みする。さすがにおかしい。昼頃にサエと会ってから既に六時間超、過去最長維持時間を余裕で更新している。なんだコレは。大学生の一人暮らしに初めてオナホをポチった配達待ちですらこうはならなかった。結局待ちきれなくて適当なネタで済ませることにしたのだ。自分などそんなもんである。


 そうだ、対処法は分かっている。適当に処理してしまえばいい。シコいキャラにムラッと来た時と同じだ。そいつで一発抜いとけば満足する。頭の中から完全に消せるし執着することも無い。選択肢としては極めて合理的で最低で、自分とは所詮その程度のケダモノでしかないと、ただ客観的にどこまでも他人事に、罪悪も無く嫌悪も無く単なる事実として認めている。


 だから。


 否。


 だからこそ。


「……サエでやるのは、無理だろ」


 持ち上げた右腕を額に乗せ、長く、長い息を吐いた。


 コレは、恐怖だった。サエを好きでなくなるかもしれないという恐怖だ。一発ヤったら満足して捨てかねない。何が純愛厨だ馬鹿らしい。自分も含めたこの世の何モノかに、執着を持つ方法さえ理解していない。関係の無いものは見ない知らない。遠くで起きた出来事など考えない。手の届く距離にある物事だけ、認識しておけばいい。空っぽであれば、心は動かない。


 酷く狭量な世界だ。


 何もかもに無関心でいられる。


 その意味で――自分は自分を信用し過ぎている。


「自分のキャラなら、もう他人事だから、何度でも抜き続けられるんだけどなあ……」


 あまりにもあんまりな、クソと外道を極めた特大の反吐が出る。


 サエのことは間違いなく好きだ。それが分からないほど破綻したつもりはない。容姿がどうなど事ここに至ってはダメ押しに過ぎなかった。チャットしてゲームしてぎゃあぎゃあと、遠慮も気遣いも容赦も無く、好き勝手に騒ぎ合った時間は楽しかったのだ。直接会っても変わらず下らないクソ話で盛り上がれて嬉しかったのだ。


 この感情が好意でないならば、もはや自分は恋愛などすべきではない。


 それでも。


「言えるわけ無いだろ。俺が他の誰かと生きられるのか、試すためにアプリ始めた、なんて」


 サエを好きで居『例外』に置き続けられる。


 自信が……これっぽちも無かった。


「段階を、踏むしかない」


 立ち戻れ。


 お前の歪み、拗らせ切った純愛欲求に。


 可能な限りのイベントを積み重ねろ。言葉を交わし時間を掛けていけ。短絡的な性衝動には身を任せず、サエに対する好意はブクブク膨らませるままに、決して手を出すな発散するな。ただひたすらに、サエを好きで居続けろ。


 恐ろしいまでにちっぽけなプライドだ。人間なぞただの獣でしかないと理解している。ただの獣であることを、良しとしないからこその人間だとも。


 むざむざ壊してなるものか。


 今、目の前に在るモノは、紛うことなき己の理想そのものである。


「……とりあえず、次会う約束取り付けとこう」


 さっさと心に決め込んで起き上がる。切り替えの早さは数少ない取柄で、こういう事は男から誘い入れるもんだと誰かが言っていた。イマドキ男だ女だと必要以上に区別する気は毛頭無いが、今回にしたって向こうに先手取られているのだ。意趣返しには丁度良かろう。


 ちなみに聞き分けの無いもう一人は長年蓄積したロリ本にて鎮めることにした。代償行為などお手の物である。AI絵もネットも二次創作も発達していない、日々のネタには常々困っていた、侘しくも灰色の青春時代を過ごしたがゆえに。






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