第14話 異国の地で咲いた、不憫かわいい昭和と令和の友情

「おい、もう一杯どうだい?」 新宿の居酒屋で、亀次郎は赤ら顔で杯をあげていた。カウンターには既に空き瓶が何本も並んでいる。昭和の香りが漂う店内で、常連たちの笑い声が響いていた。


「あんた、もういいんじゃない?」

「へへっ、なんでえ、ママさんよぉ!人生山あり谷ありってもんよ。今日くらい飲ませてくれねえと、この亀次郎の心が干からびちまうぜ!」亀次郎は得意の口上を披露しながら、さらに酒を注いでもらった。外では雨が降り始めていた。


「まったくよ、この歳になっても一人身じゃ、夜の雨も寂しいもんでさ…おっと、涙じゃねえぜ。雨の水滴だよ、これは」そう呟きながら、亀次郎はふらふらと店を出て、いつもの路地裏を歩き始めた。雨が強まり、視界が悪くなってきた。


「おやおや?この道、どうもおかしいんじゃねえかい…って、うわっ!」突然、足元の段差につまずいた亀次郎は、路地裏の古い段ボール箱の山に突っ込んでしまう。「いててて…なんちゅう失態だ…」


箱の中から這い出そうとするものの、どうにも体が思うように動かない。「おっと、これは参ったねぇ…」周りを見回すが、雨の中、誰も通りかかる様子もない。


「ちょいと…休ませてもらうかい…」そう言った瞬間、激しい眩暈に襲われ、亀次郎は意識を失った。


気がついた時、目の前に広がっていたのは活気に満ちた市場。「おいおい、どういう了見だい?ここどこだよ!」見たことのないカラフルな屋台が立ち並び、鼻をくすぐるスパイスの香り、聞き慣れない言語が飛び交う。


「へぇ、あっしゃ一体どこに迷い込んじまったんだい?」周りを見回すが、新宿の面影はどこにもない。代わりに、エネルギッシュな南国の景色が広がっている。さらに困ったことに、服は段ボールで擦れて所々破れている。


「おうおう!誰か日本語の分かる人はいねえのかい?」通りすがりの現地の人に声をかけるが、返ってくるのは理解不能な言葉だけ。慌てふためいているうちに、屋台の商品にぶつかってしまい、果物が道に転がる。


「申し訳ねえ!これはこれは…」必死に拾おうとするものの、今度は別の屋台の籠に引っかかり、さらなる混乱を招いてしまう。


「なんてこった…」と途方に暮れたその時、ふと強烈な香りが鼻を突き、亀次郎は屋台に目を向けた。


「へえ、なかなか面白そうじゃねえか」好奇心に負けて近づくと、店主の老婆が手振りで何か勧めている。「よっしゃ、男は度胸!いただきやす!」


「うひゃあ!なんちゅう辛さだ!水くれ、水!」亀次郎は顔を真っ赤にして水を求めてバタバタし、慌てて逃げ出そうとした瞬間、露店の軒先に頭をぶつける。「いててて…」


その様子を、少し離れた場所から見ていたのが瑠奈だ。瑠奈はZ世代のバリバリキャリアウーマン。タイ在住歴も長く、日本人観光客をよく見るが、昭和の香り漂う亀次郎には特別な雰囲気があった。


「ねぇ、あの人、ヤバくない?道に迷ってるっぽいし」


すると、瑠奈の頭の中に住む山田長政の声が響く。「むむ!あやしい男じゃ。わしが見る限り、ただの酔っ払いにしか見えぬが…おや、服も破れておるではないか!」


「うるさいなぁ!でも、なんか昔の映画から抜け出してきたみたいで面白そうじゃない?それに、なんかかわいそう…」


「よいか瑠奈、わしは異国の地にて武功を立てた男。見る目には自信があるぞ。あの男、どう見ても怪しいではないか!今まさに、また屋台の看板に頭をぶつけようとしておるぞ!」


「もう、うるさい!あたしが決めることでしょ!あ!ほんとに看板にぶつかりそう!」


瑠奈は山田長政の警告を無視して、慌てて亀次郎に駆け寄った。「おじさん、気をつけて!」


「おっと!…って、あれ?日本語!?」振り返った勢いで今度は籐の椅子に足を引っかけ、よろめく亀次郎。瑠奈が咄嗟に支えようとするも、二人して露店のテントの布に絡まってしまう。


「やぁねえ、お嬢ちゃん。この亀次郎がこんな醜態をさらすとは…でもよ、男は失敗も度胸でカバーってなもんさ!」亀次郎は照れ隠しに強がってみせた。


「えー、マジで?あたしが案内してあげるよ!でも、まずは服の修繕と、カフェで一緒に何か食べようよ」


「おっと!瑠奈よ!そなたまさか、この見知らぬ男を信用する気か!しかも、その破れた服…」山田長政の声が瑠奈の頭の中で叫ぶ。


「だから、うるさいって!」瑠奈は思わず声に出して言ってしまい、亀次郎は首を傾げた。


近くの露店で急いで服を買い、着替えを済ませてからカフェに入ると、亀次郎は照れ隠しに大げさな身振りで話し始める。「へへっ、お嬢ちゃんにこんな面倒かけちまって、情けねえ話だねぇ。でもよ、この亀次郎、恩は必ず返す男なんだ!」そう言いながら、また椅子につまずきそうになる。


「むむ!なんとも不器用な男じゃ。瑠奈、気をつけるのだ!」山田長政の声が響く。


瑠奈は心の中で「もう、黙ってて!その方が可愛いじゃない!」と叫びながら、亀次郎との会話を楽しんでいた。コーヒーを運んできた亀次郎が、またしても躓いて少しこぼしてしまう様子に、瑠奈は思わず笑みがこぼれた。


「瑠奈、わしの言うことを聞け!この男、どこかおかしいぞ。昭和の匂いがプンプンするではないか!それに、一歩歩くごとに何かにぶつかるではないか!」


しかし瑠奈は、亀次郎の不器用な仕草と人情味のある態度にすっかり魅了されていた。「ねえ、亀次郎。実はさ、あたしのアパートに一時的に住むことになったらどうする?」


「なにィ!」山田長政の悲鳴が瑠奈の頭の中で響き渡る。「そなた、正気か!見ず知らずの男を家に!しかも、この不器用者を!わしが認めぬ!」


「へへぇ…お嬢ちゃんの親切が身に沁みるねぇ。でもよ、おっさんの俺なんかが若い子のアパートに…」亀次郎は照れながらも江戸っ子らしく返した。と同時に、テーブルの下で足を組もうとして椅子からずり落ちそうになる。


「気にすんなって!」瑠奈は山田長政の必死の制止を無視して言った。「それに、なんだか放っておけないし…」


「おのれ、この亀次郎とかいう男め…まるで子犬のように不器用で、憎めぬではないか…」山田長政は瑠奈の頭の中でぶつぶつと文句を言い続けた。


夜、瑠奈のアパートに到着すると、亀次郎はその現代的で小さな部屋を見回し、戸惑いを隠せなかった。「へぇ、なんつうか未来に来ちまったみてえだ…って、うわっ!」最新式の自動ドアに驚いて後ずさり、玄関の靴箱にぶつかる。


「ここに布団敷いて寝てよ。狭いけど、まぁなんとかなるっしょ」瑠奈が言うと、亀次郎は布団を広げようとして、今度は観葉植物の鉢を倒しそうになる。


「瑠奈よ、最後の忠告じゃ。この男、絶対におかしいぞ!昭和から来たなどと言い出すに違いない!それに、この調子では家具が持たぬ!」山田長政は最後の抵抗を試みる。


「もう、うるさい!昔の人が何言ってんのよ!」瑠奈は思わず声に出してしまい、亀次郎は不思議そうな顔をした。


「いやぁ、なんつうか…お嬢ちゃん、時々独り言を言うみてえだけど、なんか楽しそうでいいじゃねえか。おっと!」今度は自分の荷物に躓きそうになる。


その夜、瑠奈の頭の中で山田長政は諦めたように呟いた。「まったく、わしの時代なら考えられぬことじゃ…しかし、あの男の人情の厚さと不器用さは、確かに憎めぬものがあるな…」


こうして、昭和の江戸っ子、令和のZ世代キャリアウーマン、そして脳内の戦国武将という、時代も価値観も全く異なる奇妙な共同生活が始まったのであった。山田長政は毎日のように文句を言い続けるものの、亀次郎の不器用な失敗と純粋な人情の深さに、次第に心を開いていくのだが、それはまた別の物語である。

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